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志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

USの写真をUPしたいけれど、10年ぶりにUSから帰沖した友人夫妻とやんばる詣での日!

2013-04-02 23:40:59 | グローカルな文化現象

                  (嵐山展望台から見た新しい橋、今帰仁から屋我地島へ)

(つぶやき)0

KU時代からの知人・友人夫妻が一時帰沖していた。フリッツは70歳を過ぎてM州のロースクール教授職を退職し、久しぶりに一月の沖縄滞在だったようだ。年賀状を出しても戻ってきたので気になっていたが、変わりなく見える彼の穏やかさと忍耐強さ、彼女の言葉のきつさが感じられたが、70代を過ぎてハワイかLAあるいは京都を終の棲家にしょうか、それとも沖縄でも(?)と考えているカップルの現在を身近で感じたひと時だった。洋子さんが那覇から名護、今帰仁、本部と運転してのちょっとした遠出で古い友好を温めた一日だった。

(名護のヒンプンガジュマル近く、ヴェジタリアンレストラン「おかめ」の前のデイゴが咲いていた!)

元気そうで良かった。お互いの近況を話し合うにはもっと時間が必要だったけれど、洋子さんが案内してくれた嵐山、乙羽岳、古宇利島、そしてEnglish Kichenなどなど、大屋(うふやー)も含め、なかなか緑を海を島を堪能するひと時だった。朝10時の約束だったが、今頃10日間の旅の疲れが出て寝入っていたところを起こされて急いでふらつくなかで車に乗った。名護のヒンプンガジマル近くのベジタリアンのレストラン「おかめ」を美代さんが紹介してそこで特性のカレーを食べ、Green Smoothieを飲んだらやっと頭がさえてきた。なかなか体調と精神のリズムが厳しいところでの緑や海のまぶしさは眼が覚めるような快感だった。洋子さん、謝!「明日に向かって諦めない」ですね!

(「おかめ」の特性カレーはおいしかった。Green Smoothieも)

嵐山、乙羽岳からの眺めは格別で、古宇利島も良かった!名護から那覇へ、洋子さんとの長いおしゃべりもなかなか良かった。「すくぶん」を形にしたいと思うだけである。「ハングリー」な足元だけど「パッション」だけは燃えている。

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(つぶやき)1

若いリサさんは昨日ワシントンDCから戻ってきたようだ、メールが入っていた。電話すると研究に関してはまたいいニュースも飛び込んできた様子だった。若い彼女のリサーチ能力はすごいと思う。頼もしい!

(つぶやき)2

これからはブログの更新も控えながら目先の課題に邁進しないと厳しい一年である。とりあえず新学期の準備もあるが、論稿を仕上げること!英文、日本文!アウトラインにそって!

(つぶやき)3

育英ローンに関しても家のローンに関しても『鳥堀の沖縄銀行』さんに感謝してやまない。ありがとう!研究が形として集大成した時、助けられた(ている)沖縄銀行にお礼をしたい。≪バングラディシュだったか、ノーベル平和賞受賞の方は最も貧しい人々に融資して自立を助ける金融組織を構築していたね。≫琉球銀行がお金を貸してくれなかった時、沖縄銀行は貸してくれたのである。

******************≪転載≫

ノルウェーのノーベル賞委員会は13日、06年のノーベル平和賞を、バングラデシュの農村で女性たちに無担保融資を続けてきたグラミン銀行と、同銀行を設立したムハマド・ユヌス総裁(66)に贈ると発表した。
 同委員会は「永続する平和は人口の大半が貧困から抜け出す方途を見いだせない限り達成されない」とユヌス総裁と同銀行の活動を高く評価。授賞理由として「人類の半分を占める女性が男性と同等の立場で社会参加できない限り十分な経済発展と政治的民主化は実現しない」と指摘した。
 アジアからの平和賞受賞は00年の金大中(キムデジュン)前韓国大統領以来。イスラム圏の受賞者は03年のイラン人活動家シリン・エバディさん以来となる。授賞式は12月10日にオスロで行われ、賞金1000万スウェーデン・クローナ(約1億6500万円)はグラミン銀行とユヌス総裁が折半する。
 ユヌス総裁は米国で計量経済学を学んだ経済学者だったが、バングラデシュの大飢饉(ききん)(74年)をきっかけに本国での貧困層救済を実践する道に身を投じた。83年に貧しい農村の女性たちを対象に無担保で少額の金を貸し付けるグラミン銀行(グラミンはバングラデシュでは村、農村の意味)を設立。働く意欲や技術があっても手元に資金のない多くの女性たちの社会参加を助けた。

 【略歴】ムハマド・ユヌスさん 1940年バングラデシュ第2の都市チッタゴン生まれ。62年チッタゴン大学を卒業し、経済学講師。65年に渡米し、経済学博士に。69~72年中央テネシー州立大学経済学部助教授。72年バングラデシュ独立後に帰国し、政府経済局計画委員会副委員長、チッタゴン大学経済学部長。83年にグラミン銀行を創設した。

 【ことば】グラミン銀行 バングラデシュ政府認可の正式の金融機関。これまで660万人(97%が女性)に総額50億ドルを貸し付け、98%が返済されている。農民が5人程度のグループを作って融資を申請。融資の規則や銀行の考え方などの教育を受け、試験をパスすれば融資を受けられる。用途は家畜の購入や井戸の掘削など。96年にはグラミン銀行の支援で設立された携帯電話会社「グラミン・フォン」が事業を開始。電話が普及していない農村で小作農の女性に携帯電話を販売し、女性たちはこの携帯電話を使って村人を対象にしたビジネスを展開した。


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