武下和平「六調」
辻の街全体が芸能の宝庫だったのですね。六調がジュリ馬で踊られたことは、当時大和三味線も盛んで奄美から来た船頭や商人、住民など、かなり沖縄との交流が盛んだったことを意味しますね。遊廓は人と人が交流する場であり、異なる文化接触が盛んに行われたのですね。
今では六調は聞こえてきません。しかし戦前、大和侍の扮装をしたり芸者の扮装をする美らジュリの存在がありますね。芸は時空を飛んで交流するのですが、また時代の流れの中で閉ざされたりもしますね。少し年のいったジュリが大和侍の扮装で狂うように踊る姿の描写など、薩摩と琉球の因縁の深さを感じさせます。薩摩侍とジュリの絵画は結構描写されていますね。
植民地の主人たちと彼らに奉仕する現地妻のような琉球女性達の姿でしょうか?