志情(しなさき)の海へ

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首里城の火災から1年目の10月31日の紙面は豪華、鮮やかだった!出火の原因究明や責任の所在は曖昧なままで、前のめりした復元への思いが情緒的にローカルナショナリズムを醸成している沖縄!

2020-11-01 11:32:03 | 沖縄の過去・現在・未来
         (琉球新報 10月31日からの転載です。謝!)
首里城の復元の過程で、高良倉吉さんと西村貞夫さんの大龍柱の向きの問題が大きな関心をひいている。紙面を読むと、西村さんの視点が妥当だと思えるのだが~。向かい合った大龍柱がいびつに見えてきた昨今だ。戦前の前を向いた大龍柱の姿に「ああこれだ!」と思う。

  



新聞社はここぞとばかり、この間の歴史や復元の過程の写真や燃え盛る本殿などを掲載して特集している。紙面も増刷している。中央で人気を得た女優の愛らしい姿やメッセージを掲載したりもする。時流に乗った勢いで、ローカルナショナリズム(沖縄ナショナリズム)をおおいに刺激し、誘導しているようにも見える。時を経てこの熱狂が客観的に見直されるのは復元の2026年後になるのだろうか。琉球王国の歴史を掘り下げ、近代以降の明治政府による併合から現在までを掘り下げる数年になったらいいね。

 一方で首里城の火災も、ナオミ・クラインさんが著書にした『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』 の一つの現象とみなすことは可能だろう。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%AA%E3%83%9F%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
 その流れは9・11から3・11、そしてコロナパンデミック、中米の對立に至るまで続いているのかもしれない。
思いがけない、想定内になかった災害(首里城の火災)は21世紀に入った事変、異常な出来事(マルチテロや地震・つなみ、福島原発の崩壊、科学技術の暴挙、疫病などグローバルな展開)の中に加算されていくのだろうか。
 かなたとこなたはつながっている世界だ。リセットが叫ばれる。NWOも。ここからシンギュラリティーの世界は一足飛びだろうか。
そういえば、月の土地を買ったと、その権利書を最近見せられた。←事実だが、ちょっと飛躍かな?

実は特集記事の中に疑問に思った表現があった。実際に紙面の一部を提示して問いたい。
紙面はこの間の歴史の経緯が描写されているが、人頭税が課されたかどうか、曖昧な表現になっている。歴史的事実としての表出ではないことが気になった。
【琉球新報10月30日】


見出しは「栄華の陰に先島の犠牲」とあるが、「文化が花開いた王国の栄華の陰には、人々の犠牲もあったとみられる。」と書かれている。人々の犠牲があったと、「史実」として断定した文言ではない。なぜだろうか?「犠牲があったとみられる」と、「犠牲があった」との距離は遠い。

ひょっとしたら犠牲はなかったのかもしれないというニュアンスも残されている。先島への沖縄本島からのあきらかなこの間の差別意識とも関連する重要な事柄が、曖昧にされている。また「首里王府は1637年、宮古、八重山といった先島にーーーー人頭税を課したとされる。」の表現も曖昧な書き方である。人頭税が課されたのは史実ではないのか?なぜ曖昧な表現になっているのだろうか?「266年も先島に課せられたとされている」も同じ流れである。明治12年の廃藩置県以降も先島に人頭税を課していたのは事実だ。明治36年になってはじめて、廃止されている。

「~とされている」という表現で、歴史を曖昧にし、犠牲になった先島の人々の歴史を微妙に歪曲した表現になっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A0%AD%E7%A8%8E%E7%9F%B3
「この税制は、琉球処分が行われた後も、琉球士族への懐柔策として古い制度を尊重するという明治政府の方針(旧慣温存政策)のもとで続いたが、1893年(明治26年)頃に廃止運動が興り、その指導者である中村十作(新潟県出身)、平良真牛ほか4人の農民代表が宮古島から東京に上り、帝国議会に陳情を行なった。それらの運動の結果、1637年から続いた人頭税(分頭税)制度は1903年(明治36年)に廃止された[4]。」

このウィキディアを見ると来間さんが「人頭税はなかった」という論を出していることが分かる。しかし明治12年以降明治36年まで人頭税が施行されていて、その廃止のために奮闘した方々がいる。新しい歴史研究の成果も上のウィキピディアの註釈に紹介されている。古来から人頭税が課された琉球だったとの視点もあり、実際の先島の人頭税の史実を確証した研究論文や書籍はどれか確認したい。先島の人々の王府への視線(眼差し)の違いはなぜだろうか。
http://miyakojima-kids.net/jintouzei.html宮古島キッズネットです。人頭税が史実として子どもたちに指導されている。「人頭税を課したとされる」のような表現で曖昧にはしていない。
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/kenkyu/backnumber/journal/03/pdf/04.pdf ←この論文が斬新で読み応えがある。俗説の人頭税に対して、相対的に史料を基に書かれた論考。じっくり読みたい。ただ過酷ではなかったと言えたのかは疑問。

 人頭税=琉球王府が寛永年間から明治36年までの266年間、宮古・八重山に課した農奴なみの税制。当時は15歳から50歳までの男女を(上・中・下・下下)の四等級に分け、頭割りで、男は穀物を、女は上布を上納させた。(『時空の中洲で』P28より引用)



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