(琉球新報、2014年2月21日)
寒い人生ー、ただ燃えているパッションはありつづける。27年間刑務所に入って闘ったマンデラさんがいた。わたしもまた刑務所に入った状態だったのだと思ったら耐えられるような気がしないでもない。これとあれと、まとめるべき課題はまとめて永死永生ですね。隣の芝生は羨まない。すべて己との闘いなんだから、と思う。ただ足元が寒くなさそうな方々に見えないものが見えているはずだという自負だけかな?欺瞞はいやだけど、自分に課したテーマは完了させたい。真喜志きさ子さんの『琉球天女考』は時事的な知念ウシさんなどの本より何倍も価値があるのだね、と思う。きさ子さんはやはり凄い。真喜志康忠さんと上間初枝さんの御嬢さんは、やはりすごいと思う。←深夜のつぶやき
ジュリ馬に関して浅香怜子さんと真喜志きさ子さんの論を並べてみたのだった。浅香論はある面でオーソドックスなんだけど、つまり伊波普猷とか矢野輝雄とかうまく取り込んでいて、ジュリ馬の原初を手繰り寄せる情熱は拍手したいが、基本的なコンセプトでやはりと、うなずかせるのはきさ子さんの古代信仰を初源から手繰り寄せている思考回廊だった。2007年に鈴木さんと二人の共同研究の中で、きさ子さんに基調講演していただいた「乙姫劇団と辻文化」の論考が『世界の中の〈沖縄〉演劇-女優の表象を中心とした考察ー』の中に収録されているのだが、彼女の原稿を改めてよむと、その深さに溜息をついた。あらためて読んだのだが、んんんである。ジュリ馬は「変性祭」だと断定する。古来、巫女の霊力が最も発揮される瞬間は、男女の性が変換するモメントだと考えられてきました。年に一度、辻のジュリが男に成り変わることで、かつて聞得大君とつながる巫女だったという記憶を回復する祭だと、彼女は解釈しているのである。なるほどです。
シンポジウムの原稿の作成に手間取って関係者に嫌な思いをさせてしまっている。ごめんなさい。いつもぎりぎり体制の悪い面が出てしまっている。