もう十数年も経ってしまいました。
2008年に上里さんはこの作品を書いています。プリントして上演の機会をうかがっていたのですが、そのまま流れています。
自分で演出するつもりでいて、その後博士論文に取り組むようになったり、他弁解はいろいろで、そのままの状態です。あれから世界や沖縄の時勢も変化しています。上演の際は中身を現代にマッチするように、手直しもお願いして、ベストの状態で舞台化したいものです。
「沖縄そのものが人類館になってしまった」というのが、知念さんの最期のメッセージだったと思います。その人類館からさよならできるのだろうか?できるとしたら、どのように?
21世紀に入って、9・11や3・11を経て、どうも沖縄だけではなく、日本全体がアメリカの植民地であり、人類館なのだ、というのが昨今の思いです。
かのNSA職員だったスノーデンさんによると、かなり怖い装置で日本がアメリカの罠にハマっているようですし、科学技術の進化の脅威は身近に潜んでいるようです。監視社会の告発をして、スノーデンはロシアに亡命しているのですが、リバタリアンの氏の人気は結構高いようです。
若者によると、時代はWeb3.0に移るとのことです。これはポジティブな情報です。
「Google や Meta などが提供するサービスを使って自由に Web 検索をしたり、SNS で情報発信ができる現代は「Web2.0」の時代と呼ばれています。
しかし、この先間もなく時代は「Web3.0」へと移り変わると言われています。」 Web3.0の時代に突入して、BIGTECH(ビッグテック企業)や国の監視網を逃れるのもまた科学技術の進展でありアウフヘーベンのようですが、人類の自由と、想像・創造を希求してやまないパッションや知恵は、全体主義国家なり世界統一政府を凌駕していくでしょうか。
しかし、この先間もなく時代は「Web3.0」へと移り変わると言われています。」 Web3.0の時代に突入して、BIGTECH(ビッグテック企業)や国の監視網を逃れるのもまた科学技術の進展でありアウフヘーベンのようですが、人類の自由と、想像・創造を希求してやまないパッションや知恵は、全体主義国家なり世界統一政府を凌駕していくでしょうか。
Web3.0は
・GAFAに代表されるビッグテック企業のコントロール外にあること
・分散型のネットワーク(ブロックチェーン)を基盤にしていること
・検証可能性、所有権、経済インセンティブがある
とのことです。
絶えず、際どいせめぎ合いの中に投げ込まれているようです。AIとの共存も余儀なくされていきつつあるこの地球社会は、絶えずダイナミックに動いています。そのたゆまない変化についていくのもたいへんです。
少なくとも言論や表現の自由、人権はまもられるべきです。人類、として、国や地域の境界を超えてどこでも自立した人間として生きていける社会であってほしいものです。1%による地球の83%の富の収奪という現実はきわめてディストピアに見えるのですが、そこからの明るいビジョンはありえそうです。弁証法なんですね。人間のあくなき好奇心とあくなき想像力と美しいビジョンは、きっと未来を明るく照らすにちがいないと、信じたいものです。
サタ‐ニックな情動を持つ人々がいる反面、女神に象徴される善意があります。人類の幸福と安寧のためにあらゆる能力を駆使する人々が存在します。
「たとえ明日、世界が終わりになろうとも、私はリンゴの木を植える。」 と言ったのは、16世紀に宗教改革で主役となったマルチン・ルターの言葉です。絶望してもあきらめないことが大事なのですね。
「さよなら人類館」から脱線してしまいました。ところで、その戯曲はこのブログにすべて公表しています。一幕から三幕まであります。興味のある方は是非読まれてみてください。そして感想をお寄せください。
知念正真の「人類館」では、天皇が暴力の中軸として描写されているのですが、「さよなら人類館」では天皇メッセージがエコーしています。沖縄は切り離され、アメリカ軍占領下に投げ捨てられたのでした。