
(田中一村画「白花と赤翡翠」)
マッチ箱のように家が車が流されていく映像を見せつけられた日から5年目の今日なんですね。それからさらに悪夢のような福島原発事故が報道の波になっていきました。あの時、暗い、落ち込んだ空気を払うのは、逃げず見据えることだったのだと思います。そして時の流れの中で風化させない思いがやってきます。今もなお、避難したまま故郷に戻れない人々が17万人もいると紙面が伝えています。突然命を断ち切られた不合理な現実を前に、死すべき存在としての存在を見つめなおし、地球環境を見つめなおし、謙虚に生きていきたいと思うようになりました。この世界の根にある暴力の構造にも目を向けるようになりました。真実の在り処を問う小さな、小さな追求もまた始まったのかもしれません。かなたとこなた、こなたとかなたはつながっているのですね。イソヒヨドリがさかんに夕暮れ時の歌を歌っています。澄んだ鳴き声が聞こえてきます!