
(沖縄県教育委員会文化関連部局も頑張っている!今日「組踊シンポジウム」がある!)
台風明けの6日午後、レインボウホテルの一室に集ったのは、宮里朝光さん(NPO 沖縄語普及協議会会長)、名嘉山秀信さん(那覇市文化協会うちなーぐち部会事務局長)、高良勉さん(詩人)、船越龍二さん(沖縄テレビ報道制作局長)、大田守邦さん(沖縄芝居実験劇場代表)、そしてコーディネートをすることになったわたしである。
朝光さんはすでに発表の原稿を持ってきてくださって、氏の流暢なウチナーグチでの原稿を聞かせていただいた。まずもって文化をどう琉球語で表現したのか、氏はてぃーかたということばを使われた。てぃーかたあしーが、あしかたね―んのようにその草稿の中に何回か登場することばに感銘を受け、またいかに着物の着付けからハチマキの紐の結び方にしても、大和風になっているかとお話された。高良氏は国連の先住民族会議による沖縄は先住民であるという国連勧告、琉球諸語は危機言語だとユネスコが指定した事、昨年のユネスコによる組踊の無形文化財指定の凄さについてお話された。永久に世界の無形文化遺産として認知されたことの意味をフォーラムでも直にお話する予定である。名嘉山さんはこのフォーラムや舞台「うちなーぐち万歳」全体のプロデュースをされている。船越さんはOTVが50年郷土劇場を応援してきた経緯をお話される。また昨今の若者たちを中心にできた番組が新たに沖縄言語を多様に浸透させる役割を担っていることなど柔らかくお話されて興味深かった、また大田さんは琉球舞踊のみならず、組踊、沖縄芝居、新作(現代)組踊に積極的に主役で出演している方である。若い沖縄芸能を担うリーダーの体験・経験は幼いころから歌・三線が子守唄のようにあったことなどお話されてとても興趣がわいた。
お話は面白く時間がたつのを忘れそうだった。フォーラムの日の1週間前にはみなさん原稿を提出される予定で、論議の深まりが期待できそうである。お楽しみに!沖縄県の代表者は県の取組について行政の立場から報告がある予定である。
所でサイトにOUR OKINAWA わったーばんどー!!があり
以下の文章に出合った。
*****
「うちなー口」とは沖縄本島語の総称的に使われているようです。
琉球諸島には各地方地方、島々に独自の言語があるので、全ての琉球諸語を総じて島言葉といいます。奄美諸語、北琉球諸語、中南部琉球諸語、八重山諸語、宮古諸語、与那国語と大きく6つの独立した言語がある(その言語が消滅の危機にさらされている)とユネスコ(国連教育科学文化機関)が2009年2月19日に発表しました。琉球諸語には標準語は存在しないようですが、標準語になりうる言葉としてOUR OKINAWAでは共に勉強して行きたいと思います。
琉球の標準語ですが、奄美から与那国までの方々と琉球語での会話を可能にし、今後幾世代に渡って言語として継承・発展して行くためには、やはり明治の頃の日本と同じように標準語になりうる言葉も必要なのかなと思います。これから勉強していく世代にとっては、あまりにも各地方語が多すぎでまず学ぶ為にも必要ですし、将来的に第二言語レベルまでに持って行く為にも必要だと思います。
しかし標準語を重んじすぎて、生まれ育った村々の言語が継承されなくなってしまっては今の日本語と島言葉の関係と同じになってしまいますので、各地方語の継承も同じように活用表作りを進めながら全てのエリアでの言語継承が進んでいけたらと思います。
*****
つまり若い世代が自らの言語を主体として取り戻す文化潮流がこの沖縄でうねりをもって始まっていると理解した。
うちーなーぐち、うちなーくとぅば、琉球語、沖縄語、名称はそれぞれ多様で、琉球諸語のそれぞれの言語も保存・継承していかなければの気運が高まっているようです。方言ではなく、沖縄語という認識が始まっているのです!
多様な中で沖縄の共通言語を模索する動きも活発になるのでしょうね。そこはどうにか沖縄芝居を見直してほしいと思う。「ウチナー芝居くとぅば」を推奨したい。
台風明けの6日午後、レインボウホテルの一室に集ったのは、宮里朝光さん(NPO 沖縄語普及協議会会長)、名嘉山秀信さん(那覇市文化協会うちなーぐち部会事務局長)、高良勉さん(詩人)、船越龍二さん(沖縄テレビ報道制作局長)、大田守邦さん(沖縄芝居実験劇場代表)、そしてコーディネートをすることになったわたしである。
朝光さんはすでに発表の原稿を持ってきてくださって、氏の流暢なウチナーグチでの原稿を聞かせていただいた。まずもって文化をどう琉球語で表現したのか、氏はてぃーかたということばを使われた。てぃーかたあしーが、あしかたね―んのようにその草稿の中に何回か登場することばに感銘を受け、またいかに着物の着付けからハチマキの紐の結び方にしても、大和風になっているかとお話された。高良氏は国連の先住民族会議による沖縄は先住民であるという国連勧告、琉球諸語は危機言語だとユネスコが指定した事、昨年のユネスコによる組踊の無形文化財指定の凄さについてお話された。永久に世界の無形文化遺産として認知されたことの意味をフォーラムでも直にお話する予定である。名嘉山さんはこのフォーラムや舞台「うちなーぐち万歳」全体のプロデュースをされている。船越さんはOTVが50年郷土劇場を応援してきた経緯をお話される。また昨今の若者たちを中心にできた番組が新たに沖縄言語を多様に浸透させる役割を担っていることなど柔らかくお話されて興味深かった、また大田さんは琉球舞踊のみならず、組踊、沖縄芝居、新作(現代)組踊に積極的に主役で出演している方である。若い沖縄芸能を担うリーダーの体験・経験は幼いころから歌・三線が子守唄のようにあったことなどお話されてとても興趣がわいた。
お話は面白く時間がたつのを忘れそうだった。フォーラムの日の1週間前にはみなさん原稿を提出される予定で、論議の深まりが期待できそうである。お楽しみに!沖縄県の代表者は県の取組について行政の立場から報告がある予定である。
所でサイトにOUR OKINAWA わったーばんどー!!があり
以下の文章に出合った。
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「うちなー口」とは沖縄本島語の総称的に使われているようです。
琉球諸島には各地方地方、島々に独自の言語があるので、全ての琉球諸語を総じて島言葉といいます。奄美諸語、北琉球諸語、中南部琉球諸語、八重山諸語、宮古諸語、与那国語と大きく6つの独立した言語がある(その言語が消滅の危機にさらされている)とユネスコ(国連教育科学文化機関)が2009年2月19日に発表しました。琉球諸語には標準語は存在しないようですが、標準語になりうる言葉としてOUR OKINAWAでは共に勉強して行きたいと思います。
琉球の標準語ですが、奄美から与那国までの方々と琉球語での会話を可能にし、今後幾世代に渡って言語として継承・発展して行くためには、やはり明治の頃の日本と同じように標準語になりうる言葉も必要なのかなと思います。これから勉強していく世代にとっては、あまりにも各地方語が多すぎでまず学ぶ為にも必要ですし、将来的に第二言語レベルまでに持って行く為にも必要だと思います。
しかし標準語を重んじすぎて、生まれ育った村々の言語が継承されなくなってしまっては今の日本語と島言葉の関係と同じになってしまいますので、各地方語の継承も同じように活用表作りを進めながら全てのエリアでの言語継承が進んでいけたらと思います。
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つまり若い世代が自らの言語を主体として取り戻す文化潮流がこの沖縄でうねりをもって始まっていると理解した。
うちーなーぐち、うちなーくとぅば、琉球語、沖縄語、名称はそれぞれ多様で、琉球諸語のそれぞれの言語も保存・継承していかなければの気運が高まっているようです。方言ではなく、沖縄語という認識が始まっているのです!
多様な中で沖縄の共通言語を模索する動きも活発になるのでしょうね。そこはどうにか沖縄芝居を見直してほしいと思う。「ウチナー芝居くとぅば」を推奨したい。
ですね。
自家撞着甚だしいと思います。
うちなー芝居くとぅば、とは、何なのでしょうか?
国語や方言の議論とは、全く異なると思います。
うちなー芝居は、政治的力動に基づく世界が存在し、琉球か、沖縄か、首里か否かが、中心に据えられるのですか?
ことばと国家の中の議論とは、全く別の世界が、うちなー芝居くとぅばには感じられるのですがいかがでしょうか?
先生の使われる言葉の、揺れや、思考の揺れは、認識されていますてましょうか?
また10年以上沖縄芝居や芸能諸々についてお話をお伺いしてきた真喜志康忠氏は、宮古・八重山を含め、沖縄のどこで沖縄芝居を公演してもみなさんよく分かってくれたと話していました。【ウチナーシバイ】ことばはどこでも共通語のように理解される、と氏は話していましたね。
おそらく私の念頭の中に氏のこのことばがこびりついているのも確かでしょう。私自身、沖縄芝居を見ていてウチナーグチの理解が深まっていると思います、話すのはまだまだ苦手ですが、聞いて理解できるようになっています。
沖縄語・琉球語について、今転換期だと認識しています。私は沖縄の芸能・演劇を批評・研究する中でいかにその中軸にある沖縄語が大切かという事、またその言語が危ういのではないのか、という所から関心を持つようになりました。方言ではない言語としての沖縄語の今後に非常に関心をもっています。
わっささんはどうして沖縄語・琉球語に関心を持っておられるのですか?
<<当初、嘉数道彦さんに対して、先生が発言していたことと(後程、訂正しておりましたが)、今先生が発言していたことが、全くずれていることに、関心をもち、「他意」をかんじるからコメントしました。沖縄語、琉球語への関心というより、個人に対する先生自身の記述の見識の揺れに対して、批判的な関心を持っているのです。
「【ウチナーシバイ】ことばはどこでも共通語のように理解される」
共通語という概念と、固有の言語としての「○○語」という概念は、そもそも対立するのでしょうか?共通語に対しては、方言という構図をもつか、あるいは共通語に対しては、標準語というパラダイムの対立のように考えるのですが、すべての議論の用語の精査が感じられません。
首里語を共通語と主張することと、うちなーしばいくぅばを共通語として主張することとの関係は明確にされているのでしょうか。ひいては、それを、政治と関わらせて、綿密な調査なしに一人の芸能家を「見識がない」「がっかり」等のことばで、いかにも自分自身の批評の材に使うことに、節操の無さを感じずにはいられません。
それに対する「関心」と「批判的な思考」が私の中にはあります。
この間沖縄方言の概念の中に生きていて、突然方言ではなく言語なんだと認識したのがここ2、3年ほど前のことで、その後に及んで言語の定義が気になったということです。あの現代の沖縄伝統芸能ならず沖縄芝居や新作組踊でも活躍されている嘉数道彦さんがコンベンションビューローの紹介の中で組踊の詞章(首里方言)と記述しているのをみて、危惧したということです。その認識は彼の指導者の認識であり、国立劇場おきなわの指導者の方々の認識だということに思いいたりました。
今、言語認識の大胆な転換が始まっていると感じます。何やらわくわくするものがあります。私は自らの認識なり見識に誤りがあったと判断したときそれを少なくとも柔軟に訂正する精神はもっているつもりです。
逆にあなた(どなた?)の硬いいこだわりはとても刺激的です。
用語の精査が感じられないとのこと、また言語の調査のことなど、ご指摘の通り私は言語学なり方言学を体系的に学んできたのではありませんので、周辺の感性の中でことばにしているのもその通りです。あなたがその領域のご専門でしたらもっとその認識をご披露してください。
節操のなさという批判も厳しいですね。嘉数さんの良さを十分このブログではまたご紹介しているつもりです。
言語認識については比較表象の視点で沖縄の演劇を批評する・研究する中で言語の重要さを意識するようになりました。また危機感も感じて言語と舞台表象の関係性を文化の記憶の保持と継承の視点で他の地域と比較研究したいと考えています。
政治的な側面のご指摘は、政治=文化だと考えていますのでいかなる言辞も政治の中にあるといえなくもないと思います。が細かに見ていくのは大変ですね。感性をことばにし、論理化する作業も大変です。
今後も厳しい批評ご遠慮なくお願いします!
共通語の概念など、沖縄語の場合どうなっていくのでしょうね。宮良信詳先生などが編集された本をひも解きたいですね。
>>私は、貴殿の私見や発言を「批評」しているのではなく、「批判」しているということを、お忘れなく。また、すり替えることがないように、御忠告いたします。
一歩間違えば、根拠をもたない(根拠を示さない)、誹謗中傷が綴られているという認識によって、コメント申し上げているわけです。
学をもって、「批評」に取り組むのであれば、どうぞ、まずはご論文や、ご著書で世に自分自身の立ち位置をお問いください。あるいは、ある政治的状況を告発するのであれば、調査した実物もお示しください。
「その認識は彼の指導者の認識であり、国立劇場おきなわの指導者の方々の認識だということに思いいたりました。」
上記のことも、きちんと調べられたのでしょうか?
何の根拠ももたない、世間話のような妄想によって、「批評」の材に芸能家をおしこめないでください。お願いです。
最後に、私がだれなのか、お知りになりたいようですが、インターネットという仮想現実をどのように、お付き合いになるのかを、ご自身にお問いください。仮想現実において、誹謗中傷めいた発言を繰り返す限りにおいて、私について知っていただきたいとは思いません。フェアでないとお考えでしたら、どうぞ、フェアなブログの運営をお考えください。
貴殿のアイデンティティと直結しているブログであるとの発言が以前ありましたが、私は人とつながり、対話的自己によってアイデンティティを示していきたいと考える者です。
対話的自己が、貴殿の中に存在するのであれば別ですが、一連のブログの内容を拝読するに、なにも感じられません。ただ、情熱はいつも感じております。今後もどうぞ、ご健康に留意され、ご活躍ください。
そう一冊の研究書でもしっかり書いてまとめよ、と叱咤激励された、といいように解釈させていただきます。
そうですね。さてこれから300枚に挑戦です。逃げずに向き合いたいと思います。
今後もよろしくお願いします!