(NさんやSさんにまたお会いした日、庭に咲いていた花が目を引いた。彼らに感謝した日、すべてが落ち着いたらお仕事にエールを送るために琉菓子を持っていきたいと思った今日!)
(台湾ガジュマルの植木?今から名前を調べなければです!)
日常の中に潜んでいる空気のような圧力、それに脅されていると感じる心情、PTSDはどこにも潜んでいるのだと言えるのだろう。
過食症になって浜辺をさまよう姿のダイアナさんの写真が脳裡から消えない。プリンセスが関係性の淵で悩み苦しむ姿は数多の女性たちの心を打ったのである。彼女がパリのトンネルで交通事故の装いの中で殺された時(わたしには事故ではなくやはり大きな力で殺された生贄に見えた)、テレビの報道を熱心に録画していたことを思い出す。彼女についての書物も買って読んだ。去年イギリスで開催された国際学会で研究発表する機会があった時、Harrodsデーパトに寄った。地下にあるダイアナの婚約指輪が展示された記念碑のある空間でしばし時を過ごし、メモリアルノートに言葉をのこした。多くの人々の寄せ書があった。正直すぎた彼女の不幸と幸せは、関係の綾の中で苦しみ悩み生きた(ていく)多くの女たちに重なっていく。
おそらく50年以内には物語が、戯曲が書かれ上演されていくに違いない。イギリス王族の歴史は歴史劇としてシェイクスピアは書き残した。血なまぐさい歴史でもある。王や女王やその一族の権力争いの凄まじさと悲哀、勇気、正義、裏切り、暴力、美、愛、真実、嘘、欺瞞、浄化されるもの、などなどが流れている。そしてダイアナの殺戮は、キリスト教徒とイスラム教徒の確執(争い)の歴史の現在でもあるのだろうか?根の深さが表象としてはきらびやかな、警護が固いデパートメントの表と裏(内)の混濁した美醜の中にもちりばめられているのだろうか?
人類史の眼がくらむような2000年、3000年がその地下の小さな礼拝堂、記念碑の前で凍結・凝固しているように見えた。彼らの現世の愛、その結実はむなしく潰えた。しかし永遠に歴史の現在を刻み続ける。イスラム、テロリスト、テロリスト、イスラムの表の喧騒は何時まで続くのだろうか?
Fair is Foul, Foul is Fair! 単純に見える二律背反!犠牲を折り込んで歴史(時代・ゲンダイ)は疾走している。
裁く者たちと裁かれる者たち、偶然も、見えない落とし穴もあり、そこから這い上がる日々の闘いもある。それぞれの闘いとそれぞれの歓び、それぞれの幸せと不幸と命の記録がある。なぜ?すべては繋がっている。理性と感性はバランスよくは理想、バランスを踏み外す魔の時もある。魔を陽の光で蒸発させるエネルギーが問われているのらしい。大きな力で命を絶たれたダイアナが象徴するものは、現在の世界の焦点そのものかもしれない。
意識のある間の闘い、の暖かい光、小さな光でいい。この研究棟のデスクの上のスタンドの光がすべて。大きな世界の権力の仕組みと闘っている先端はしかし辺野古だ!辺野古の闘いは大きな世界の魔の手との闘いなのかもしれない。ダイアナを殺した魔の手の仲間?かもしれない。辺野古が放つ光は世界の良識に思いを寄せる人々をひきつけている。国家や体制の利害の周りにいる層(知識人や研究者も含め)は決して立ち寄らない。M先生は辺野古に行きたいとメールがやってきた。わたしも12月にはバスで辺野古に行こう。
カオスの世界、混沌、汚濁の空気、ここまで押し寄せている。海風が吹き飛ばす島々のよどみ、海風が通り過ぎる。システムが崩れない限り、法は秩序を維持していく。崩壊するような、めまいのような息苦しさも時に花々が救ってくれる。