女性が多いボイストレイニングの講座で、何が女性たちの発声、声で古典や民謡を詠う時、大事なのか、その観点から研究を進めてこられたのでした!ちょっと誤解があったようです。古典が上で民謡が下、古典の大家が上でジュリの芸は下だけの単純な見方をしていませんね。一般常識への突破口になったのですね!古典が歌える女性たちの再登場ですね。といっても近世から現代にかけて何らかの形で女性たちの古典や民謡は継承されてきたわけですね。特に遊里・遊廓で顕著だったのですね。
座敷芸が琉球芸能の主流ですね。それは組踊でもそうだったと板谷 徹さんは書いています。まさに遊廓での芸能も座敷芸です。瑞慶山和子先生の4歳からのご体験はとても貴重ですね。鏡の前ではなく座敷で踊ってきた彼女は、お客さんたちの目や耳が鏡になって芸を鍛えてきたのでした。座敷で高音で唄ってきた芸妓ですね。座敷での実体験をしてみたいです。多嘉良カナさんや普久原京子の唄を誰かに座敷でライブで唄ってほしいです。多くて30人くらいはいる座敷でしょうか?あるいは10人ほどの小座敷での唄・三線、筝、太鼓、少女の踊ですね。もちろんマイクなしです。場の臨場感を味わいたい。『料亭那覇』さんのような座敷芸に近かったのかもしれませんね。八畳、十畳は広い方でしょうか。
★仲村先生に疑問をメールしました。
メールのやり取り
仲村さんの論文は秀逸だと思います。
ジュリの芸を主体として評価したい視点とは少しずれがあります。
座敷芸ですから、聴衆は多くはないですね。←でも高音である。なぜでしょうか?
金井喜久子は妓楼にいたカナをまた斜め目線で見ています。ジュリを一般の沖縄の人々の視線から【上から目線から】見た文章です。それで告別式にもこなかったのですね。
古典の大家が上で芸妓の芸が下といえるか疑問です。
多様性において彼女たちはむしろすぐれていたと考えています。
しかし家族制度に付随する遊廓であり、影の存在・場です。男性が神=ゲストです。しかし愛の世界は同等ですね。←妻、妾、消費する性の二重規範は変わらないが。
戦後の1000人、2000人の聴衆の前で吉田妙子さんたちは歌っています。ジュリではなかったけれど似たような高音です。マイクなし。
批評など、いろいろな視点が出てきますが、仲村先生はそれに太刀打ちできる方だと考えています。論の完成を念じています。
ブログの中身にへこたれることなく応答してほしいです←よろしく!!
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晶子さんの批評、指摘は心しておきたいと思います。
ただ本意ではありません。
私が、これまでボイス講座を担当し、多くの女性が古典音楽や民謡を嗜んで
きて発声に悩みを抱えながらの現状を見過ごすわけにいかないので、女性の
発声についてどうあるべきかの提示をしたいということで個人研究をしてきました。
そのためのジュリであった女性たちの歌研究です。私は一般的な当時の社会的
状況としての料亭あびー、ジュリあびーという言葉を使ったが本意ではありません。
言葉の使い方は色々あると思いますが、例えば遊女という言葉自体男女問わず
どなた が使っても遊女ではない人達からは差別的だと思っています。
また、古典音楽が上位で民謡が下位というのも私が琉球音楽を学ぶ、指導する立場上まったく
同様な気持ちです。琉球音楽を嗜むには上下関係はないと思います。現に私の講座には
すべての流派の古典、民謡、八重山民謡、宮古民謡の皆さんが受講しています。
たぶん古典音楽だけをやっている方は自分たちが上だとみているはずです。つまり王府音楽
という意識が働いていると思います。その証拠に芸大には民謡学科はありません。あっても
おかしくないはずです。将来的には可能性あると思います。
つまり古典 音楽は格式があって習うには難解であるのでそう思っているのではと思う。
私はそれぞれの特徴を把握し同等の指導をしています。古典音楽が上位という指導はしていません。
以上、わたしの疑問は少し解けました。仲村先生ご立派ですね。
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(つぶやき)
ネットで伊地知貞馨を調べると興味深いサイトが現れました。当真重網那覇市長の薩摩系の先祖とかかわりのある方のようです。つまり薩摩の血筋の方が沖縄に土着化していった系統もあったのですね。在番の系統とかもあるのでしょうね。在番と現地妻との間にできた子孫がいるのですね。ジュリの女性と薩摩士族との間にできた家系は重宝されたのですね。役人、寄留商人と多様に見えます。つまり子供を生み育てることができた沖縄の遊廓ですから、多様な豊かさがまたあったともいえるのかもしれませんね。