志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

『愛と経済のバトルロイヤル』橘木俊詔 X 佐伯順子 追記

2016-03-26 10:01:27 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

生協で立ち読みしている時気になって買ってしまった!対談だから軽くさっと読めたのはいいが、何が残ったのかーー?
『遊女の文化史』の著者の佐伯さんと『女女格差』の橘木さんだから眼がひきつけられた。沖縄の遊女(ジュリ)をここしばらくテーマにしていて、佐伯さんの御本も何冊か読んで『遊女の文化史』は持ち歩いていましたね。対談の中ではそのエキスのようなことばが拾えるのがいいですよね。

「日本の芸能も歴史は遊女なくして成立しませんから、その歴史的貢献は無視できません。ー略ーしかし、現代社会においては、そうした歴史が歪んだ形で継承されているということに、問題を感じざるを得なくなりました。

日本は宝塚歌劇団や現代の女子会ブームにもみるように、女性は女性、男性は男性でつるむことに居心地のよさを覚える、極めてホモソーシャルな社会なので、欧米型の「恋愛」文化が定着しにくく、そのために、キャパクラやガールズバーという金銭を介在した形でないと、男女が接近しにくいんですね。JKおさんぽ等の恋愛的ムード商業化もその延長線上にあるでしょう。」

「江戸の遊廓は、当時の結婚が当事者の感情と無関係に決められがちであったため、結婚関係で満足させにくい男女の恋心を、結婚外で充たす機能を持っていましたが、プロの接客業の女性のもとに行けば擬似恋愛ができる、という期待は、自由恋愛が可能になっているはずの現代の日本社会にも連綿と受け継がれている。しかもそのすべてが経済活動です。お金がおちる、つまり経済効果があるわけです。消費活動と擬似恋愛がこれほど結びついている文化は、日本以外にないと思います。

素人相手の恋愛文化が十分成熟しない日本では接客業の女性と本気で恋愛する男性が出てくるのも必然なのですね。ただ女性の心と体を一緒に買おうとする文化が、経済力のある男のみで可能であるのも問題ですね。

現代日本の男性客が想定しているゴールは結婚ではなく結婚外のエロス的関係ではないでしょうか?」

以上、佐伯順子の発言

「夜に酒を飲み、女をはべらせて本音で話す。こうした文化がある。日本の社会独特ですよね。」→橘木

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沖縄の遊廓は遊郭ですね。囲いの塀がなかったのです。出入りが意外と自由でしたね、一時厳しくなって無断外出壱円罰金と新聞でも報道されていますけれど、でも女だけの妓楼だった、というところは大きな特徴ですね。「女・女格差」ではなく「女・女共同体」の良さがあったのは事実でしょう。

女・女格差 はいつの世でもありますね。どの分野でもありつづけたのでしょうが、なにしろ女性に選挙権が与えられたのが1920年のアメリカが最初でした?日本はアメリカ流民主主義のおかげで戦後ですね。戦後女性達にとっては大きなチャンスだったのですよね。現に教育の面では男女平等です。ジェンダー(セクシュアリティー)をどう生かすかは個人の選択ができるようになっています。社会全体の仕組みはこの対談を読むと近代の国民皆擬似士族化社会の延長ということになるのでしょうか?それもしかし、極端にではなくても経済の動きによって変わらざるをえませんね、纏足をはめられていた中国人女性たちも1949年以降、労働する女が前面に出てきたのですね。主婦願望の女子学生は一部の特権の形になり、一億総活性化=労働者の未来になるのでしょうか?男並に働ける一部の女=男を増産するのではなく、北欧、フィンランドやデンマークなどの形態にすんなり移行できないのはなぜだろう?

アメリカで経済が崩れると、世界がくしゃみして大変状況、戦争内需はもうゆるせないはずですが、続くのですね。


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