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志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

コン、コン、コン、深夜に響く音は母の呼吸?!

2010-12-19 13:11:20 | グローカルな文化現象
深夜に耳に響いてくる音、コン、コン、コンに目覚める。外で道路補修の工事でもやっているのだろうか?斜め向かいの83歳の母のベッドを見る。彼女は寝入っている。夜中の頻尿のため数回起きている彼女はベッドの頭のすぐ横にラジオを置いている。ひねもすラジオを聞いているのである。目覚めた時、ラジオのスイッチは入っていなかった。それで、コン、コン、コンの小さな響きである。寝室から起きあがって居間に行く。コン、コン、コンの音は聞こえてこない。地面を掘る重機の音ではなかった。


母の呼吸がそのようなリズムをもっていることに嫌な予見をもった。一瞬棺桶が思い浮かび、釘を打つ金槌を持つ男の姿がまた浮んだ。

83歳の母が転んだと携帯に電話があったのは14日の昼だった。女神のような姉の声である。「明日はいかなければーー」と思いつつ14日の夕方大学からそのまま実家に向かった。薬剤師の姉の夫も来て転んだ脚の手当てをしているとのことで安堵はしていたが、やはり顔を見なければ安心できない、そのまま無料の自動車道に向かっていた。そして、夜中の一人寝が心配という声で
着替えることもなくジーンズのまま、母と斜め向かいにあるベッドに横になったのだった。

17日もまた母のところに行く。病院でリンゲルをうった彼女は元気そうだったが、姉は自分のうるま市の家でしばらく面倒をみるという。それでわたしもまた母に添い寝する形で姉の家で寝ることになった。ただ寝て話すことで時間が過ぎていった。母の親戚のおばさんが亡くなったニュースも伝わっていた。ブルブル震えた母の姿があった。

ひさしぶりにヤンバルに戻るといつの間にか歯が欠けたように人が死んでいる!実家の隣のおばさんもまたギリシャ建築の素敵な家の住人だったおばさんも、また独身で軍雇用員としてはぶりが良さそうに見えたおばさんもあの世に旅立った。

ヤンバルの自然の景観の中に死が沁み渡っているような感じは常にそこに住まない者がときたま訪れる時間の隙間故か?そして今83歳の母の目に顔に震えを見る。

母は老いてなお美しい女だと感じる。それは単に彼女が自分の母親であるという故だけではない。女性として彼女にかなわないと思いつつ生きてきた。もっともっと本音で語りたい。母の命の、身体の滅びを見届けるのはつらい。しかし、彼女のきりりとした精神の炎を感じながら生きている!

いつまでたっても骨を齧る娘は、「死者の肉を食らった」という古の習俗を形を変えて実践しているのかもしれない。彼女の愛にどれだけ応えることができるのだろうか?母の強さ、美しさ、犠牲、頑なさ、殻、誇り、恋愛(女学生時代も戦後も彼女は求められる女の魅力にあふれていたようだ!うらやましいほどに)、頑迷さ、清らかさ、慈愛、野心、夢、正義感、絶望、孤独それらのすべてを記憶にーー。何よりも父の回想記を気にして久しい彼女の思いに応えることができないでいる現実をどうにかしなければいけないこの時ーーー、ゆらゆらと時の川に浮かんでいる。

100歳まで生きてほしい!
母よ!100歳でも人生は短すぎる!

<写真は那覇の胃袋。M市場で出会ったご老人!小さい頃、彼女のように背がくの字になったおばあさんを思い出した>

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