あの頃僕らはあほでした
猫氏バージョン
つぶらやのゴジラ
東野圭吾さんのエッセイの目次に沿って
猫氏のバージョンを書いていくシリーズ
今回はつぶらやのゴジラ。
東野さんのエッセイでは幼少時代、怪獣映画が全盛を極めたという話。
わたしのゴジラの思い出は、ゴジラ対ヘドラ
初めて映画に連れて行ってもらったのはこの映画だと思う
梅田の映画館でした
東映漫画祭りを夏休みか冬休みか毎年やってました
当時テレビで流行していた漫画を何本か映画館でやるというイベントです
ゴジラの東宝も似たような興行をしてました
ゴジラ対ヘドラ
調べたら1971年の封切映画。小学校低学年のころ
当時は、公害が問題でたいへんな騒ぎでした
海や川は排水で真っ赤に、大気は光化学スモッグっていうのに
おおわれて、晴天無風の日は光化学スモック注意報がでて
外で遊ぶのが禁止されてました。
海水浴に行くと、オイルボールっていう油の塊が
体やボートに付着しましたね。
そんな時代。
静岡の田子の浦や四日市では、海はヘドロに埋もれてました
異臭を発し、水俣病など大きな問題になってた時代です
物語は、田子の浦でヘドロから怪獣が生まれ
ヘドラと呼ばれる。
町を破壊するヘドラに対抗するのがゴジラでした
苦戦するゴジラでしたが、なんとかヘドラをやっつけるというストーリー
ヘドラのビジュアルが強烈で忘れられません。
テレビでは、日曜、水曜、金曜にロードショーといって
映画番組がありました。その中でゴジラの映画も見ましたね
忘れられないのはゴジラ対モスラ
大きな蝶の怪獣モスラと戦う話
当時人気者の双子の歌手ザ・ピーナッツが歌う
「モスラ~や!モスラ~!」は耳について離れません。
そんなゴジラが、30年の時を経てシンゴジラなどで
復活していくのは、感慨深いです