たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

音楽は昔を。

2018-07-03 14:00:00 | オーストラリアの記憶
グーグルホームミニをGETした。

FBで友人宅にグーグルホームがやってきた、というのを読み、もともと興味があったもので、ミニの方を買ってみることにした。タイムセールで半額、3000円とは安い!

朝は「おはよう」と声をかけると「くみこさんおはようございます。今日の東大阪の天気は・・・」とまず天気予報から始まり、最新ニュースを流してくれる。それを聞きながら着替えたり、という事を最近やっている。

相方が帰ってきたときに彼の声も登録したが「いちいち Okay, Google 言うのもめんどくさいなあ…」確かに、声認識のために言わないといけないけど、話しかける度になので言い忘れてしまう事もあり。

しかし、一人暮らしになって独り言が多くなったので、何か言ってくれる存在があるのはいい。むろんわけのわからん大ずれした返事の事もあるけど。



情報系は早い。天気予報、近くのレストラン、どこかまでの距離とか、かかる時間とか。

実際、6/18の地震の時は、「ここから天王寺まで歩いてどの位?」「15キロ、2時間39分かかります」

その日は公休で自宅にいたが、もし翌日にでも余震で電車が再度止まり、帰宅難民になったら、と思って聞いてみたが、速攻で返事が返ってきた。

ダジャレもお得意だが、同じのを何度も言われるのでこれは飽きるだろう。


あとは音楽。グーグルプレイがひと月無料でついてきた。

「~かけて」と言えば探してくれるので楽なものだ。確かにAIスピーカー、スマートである。


「Somebody to Loveかけて」と言ったら「クイーンの『愛にすべてを』ですね」 と邦題を探し出す。

「Poguesのクリスマス(タイトル忘れたので)かけて」と試しに言ってみたら、「Fairytale of New Yorkですね」はあ、そうだったわ。

しまいには「ららりららららら~~(タイトル忘れたので)と出だしを歌ってみたら、「Eurhythmicsを検索します」

アニー・レノックスとは段違いの音程なのによくわかったわね・・・




洋楽を色々検索してプレイリストを作り、流しながらあれこれ家事をしたり。

私はそれほど音楽好きと言う方ではなく、スマホとイヤホンで電車の中で聴くこともない。最近のはやりの曲も知らない。

中学生のころ、英語が好きだったせいか洋楽を良く聴いていたがそれも、高校に入ると聴かなくなった。


その後、また洋楽を聴くようになったのはオーストラリア留学時代。

週末の夜中、Rageという音楽番組をやっており、これは朝方まで続く。


友人宅に集まって雑魚寝、という週末に、いつもこの番組を皆で見ていた。相方もその中にいた。PV見ながらあれこれ、曲の良しあしについて話したり。
朝方目が覚めたら誰かがONしていた、と言う事もあって、とても懐かしい。

その頃によくRageでかかっていた曲を探し、プレイリストを作ってみた。 好きな曲であればCDも持っているが、まとめてプレイリストに出来れば楽、キャストしてスピーカーから流せばスマホで聴くよりもちろん音も良い。

便利な世の中になったものだ。

プレイリストには「シドニーの思い出」という名前をつけた。音声認識は微妙で、こちらの言い方によっては似たようなタイトルの別の曲をかけられてしまう事もあるので、かぶらないようなものに。

日本語で設定しているので、あまり英語っぽく言うと認識してくれなかったりする。「Somebody to Love」も、一回「矢沢栄吉のナントカですね」と返事された。栄ちゃんじゃないのよ~~~~(>_<)

先日生徒様が(20代半ばの若い女性)Bon Jovi好き、と言うので、(K-pop全盛の時代に)珍しいですね、と言うと「90年代の曲調が好きなんです」との事。

私がシドニーにいたのは91年から95年。まさに90年代。

REMの「Losing My Religion」なんて何年振りかに聴くと不覚にも目がうるむような気になる。

相方は音楽好きで、シドニーで一緒に暮らしていた頃に彼が聴いていた曲も懐かしいものがある。

問題は検索時に曲名を忘れていたり、バンドの名前すら忘れてるものもあるということ。何しろ四半世紀くらい前なのだから。

AerosmithとかGuns'n'Rosesとか、今でもちゃんと有名な人たちは良いが、その時以来聞いたことがない、というバンドもあり、歌詞を思い出してあれこれ検索かけて探したものも結構あった。これも便利よね...


そんな曲たちをかけていると、シドニーの乾いた夏、住んでいたCoogee Beachのフラットの赤いカーペットの室内、相方と行ったレストラン、シドニーの街中のCD屋さん、友人たちの誰かれ、行っていた学校の様子も思い浮かんでくる。



相方も私も若かったものだ。










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秋かな。

2014-08-26 00:58:30 | オーストラリアの記憶



朝晩、ずいぶん過ごしやすくなった。土曜日くらいからか?

先週半ば頃はまだ、寝てる間扇風機だけでは暑く、汗だくになってたのだから。暑さが長く続いて「っもう勘弁して」と思ったのは去年か、一昨年だったか?
今年はちゃんと「処暑」に涼しくなりはじめたようでありがたい。

今朝は海を船で渡っている夢を見た。これは、「幾分冷えた」時の夢だ。

以前に、寝ている時寒い夢は

雪道を歩いている
プールにいる

というのが良くある、と書いた記憶があるが、そこまでではないけれど少し冷えたかな、と言うときはこの、「クルージング」系になる。

この場合、乗っている船はあまり大きくなく、海は「津軽海峡」ではなく、南の海だ。ちょうどこの写真のように、青い浅瀬の海、白い砂浜、TUBEの歌が似合いそうな海だ。

そして割に夢の中は楽しくてわくわくしている。が、ちょっと肌寒いのは分かっている風。


この写真は、シドニーから400キロ弱北にいった所にある、フォースターというリゾート地近くの Seven Mile Beachという所。ほかにNine Mile Beachと言うのもあり、つまりは「七重浜」とか、「九十九里浜」というようなもの、人間の考えることはあまり変わらないようだ。

フォースターではたいてい、お天気は良かったので、暑かった事はあっても寒かったという記憶はないが、一度だけ、少し曇り気味の日があった。




ここはLighthouse Beachという所、一度、大量にクジラが打ち上げられてニュースになった場所だ。

曇っていたので空の色も海の色もさえない写真しか撮れなかったが、水はびっくりするくらいきれいで透き通っており、これだけの規模の浅瀬のビーチというのに、人は誰もいなかった。
そして少しだけ、肌寒いと思った。「幾分冷えた」夜の夢のイメージにちょっと似ているかもしれない。だから南の海なのかもしれない。

ちょうど20年前の写真だ。
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green curry

2014-04-24 23:15:50 | オーストラリアの記憶



先日久し振りにタイカレーをタイ米で食べた。
ここのところタイ米が手に入らずだったので、普通のお米で食べていたのだが、やはりタイ米で食べると美味しい!

あの「さらり」 としたロングライスがあってのタイカレーだなあ、と実感。

同居人も「ご飯が妙に旨い!」とどんどんお代わり。

タイ米で親子丼や刺身なんてまずいだろうし、それと一緒。

オーストラリアのタイレストランでは、もっちりの餅米もあった。
篭で蒸されて出てきて、つまりは白くて豆もはいってないお赤飯風。

私は好きでよく注文していたが、これは結構、辛い甘い酸っぱい、のタイ料理に合うのだ。何故?不思議。

本格的なタイレストランがキタにあるが、久々に行って見たくなった。



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PCでバーチャルドライブ

2013-02-12 01:08:20 | オーストラリアの記憶
ここ数日、気温の低い日が続いている。

日曜も寒かったので、出かける事もせず家でのんびりしていた。
PCの前に座っている同居人が「こんなのもあったな」と一人うなずいているのでモニターを見たら、Google Earthで遊んでいるのだ。
たまに私もやるけれど、なかなか面白いものだ。

シドニーでしばらく暮らしていたCoogee Beachの辺りを巡っている。市内からバスで30分ばかりのビーチだ。

「あれ、ここずいぶんおしゃれになってる」
「バス停は変わってない」
「これはあのパン屋さんだ」
「MACは相変わらずだね」

などと…撮影は去年秋位のものだから、店などはずいぶんと変わっている。20年近く経っているのだ。しかし我々が住んでいた、レンガ造りのアパートは全く、変わっていない。当時築80年だったのだから今は築100年になっている訳だが、さすがに石造りの家はもつものだ。

これが1995年撮影のもの。アパートの前に、安く買った同居人の赤い車があるのが懐かしい。



これは去年あたり。




「じゃ、シティまでドライブだな」

シドニーはたいていの場所がストリートビュー出来るので、バス通りをずっと追っていく。

私は免許を持っていないので、シドニーでも歩くかバスか電車、ストリートビューも基本、歩くコースを追っていくが、同居人はかなり車で回っていたので大通りなどの様子も覚えている。ここを曲がったら何ビーチ、この高架をくぐる、このラウンドアバウトで曲がる、とか細かい事も覚えているようだ。

私が日本語教師として働いていたTAFEを左に見て、公園の脇を通り…だんだん道を思い出していく。

同居人はシティに入ると、おなじみだったパブが気になるようだ。どのパブも、外観も名前も変わっていない。
私たちが通っていた学校は、名前は変わっているが入り口の様子などは一緒、隣の、よくランチを食べたりしてたむろっていたYWCAも。

何故か目についたのはクルマ。

日本で走っている車はみなきれいだが、シドニーには今でも相変わらず、塗装が日焼けしてしまったような車が走っているのだ。日本より(同居人が持っていたような)赤い車が多い気がするのは気のせいだろうか。

これは1993年撮影の、Coogee Beachへ降りていく坂道。




これはシドニーではなく、シドニーとブリスベーンの合間くらいにあるForsterというリゾート地へ遊びに行ったときのもの。このとき借りたレンタカーも赤だった。




初めてシドニーに降り立つ前、飛行機の窓から見て印象的だったのが「赤い屋根」だったのを思い出す。オレンジっぽい赤い屋根の家が多いのだ。レンガの建物も多いからかもしれない。
冬でも日差しの強いオーストラリアには赤が合うのだろうか。

ストリートビューで周りに時々写っている赤い車を見ながら、あの乾燥した空気を思い出したバーチャルドライブだった。
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ジャカランダの花

2011-11-13 23:56:36 | オーストラリアの記憶
11月も半ばになった。

思いついてPCに取り込んである写真を整理していたら、シドニーで1993年と1994年の11月に撮った写真が数枚あるのに気付いた。

日本語を教えていたTAFEの、生徒さんたちと撮った写真が11月の日付になっているが、これはクラスの最後に皆でパーティをしたものだと思う。オーストラリアは季節が逆だから、そろそろ夏休み、と言う頃だろう。そして新学期は2月なのだ。




これは教えていた教室で、食べ物を持ち寄ってのパーティだった。生徒さんに見せるために着物を着て行ったのだ。このクラスには、実は「刑務所に入っている」人がいて、びっくりしたものだ。日本語を習いに来る時だけTAFEまで来ることが出来、それ以外のところには行ってはいけない、という事でここでパーティになったはず。
頭の回転の速い面白い生徒さんだったが、何をしたものやら。"Kumiko, you're funny."とよく言われたが、「アンタに言われても」という位いつも冗談ばかり言っていた。ほかの生徒さんも事情をちゃんと知っていて、でもごく普通に付き合っていたのがまた愉快だった。




こちらのクラスはアジア人の生徒さん…韓国人、中国人、の人などが多く、親しみがわいたせいかとても慕われて、楽しいクラスだった。これは「折鶴」という日本食レストランでのパーティだった。今でもあるんだろうか。


11月、というと、ジャカランダの花が美しい季節である。10月位からが盛り?アメリカでは5月位のようだ。
日本の桜の様に、春に咲く花である。
桜の様にすぐに散らずに目を楽しませてくれる大木。薄紫の色合いが上品な花だが、調べてみると、花言葉は「名誉・栄光」…あんまりピンとこない。



1994年11月30日、と言う事は17年前の事。
この日は、ジャカランダの写真を撮りたいから、と同居人に車を出してもらい、あちこちドライブをして、ジャカランダの木を探したのだ。見つけたのが郊外にあったこの木。どこだったかは覚えていないが、同じ日に撮ったバウンティ号(シドニー湾をクルーズする観光帆船)の写真があり、これはシドニータワーやら街中のビルが写っているから、シドニー湾の反対側、ノースと呼ばれる地域のどこかだったのかもしれない。




日本ではこれから冬に向かって寒くなっていくというのに、オーストラリアは逆に、日に日に暖かくなる頃なのだ。
シドニーは割合冬は寒い。オーストラリアには「寒い」という印象がない気がするが、シドニーの8月は間違いなく、冬のコートが必要である。雪は降らないけれど…大阪の12月位だろうか?
それでも、四季は日本ほどはっきりしていない気がするのは何故だろう?
寒い時でも日差しが強くて、空気がいつも乾燥しているからかもしれないが…あまり季節によって何かを楽しむと言う習慣がないからなのだろう。
日本なら春は梅、桜でお花見、夏は蛍、お月見、秋の紅葉狩、など季節で自然を愛でる、という習慣が大昔からあるけれど…。

オーストラリアの年中行事というとやはりキリスト教にちなんだものが多い。クリスマスはもちろんだが、イースターとか、アイルランド系の人ならセントパトリックディとか。
日時は決まっているが、季節、というのとはちょっと違う気がする。
セントパトリックディでは、緑の服を着た人が歩き、近所のパブではタダで「ギネス」をふるまってくれたりするが、これは仏教の灌仏会、4月8日に甘茶をふるまうのと同じような感じがするし…(ちょっと違うかなあ???)

私が「ジャカランダを見たい」と思ったのは、日本人の「春の花見の血」が騒いだのでは、と今になって思うのである。
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November Rain

2010-11-15 19:10:41 | オーストラリアの記憶

先日同居人が「懐かしいのを見つけた」とPCの前へ私を誘う。

カイリー・ミノーグの「Confide in Me」のPVだ。どぎつい化粧に派手な衣装、懐かしいビデオだ。オーストラリアから帰国するちょっと前位に、よく「Rage」という、オーストラリアのMTVみたいな番組で見ていた。14,5年前の事だ。同居人はレディガガのビデオをダウンロードしようとしてたまたま見つけたらしい。
レディガガはマドンナやクィーンから影響を受けたとかいう話だが、考えてみればカイリー・ミノーグも似たような系統だからかもしれない。

この番組は、真夜中から朝方までやっていたので、友人のフラットに遊びに行って、皆で大騒ぎをして雑魚寝、そのあと見たり、朝方見たりしていたのでとても懐かしい。
みなぼんやりしていて、ある人はタバコをふかし、ある人はVictoria Bitterを片手に、ある人は横たわり、私のように飲めない人間はコーヒーを。濃い独特な味のインスタントコーヒーも思い出される。日本のインスタントとはずいぶん味が違った。香りは日本のもののほうが良いが、味は結構好きだった。

その後同居人と一緒に暮らしていたころも、同居人が音楽好きなのでよくこの「Rage」は見ていたものだ。その頃流行っていた曲を聴いただけでも、オーストラリアの風景のあれこれが思い出される。
CDも持っていて、ウォークマンでいつも聞いていたので、特にPet Shop Boysの曲を聴くと、かなり広範囲に(?)シドニー界隈の景色が頭の中を「走って」いく。よくバスに乗っていたからか?
Paddingtonあたりのおしゃれな店、ウォークマン片手に歩き回った近所のBondi Beach。







テープ形式のウォークマン製造中止、というニュースには「感慨」という言葉が浮かぶばかりだ。19年前は、私が日本から持っていった「テープのウォークマン」は、オージーにはびっくりされる位の薄さと性能だったのだから。

曲は今でもCDを持っているから聴けるけれど、ビデオは見られないので、懐かしいPV、あれもう一度見たいな、と思うものがたくさんあった。
考えてみれば、ネットを使えば見られるのだ、というのに気づいたのがほんの最近のこと。なんて遅れた頭…と思いつつ、こんな古いPVもあるのか?というものをYouTubeであれこれ検索してみると、これが、あるのだ、大抵。
オーストラリアのアボリジニのバンドのPVまであったのはびっくり。古いものは画像が悪いけれど…。





このPet Shop BoysのPVは、シドニーに住み始めて、半年くらい?のころだろうか、よく行っていた友人のフラットで夜中に見ていて、「これってほかの人の曲使ってて、いいのかなあ?」「この人たち、ゲイなんだよね~でもお互いが恋人じゃないんだよね?」などと友人と話していた、その会話まで覚えているので、久しぶりに見て本当に懐かしかった。


私が最も、「あれもう一度!」と思っていたのはこれ、Guns'n'Rosesの「November Rain」…長々しいビデオだけどちゃんと最後まで見られてよかった。Guns'n'Rosesの曲が人生訓、というと笑われそうだけれど、この曲の歌詞の一部が私の人生訓なのだ。


♪So never mind the darkness we still can find a way. Nothin' lasts forever, even cold November Rain♪


嫌な事つらい事はあっても、永遠に続くことはない、そのうちに終わる、といつも考えていればとりあえず元気も出ようというものだ。実際そうしていろいろなものを乗り切ってきたので…。
たまたまだけれど、11月に改めて見返してみると、やはりいいなあ、と思う。たとえアクセル・ローズの服装の趣味が悪かろうがなんだろうが。



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シドニーの食べもの

2008-07-07 22:41:55 | オーストラリアの記憶
〆日前後の2週間、結構な忙しさの日が続いたこともあり、やっとお休み、となった土曜日はひさしぶりに近所の居酒屋へ晩御飯を食べに行くことにした

出来てまもない居酒屋だが、「かくれ家」とか言う名で、うっかりすると天井に頭をぶつけたり、段から足を踏み外しかねない造りだ
メニューを見ると、チェーン店で札幌にもあるようなので驚いた。
名前は聞いたこともなかったのだ。

席も「かくれた」風に作ってあり、私と同居人が案内された席も穴倉のようだったが、2人で来るのなら落ち着いていいかもしれない、と話し合った

何を食べている最中だったか、おそらくタイ風の味付けのしてある料理があったせいか、シドニーの食べ物の話になった

様々な人種の人々が暮らしているせいか、ありとあらゆる食べ物を食べた気がする
よく食べたのは、タイ料理、韓国料理。これはタイ人、韓国人の友人がいたせいである。
職場全体でよく行ったのは、オーナーが好きだったので中華。
また、職場の人たち、それに同居人も、あれこれ試すのが好きで、なにかしら新しい食べ物に挑戦しに行ったものだ


ざっと思い出しただけで、タイ、インドネシア、ベトナム、中国、韓国、ロシア、イタリア、スペイン、トルコ、メキシコ、フランス、ギリシャ...位は出てくる。
あそこはよかった、いまいちだった、と食べ物の事はよく覚えているものだ

私がお気に入りだったのは、ギリシャ風のレストランで、炭火で魚介類を焼いて食べさせる店だった
新鮮なスカンピ海老やイカ、バラマンディという魚、あれこれ注文しても一人二千円もかからずにおなか一杯食べられた。
日本人と見ると、何も言わなくても、あの昔ながらの流線形の「キッコーマン」醤油の瓶を持ってきてくれたりもした


オーストラリア料理、というのは…オージー自身が「ナイ」という位であるから、特別な食べ物は思い当たらない。
ミートパイ、フィッシュ&チップス、ラムチョップといったところだろうが、これはイギリスから来たものと考えてよいだろう。
所詮アングロサクソン系の人々は味音痴で、新しい食べ物を開拓するようにはできていないようだ

このなかでは、フィッシュ&チップスがよく食べたものにはいる。
紙袋にどさっと入った太い、油ぎとぎとのチップス、コロモの厚い白身魚、今食べたら、胃もたれか胸焼けでその後なにも食べられなくなるだろうが、当時はお手軽なランチだった。

ゲイの多い、つまり「おしゃれ」な郊外、パディントンに、フィッシュ&チップスが美味しいパブがある、というので食べに行ったことがあるが、やはり、皿にきれいに盛られているのより、紙袋に入っているほうが感じが出るものだ、と思った記憶がある

「俺、ブルーマウンテンに一人で行って、泊まって、晩御飯にフィッシュ&チップス食べたことある」と同居人が言う。

普通、ブルーマウンテンはシドニーからなら日帰りで景色を見にいくような場所である

「いや、一人でどこかのホテルに泊まった
どこも食べ物屋が空いてなくて、唯一あったのがフィッシュ&チップスだったんだ。持ってかえって部屋で食べた。
新聞紙に包んであったから、すごいと思ったの覚えてる」

「なんでまたブルーマウンテンで泊まったの?」

「覚えてない…シドニーに行ったばかりの頃だった。だとしたらブルーマウンテン2回行ってるんだなぁ…もしかしてブルーマウンテンじゃなかったのかなぁ…

確かに私はそういう話を聞いたことがなかったから、私がシドニーに行く前のことかもしれない。同居人は私より4ヶ月ほど前にはもうシドニーにいたのだ。

家に帰ってから、同居人のアルバムを見てみたが、ブルーマウンテンの写真は、妹やホームステイ先の子と写っているものだけである。
その時ではないのだそうで、それに一人で行ったなら写真は撮らないかもしれない

もう18年も前のことである。記憶が定かでなくても不思議はないだろう。

食べ物の記憶は意外に残る、というが…フィッシュ&チップスが記憶の一部を運んできたらしい


なんだか、油っこい、マックのと違う、柔らかく太目のチップスがなつかしく、また食べてみたくなった。


写真のレストランはタイ料理の店、たまたま横道に入って見つけたのが当たりで、同居人とよく食べに行ったところである。これは1993年のクリスマスイブの写真だ。

ここでの最高のメニューは"Jumping Prawn"という名の、海老のカルパッチョのようなものだった。確かに飛び上がるくらい辛いのだが、バジルなどのハーブが使われていて、タイ料理らしくさっぱりとして美味しいメニューだった。

あれほど辛いタイ料理はずっと食べていないから、今では辛さに負けてしまうかもしれない。
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親子丼

2007-06-26 01:36:24 | オーストラリアの記憶
もうすぐ私の誕生日


オーストラリアでも数度の誕生日を迎えたが、その中でも印象に残っているのが、同居人の作ってくれた「親子丼」である。

シドニーにはフイッシュマーケットというところがあり、つまりは魚市場である。交通の便が良いというところでもないので、「さて、今日はこれを作るゾ。だから絶対にこの材料がいるのだ」という決意の元でなければあまり買い物には行かないところであろう。

「親子丼を作るから、フィッシュマーケットに行ってくる」と言う同居人。(料理好き

・・・・・鶏肉や卵は近所のデリでも売っているけど・・・・・
それに誕生日のお祝いに親子丼って・・・・・


「北海道の親子丼を作るんだ



・・・・・北海道の親子丼ってなんだろう・・・・・・・・・・食べたことあるのかな私・・・・・


仕事から帰ってくると、キッチンでなにやらオレンジ色の長いものを切っている同居人が。


「鮭一匹買って来たんだ!それからこれも」
見ると「salmon caviar」と書かれた瓶。イクラの塩漬けの瓶詰めだ。


「これが北海道の親子丼だろ?鮭とイクラ。」


そうだったんだ…そんな親子丼は食べたことないんだけど…
確かに親子丼になるんだよね、そう言われてみると…

しかしご飯に鮭の刺身とイクラ載せて親子丼って、北海道で言うのかな???
北海道の実家ではイクラが好まれていなかったのでまず食べなかった。
(筋子の方が好きだった)
考えてみれば鮭の刺身もあまり食べなかった。

オーストラリアで初めてこの組み合わせを食べたのだ

同居人作オージーサーモンの「北海道の親子丼」は美味しかったわさび醤油で頂いたのだ。

写真の日付は94年7月1日。13年前である。それ以来この親子丼は食べたことがない。



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小人のせいじゃなかった?

2007-05-10 23:19:51 | オーストラリアの記憶
友人がシドニーに遊びに行くと言う。

いいな…荷物に入ってついて行っちゃおうかな…

写真は最後に住んでいた、シドニーのクージービーチのアパートである。
築30年ということで、いい具合に古びたレンガ造りのアパートだった。

私たちが住んでいたのは3階。階段を上がると、2階の部屋の犬がいつも踊り場に座っていたのを思い出す。

さて、ドアを開け…なんでこんな所にドアノブがあるの
私の胸の上くらいである。
室内に入ってからも、中のドアは全部その位の場所にドアノブがある。

スイッチも高い。
キッチンのカウンターも高い。
さらには便器も高い。

いくら私が小さいといっても、オージーの5歳児よりは背が高い(はずである)
子供は届かないのでは?

「先生は私の1/3くらいしかないからねぇ…台に届くのかしらねぇ…」
ビリヤードが好き、と言う話をした時の、日本語クラスの生徒さんの感想である。

むむむ…私の3倍あるアナタのほうが問題ありよ
ダイエットしなさい!!

そして先日。
外国人の先生がこう言う。「私、日本に来てから自分が小さくなったような気がするの。回りの人やものが皆小さいでしょ」

私は、オーストラリアでは黒板やドアノブが高くて…というと、

「それはヨーロッパ風の造りなのよ。ドアノブが胸の辺りにあるのよね」

えっそうだったの

私がちびだったからじゃないんだ

家主さんはイタリア移民の人だった。
確かにヨーロッパから来た人である。

なんとなく気分良く納得

サラ、と言う名前だった、気の良い家主さんの顔を思い出して懐かしくなった。

この写真を見ると、裏のクージーベイホテルで7時間も玉突きをしたときのことや、近所の猫と遊んだこと、開け放した窓から飛び込んできたゴキブリを、新聞紙持って追い掛け回したこと、色々な事が浮かんでくる。


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黒板?

2007-03-28 02:22:37 | オーストラリアの記憶
日曜日にオーストラリア留学時代の写真を見ているうちに、色々な記憶が蘇り、夢の中にも登場してきたものがある。
それが「黒板」。

日本語教師として働いていたTAFEでは、ホワイトボードでなく黒板を使っていた。チョークが体に悪いとか手が汚れる、と言うのは二の次、問題は黒板の位置が高すぎることだった。
日本にいてさえ大きいとは言いがたい私、オージーに混じれば小人である。
黒板の一番下の、チョークを置く部分が胸くらいの高さ、と言うことは、黒板の下から三分の一位しか私には使えないのである
たまに椅子の上に立って字を書いていたものだ。(その椅子も、這い上がらないと私には座れない)

昨夜の夢の中では、黒板に書いたたくさんの文字を必死に消していた
「上のほうは消すの難しいんだよね…」と思いつつ。
同居人によると、朝、「黒板が…」と寝言さえ言っていたらしい
(それにしてもオーストラリアの生活で一番印象に残ったのが黒板だったのか??


この写真に見えるクージービーチのバス停からバスに乗って10分ほど、ランドウィックと言うところに勤めていた学校はあった。

帰国して…という言葉がふさわしくない程の時が経ってしまったが、記憶が薄れすぎないうちに何かしら書き留めておこう。

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