たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

野原のアスパラ

2015-05-26 01:20:06 | 今日の一枚


高校時代の友人からアスパラが。
去年、「来年は季節が来たら知らせる」と言ってくれたのだが忘れずに注文とってくれた。

炒めて食べると、口の中に広がるのは懐かしい記憶。
味の濃いアスパラでないとやってこない。

子供の頃、北広島近くの山に家族、飼い犬と総出で竹の子とりによく行った。
笹の下に生える細竹だ。
体が小さい子供は笹の下にもぐれるので結構とれる。楽しいoutingだった。

山は草原につながりひろびろと気持ちも良い。

そこには、昔農家があったとおぼしい壁の残りや敷地の枠組みがあり、そのそばに何故か細いアスパラが生えていた。
毎年、同じ所でとれた。
畑だったのだろう。
草ぼうぼうのなかに生えているのだが、味が濃くて美味しいアスパラだった。
一回の食事に家族3人で食べられる位の量はとれたが、とにかく細いので、炒めて食べるのが向いていた。

竹の子はリュック2つぶん位たっぷりとってくるので、皮を剥いてわかめと味噌汁、味噌煮、竹の子ご飯。
新鮮で香りがたまらなかった。

北海道の初夏、ゆるやかな傾斜の草原の香りとのんびり明るい日の光を、久しぶりに思い出した。

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第三番・四番札所 護浄院(清荒神)・革堂行願寺

2015-05-24 18:55:41 | 洛陽三十三所観音巡礼
我が家の近くにもあるけれど、香りの高い花の咲くこの木はなんだろう。



先週のレッスンは、「位置を伝える・道を教える」がテーマのものが多かった。

in/on/at等の前置詞の使い方、あるいはgo over the bridge and turn right、のようにどこかに行く道順の伝え方の練習だ。

面白いのは、道順を教える時に「この人は地図見るの苦手だな」というのがわかる事だ。右に曲がってから左に曲がったら右側にありますよ、などという説明に混乱しテキストをぐるぐる回す、という事態が発生する。よく、女性は地図を読めない、というけれど男性でも、結構いらっしゃる。

最近では、
「このレッスン、今ではだんだんいらなくなってるかも」と外人の先生たちが言う。
「そうだね、Just google itで済むよね」

私自身、以前は京都めぐりは歩く地図」を頼りに歩いたけれど、最近はスマホでgoogle map頼りである。
20年前「歩く地図」を買ったときはこういう時代が来るとは全く思っていなかったのだが。

しかしながら、google mapがあるからと言って、道に迷わないと言う事はないのである。

以前、元同僚の先生と神戸を歩いた時のこと。
素敵なカフェに連れて行ってくれる、というのだが…

彼女のiphoneが「Head east」とつぶやいてくれたにもかかわらず、「先生こちらです」と南に向かって歩いて行こうとする。

「ちょっと、そっちは南よ。いま、head EASTって言わなかった?」
「東はこっちですか!?」
「神戸は南に海があるんだから…」
「そう言われるとそうですね!」
「別にgoogle mapに頼らずとも神戸の場合北は山、南は海!」

こういう場合もあるのだ。

さて、私が地図を読めるかと言うと、はい、全然ダメである。

京都めぐりは20年やっているのに、いまだに三条、四条通が東西、河原町通りが南北、とにかく鴨川は南北!と自分に言い聞かせないとダメ
碁盤の目になった京都の街は、一本間違えるともう東西南北大混乱である。

大阪は、奈良との境の生駒山が見えるほうが東、と分かりやすいが、京都は南以外、全方向山に囲まれているし…。

しかも私は距離感がつかめない。

先日飛ばした洛陽三十三所、第三番、四番のお寺は全く初めての場所、工事に阻まれて行き過ぎるという失敗をしてしまった。




荒神橋から見る京を囲む山々はまさに、山紫水明、という言葉がぴったりだ。  



第三番護浄院は清荒神として知られ、ここの准胝観音(じゅんていかんのん)様は女性の守り神だそう。准胝=清浄、の意味もあるそうだ。しかしながら小振りの境内はちょっと散らかった感じあり 住宅街の中の小さなお寺。しかし訪ねやすく親しみやすい雰囲気。






撫子がかわいらしく境内に彩りを添えている。




以前に「あ、私が小説で読んだ歴史上のあの人のゆかりの場所だったか」という所が必ずある、そこが京都の凄い所、と言う事を書いたが、今回はお気に入りのマンガ、「陰陽師」で知っていた、声明が見事だったという美声の高僧、浄蔵の護摩壇があったという場所がここだった。平将門の調伏をしたとも言われている。


さて、ここから南に7,8分歩いて、途中下御霊神社に寄り、またすぐ南、が第四番の革堂行願寺のはず。



なのだが…歩く予定の通りがガス工事中。

じゃ、一本西の寺町通りを南下することに。

この通りはおしゃれな通りとして知られており、可愛いカフェや面白い小物の店などが、老舗の店と隣り合って並んでいる。目移りしながら歩くが、とにかく、5月としては結構暑い日。一休みしよう、と和菓子店のカフェに。葛きりはこんな容器で出てくる。鍵善のと似てる。



さて、ひと落ち着きしてgoogle mapを。

あれ?

このカフェ、2条に近い…行こうと思っていたお寺は、3条より北側に位置していたはず…よっく見ると、相当、南下してきている。

そうね、そうよね…改めて見ると最初のお寺から次の下御霊神社への距離より、下御霊神社から行願寺までの距離の方がずっと短いのに…店眺めながら結構歩いたもんな…




こちらの行願寺は革堂(こうどう)と呼ばれ、狩人出身の行円上人が開基。殺生の恐ろしさを悔いて…と言う事だそう。だから「革」が付くんだ…。名前の謂れは面白いものだ。
人けもなく、ろうそくは私がつけたものだけがぽつんと。

さて、出て周りを見回してみると…

せいぜい2,3分の位置にさっきの下御霊神社があるではないか!塀が見えるのだ。ああ… 

まあ、おしゃれな小さな店が沢山あるのを楽しめたからいいのかな。
道に迷うと面意外な白い事があったりするのだ。人生もそうよね、などと言い訳したり、するのである。

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第五番・六番札所 新長谷寺・金戒光明寺

2015-05-11 23:39:03 | 洛陽三十三所観音巡礼
O型はおおらか、あるいは大雑把と言われるけれど、どうしてどうして、細かいO型もいれば適当なA型もいる。

さて、O型の私は、洛陽三十三所の札所を、順番通り巡る事は全然考えておらず、季節と催し物などを考えて回る計画を立てていた。
一番の六角堂は、洛陽三十三所専用のご朱印帳が置いてあるという情報と、以前行きそびれて気になっていたという点で最初に行ったけれど。

最後は大物、三十三間堂か東寺?と考えていたが、ふと気づいた。

宮尾登美子作「蔵」と言う小説では、主人公の祖母が越後三十三所観音霊場巡りをするのだが、一番と二番を打って倒れてしまい、後を嫁、つまり主人公の母親が打つ、という話になっていた。

順番に歩いてたんだよね…

しかし、同僚のアメリカ人の先生、西国三十三所を巡っているが、滋賀や和歌山などの遠くの方がまだ行けていない、と言っていた。彼は順番通りには巡っていないのだ。


ま、いいよね…とりあえず全部回れば。

と言う事にしてしまい、GWラストの日に三番四番をとばして五番六番を打つことにした。黒谷のお寺を二つ。

六番の金戒光明寺の山門がGW時期の特別公開にあたっていたため。




猫がうさんくさげに迎えてくれる。




ここは丘の上に位置しているので、山門の上は見晴らしがよい。

以前「絶景かな絶景かな」の南禅寺の山門、巨大な知恩院の山門にも上がったことがあるが、それより高い所にあるのだ。なんと、京都の割と北側にあたるのに、大阪の、日本で一番高いビル、ハルカスが見えるのだ。(私の職場の隣)

残念ながらここからは No Photography. 景色いいのになぜ?


ここには面白い阿弥陀様がいらっしゃる。



「五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)」という立派な名前があるが、「アフロ地蔵」で知られている。説明の必要はないだろうこの螺髪。
阿弥陀仏が修行中に、「あらゆるものを救うにはどうすればいいか」と考えていたら、ここまで髪の毛が伸びたと言われているそうだ。

法然上人が始めたとされている由緒あるお寺の本堂に「アフロ地蔵金平糖」なんかが売っている(笑)

私が詣るのは、遣唐使吉備真備が中国から持ち帰った栴薩を刻んで作った、という吉備観音だが。





こちらは織田信長の姪で淀殿の妹、江の供養塔だそう。ちゃんと、2011年大河ドラマの主役、という看板も立っていた。歴史上の人物の中ではとても興味のある人。永井路子の小説のヒロインになってもいたが、それが面白かったのだ。
こんな所に供養塔が、それも説明書きを読むと、ライバルだった春日局が建てたと書いてあるのが驚きだった。京都って、ほんとに意外なところに面白いものがあるものだ。


アフロ地蔵様の傍をすぎ、三重塔まで上がると周りは全部お墓。

GWだというのに実に静か。メジャーどころではない場所はこういう時得をした気になる。

杜若が花盛り。






ここから5分ほど歩くと真如堂。この中に第五番札所、新長谷寺があるのだが…この真如堂は初めてではなく、2年ほど前に木槿の花を撮りに来たところ。ほかにお寺が入っていたとは知らず。







ここは秋の紅葉が有名。つまりは青紅葉も美しい。

本堂に上がって…観音霊場詣りをしているのだけど観音様、ないな…秘仏だったか?でもそれなら札所に入っていないのでは???

とりあえずご朱印所へ。

「新長谷寺、いかはった?」と書いてくれる年配の男性。

「ここ右に行ってね、屋根見えるやろ、あの駐車場の傍にお堂がありますわ。小さいお堂やけどね。行ってきて。その間に書いとくから」

あ、やっぱり本堂じゃなかったんだ…





私のお気に入り、奈良の長谷寺を信仰していた人が建てたので新長谷寺、と言うのはいいが本当に「お堂」だ。観音様は長谷寺の十一面観音を模して造られたものだそう。

とにかく、ちゃんとお詣り出来て良かった

この真如堂の方は皆、親切なのは前回きてわかっているのだが(お庭の説明を長々丁寧にしてくれた)、やはり今回も親切だった。おかげでお詣りせずにご朱印貰う、という本末転倒をせずにすんだ!

いくらO型と言っても、観音霊場詣りをして観音様に会わないというのはナシだろう。




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牡丹寺・花・花・花。

2015-05-04 14:49:57 | 現実
花の寺、という言い方がある。

よくあるのが「あじさい寺」かと思う。関西圏にはいくつもある。雨、しっとりした紫陽花の色合い、お寺の落ち着いた雰囲気などがぴったりくるからだろう。

「さくら寺」という言い方はきいたことがないのはなぜか。桜が有名な寺が多すぎるからか。


先日は久しぶりに「ボタン寺」として有名な奈良の長谷寺へ詣った。

ここはお気に入りの寺で、2011年には冬、春、夏、秋と季節の移り変わりと雪、花、紅葉をアルバムにしたが、それ以降来ていなかった。同居人も私も4年ぶり。

4年も来ていないように思えなかったが、門前町のお店も変わっているものがあったり、閉めてしまった草餅の店もあり。

しかし牡丹は変わらず迎えてくれる。花を愛でながら登廊をゆっくり上る。






青空も風の気持ち良さも文句なし。
暑すぎず、もう無論寒くもない、梅雨前の関西の最高の季節だ。


いつも内陣の開き口から、お腹から上しか見えない十一面観音様の足に触ってお願いごとの出来る特別展の日なので、お香と五色のブレスレットをつけてもらい、巨大なおみ足に(みんなが触ってつるつる)なでてくる。
なんといっても10mの観音様、真下から見上げるとすごい迫力である。




晴れわたった本堂の舞台からは山々と五重塔が鮮やかだ。








ここでもびっくりしたのが、やはり本堂横の納経所。以前来た時には閑散としていたはずだが、10人以上ご朱印帳を抱えた人が並び、ご朱印を書く人も4人もいる。
ここもご朱印帳ビジネス、頑張っているのだ!

たださすがに真言宗豊山派大本山のお寺、西国三十三所の札所でもあるため、本格的に白衣を差し出している方もあり、京都のお寺でカワイイご朱印帳を出している、みたいな女の子グループはいない。

一番普通の「大悲閣(観世音菩薩像を安置した仏堂)」以外にもここには「いくたびも 参る心は はつせ寺 山もちかいも 深き谷川」のご詠歌を書いてもらいそれにご朱印、というバージョンもある。

同居人は「オレそっちがいい」と言い張るので二つとも書いてもらうことにする。私のご朱印帳なんだけど…
彼もいまは私のご朱印集めを楽しみにしているらしいのだ。







このお寺は山全体がお寺なので、とにかく広い。しかしたいていの参詣者は登廊から本堂の舞台、あとは降りていくというパターンで、上にあがると五重塔から林を抜けて気持ちの良い、しかも整備された歩きやすい山道があるとは知らないようだ。



さすが花の寺、ここは牡丹も有名だが、広い境内にはさまざまな花が真っ盛り。

八重山吹の黄色は、いかにも和風!の黄色。鮮やかだけれど、ひまわりとは違う。




ベニバナトキワマンサク。何の花だろうとネットで「長谷寺便り」を見て見つけた名前。これもマンサクだとは。





とりわけ光に映えて美しかったのがこの、オオデマリの花。光を集めているよう。




御衣黄桜。これが桜?という色合いだけれど、さわやかな組み合わせの色合い。




私、虫じゃないのだけれど、花には惹かれます。






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