たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

懐かしい本を読み、聴く

2024-05-13 13:18:12 | 読んだ本について
久しぶりに「ビブリア古書堂の事件手帖」を読み返してみて、「そう言えば」と
古い本を本棚から出してみた。

北海道の我が家を売ったのはもう8年くらい前の事だが、その際にこの2冊を大阪に持って帰った。
子供のころから家にあった世界文学全集の、私のお気に入りの2冊をとっておいたのを見つけたのだ。
当時の値段は680円と480円。私が子供の時にあったのだから、60年位前に買ったものだろう。

昔の家にはよく、文学全集や百科事典が本棚に置かれていて、あまり読んでも使われてもいない、という事があったものだ。
我が家もご多分に漏れず、この河出書房の世界文学全集が揃っていたのだが、父も母もこれを読んでいるのを見た事がなかった。

母は本好きで、ストーリーなど内容を知っていて教えてくれたが、どうも、この本自体を読んだのではなくもっと、昔に違う本で読んだのでは?という風で、
本はどれも、ほぼまっさらな状態。
子供心に、何のためにあるのか不思議に思ったものだ。

全25巻だそうだが、子供のころにこの2冊のほかに私が読んだのは、「嵐が丘」「アンナ・カレーニナ」「風と共に去りぬ」、ハムレットやオセローなど有名どころの入ったシェイクスピアの1冊、同じくエドガー・アラン・ポーの1冊位か。

シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」は、特にお気に入りだった。小4くらいか?図書館で子供向けのものを読んだのだが、なぜか最初の数ページが破れて取れてしまっており、出だしが分からない。知りたい!と大人向けのこの世界文学全集から引っ張り出して読み、すっかりはまったもの。



妹エミリの書いた「嵐が丘」の方が当然評価が高いけれど、子供にはこちらのストーリーの方が分かりやすかったからだろう。
考えてみると、「出来すぎ」のストーリーではある。
母には、「小学生が恋愛小説読んでww」と笑われたが、言われて気づいた位で、そういう意識はなかったのだ。
ストーリーは波乱万丈でわくわくしたし、イギリスの、ヒースの荒野(そもそもヒースって??と思いつつ)の風景を思ったり、フランス育ちの少女が話す、フランス語の本文が入っているのが素敵!と、見知らぬ外国への興味が湧くものでもあった。
豚にあげるおかゆってどんなんだろう?とか、ローマ風の顔立ち、オリーブ色の肌って?? 様々なわけのわからぬ表現に幻惑されたのだろう。

パール・バックの「大地」もそう。さすが中国が舞台なだけあり、食べ物の描写が面白かった。お茶の葉を直接茶碗のお湯に入れて飲む?トウモロコシの粉を湯に入れてかき回して食べる?これってコーンスープ?
豚の脂と米粉と砂糖で月餅を作る所など、「あの、お肉の端っこについてるあの脂部分??をお菓子に??」と頭が混乱したものだ。
今ならば、「道理で月餅、おなかに重いよな…」と考えるだろうけど。
こちらも親子孫3代に渡る壮大なストーリーが子供にも面白かったのだろう。

エドガー・アラン・ポーのものも面白かった。取っておけばよかったな。
特に「メエルシュトレエムに呑まれて」。この世界全集では「大渦にのまれて」だったかも?
スリリングでドキドキしたものだが、ググってみると、舞台になった渦はそこまで巨大で危険な大渦ではないらしいので拍子抜け。
何でもかんでも調べてみるもんじゃないなぁ…

母が好きだったので、「アッシャー家の崩壊」もつられて好きになった。
死んだはずの妹が少しずつ近づいてくる物音、真っ二つに割れた家の向こうに月が、なんていう描写は恐ろしくて、想像力をかきたてたものだ。
しかし、"The Fall of the House of Usher"って、英語にするとなんでも軽く見えるのはなぜ?いつも思う事だけど…

「ビブリア古書堂の事件手帖」には、エドガー・アラン・ポーならぬ江戸川乱歩の名も出てくる。私もいくつか小学生の頃に読んだが、その中でお気に入りだったのが
「悪魔の紋章」。これは、ほぼ、明智小五郎が出てこない。いつになったら登場するのか?と思っていたらラストのラストに出てきていっぺんで事件解決、
なんとなく納得いかない感じがしたものだ。

なのでよく覚えているのかもしれないが、乱歩らしい仕掛けが面白い。隠れるための箱がベッドの下にあったり、切られた指が箱に入って届けられたり。
特に面白かったのが、お化け屋敷(作品内ではお化け大会となっている)で死体発見、というくだり、改めて、私の好きな作家、栗本薫は相当乱歩の影響受けてるんだな、と実感した。よく似た設定があるのだ。
登場人物がお化け屋敷の中で、「迷路の歩き方を知っているかね。右ならずっと右と決めて歩く…」と話す所は、なるほどと感心したせいかセリフまで大体覚えていた。

覚えていた、というのは、最近50年ぶりに「聴いた」からだ。オーディオブックの無料お試し期間でまさに「試して」みたのだがなかなかよかった。
おどろおどろしい読み口調もよろしく、目も疲れないし寝ながら聞いてみると場面が、50年前本で読んだ頃と同じように浮かび上がってくる。
ただし、時間がかかりすぎる…この作品なら9時間以上聞くことになるのだ。
読む方が早い気がする。サブスクの月額も結構なもの、文庫本なら2,3冊は買える。

スキマ時間に聞ける、効率的、とうたわれていたりするが、こういった小説よりは、私の苦手な自己啓発本なんかで、短いもの向けを
通勤時間に聞くのが良いのかもしれない。
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紫式部

2024-01-09 20:05:40 | 読んだ本について
今年は、いつか大河ドラマでやってくれないかな…と思っていた、紫式部が主人公のドラマ。
観ないはずがない!
衣装が大変なのでやらないのかなぁ、と思ったりしていたが、やはり相当時間かけて意匠を凝らしているらしい。

思いついて、昔読んだ、杉本苑子さんの、紫式部の生涯を描いた小説と、永井路子さんの、藤原道長を描いた小説を探してみるが無い・・・
そうだった、30年位前に買ったものだから、もうヤケが出て茶色くなっていて、字も老眼には無理な小ささで、去年泣く泣く処分したんだった・・・
お気に入りで何度も読んだのだけど・・・

待てよ、2年前、同じように古くなってしまった「北条政子」新しいの買えたように(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の影響に違いない)今年ももしや?とAmazonを検索すると、
予想通り。どちらも購入してみるとフォントがやはり大きくなって紙も新しいから読み易い。いくら老眼鏡かけても茶色っぽい紙では読みづらいもの。
ありがたい!

杉本苑子さんの「散華」を先に読み始めてみると、前回(読めたのだから10年近く前か?)よりも、関西圏を回った歴史が加わったためか、なじみのある地名や寺社仏閣に
出会う。去年訪れた西国三十三所番外の元慶寺、そうそう、花山天皇が騙されて落飾した御寺だったな…山科だから結構、遠いよな…滋賀の長命寺…800段の石段登ったな、
昔は琵琶湖を船で渡る時に見えたのか…
紫式部の住んでいた屋敷があったとされる蘆山寺、庭からすぐ鴨川の堤に上がれるとなっているが今は結構な距離がある。そんなに敷地の広い屋敷だったのか、など。

大河ドラマ「光る君へ」を見つつ、この小説を読みつつ、これもお気に入りの岡野玲子さんのコミック「陰陽師」を並行して読んでいると、なかなか面白いものだ。
それぞれ違う描き方がされているのと、「陰陽師」は時代が少し遡るので、これが起こって次はこれか、この人の親がこの人か、という流れが見えるのが楽しい。

私の愛読書トップ3には絶対に入る、田辺聖子さんの「新源氏物語」もリニューアル発行してくれないかしら・・・今Amazonで売ってるのは表紙が同じだから多分字の大きさも
同じだろな…


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メディアワークスの本...ビブリア古書堂の事件手帖

2017-07-14 21:08:00 | 読んだ本について
「ライトノベル」に学生時代親しんだ社会人に手に取ってもらい、またそれ以外の層にも受け入れられるような本を作っているのだそうな。

メディアワークスってなんだ?と思ったのだけど、結局カドカワだったのね。


この「ビブリア...」は、タイトルに惹かれつつもこのメディアワークスの本の一大特徴、「表紙がマンガっぽい」でちと、手が出なかったのだが。
「ジャケ買い」て言うのもあるらしいが。


偏見だった。結構、私の年齢でも面白く読める。

主人公はやはり20代ではあるが、主な登場人物は、その親世代が多く、つまりは私位。

古本を巡る謎解き、というのが新しく、またその古本も、ブラックジャックから太宰治、はたまたシェイクスピア、とバラエティーに富んでいる。

相方は新しい本しか買わないが、私はたまに古本も買う。

もう古本でしか読めないものもあるし、なんたって安上がり。
読んではみたいが、700円もかけたくない、って程度のもあるし。

しかしながら、もう老眼進んでしまって、古本だと字が小さすぎてあきらめないといけないこともあるのが切ないが。

札幌で独り暮らししていた頃から古書店にはよく行っていた。
留学前に自分の本を売りにいって、意外にも一万円以上になり驚いたことも。

大阪に越してきた頃は、駅前第3ビルにいくつもあった古書店巡り、数時間やっていた。

シドニーにもあって、たまに買っていた。
海外では、新しい本は実に高価でなかなか手が出ないものだ。重いから仕入値高いんだと聞いた。
古書でもそう安くなかったので慎重に選んだものだ。

「ビブリア...」の主人公の勤める古書店に置かれる本の描写を読んでいると、カビ臭いような、古本独特の匂いを思い出す。
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みをつくし料理帖

2015-02-08 17:19:43 | 読んだ本について
自己啓発本は苦手だ。


大分前にもそう書いた事があるが、「こうするとこう良いよ」と言われても「ふ~ん」
何故か心に沁みることがない。

会議などでよく、この手の本を、「ためになる」推薦書のごとく紹介されるが、2冊くらい義理で読んだきり、それも中身はほとんど忘れている。
賛成してくれた同僚がいたが、彼女も同じ読書タイプの人。

読書は楽しみのもので、勉強のためには本は読まない。

というか勉強と思って本を読んでも全く「ためにならない」のだからしょうがない。

かと言って、決して「クソの役にも立たんわ」と思いながら読んだわけではなく、「なるほどなあ」と思いながら読むのだ。一応。しかし沁みとおっていないらしく、参考に何かを実行したりすることはないし、すぐ忘れる。


しかしながら、小説に書いてあり、物語の中で出てくるものについては、感情移入するので真似をしたくなるものだ。

この「みをつくし料理帖」は典型。

以前から書店で見かけて気になってはいたが、かなり長いつづきもの、つまらなかったらなんかもったいないし…と思いつつ、読み始めてみたら止まらなくなった。面白い。
ストーリーも面白いが、中で出てくる食べ物がよい。そのストーリーの中で「人を慰める」「励ます」「込み入ったものを解決する」「新たに挑戦する」等のために料理を作る設定、冷蔵庫も冷凍庫もビニールハウスもない時代の設定でもあり、新鮮な食材を旬の季節に食べる良さも感じられる。

系統としては「美味しんぼ」に通じるものがあるんだろうが、「社会批判」に当たるものは江戸時代なので「身分、立場批判」になるだろうか。


料理好きの同居人は、「食べ物の描写がうまい小説は良い小説だ」というポリシーを持っているので、試しに「面白いよ」と勧めてみたら私以上にはまった。7巻辺りを読んでいるうちに彼は5巻くらいまで追い上げて来たので焦った。

この本のいいところは作中の料理のレシピがついているところ。食べてみたいと思ったら作れる、というのが楽しい。これまでに「とろとろ茶碗蒸し」「里の白雪」などみな面白い名前がついているが、あれこれ試してみた。結構、どれもイケる。
江戸時代の庶民的な料理屋の設定なので、ややこしい食材でなく、普通に家で作れるものもある。



「みをつくし読んでから今まで食べてなかったもの好きになった」と同居人。

確かに以前なら、昆布の佃煮や、蕗の煮物など食べることはなかったが、最近は自分で作ってくれる。まあ、年齢も行ってきたこともあるんだろうけれど…。

今日は、この小説の中でかなり重要な位置を占めている「こぼれ梅」(みりんの搾りかす)をたまたま近くの高級めスーパーで見かけてつい買ってしまった。そうしょっちゅう使うものでもないんだけど…そう、困るのはコレ。
「出て来たよね、食べてみたいよね、一回は」と言って変わったものも買ってしまうのが…。




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マッサン

2014-11-12 09:54:31 | 読んだ本について


朝ドラ見るのは「おしん」以来では。
四半世紀以上経ってる?

大評判だった「あまちゃん」もそれほど興味を引かれず。

しかし「マッサン」は半年位前に話を聞いて、楽しみにしていた。
この「望郷」を読んでいたからだ。

この本は、10年くらい前か?古書店でたまたま見つけた。
その頃は竹鶴政孝の事も知らなかったが、「ニッカウイスキー作ったのはこんな人だったんだ」とちょっと興味を持って買って見て、読んだらとても面白かったもの。
同居人も読んで、「これ良い本だな」と言っていたのを覚えている。

この本では、リタ(ドラマではエリー)がスコットランドを去るまでが結構長いが、ドラマではさっさと大阪に来ている。日本の朝ドラだから当然だが。
本のリタとドラマのエリーは随分感じが違うが、ケイトさん、なかなか良い。史上初の外国人ヒロイン。
けなげに頑張る様子は、どこは朝ドラ、外国人でも同じ。

玉鉄も、こちらはイメージと合う濃いキャラ、ウイスキーの事しか考えられないが、支えたくなる奴、という役柄。小説の方と良くマッチする。

大阪の近所の人々とのやり取りもいかにも典型的関西風に作られていて、大阪に住む私にはおもしろい。

しかし朝なのでなのか、妙~に明るい。深刻な場面で「マッサン、それでいいの~?」と言うナレーションがなんだかおかしい。
「望郷」は特にリタについて、結構暗い書かれ方している部分もあるので...

お話が進めば舞台は余市、北海道になるはず、これも道産子の私には楽しみ。
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にぎやかな天地

2014-08-05 00:23:10 | 読んだ本について
宮本輝さんの小説は割に読んでいるが、さて、大好きな作家か、というとちょっと違う気がしないでもない。

何故か?

主人公に感情移入しにくい部分があるからか? (主人公が急に感情的になる箇所で、なぜそうなるのかわかりにくい事がよくある)

重いテーマを軽く書いている感じがするところか?これは関西人だから?

深刻になろうとすると笑いを挟まずにいられない関西人の特徴が出ているのか?

それは田辺聖子さんでも同じなのだけれど、田辺聖子さんは大好き。謎。

「ドナウの旅人」「約束の冬」「ここに地終わり、海始まる」などが宮本輝さんの中では好きなもの。この3つの共通点は女性が主人公と言う事だろうが、だから好きというのでもなく、なんとなく、読んでいて「いい部分」があった、というのが特徴かもしれない。小説全体ではないのだ。

その中でも、一番最近に読んだ「にぎやかな天地」はよかった。

世界に数冊しかない本をじっくり作る、という主人公(これは男性)の設定も良いし、「発酵させた食物」を載せる豪華本を作るため、日本のあちこちへ行って各地の有名な発酵食品…醤油、鮒ずし、鰹節、酢、などの作業場を回るのも面白い。

ひそかに心惹かれる女性の家では、手作りのパンを窯で焼いている。

有名な食通が、「鰯のピクルス」をプレゼントしてくれる。

数年前に亡くなった祖母の糠漬けの樽を使って、新たに主人公も糠漬けを作りはじめる。

そこに「阪神淡路大震災」にあった過去、祖母の過去などが合わさっていく。

時間をかけて発酵させ、大切に造られる食べ物の話を追いながら、人間と人間の関係も、不慮の死も、時間を…と、実は…結構わかりやすいのだ。

ここかな?わかりやすいとこが今一つ納得がいかない所なのかも!



それはそれとして、この小説を読んで、糠漬けを作りたくなったのは間違いがない。

以前も、よくスーパーで売っている、ファスナー付ですぐ漬けられる糠漬けキットを買って作ったことがあるのだが(10年以上前)私も同居人も結局たいして食べず、2回くらい漬けてやめたような気がする。
それがあったので手を出していなかったのだ。

今回同じようなキットを買ってきて、きゅうりやナス、ニンジンを漬けてみると、思いのほか同居人もぽりぽり毎日食べている。私も朝食、パンだけれど野菜スティック代わりに半漬かりのニンジンを食べたりして、どんどん消費してしまう。
10年経つと嗜好も変わるのか。






初めはキットのジップロック風の袋でよかったがだんだん物足りなくなり、今では3つくらいのガラスやプラスチックの容器に分けて漬けている。

わざわざ青瓜を買ってきたり、茗荷やトマトなど、友人お勧めの野菜を入れてみたり、ベランダで採れたゴーヤを試してみたり、なかなか楽しいものだ。
青瓜など、スーパーにあっても今までは、売っていることさえ気づいていなかった。

昔は同居人は瓜系のものは嫌いだったのだが、きゅうりや瓜の漬物を「美味しい!」と言って喜んで食べており、「卵もやってみよう」などとクックパッドを見て言っている。





ごぼうが夏には調理しにくいので、ピクルスも作ってみる事にした。

そのうちに鰯のピクルスも作ってみようか。

同居人には、「食べ物を美味しそうに書いている小説はよい小説だ」という信念(?)を持っているのだが(これには私もかなり賛成だが)そういう点でもこの小説はよい小説なんだろうな。
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渡辺淳一さん(2)

2014-06-09 19:38:30 | 読んだ本について
(2)といっても(3)は書かないかもしれないが

先日亡くなった渡辺淳一さんの本を読もう、とお気に入りの「化粧」を本棚から取り出してみた。

・・・読みづらい・・・

進む老眼、進む本の老化…無理もない、私は老眼始まってかれこれ10年にもなる。
本は20代後半に札幌に住んでいた時買ったものか、あるいは大阪に来てすぐ位に買ったものだ。前者なら四半世紀前、後者でも20年近く前の事になる。

本の後ろを見てみると、どうも古書店で買ったらしきシールがついている。どこかは、全く記憶にない。古書としてはきれいな状態のを買ったようだが、今となってはすっかりヤケが出、茶色っぽくなった紙に薄くなった文字が見にくい。しかも字が小さいのだ!
今の本は紙が酸化しないように加工したりしているのだろうか?

ただでも最近目が疲れて頭痛が出たりするのに、この読みにくいのを無理して読むのも大変、とアマゾンで新しく購入することにした。
比べて一目瞭然!紙がきれいなのは当たり前だが、やはり最近の本は(新聞もだけれど)字が大きくなっている。

しかし、前回この「化粧」を読んだときには気づかなかったのだから、老眼も相当進んだのだろう。同居人に、写真のように並べて見せても、字の大きさが違う事に気付かないのだ。「字の大きさ、全然違うでしょ」と言われて「あ、ほんとだ」と言う。同居人は老眼来ていないのだ。


読み進めてみると、ここ3年はこの本を読んでいないことが判明した。

この小説には京都の色々な場所が出てくるのだが、今回読んで初めて「ああ、このシーンはここだったんだ!」と気づいた場所があり、それはここ3年のうちに私が訪れた場所だったからだ。
お墓詣りが真如堂、というのは、何度も読んでいるはずだけれど、意識には登ってこなかった。行ったことがなかったからだ。

ヒロインの一人が訪れるのは秋の、彼岸花の頃だけれど、私が行ったのは去年、木槿の咲く9月初めで、少し早い、とはいっても3週間ばかりの違いだが、小説が書かれた頃と比べると地球温暖化が進んでいるのがわかる!

小説の中ではすっかり秋らしい様子なのだが、私が行ったときは真夏の暑さで、その暑さの中歩いて写真とったり、それ程メジャーでない真如堂までふうふう言いながら登っていく(高台にあるので)物好きは私くらいだったようなので。このブログにも書いているが、私一人しか参拝客がおらず、お寺の人がずいぶん長い事説明してくれたのだ。





静かなたたずまいについては小説の通りだけれど。





もう一人のヒロインが人気の少ない蓮華寺を選んで、静かな、池のある庭を見下ろして、紅葉を楽しみながら恋人と語り合う、というシーン。
ここも、「あ、蓮華寺だったんだ」と初めて気づいた。ここには私は2012年の10月に行っている。無論、紅葉にはほど遠い時期だ。

ただ、こぢんまりした庭なのに、お堂や木々、池の配置が絶妙、よいお寺で、静かに座って落ち着いて景色を眺められたのが印象的で、小説でも同じような雰囲気で書かれている。




と言う事は前回「化粧」を読んだのは、私が「メジャーどころでない京都撮影」を始めた、2012年より前だったということだ。3年前位だったとしたら、そこまで老眼は進んでいなかったはず、古い本でも問題なく読めたのだろう。

今回読んでみて、東山あたりの石塀小路や高台寺への道、白川沿いのお茶屋、たつみ橋とお稲荷さん、嵐山の鵜飼舟、都おどり、描写される場所が紙面から浮き上がってくる感じがした。どれも行ったことがあり、経験済みだから。

京阪電車の線路を越え…などとあるとあれ?と思ったりはするが(今は地下を走っているので)京都の雰囲気というものはあまり、変わっていないのだろう。今から30年以上前に書かれたものだけれど。
千年の歴史の前には30年など。




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渡辺淳一さん

2014-05-06 23:43:55 | 読んだ本について
渡辺淳一さんが4月30日に亡くなった。

若い頃からよく読んでいた作家だったので、残念な事この上ない。書くものからして、いつまでも気は若く、元気で過ごしていかれると思っていたが、もう80歳にもなっていらしたのだ。

何から読み始めたのかは大体覚えている。「リラ冷えの街」や医学部でのエッセイなど、「北海道もの」からだ。もう30年から前、渡辺さんが書かれたものの多くが北海道ものなのだから、当然なのだが。
主人公は医学部の学生や医師が多く、でも内容はやはり「不倫」、若かった私には、ストーリーは面白かったが納得のいかない部分もあったように思う。

それからこのあたり、渡辺淳一と言えば「失楽園」「愛の流刑地」だろうけれど、それに続くタイプの「ひとひらの雪」あたり。「化身」はちょっとちがうかもしれないが私なりの捉え方としては似ている。女性に振り回される話系。「ひとひらの雪」では振り回されて終わっただけだけれど、「失楽園」では死んでしまって、段々エスカレートしていった、というのか。

渡辺さんはお医者さんのせいで、かえって女性を「恐ろしい」ものとみなす傾向が強いように思う。

初期のエッセイで、子宮破裂をした女性が、もうダメだ、と思っていたのに生き返った、という話を書いておられた事があり、印象に残っている。
「普通人間は血液の三分の一を無くすと死ぬ。男性ならまず間違いなく三分の一で死ぬけれど女性は死なない事がある」と言う事も書かれていて、お医者さんの冷静な目から見ても女性は恐ろしいものと思い、それに引きずられるのが醍醐味で面白い、とみておられる気がしていた。
「失楽園」はたいそう評判になったけれど、私はあまりピンとこなかった。破滅・破壊願望は、あまりない方なので。







こちら関西に暮らすようになってからは、このあたりを面白く読んだ。「化粧」は渡辺さんが初めて、「京言葉を自信をもって書けた」という作品だそうで、京都好きの私には読みどころ満載の作品。
先日御室の桜を見に行った帰り、嵐電の駅のホームで年配の女性二人が花見の場所の話をしていた。

「原谷が…そうやねん、昔は違ったけどなあ、なんか小説で書かれてから急に有名になって人が行くようになった。昔はそんなに人来なかったけどなあ」

ああ、「化粧」の出だしとラストのことだな、と私にはすぐわかった。原谷の桜を四姉妹が見に行くシーンだ。確かにその場面を読むと、着物姿と桜の美しいありさまを想像でき、行ってみたくなる。行ったことはないけれど。

「君も雛罌粟、われも雛罌粟」は主人公が堺出身の、私の大好きな与謝野晶子。以前に田辺聖子さんの書かれた与謝野晶子が主人公の小説を読んでいたが、ずいぶん感じが違って面白い。女性から見た晶子と男性から見た晶子の違いでもあろうか。
不思議に、渡辺さんの方が「らしい」晶子のように思った。
与謝野晶子の魅力は良く言われる「情念」より「生命力」と思うのだけれど、それが良く描かれている気がしたので。




これは面白いエッセイで、食いしん坊で料理好きの同居人もお気に入りの本。これを読んで「イクラの醤油漬け」を作りたいと何年も言っている。

随分と北海道の食べ物ひいきのエッセイになっているが、食べ物の記憶はソウルフードからなかなか離れられないもの。
無論私のソウルフードともかぶってくる。ジンギスカン、鮭、味噌ラーメンなど…小説の中でも、この人は美味しそうな料理の描写をするが、エッセイでもそう。

最近の小説はあまり私の趣味とは合わなくなってきているのだけれど、エッセイはどうなのか、探して読んでみようかな?などと考えている。
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暑い。

2013-07-12 18:26:12 | 読んだ本について
梅雨明け。

平年よりずっと早い梅雨明け。いつもなら、開けた途端にセミがじいじい鳴きだして暑さ倍増するところだけれど、今年は梅雨明けが早すぎたのかほとんど鳴いたのを聞いていない。
毎日「平年を上回る…」「猛暑日更新」などのニュースを見聞きする今週。

ここの所忙しくて毎日午前様で帰っているので、休日に出かけるのもおっくうになり、写真撮影の旅に出ていない。旅と言ってもone-day tripだけれども、リフレッシュには最高なのだ。

紫陽花が好きなので毎年どこかしら、梅雨のころには紫陽花の名所を巡って写真を撮っている。

去年は三室戸寺、一昨年は哲学の道。今年はどこにしようか?と思っていたが結局どこにも行けなかったのが残念で、6月末の雨の日曜に、ご近所の紫陽花を探しにお散歩に。

格好の場所は「せせらぎの道」と私がよんでいるところ。「四季彩々通り」などと言う名がついている。



東大阪市では、かつて農業に利用されていた「鴻池水路」を活用し、水と親しめる空間として整備を行いました。せせらぎ用水には鴻池水みらいセンターの下水処理水を再利用しています。水路の整備にあたっては、東西約3kmの区間を7つのゾーンに分け、それぞれ異なった趣の景観としており、途中には渇水時の雑用水等に利用可能な、処理水の貯留槽を7基設置し、水辺空間の創造と防災都市づくりを合わせて行っております。
 平成16年度には、国土交通省の「いきいき下水道賞」も受賞しました。
 JR鴻池新田駅からのアクセスもよく、多くの方に親しんでいただいております。



と言う事。しかし「いきいき下水道賞」て…凄いネーミング。

水辺には紫陽花もあり、湿気で空気が重いような日に綺麗な色で楽しませてくれた。



デジブック 『雫。』
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なぜ敬語?

2012-09-13 00:51:40 | 読んだ本について
9月、やっとのことで朝晩が涼しくなってきた。

昨夜は窓を開けて寝た。少しひんやりした風が入ってきて心地よく、気持ちも安らかに眠れる気がする。エアコン入れるともちろん涼しいのだけれど、「冷えすぎては」と逆に設定温度を上げ過ぎてかえってぬるい空気を部屋に充満させてしまったり、どうも落ち着かない。

外からは雑音も入るが、家の近くに木がたくさんある場所があり、そのあたりからか秋の虫の音が聞こえてくるのも良い。外国人には、この虫の音がただの騒音に聞こえるというが本当に不思議。
これを風流と感じる感覚は大抵の日本人のDNAに組み込まれているのではと思う。源氏物語や枕草子を読んでも、千年も前の人が同じような事を書いているのだから。


「読書の秋」というが、私は本がないと落ち着かないので年中本を持ち歩いている。家でも読むけれど、電車の中でも、Facebookに飽きたり、英語学習に気がのらなかったりしたら読めるように。あるいはお出かけするならカフェで一休みするときにも必要である。

スマホがあるとそのあたりは便利で、Facebookはもちろん、英語学習アプリも入れているし、最近は電子書籍も買う。

ちょっと前の、携帯で読める電子書籍は見づらくてとても読む気になれなかったが、スマホの画面は大きいし、字の大きさも変えられるからずいぶんと楽になった。
始めは「青空文庫」でフリーのを読んでいたが、最近は気が向いたら購入している。

但し、やはりスマホユーザーは若い人が多いせいだろう、正直、若者向けの小説、ベストセラー、コミック、写真集が圧倒的。それでなければ私が読まない実用書。
カテゴリーの中に「ボーイズラブ」が堂々と載っているのが面白い。

それでも検索してみると読めるものも。いくつか推理ものや歴史ものを読んだ。案外、松本清張があったりするのだ。これは最近ドラマ化されたりするせいかもしれないが。
今日の新聞に、三浦綾子の全作品が電子化されるとの記事。楽しみである。

で、今読んでいるのが松本清張。

読んでいて疑問。

・・・なぜ、奥さんが夫に敬語で話すのか?

「あなた、・・・ですの?」

作品は昭和の初めから中ごろ、というのが多いだろう。でもその頃の年代の一人であるウチの母は父に敬語なんて使ってなかったゾ!?

これは私が北海道出身だから? 東京の(舞台は主に東京)上品な家庭の奥様は敬語を使っていたのか?

やはり同じような年代の、遠藤周作さんのエッセイ、面白くて若いころよく読んでいたが、その中で遠藤さんが「なんでも『お』をつければ丁寧になるものではない。『あなた、おビール飲むウ?』ではなく、『あなた、ビール、お飲みになりますか』と言えばよい」

というくだりがあり、その時も「なぜ敬語なんだろう?」と不思議に思った記憶があるのだ。
そもそも「あなた」なんて聞いた事なかったのだ。

今も上品なご家庭ではそうなのだろうか?

サラリーマンと専業主婦というのが「普通」だった頃までは「外で稼ぐ人」が「偉かった」から?とも思ったのだが、今でもそういうご家庭はあるわけだし、でも夫に敬語で話す人なんてあんまり聞いた事ないような…。
小説の虚構?
今でもそういう人が東京にはいるのか、ぜひ知りたいものだ。大阪にはいそうにないし。
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味と香り

2012-06-19 00:31:15 | 読んだ本について
阿刀田高さんの本は20代頃によく読んだ。

正直短編は、あまり好みではない。気に入った本ならばずっとその中に浸っていたいと思う方なので…しかし阿刀田さん短編集は結構好きで、たくさん持っていたものだ。
ギリシャ神話や聖書を楽しく描いた短編集なども好きだった。

その中で、いつも思い出す短編があった。この人の書くものの特徴は、「奇妙な味」、ちょっと不思議な現象や、不気味な話も多い。テレビ番組の「世にも奇妙な物語」にも使われていることが多いのもわかる。

私の印象に残っていたのは、「味の幽霊」の話だ。最初の「糟糠の妻」が亡くなり、その後数年して成功した男性は若い美人の2度目の妻をもらい周りには羨ましがられている。ある日知り合いの人に招かれたパーティで、出てくる料理が覚えのあるものばかり、という体験をする。それは、苦労していた頃、前の妻がいろいろと工夫をして美味しく作ってくれた料理の味と同じだった、というもの。
断片的にしか覚えていなかったが、「奇妙な味」でありながらどこか、昔の妻に感謝している男性の暖かい話で、阿刀田さんの優しさ、のようなものが出ている気がして、気に入っていた小品だった。

しかしその短編のタイトルがわからない。どの短編集に入っていたのかも。

去年の夏帰省した時も全部調べてみたのだが、なかった。独り者になった時たくさん本を古本屋で処分したので、その時に一緒に持って行ってしまったのだろう。

思いついたのがネットで調べること。「阿刀田高 味 幽霊 亡くなった先妻」などのワードで検索をしてみるが、これがなかなかうまく行かない。そういうタイトルではなかったらしいがとにかく、覚えていないのでどうしようもない。考え付く限り検索し、阿刀田高の小説を沢山紹介しているWEBページがあって、やっとそれらしいものを見つけた。ちょっとだけあらすじが載っている部分でわかったのだ。短編集は「甘い闇」という名だった。

「奇談パーティ」・・・これじゃ全然わからなくても不思議じゃないな。「味」なんて言葉どこにも入っていないんだから。

早速Amazonで注文して読んでみる。

「奇談パーティ」は、今の妻と結婚した際の仲人の、昔の高校の恩師が「百物語」をするパーティを自宅で開く。そこで集まった人たちがひとつずつ、怖い話をし、ひとつずつ電気を消していく。最後の灯りが消えた時、列席者に関係ある幽霊が出る、などと恩師はいうのだが、そんなことはなくパーティは無事終わる。

しかし主人公は考える。幽霊はもう出ていたのでは、と。

パーティで恩師の娘さんが出してくれたオードブルやスープが美味しくて皆感心するが、それはすべて、亡くなった妻が作ってくれたものと同じメニュー、味であった。
美人でもなく今の妻とは比べ物にならない位冴えない妻だったが、お金をかけずに工夫する料理の味に関しては「私は自慢できるものがあるのよ」と言っているようだった。
そんな終わり方だった。

百物語のパーティだったことはすっかり忘れていたが、料理の内容まで覚えていたのでかなり印象に残った作品だったのだろう。
ニラを使った和風のような洋風のようなスープ、とか、納豆を使ったカナッペ、なんていうのは「変わってるけど美味しそう」と思って、ニラの洋風スープを作ってみたこともあった。
ニラなら中華風にするのが定番だろうけれど、洋風も確かに合うだろうな、と。

列席者の話の中には怖いものがあったが、この主人公の妻の幽霊は決して怖いものではなく、どちらかと言えば爽やかな感じがしたし、亡くなった妻を懐かしむ様子がいい「味」を出していて、四半世紀経って読んでみてもいい話だった。

こちらの「奇談パーティ」の方がずっと良い出来だと思うが、他に「香りの幽霊」と言うのもある。(これの後に思いついたのが「味の幽霊」だとご本人が書いていらしたはず)

時々、家に帰ってクローゼットに入ると、亡くなった母の香水の香りがする、と思う事がある。

むろんそれは、私の服が入っているのだから私の香りに決まっているのだが、同じフレグランスを使ったことはないのに同じ香りになるというのは、DNAのなせる技でも不思議な感覚がするもの。それも、香りがまったくしない、と言う事もあるのだ。ふつうは、自分の香りは感じないものではないだろうか。

母には、一人暮らしの父を見守ってほしいといつもお願いしているので、母は北海道に主にいるのだろうと思う。だが、時々私の様子も見に来てくれているのでは、と、香りを強く感じる時に考える事があるのだ。
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花の寺・勝持寺

2012-05-04 23:19:42 | 読んだ本について
今年は梅も桜も開花が遅かったようだ。

15年ほど前なら、3月末に花見に行っていたはず、今年は4月始めに関西で見どころになっているところは大阪と和歌山あたりで、奈良京都はまだまだという所だった。

4月半ばの月曜日、公休の日に、以前から行きたいと思っていた京都西ノ京、勝持寺を訪れることにした。

話は飛ぶけれども去年今年と、続けて珍しくNHKの大河ドラマを見ている。大昔に「おんな太閤記」を見たのが最後ではないだろうか。しかも去年も今年も視聴率が悪いそうだから、どうも私は流行りに乗れないらしい。「篤姫」とか「竜馬伝」は見る気になれなかったのだから。

去年は「江」、ドラマの原作ではないが、永井路子作の「乱紋」がお気に入りの歴史小説だったからだ。この本も江が主人公だが、ドラマとは全くキャラが違う。それでも起こる出来事は同じだから、見ていて面白かったものだ。正直主人公より周りの人物のほうがよく描かれている感じだったけれど。
そういえば、「おんな太閤記」は永井路子原作のこの時代のものだ。私はこの時代…戦国時代、安土桃山時代あたりが結構好きなのである。

今年は「平清盛」、これは大河ドラマになるとは全く知らなかった去年、宮本登美子の「平家物語」を読んだからだ。これもドラマの原作ではないし、平家物語だから清盛の死んだ後も続くけれど。

ドラマではイケメンの北面の武士、佐藤義清(西行法師)を藤木直人が演じているが、その佐藤義清が出家したと言われるお寺がこの、勝持寺だ。


   なにとなく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山

   吉野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる年にもあるかな


よっぽど桜が好きな人だったんだろう。大河ドラマでは、美意識のみで生きているようなちょっと嫌味なくらいの人に描かれているが、私はこの人の歌が好きだ。
一首目など、日本人の3月あたりの気持ちを代弁していると今でも言えるのでは?

なぜ出家したかの説は色々あるそうだが、ドラマはどちらかと言えば「失恋説」を採っているようだ。

さて、暖かい春日、JRとバスを乗り継いで西ノ京へ。
こちらにはそれほど有名どころがそろっていない。少し北へ行くと松尾大社や苔寺などがあるが、このあたりはいっぺんに回れるような立地条件ではない。
なので月曜日でもあることだし、それほど人出は多くないはず、と思っていたが、やはり桜の季節だけのことはある。バスは満員になった。

バス停はのどかな、郊外の畑のそば。ここからまた結構歩くのだ。2キロ近くは登ったはず。途中に大原野神社があるので、そこの境内のお休みどころで草餅を頂いてから、境内奥にある細道を通って勝持寺まで行くことにする。全くの山の中だ。



さらに石段を上り、一息ついたと思ったら今度はお寺の石段、やっと登りきったところに「花の寺」と称される勝持寺が現れる。境内には見事な桜が花盛り、400本以上の桜が植えられているそうだ。これは「西行桜」と言われる、西行が植えたといういわれのしだれ桜だが、これは少し遅かったようで葉桜になりかかっていた。






これは西行がこの石を鏡代わりに使った、という石だが、いくらなんでも無理でしょ…確かに平らな面があるけれど、別に鏡のように映るほどではないのだ。
そばには池があって、去年のもみじがたくさん沈んでいるのが見え、そこに今年の桜の花びらが浮いて良い風情。

風雅な建物があり、おりしも風のある日で花びらが舞い、美しい庭園だった。花そのものもよいが、散る花びら、意外な場所にとどまっている花びらも素晴らしく、桜は本当に最後まで楽しませてくれるものだ。
咲いて間もなく散る花びらに無常を感じると言う向きもあるだろうが、最後の最後まで見どころを持っている桜って、いろいろ楽しみ方があっていいな、と私はどちらかと言えばポジティブに見てしまうほうだ。


願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ

と歌ってその通り、桜の季節に亡くなった、という西行法師もポジティブ系の見方をしているように思うのだが…。


デジブック 『花びら花の寺・勝持寺』
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鉄鼠の檻

2011-12-30 21:48:25 | 読んだ本について
アラームに起こされることなく、好きな時間まで寝られたのは久しぶり。最近は休みの日でも早く起きる用事があったりして、思う存分寝る、というのはしばらくしていなかった。
私が「自然に目覚めてすっきり起きる」時間は9時間のようだ。大体今日もその位。

師走であるから、特になんだか12月は昨日まで、ばたばたと忙しかった。今日こそはのんびりして疲れを取るぞ!と思っていたのだ。
本来なら「大掃除」に時間を費やすべきだろうが、それは今月、今までの間ですこうしずつやってきてたので、大掃除!までやらんでも、と実は思っている。

と言う訳で、同居人は仕事に出て行ったのであとはゆっくり寝て、起きて食事をして、少しFacebookして、そのあとは京極夏彦の「鉄鼠の檻」の続きを読んだ。

とは言っても、これを読んだのは何回目??

読書のタイプはいろいろあるだろう。
一回読んだらもう読まず、ブックオフに売っちゃう、という人も多いだろうが、私は同じ本を何度も読むタイプなので、よほど「これはつまらんかった」と言うのでもなければずっと本棚にある事が多い。同居人もこのタイプで、私と同様、好みの作家のものをずっと買って何度も読んでいる。なのでウチの本棚は同じ人の名前がずらっと並んでいるコーナーがそこここにある。

京極夏彦は職場の人が「はまった」というので買ってみて気に入った作家だ。
この人は北海道の倶知安町出身、年齢も私と「タメ」というのも親近感が沸く。

推理物?ではあるけれど何度も読める。何度も同じものを読みたい私にとってみると、「犯人がわかってるからもう読めない」というのはあまり良い推理小説ではない。犯人がわかるまでの経緯が面白いとか、背景が良く描かれているとか、人間の書き方に興味が惹かれる、というのがあれば犯人がわかっていても何度でも読めるものだ。
松本清張とか、宮部みゆきなども「読める」推理小説系。

京極夏彦は、よくここまで調べて勉強したなあ、とあきれるくらい、背景に使われる「何か」に詳しく、そのあたりを犯罪と結び付けていく書き方が面白い。
「何か」はこの人の得意技「妖怪」の話は必ずだが、その他心理学、儒学、伝説、歴史、宗教などに話が及ぶが、主人公の一人、古書肆京極堂のそれらに関する説明や、聞き手とのやり取りが絶妙。謎解きにはここまで詳しく知る必要も実はないのだが、面白くてついつい読んでしまう。
実際解けてみると、「えっ実はこれが動機??」というのもあるのだけれど、それまでが面白いので許せるというのか。

この「鉄鼠の檻」は読んだ中で私の一番のお気に入り。箱根の山奥にある禅寺で、僧侶がつぎつぎと殺される、というストーリーだが、その中で出てくる、僧侶と京極堂、メインの人々が交わす、禅についての話が良い。いわゆる「禅問答」も効果的に使われていて興味深い。

「禅とは何か」と言われると「???」説明が難しいだろう。そもそも「これ!」と言葉では説明できないものらしい。宗教のひとつを表すこともあるし…と言う具合だ。
私はそもそも、「座禅」は英語でmeditationと訳されるが、実はmeditationとは全然違うものだという事も知らなかった。

座禅とはただ座るのみ、という言葉があった。呼吸を整え心身を安定させて、「座る」ことらしい。外界から自分を遮断し集中力を高める、というのがmeditationの目的の一つだそうだが、それとはまったく違う、と禅僧が答えるのだ。
目的などない、ただ、神経は研ぎ澄まされているため、聞こえぬはずのものが聞こえ、見えぬはずのものが見え、仏の姿が見えてくるような気がすることがある、しかしそれは「魔境」であって、受け流すべきもの、つまりはただの「気のせい」にしなければいけない、とか。

中でも面白いと感じたのは、修行は何かを…たとえば「悟り」を「目的」にしてするものではない、という話があちこちで出てくることだ。掃除、料理、などの作務もただ、それをするためにする(?)のが修行だ、というのが小説の中に出てくる僧侶のいう事なのだが、調べてみた臨済宗のHPでも、「目的はあるといえばあるし、ないといえばない」とまさに「禅問答」的な説明が書いてあった。

面白い事に、全く同じことが、これも私のお好みの曽野綾子が書く小説に出てくる、カトリックの修道女の作務の話でも言われるのだ。
そのカトリックの修道院では、数か月ごとに作務が交代になる。でないと仕事に「愛着」が沸いてしまい、楽しみになってしまうからだ、というのだ。私にはとても印象に残る場面だった。

現実には毎日が「目的意識」というのが生活の人が多いのではないだろうか。
私にしても、仕事上では生徒さんの英語力を上げる、売り上げを上げる、他の先生たちにやる気を出してもらう、などとたくさんの目的がある。
それが目的で仕事をしているわけではない部分もある。なぜなら、英語を教え、売り上げを上げるためあれこれ工夫を凝らし、先生たちとコミュニケーションをとるのは、私にとって「楽しい」ことでもあるからだ。
目的があるか、楽しいからか、それがなければ仕事をするのは難しいことだろう。だから「少しずつ小さな目標をもって、遠くにある目的を目指そう」という指導を私もされ、生徒さんにもしている。
また、「楽しいと続く」というのも事実だ。仕事にしても英会話にしても。だから楽しく学習して頂けるよう努力してもいるのだ。

楽しんでも修行ではなく、目標を持つのも修行ではない、という、ただ修行のために修行が出来ている禅僧、というのは本当にいるのだろうか。
私にはとても出来ない、と思う。出来ている、と思った瞬間がまた、「魔境」になるともいえるのだろうが。
小説は昭和20年代、私が生まれるより大体10年ほど前が舞台だが、今ではどうなのだろう、などと考えてしまう。
それこそHPはあるし、禅体験などもやってるお寺もあるのだし、状況はずいぶんと違うのだろうが、禅の心自体はは変わらないだろうし…。
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関西が舞台のお話。

2011-09-19 19:16:34 | 読んだ本について
大阪駅も変わったものだ。

私が初めて来た頃から、ずいぶん最近まで、大阪駅はやたら天井の低くて込み入ったところ、と言うイメージだった。

今年の春に改装が完成しこの大屋根や、時空の広場なんかが出来、すっかり現代的に生まれ変わった大阪駅、どことなく京都駅に感じが似ている。京都駅も古都の駅とは思えぬ斬新な建物だが、この「上に伸びてってる」様子は大阪駅も京都駅も共通。それは横には広げようがないからかもしれないが。







さて、先月帰省した折、自室の押し入れに入りこんで私がせっせとしたことの中に、昔読んだ本を取り出してまた読みたいのを取りのける、という作業があった。
アマゾンなんかで手に入れる事ができるものもあるが、せっかくまだあるものなら大阪に送ろう、と決めていたのだ。



田辺聖子さんの、このあたりの本はそうとう昔のものなので手に入れづらいのだが、なぜかここの所、新しく版を重ねているものもある。なんでも最近になって女性に人気が出てきたとか…30年位昔のものが多いのだが、今読んでみてもあまり違和感がないのが不思議。だからころ新版が出てきているのだろうが。
ちゃんと段ボールに入って傷んでもいないので私は「旧版」を持って帰ることにする。



「言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら」この三部作はお気に入りだったので、こちら大阪で全部そろえた。

田辺さんの小説はみな、関西が舞台である。

北海道にいて読んでいた頃は、「関西ってこんなとこなんだ」という、どちらかといえば2次元的な感想を抱きながらの読み方であったが、関西に実際引っ越してきてからはそれが3次元的になり、「関西の雰囲気」が読んでいるあいだに実感として立ち上がってくる。

ちょっとしたことなのだが、たとえばヒロインが冬の寒い日、ミナミの戎橋で、彼氏と「あつっ」と言いながらたこ焼きを食べる場面
関西に来るまでは、外がぱりっ、中はトロトロのアツアツのたこ焼きなど知らなかったから、「そんなにたこ焼き熱い???」と思って読んでいたものだ。北海道でも今は関西風のたこ焼きが食べられるそうだけれど、昔は外側も中身も同じような感触のたこ焼きしかなかったからだ。
関西に来て少したって、たこ焼き食べて舌をやけどしそうになって初めて、冬にたこ焼きで暖をとるカップル、が理解できたというわけだ。
(そのたこ焼きはほんとうに熱かった。口の中に全部入れちゃったから出すわけにもいかず目を白黒させてたものだ)

そのほかにも、彼氏との待ち合わせが、川の流れるまち、というキャッチフレーズの、阪急三番街の喫茶店だったり…このあたりは、大阪駅の近く、転勤になる前はよく通っていたところなので感じがよくわかる。
(正直、雰囲気はよろしいが、この川がなければもっとレストランひとつひとつが広く取れるのに、というとこである)

田辺さんは食べ物の話をよく書かれる方、美味しいおでんが有名な「たこ梅」、うどんすきが絶品の「美々卯」なんかも出てきて、読んでいるだけで行きたくなってしまう。実際行ったことがあるところなので、美味しさがわかっているから尚更である。
関西と言ってもどちらかと言えば、おしゃれな神戸なんかはまた違う雰囲気だけれど、大阪の庶民的で気取らない感覚は田辺さんの小説で楽しめる部分のひとつだ。


湿気の多い気候で紫陽花が美しい、とかなめくじがでる、とかも…実際梅雨時に家の玄関でなめくじを見た時はまじまじ観察してしまった。北海道では見たことがなかったからだ。ホントにかたつむりの中身、という外見だったがぶきみである。
ヒロインが信州へ行ったときに、関西の、どこかおどろおどろしい木々とは全然違う、淡い緑の木々や白樺に感心する場面があるのだが、確かに、先日帰省した時に同じような事を感じた。信州と北海道は結構似ているので。


しかしながら、恋愛模様(このあたりはみな恋愛ものなので)の、特に20代、30代独身のヒロインの心の動きとか、なんかについては…さすがにこのトシでは、もうすでにピンとこない。そういえば昔はこんな感じ方もしたよな、程度の懐かしさを覚えるくらいである。
田辺さん自身、「以前のような恋愛もの書いて下さい、と言われるけれど、もうこの年齢ではキツイ」と書いておられた。

読む年齢によって感じ方が違うのは当然だろう。経験値も違っているのだから…しかし、昔はすっかりヒロインに感情移入しきって読んでいたものが、今では「懐かしい気持ちの動き」位になってしまっているのはまた、ちょっとした寂しさがある。
今ではたこ焼きとかうどんすきのほうに感情移入しているのだ





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読書について②

2011-05-13 02:06:45 | 読んだ本について
春もそろそろ大阪では終わりなので今日はこの本。

これまでに読んだ本の中には、「これを読んでいなかったら後悔しただろうな」と思ったものがいくつもある。

この「プラハの春」もそう。

いや、考えてみたら読まなかったら知らないんだから別に後悔はしないのか…。

なんでこれを本屋さん(いつも大混雑、阪急梅田駅下の紀伊国屋でだった)で選んだのか、全く覚えていない。裏の説明を見て面白そうだと思ったとか、そんなところだとは思うけれど。
これを読むとチェコに行ってみたくなるものだが、最近、入学された生徒さんで本当に、これを読んでプラハに行った人がいた。

主人公が歩き回るプラハの街並み、プラハ城、そしてレストランの食事、どれも魅力的に思えるのだ。
春江一也さん、ちょっとナルシーな書き方だけれど、一瞬の春と一瞬の恋、実にドラマチックでよかった。続編の「ベルリンの秋」もまあまあだけれどやはり、「春」がよい。
割と最近に「ウィーンの冬」というのも出たが、これは読まないほうがよかった、というか春江さん、書かないほうがよかったよ、と言いたい。

ウチの同居人も読書好き。しかし私と読むものの好みは違う。たま~に合う事もあるのだが、この「プラハの春」もその一つ。
(しかし彼が読むと、本がぼろぼろになるので困りもの。これも少々傷んでいるのが写真でもわかる)
同居人には小説の良しあしの判断基準があって、それは「食べ物がおいしそうに書かれていたら良い小説」なのだそうだ。料理好きでご馳走好きの彼が言いそうなことだが。
この本を読んだ後はしきりに「シュニッツェルを作ろう!」と言っていたものだ。


「プラハの春」は宝塚の舞台にもなった。

9年前のこと。母が亡くなるおよそ10か月前のことだが、北海道から大阪に遊びに来た際に二人で宝塚まで観に行った。
このブログの母の記憶にも書いたことがあるが、トップスターさん、香寿たつきさんが北海道出身、宝塚では珍しかった。母は初めての宝塚観劇だったのでその舞台を観られることをとても喜んでいたものだ。
小説の中でもスメタナの「モルダウ」を聴く場面が出てくるが、むろん舞台ではふんだんに使われていて、クラシック好きの母にはそれもよかったようだ。
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