11月初めの連休は、結構好き。
もう暑くない。まだ寒くない。
残念なのは紅葉にはまだ早い事。紅葉は勤労感謝の日辺りだし…
それでも、11月は、歩き回るには良い月。
11月2日は、年に2回だけ公開する、法然院。むろん、法然上人ゆかりのお寺。ここ、もう少し、それこそ勤労感謝の日位に公開してくれればいいのに…よく、「参道の紅葉が見事」なんて写真つきで見るのだけれど、その時は公開していない。いや?参道は歩けるのか?かも?今度試してみよう。
白砂壇を通り抜けて浄域へ。
本堂の阿弥陀如来様の前に菊をばらまいてある、と思ったらそれは散華として飾られているものだそう。
菊の花は外にも。こうして飾られていると華やかなものだ。
坂を下りていくと、上がってこようとする70代と思われる女性二人。
「この上、法然院?」
「そうですよ」
「なに、見られるの? 象の絵?」息を切らして言われる。
象の…絵? ああ、そういえば現代作家の絵の展示があり、象、いた気が…
「象、ありましたよ」
「あと、何あるの?」
ふうふう。
「銀閣寺から歩いてきたの。遠かったわあ」
確かに、銀閣寺からなら十分歩いてはこられるが結構、時間はかかるだろう。
「普段公開してない伽藍が見られますよ」
どうも、大したことないならもう上がりたくないという風情だった
翌日は同居人の車で大原へ。
「俺、大原付近は車で通ったことはあるんだけど行ったことはないんだ」
「なんで通ったの?」
「日本海へいった」
ああ、同居人は社員旅行はよく、昔は日本海へ行って蟹、だったのだ。
「だから今回初大原」
三千院、実光院、勝林院、宝泉院、寂光院と回って、なんと6時間近くかかった。歩く距離が結構あるのだ。ご朱印も、三千院に3種類あったので合計7つも集まった。
私は今回実光院、勝林院、宝泉院が初めて。「声明」のメッカだそうで、実光院には声明の音合わせの楽器が色々置いてある。鰹節が並んでいるのかと思ったら、金属で出来たもの。
同居人と叩いてみると、鉄琴の音がする。左から順に叩いてみても音階はわからない…ファとシが抜けているんだそうな。
でも「平調」(ひょうじょう)「盤渉」(ばんしき)など、昔の物語で出てくる音の名前が書いてあるのが面白い。
1月2月まで咲き、春にもまた咲くという不断桜も見ることができた。しかし桜と言っても枝の先にちょぼちょぼとついているので、あまり華やかさはない。
桜はやはり、うんざりするくらい沢山「咲き誇る」のが桜らしい。
勝林院の柱の透かし彫りを眺めていると声明が聞こえてくる。 本堂の後ろの方でお坊さんたち、練習中か? 見てみたいものだ。
2人してうろうろと歩き回る。建物自体は立派だがそこまで大きい本堂ではない。
「これだった…」と同居人が指差す。
そこにはスピーカーが…
「あ、そゆこと。」
ご本尊様の前にボタンがあり、「押すと声明が流れます」 3分間。うん、外から聞けば…まあ…
その後宝泉院でおうすを頂きながら700歳の五葉松を眺め、さらに寂光院まで足を伸ばす。三千院からなら2キロはあるのだが、山里を歩くのはそう苦にはならない。
畑の中にりっぱな家も見かける。昔なら茅葺だっただろう、と分かる形の屋根が特徴的だ。屋号が三角部分についている。
建礼門院ゆかりの寂光院は、焼けてしまったからまだ、新しい建物。建礼門院庵室跡、というのがこの傍にあるが、山の迫ったさびしい場所。
そのさらに奥に、小さなお堂があり、焼け残った本尊の地蔵菩薩様が今時期だけ公開しているので見に行く。
空調を完璧にした部屋で、ガラス越しに見る。真っ黒になってはいるが形はしっかり残っているので、重文指定はそのまま残されたという事、「有難いことに」と係の方が繰り返していた。
これは知らなかったが、ここは「しば漬け発祥の地」でもあるのだそう。
建礼門院のお付きの侍女、阿波内侍が、献上された野菜で初めて作ったのだとか。 我々も、それならと本場の地でしば漬けを買っていくことにする。
別に大阪のスーパーでも買えるけれど、お寺の向かいにしば漬けや佃煮を売っている店があるのだ。
「味見どうぞ」とご飯が出てきたのにはびっくり、小皿にご飯と漬物、佃煮を載せてくれるのだ。これは、なかなかの商法だと同居人と言い合い、いくつか購入。させられたか?
デジブック 『少しずつ、秋。』
もう暑くない。まだ寒くない。
残念なのは紅葉にはまだ早い事。紅葉は勤労感謝の日辺りだし…
それでも、11月は、歩き回るには良い月。
11月2日は、年に2回だけ公開する、法然院。むろん、法然上人ゆかりのお寺。ここ、もう少し、それこそ勤労感謝の日位に公開してくれればいいのに…よく、「参道の紅葉が見事」なんて写真つきで見るのだけれど、その時は公開していない。いや?参道は歩けるのか?かも?今度試してみよう。
白砂壇を通り抜けて浄域へ。
本堂の阿弥陀如来様の前に菊をばらまいてある、と思ったらそれは散華として飾られているものだそう。
菊の花は外にも。こうして飾られていると華やかなものだ。
坂を下りていくと、上がってこようとする70代と思われる女性二人。
「この上、法然院?」
「そうですよ」
「なに、見られるの? 象の絵?」息を切らして言われる。
象の…絵? ああ、そういえば現代作家の絵の展示があり、象、いた気が…
「象、ありましたよ」
「あと、何あるの?」
ふうふう。
「銀閣寺から歩いてきたの。遠かったわあ」
確かに、銀閣寺からなら十分歩いてはこられるが結構、時間はかかるだろう。
「普段公開してない伽藍が見られますよ」
どうも、大したことないならもう上がりたくないという風情だった
翌日は同居人の車で大原へ。
「俺、大原付近は車で通ったことはあるんだけど行ったことはないんだ」
「なんで通ったの?」
「日本海へいった」
ああ、同居人は社員旅行はよく、昔は日本海へ行って蟹、だったのだ。
「だから今回初大原」
三千院、実光院、勝林院、宝泉院、寂光院と回って、なんと6時間近くかかった。歩く距離が結構あるのだ。ご朱印も、三千院に3種類あったので合計7つも集まった。
私は今回実光院、勝林院、宝泉院が初めて。「声明」のメッカだそうで、実光院には声明の音合わせの楽器が色々置いてある。鰹節が並んでいるのかと思ったら、金属で出来たもの。
同居人と叩いてみると、鉄琴の音がする。左から順に叩いてみても音階はわからない…ファとシが抜けているんだそうな。
でも「平調」(ひょうじょう)「盤渉」(ばんしき)など、昔の物語で出てくる音の名前が書いてあるのが面白い。
1月2月まで咲き、春にもまた咲くという不断桜も見ることができた。しかし桜と言っても枝の先にちょぼちょぼとついているので、あまり華やかさはない。
桜はやはり、うんざりするくらい沢山「咲き誇る」のが桜らしい。
勝林院の柱の透かし彫りを眺めていると声明が聞こえてくる。 本堂の後ろの方でお坊さんたち、練習中か? 見てみたいものだ。
2人してうろうろと歩き回る。建物自体は立派だがそこまで大きい本堂ではない。
「これだった…」と同居人が指差す。
そこにはスピーカーが…
「あ、そゆこと。」
ご本尊様の前にボタンがあり、「押すと声明が流れます」 3分間。うん、外から聞けば…まあ…
その後宝泉院でおうすを頂きながら700歳の五葉松を眺め、さらに寂光院まで足を伸ばす。三千院からなら2キロはあるのだが、山里を歩くのはそう苦にはならない。
畑の中にりっぱな家も見かける。昔なら茅葺だっただろう、と分かる形の屋根が特徴的だ。屋号が三角部分についている。
建礼門院ゆかりの寂光院は、焼けてしまったからまだ、新しい建物。建礼門院庵室跡、というのがこの傍にあるが、山の迫ったさびしい場所。
そのさらに奥に、小さなお堂があり、焼け残った本尊の地蔵菩薩様が今時期だけ公開しているので見に行く。
空調を完璧にした部屋で、ガラス越しに見る。真っ黒になってはいるが形はしっかり残っているので、重文指定はそのまま残されたという事、「有難いことに」と係の方が繰り返していた。
これは知らなかったが、ここは「しば漬け発祥の地」でもあるのだそう。
建礼門院のお付きの侍女、阿波内侍が、献上された野菜で初めて作ったのだとか。 我々も、それならと本場の地でしば漬けを買っていくことにする。
別に大阪のスーパーでも買えるけれど、お寺の向かいにしば漬けや佃煮を売っている店があるのだ。
「味見どうぞ」とご飯が出てきたのにはびっくり、小皿にご飯と漬物、佃煮を載せてくれるのだ。これは、なかなかの商法だと同居人と言い合い、いくつか購入。させられたか?
デジブック 『少しずつ、秋。』