たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

第十五番・第十七番・第三十二番札所・六波羅蜜寺・三十三間堂・廬山寺

2015-08-25 01:20:33 | 洛陽三十三所観音巡礼
今年は5,6,7月と暑かった割に、涼しくなるのは早かった。

今日は処暑。暑さがおさまる日。

20年前に北海道を出て大阪に来たのは8月4日、真夏も真夏、最高に暑い時にやってきた私が、あれ、ドアを開けたら涼しい!と同居人を見送った朝、それが処暑の日だった。

あまりの暑さにショック続きだったため感動も大きかった。


今年は、帰省から戻って翌日には割合、夜は過ごしやすくなっていた。14日だったから、非常に早いと言って間違いない。無論、昼間はまだまだ、日差しも強く暑いけれど、夜にエアコンがいらないのはありがたい。

そんな過ごしやすい夜が明け、5時半起きで京都へ。

お寺の中には夏場は8時に開門するところもある。六波羅蜜寺、三十三間堂、と割に近いこの2つがそうだったので、早めに出かけることにした。

まずは第十七番、三十三間堂。



以前に来たのは12月頃だったか、庭の紅葉がきれいだったが、それより風に吹かれる柳が良かった。この季節でもやはり柳が、長々と続く建物によい風情を与えている。

ここは、洛陽三十三所を定めたという後白河法皇の御座所、蓮華王院なのだから、最後に持ってきてトリにしようかな、とも考えていたのだが、このままいくと同じような季節に行くことになりそうなので夏のうちに…と言う事にした。

夏の朝のお寺はよい。人もそこまでいないし(ここまで有名なお寺だとそれでも、「混雑していない」程度なのだけれど)、冷房のないお寺の中も結構暑いものだから…
8時ならまだ、暑いとは言えない。

初めてここに来たのは、おそらく17,8年ほど前に父、母、叔母夫婦が京都旅行に来た時だ。私もバスに乗って一緒に回ったのだ。

しかしあまり印象には残っていない。その頃はそれ程京都に詳しくはなかったし…今ほど神社仏閣好きでもなかった。

これだけ千手観音が並んでいるのはさすがに壮観、縦に5体、並んでいるのだから、200列あるということか。いやいや、物凄い数に圧倒される。
後ろの方の観音様は顔が良く見えない。前の3列位が顔を確認できる距離。貸し出し中、で空いている所もあったりして。

よく、必ず自分に似た観音様がいる、とか、会いたい人に似た観音様がいる、と聞くが、確かに時代や作者によって結構、特徴があり、また剥落や汚れがついたりして表情が違って見えるため、さもあらんという気がする。
眼がはっきり開いているように見えたり、逆にウインクしているように見えるものも。

一緒に回った人たちのうち、残っているのは、父だけである。

母も、叔母も叔父も、この千体のうちのどの観音様かに、似ているのだろうか。



左右に500体ずつの千手観音を従えた中尊、国宝千手観音坐像の前でご朱印が頂ける。これだけの観音様のご朱印は効き目がありそうだ!







裏側は有名な「通し矢」の会場だ。いちど見てみたいものだ。







第十五番六波羅蜜寺は、平清盛ゆかりの寺なので、3年前、大河ドラマ「平清盛」を見ていた頃訪れた。 
宮尾登美子さんの「平家物語」でも「六波羅に戻り…」と言ったくだりがよくある。

この辺り一帯が平家の屋敷だったんだ…と思わせるような立派なお寺では、残念ながら、ないのだれど。敷地も狭いし、お寺自体も小さい。
始めて来た時は結構がっかりしたものだ。かなり整備されて現代風だし色鮮やかだし…いやどのお寺も昔出来立ての頃は色鮮やかだったに違いないが、今、色鮮やかだと有難味がない気がするのは勝手な感覚なんだろう。


しかし由緒あるお寺、ちゃんと西国十七番のお寺でもあるのだ。
9時近くでもうすでにかなりの人がやって来ている。

洛陽三十三所とかぶっているお寺はいくつもあるがここもそう。以前来た時は、有名な空也上人像や平清盛像も見学したが、今回はご朱印のみ。




京阪、清水五条の駅まで歩くと、盛りの百日紅の花が。去年、あちこち歩いて撮ったなあ。




今日は頑張って、すこし北側まで足を伸ばす。

第三十二番、廬山寺。京都御苑に隣接している。

もともと、紫式部の邸宅があったと言われており、それが解明したのは案外にも昭和40年だそう。
そう昔でもないのだ

この「源氏庭」もそれ以降のものだろう。







庭には降りられないが、ここはメジャー所ではないので、いつもゆっくりと盛りの桔梗を眺められる。私はこれで3回目だ。

庭の向こうがかなり大きな幹線道路のため、車の音が常に聞こえるのが残念だが。

杉本苑子さんの小説に「散華」というのがあり、これは紫式部を主人公に据えている。そこでは、「鴨川に降りていく」というくだりがあり、平安時代ならばこの幹線道路、その向こうの建物群もなく、鴨川の河原も近かったのだろうな、と、なんとなく想像がつく。
きっと杉本苑子さんもここを訪れたに違いない。

こちらの観音様は如意輪観音様だが、調べてみると如意輪観音は坐像または半跏像で、立っているものはまずないのだそうだ。

長谷寺の大きな観音様もそうだが、観音様と言うと立っているイメージがあった。 今までお詣りした観音様もみんな立っていたと思うが、三十三間堂の中尊の観音様も座像だったし、今日は座ってる観音様にご縁があったのか?

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京都散策の夜 千日詣りと百鬼夜行

2015-08-16 23:48:11 | 現実
京都の夏は暑い。

日が落ちても暑いのは、そこは北海道と一番違う所。今年の夏は北海道も湿気が多めで暑いそうだ。
帰省時も確かにちょっと暑いとは思ったが、京都の暑さとはけた違いだ。北海道では日が落ちればもう、この季節なら秋めいた空気になる。

しかし、そこが京都らしくてよい。私は夏や冬の京都も結構、好きだ。

盆地のせいで、夜になってもいつまでも熱気がこもる中、祇園あたりをそぞろ歩きながら清水へ向かう。

このあたりは何度も歩いているので、ジグザグに歩いて適当に曲がっても、方向を間違える事はない。夜6時、東山あたりはまだまだ、すごい人だ。

あちこちに大きな氷を置いた桶があり、涼を誘う。いや、でも暑い。清水寺まではずっと登り坂だし…この湿気では、汗が逃げない。

賑やかにグループで歩いているのはやはり外国人観光客。中国、韓国の人たちが多い。お土産屋さんに気を取られながら、写真撮影をしながらなのでなかなか前に進めないようだ。




今日は千日詣り、一日で、千日詣ったと同じ功徳が与えられるという日、普段見られない内陣に入れるというのですごい行列。 6年前に紅葉の頃、来たことがあるが、何しろ今は真夏、行列している人々も汗だくである。

入るとろうそくを求める人、ろうそくにお願い事を書く人でごった返しており、これなら行列も進まないはずだ。しかも内陣は狭い。

私もろうそくとお札を頂き、燈をともしてくる。たくさんのろうそくが並ぶ光景は壮観だ。観音様と五色の糸でご縁を結び、しばらくお坊様のお経を聴く。周りには、一緒にお経を唱えている方も。
こういう雰囲気は、なかなか得難い。

人でごった返した清水寺、というのは古典でも聞く。千年前もこんなふうだったのか、と思うとおかしくもある。


レーザー光線は出なくても、本物の星がもっと、沢山見られたことだろうけれど。






さて、この後は近くの高台寺。

ここはライトアップが有名だが、今年は夏の燈明会と百鬼夜行展をしている。






しかしこれは、「ゲゲゲの鬼太郎展」と勘違いされないか??



中では由緒正しい百鬼夜行絵図を展示しているが…。


今年のライトアップはいつもの場所で、勅使門に百鬼夜行のプロジェクションマッピング、流行りのものはすぐ取り入れるようだ。このお寺は演出上手だから…。しかしなかなか、見ごたえがあった。




シャワーでも浴びたかと思う位汗をかいて、坂を下りて帰る。祇園あたりもまだまだ、散策を楽しむ人たちが多い。夜は長そうだ。




デジブック 『京都散策の夜』
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30年。

2015-08-16 17:52:20 | 現実
昔よく本を買った、札幌弘栄堂書店のブックカバー。とても懐かしい。このカバーのファンは多いそうだ。昔から変わっていない。

30年前から変わっていない、と言いたいところだが、調べてみると40年変わっていないそうだ。

1年ぶりに帰省して、私が実家を出てから約30年になると気付いた。それから札幌で5年暮らしてオーストラリア、そんなに経ったんだなあ…




ピアノを手放そうかと父と話しているので、さてふたを開けて弾いてみると意外に音は変ではない。私の腕は変だからたどたどしい音だけれど、調律すればまだ使えそうだ。メジャーなメーカーではないので、買い取りは難しいそうだけれどごみになるのももったいない気がする。50年物でもOKという所もあるようだ。

ちょっと一人の時間が出来たので、昔一人暮らしをしていた札幌のアパート付近まで行ってみた。

さすがに30年近く経つと記憶も曖昧だし、周りの景色も変わっているので手さぐり(足さぐりか)で「なんとなくこの道の曲がり具合は?」と不確かながら歩いてみる。

一か所、これは変わっていないのでは?と思われる場所があり、それを目印にしようと思っていた。

道路にはみ出していた木だ。

関西でもよく見るけれど、なぜか切られずに道路が迂回している木があるものだ。何か謂れがあったりするのだろうが、私の住んでいた通りにもあって、車は面倒だろうな、と思っていたのだ。

大きい通りからこのあたりを右に曲がるんだったと思ったけど…



「あった!」

思わず声が出た。30年経ったら伸びてもいるんだろうけど、その頃からかなり立派な大きな木だった。やはり切られずに残っている。この木から少し歩いたところにアパートがあったのだが、その頃から考えても相当古いアパートだったので、むろん違う建物、やはりアパートだ。

そして気が付いた事。

私、道幅のスケールが関西標準になっているんだ…

目印の木は、道路の真ん中くらいまで来ているように思っていたのだがそうではなかった。
思ったより、道路は広かったのだ。

関西なら、こういう、大通りから一歩入った、という道路は歩道もなく狭い。車なら1台がやっと。そこをびゅんびゅん走る。

この通りも、私が住んでいた頃は「歩道もなく狭い通り」と思っていたのに、今歩いてみると結構な幅がある事に気付く。

ぶらぶらと辺りを歩いても、やはり、大通りでない通りでも両側に歩道があったりして、物凄く広い気がする。そして、車はめったに通らないのだ。



実家の庭に父の育てているクレマチスはあったけれど、30年前、いや10年前でもこの、釣鐘型のものはなかった。昔は、薔薇が垣根の様になっていた場所だ。



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