ようやく3月。
しかしまだ、寒いのだ、むろん。そう簡単には春はやって来てくれない。
1,2月はなかなか、行く場所が見つけにくい。私の好きな「花の寺」系の写真が難しいからだ。冬には万両や千両、寒椿などがあるけれど、どうもこの季節は中途半端。
しかも、お寺の工事や植木の世話なども、人の少ないこの時期にしているので…
先日京都の智積院に行ったら、名勝地の庭の、肝心の池が干上がっており、考古学の研究員が地質調査をしていた。観光客の多い春や秋にはできないだろうからな…
「池のあのあたりで何か古いものが見つかった(なんだかわからないけど)ようですよ」と案内の方が言っていた。とまあ、それも面白い見ものだったかもしれない。
お気に入りの京都関連サイト sodakyoto で花だよりを調べてみると、マンサクの花が清凉寺で咲いている、という。嵯峨野巡りもいいかもしれない。
清凉寺の境内の店で名物のあぶり餅を頂いていると、窓の外にマンサクの花を見つけた。
美しいとは言い難い形状だけれど面白い形。針金に黄色い紙をつけて曲げ、形を作ったというような。
春先に咲くので「まんず(まず)咲く」なんだそうで。
馬酔木も盛りでふさふさしている。
多くの草食哺乳類は食べるのを避け、食べ残される。そのため、草食動物の多い地域では、この木が目立って多くなることがある。たとえば、奈良公園では、シカが他の木を食べ、この木を食べないため、アセビが相対的に多くなっている。逆に、アセビが不自然なほど多い地域は、草食獣による食害が多いことを疑うこともできる。
へええ。毒があるので、馬がうっかり葉っぱを食べると、酔ったみたいにふらふらするから、馬酔木と言われるらしい。
可愛らしい花なんだけど。
童顔の悪女みたいなものなのかな。女優さんでよくそういう人がいるかも。
ここは嵯峨野にある、蚕のまゆでお人形を作って売っているお店。
季節柄、まゆのお雛様が屏風付で置いてあるのがかわいらしい。我が家の、土雛の後ろに似合いそうな大きさなので屏風だけ買った。土雛は母が昔北海道から送ってくれたものだ。
「このお店、昔からありますね。修学旅行で来ました。」
「あら~。40年になるんですよ!」
「私が来たのは35年くらい前ですよ」
「じゃあ、ここもまだぴかぴかだったでしょうね。作っているおじいさんはもう70過ぎましたけど、昔より凝ったの作っていますよ」
同じ人が作り続けてるんだ…と言う事は、修学旅行で来た時はまだ、30代か40代。それがもう「おじいさん」になってるんだ。
それはそうだ。
私の方も18歳が今年53歳、「おばさん」どころか、そろそろ「おばあさん」に近くなっている訳だから。
店のたたずまい自体はほとんど変わっていないのだけど。修学旅行で撮ったこの店の写真があった。一緒に行ったクラスメイトの後姿も写っている。
修学旅行を思い出したので、その時行こうとして行かず、こちらに住んでからもなぜか、嵯峨野の有名どころなのに行ってみなかったお寺に行ってみようと思いつく。
祇王寺だ。
3年前の大河ドラマ「平清盛」の時にちょっと「行こうかな」と思わなくもなかったのだけれど、祇王祇女の話はさらっとしか取り入れられていなかったので、そこまで行きたいという気にもならず。
そりゃ、清盛が主役のドラマで、女性にひどい扱いをする話はあまり大きく出さないだろうな。
こじんまりとした草庵、寒牡丹が女人の寺らしいやわらかな雰囲気。
苔が美しく、三千院の庭とちょっと感じが似ている。はるかに小さいけれど。
今までどうして来なかったんだろう。いいところなのに。
祇王寺の手前に、檀林寺というお寺がある。
結構、立派な門構えである。
35年前、クラスメイト3人と私は、祇王寺に入るつもりで間違ってここに入ってしまったのだ。
横溝正史の映画に出てきそうな、小さいおばあさんが檀林寺の由来(嵯峨天皇皇后橘嘉智子(檀林皇后,786~850)が承和年間(834~48)に建立した)やら中にあるお宝の説明をぶつぶつと長々としてくれたのだが、なんだか怪しげな雰囲気を高校生ながら感じ取り、毒気に当たったような気になり、入らなきゃよかったね…と言いながら退散し、もういいや…力尽きて結局祇王寺には行かなかったのだ。
檀林寺は,皇后が招請した唐の禅僧義空が開山となり,わが国最初の禅学興隆の道場として知られる。皇后没後,延長6(928)年に焼失し,平安中期に廃絶した。
昭和39年(1964年)に皇后の遺徳を偲んで現在地に再興したが、平安期の檀林寺とは直接関係がない。実質的には骨董屋であり、寺としては機能していない。
え!
骨董屋!?
さらに調べてみると、実は「怪しい寺」として知られている所らしく、ブログで「入ったら変だった」というのがいくつか出てくるのだ。曰く「高価な変なお守りを売りつけようとする」「怪しい宝物が雑然と置いてある」など…もともとの本当の檀林寺はもっと南の天龍寺あたりだったそうな。
「絶対に行かない方が良い」と書いている人もいる。
35年前お守りを売りつけられた記憶はないが、拝観料が高かったという事をそれで思い出した。それで、「損した」と思ったのだ。
怪しかった、というのが田舎の高校生にも感じられた位だったので、ある意味、小さな寺なのに名前までよく覚えていたわけだが、35年後にネットで調べて怪しさの謎が解ける、と言うのも面白いものだ。
デジブック 『嵯峨野。』
しかしまだ、寒いのだ、むろん。そう簡単には春はやって来てくれない。
1,2月はなかなか、行く場所が見つけにくい。私の好きな「花の寺」系の写真が難しいからだ。冬には万両や千両、寒椿などがあるけれど、どうもこの季節は中途半端。
しかも、お寺の工事や植木の世話なども、人の少ないこの時期にしているので…
先日京都の智積院に行ったら、名勝地の庭の、肝心の池が干上がっており、考古学の研究員が地質調査をしていた。観光客の多い春や秋にはできないだろうからな…
「池のあのあたりで何か古いものが見つかった(なんだかわからないけど)ようですよ」と案内の方が言っていた。とまあ、それも面白い見ものだったかもしれない。
お気に入りの京都関連サイト sodakyoto で花だよりを調べてみると、マンサクの花が清凉寺で咲いている、という。嵯峨野巡りもいいかもしれない。
清凉寺の境内の店で名物のあぶり餅を頂いていると、窓の外にマンサクの花を見つけた。
美しいとは言い難い形状だけれど面白い形。針金に黄色い紙をつけて曲げ、形を作ったというような。
春先に咲くので「まんず(まず)咲く」なんだそうで。
馬酔木も盛りでふさふさしている。
多くの草食哺乳類は食べるのを避け、食べ残される。そのため、草食動物の多い地域では、この木が目立って多くなることがある。たとえば、奈良公園では、シカが他の木を食べ、この木を食べないため、アセビが相対的に多くなっている。逆に、アセビが不自然なほど多い地域は、草食獣による食害が多いことを疑うこともできる。
へええ。毒があるので、馬がうっかり葉っぱを食べると、酔ったみたいにふらふらするから、馬酔木と言われるらしい。
可愛らしい花なんだけど。
童顔の悪女みたいなものなのかな。女優さんでよくそういう人がいるかも。
ここは嵯峨野にある、蚕のまゆでお人形を作って売っているお店。
季節柄、まゆのお雛様が屏風付で置いてあるのがかわいらしい。我が家の、土雛の後ろに似合いそうな大きさなので屏風だけ買った。土雛は母が昔北海道から送ってくれたものだ。
「このお店、昔からありますね。修学旅行で来ました。」
「あら~。40年になるんですよ!」
「私が来たのは35年くらい前ですよ」
「じゃあ、ここもまだぴかぴかだったでしょうね。作っているおじいさんはもう70過ぎましたけど、昔より凝ったの作っていますよ」
同じ人が作り続けてるんだ…と言う事は、修学旅行で来た時はまだ、30代か40代。それがもう「おじいさん」になってるんだ。
それはそうだ。
私の方も18歳が今年53歳、「おばさん」どころか、そろそろ「おばあさん」に近くなっている訳だから。
店のたたずまい自体はほとんど変わっていないのだけど。修学旅行で撮ったこの店の写真があった。一緒に行ったクラスメイトの後姿も写っている。
修学旅行を思い出したので、その時行こうとして行かず、こちらに住んでからもなぜか、嵯峨野の有名どころなのに行ってみなかったお寺に行ってみようと思いつく。
祇王寺だ。
3年前の大河ドラマ「平清盛」の時にちょっと「行こうかな」と思わなくもなかったのだけれど、祇王祇女の話はさらっとしか取り入れられていなかったので、そこまで行きたいという気にもならず。
そりゃ、清盛が主役のドラマで、女性にひどい扱いをする話はあまり大きく出さないだろうな。
こじんまりとした草庵、寒牡丹が女人の寺らしいやわらかな雰囲気。
苔が美しく、三千院の庭とちょっと感じが似ている。はるかに小さいけれど。
今までどうして来なかったんだろう。いいところなのに。
祇王寺の手前に、檀林寺というお寺がある。
結構、立派な門構えである。
35年前、クラスメイト3人と私は、祇王寺に入るつもりで間違ってここに入ってしまったのだ。
横溝正史の映画に出てきそうな、小さいおばあさんが檀林寺の由来(嵯峨天皇皇后橘嘉智子(檀林皇后,786~850)が承和年間(834~48)に建立した)やら中にあるお宝の説明をぶつぶつと長々としてくれたのだが、なんだか怪しげな雰囲気を高校生ながら感じ取り、毒気に当たったような気になり、入らなきゃよかったね…と言いながら退散し、もういいや…力尽きて結局祇王寺には行かなかったのだ。
檀林寺は,皇后が招請した唐の禅僧義空が開山となり,わが国最初の禅学興隆の道場として知られる。皇后没後,延長6(928)年に焼失し,平安中期に廃絶した。
昭和39年(1964年)に皇后の遺徳を偲んで現在地に再興したが、平安期の檀林寺とは直接関係がない。実質的には骨董屋であり、寺としては機能していない。
え!
骨董屋!?
さらに調べてみると、実は「怪しい寺」として知られている所らしく、ブログで「入ったら変だった」というのがいくつか出てくるのだ。曰く「高価な変なお守りを売りつけようとする」「怪しい宝物が雑然と置いてある」など…もともとの本当の檀林寺はもっと南の天龍寺あたりだったそうな。
「絶対に行かない方が良い」と書いている人もいる。
35年前お守りを売りつけられた記憶はないが、拝観料が高かったという事をそれで思い出した。それで、「損した」と思ったのだ。
怪しかった、というのが田舎の高校生にも感じられた位だったので、ある意味、小さな寺なのに名前までよく覚えていたわけだが、35年後にネットで調べて怪しさの謎が解ける、と言うのも面白いものだ。
デジブック 『嵯峨野。』