たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

インフルエンザ

2016-01-29 00:44:44 | 夢と現実



同居人がインフルエンザにかかり月曜からずっと家にいる。
人生初インフルエンザだそう。


私は18年位前かかったのが初。その頃はタミフルもなく、また感染についてもあまり知識が普及しておらず「インフルエンザは熱がすぐは下がらないから、2日休んでいいですよ」とマネージャーに言われて、3日目まだ微熱ある状態で仕事に行った。
ひどい風邪位の認識だった。隔世の感あり。
きっと生徒さんにうつしただろうなあ。

2回目は10年前。このブログ始めてすぐだ。「頭痛がずっと続いて」等と書いている。
ずっと体調が戻らず同居人の誕生日に満足のいく料理が出来なかったとも。
その時は職場で3人かかり大変だった。

このいずれの時も同居人にはうつしていない。
2回目の時は、4日は人にうつすから外にでるな、と言うルールが世の中に出来ていたので、うつさないよう家でも「隔離政策」、しかし1回目は何も。
同居人は丈夫なのである。

今回も、土曜日から熱があったようなのだが、普段熱など出さないので具合が悪いのが自分でわからなかったらしい。
日曜になって

「どうも調子悪い。風邪かも」

「ほんと?熱測ってみよう」

...38度5分。

「よくこれで、お風呂入ったりイカスミパスタ食べてたね...」

そう、割合元気にしてたのである。

私なら、そんなに熱あったら動けないんだけど...食欲もなくなるし。

病院でインフルエンザ確定、今度は同居人の会社で3人くらい出ているようだ。

よって「隔離政策」私は別室に布団敷いて寝ている。
暖房ないので毛布が着ぐるみになったようなのを寝袋風に。結構暖かい。

何時もと違う寝方のせいか、準備が整ってないのに漫才をする事になり舞台袖で緊張している夢を見た。

その上寝坊...


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夢で走る

2014-03-25 00:15:36 | 夢と現実
夢の中で必死で走る事が時々ある。

先日は久しぶりに走った。

同居人と引っ越しをしたらしい。何故かお手洗いが家の外にあるので行って、出てきたら家がわからなくなってしまった。

こっちの方向だったはずなのに…そもそもお手洗いがそんな遠くにあるはずもないのに。

いつの間にか小さな公園のようなところに出てしまった。小さな桜の木があり、5分咲き位になっている。

どんどん、どんどん歩く。間口の狭い家が並ぶ界隈、慌てて、入ってはいけない畑にも足を突っ込んでしまう。急に坂道も。走ってあがる。ここを上がったらヒントがあるような気がするのだが。
焦りながらも「バッグの中にお財布が入っているし(なぜバッグもってたのか?)いざとなったらタクシーで帰れる」とも思っている。よく「逃げ道」があるとどこかで分かっている事も夢の中では、ある。

この、畑、というのも良く夢に出てくる。

以前に、同じような家、それも下宿屋らしき家が出てくるとこのブログに書いたことがあるが、家々の間の、ちょっと傾斜のある場所の小さな畑というのも良く現れる。自家菜園位の畑が点在しているようす、その中を歩く、という状況になる。

下宿屋っぽいのは、前世で暮らしていた場所かも?と思ったが、その下宿屋の傍にこういう畑のある場所があったのかも、と思ったり、する。
今回の夢で見た間口の狭い家々、ずいぶん古い建物だった気がするので、やはり前世で暮らしてた頃の近所の家々だったのか?などとも。

目が覚めるとすっかり疲れ切っていた。

久しぶりの「夢日記」。
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考えさせられる夢。

2012-03-27 01:35:59 | 夢と現実
夢はよく覚えている方だが、起きる直前の夢は特にそうだ。今朝の夢もとてもはっきりとしていた。

私は今の会社を辞めて、どうやらオフィスで事務員をしているらしい。

外回りから何故かタクシーで帰ってきた営業の男性が、携帯で電話してきて、なかなか電話に出なかったと言って怒っている。着いたらタクシー代を払いに出てきてほしいから電話したのに、と言う事だった。
タクシーが着いたので、私が払いに出て行った。細かいコインを数えて運転手さんに渡した、なんていう場面まで今も思い出せる。
その営業の男性社員は、私に後を任せるとさっさと礼も言わずにオフィスに入っていった。

他にも事務の仕事を何かしていたようなのだがそこはよく思い出せない。
「こういうもんなんだよね」と思いながら働いているのだが…何が「こういうもん」なのか、はっきりとは夢の中でも意識はしていなかったが、おぼろげにそのイメージは残っている。

会社のイメージとしては、昔20代のころに働いていた医療品の卸の会社にとても似ているように思えた。この写真の、北大の南門のすぐ近くにあったのだ。あった、というのは、今はその会社が入っていた建物自体今はないからだ。10年以上前帰省した時も行ってみたが、その時点ですでになかった。(ちなみにこの写真は去年夏のもの)
googleしてみても出てこない。とても近い関係の会社があったから、もしかすると合併したか何かかな、とも思う。

お茶汲みどころか、お昼にコンビニの「鍋焼きうどん」を男性社員のために作らされた事もあったし、なぜか支店長の息子のミニカーを買いに行かされたこともあった。
旧態依然とした小さな会社だった。
留学前にその会社で3年弱働いたが、留学のための資金作りと割り切っていたためもあるし、この会社で何かキャリアを積もうとも思わなかった、と言うよりは何も考えていなかったのだろう、そういうものだと思って事務の仕事も言われたことを「こなす」ことしかしていなかった。

現在の職場では、むろん会社だから会社の方針があるし、学校自体は各学校のマネージャーの作るものだからそこに合わせていくわけだが、私自身で収入計画を立て、それに基づいて企画を考えたり、広告を打ったり教師たちへの落とし込みや指導もしていくので、自分の裁量やアイディアで物事を進められる部分も多い。
それは、失敗すれば大変だし面倒な事は多々あるけれどそれはそれで面白いものでもあるのだ。
女性がほとんどの職場だから、男性に気を使う、と言う事もないし(男性のほうが気を使うに違いない)長年働いてお局様になっても、「やめろ」という圧力がかかることも居づらくなることもなし。気楽なのだ。

そういう状態に慣れてしまっているので、今朝の夢で見た昔のような仕事は、夢の中でさえ「違うなあ」と違和感を持ってやっているのだ。

昔のような仕事が私にとって良いか悪いかとか、女性の立場がどうとか、いう問題を夢の中で考えているのではないが、そこで働いている私は明らかに「ダウン気味」の精神状態であったような気がする。こうやって働いていくんだな、これから、と後悔しているような…そんな重いものが起きた時に残っていた。
同時に自分で自分の歴史を垣間見たような。

何故こんな夢を見たのかはわからないが、もしかすると、「動物のお医者さん」を読み返したり、最近していたせいだろうか。このマンガの舞台は北大獣医学部だし、獣医学部はお得意様のひとつだったのだ。しかし楽しいマンガなのだから、もっと楽しい夢を見たかったものだ。獣医さんになるとか。

昔の会社の通勤にはこの南門を入って北大の構内を突っ切る通りを抜け、地下鉄駅へと歩くコースをとることもあった。かれこれ20年以上前の事である。木々も少しは大きくなっているのだろうか。景色は昔と変わっていないように思うのだけれど。



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古い夢日記

2011-10-31 01:20:29 | 夢と現実
夢日記を1年半ぶりに再開する。

1998.1.4(sat)

洗濯物を干すロープ、白いものを手に持っている。買ったのか買おうとしているのかわからない。外にある洗濯物ロープも白に変えたいと思っている。
E君が左腕を三角巾で吊ってやって来る。腕は腫れていて痛そうである。(この日、実際にE君が来た。寝ている間に同居人に電話が来て、その様子からE君が来るらしいと寝ぼけつつ気づいた。)





先日PCの下に置いてあるコードやプリンターインクの入っている箱を整理していて、このフロッピーを見つけた。
98年からの夢日記だ。これより前はPCがうちにはなく、ノートに書いていた。1年半ぶり、と言う事は、96年、大阪に引っ越しした翌年にはちょっとストップしていたのか?
と言う事は大阪に住み始めてすぐ位から夢日記は書いていたのだろう。


初めて我が家にパソコンと言うものがやってきたのは97年のこと。仕事でも使いたい同居人が、どうしてもノートパソコンが欲しい、というので、購入したが、その頃の我々には大枚はたいた買い物であった。ラップトップは30万以上したのだ。プリンターも一緒に買って、全部で40万位はかかった記憶がある。今なら全部で7,8万でもいけるだろう。
しかも重たい事といったら!今私が会社で使う私物のラップトップの5倍くらいは重かっただろう。大きさ厚さも結構なものだった。

夢日記をPCで書き始めたのは、ワードの使い方の練習をしたかったからなのだ。
今、「ワードの練習」と書くと何となく「ぷぷっ」と笑える感じだけれど、当時はタイピング自体が「頑張って」いた状態だった。
13年前の事である。そろそろ家庭にPCが普及し始めたころ。メールを送れて感動したことをよく覚えている。ネットで調べ物が出来るという事も…。
ピポピポいう音でつながり、書いてる間はオフラインにする、とか。今考えると可笑しい。


最初の紫の文字部分がフロッピーからコピーした夢日記の出だしの部分だ。
今のPCではフロッピー、使えない。 しかし同居人が会社で、古いフロッピー使えるものがある、というので、USBに移してもらうよう頼んだ。大した量ははいっておらず、同居人はメールに添付して送ってくれたが、「最初のとこ読んだけどめんどくさくなって後は読んでない」と言う 人の夢の話は確かに面白いものじゃないよね…

この、洗濯もののロープの夢はどことなく、覚えている。そのころ住んでいたアパートで、外に干す洗濯物のロープ、あまりきれいではないので替えたい、と実際に思っていたような気がするのだ。E君というのは当時の同居人の同僚である。
13年前の夢であるから、ほとんどは覚えていないが、中に出てくる登場人物が懐かしかったり、今でもよくある夢のパターンが書いてある。


突然上から誰かが駆け下りてきて、私を追いかける。
逃げて隣のビルの中に走って入る。殺風景なビルの中、階段の側を走って過ぎる。右と左に廊下が分かれている。これは、右の方が出口に近かったはず、と思い右に行く。うまく逃げおおせた。必死で逃げているけれども、心のどこかで、自分自身でこの状況を設定して、追いかけられてうまく逃げるようにしているように夢の中で思っている。




この手の「逃げてどこか楽しんでる風」の夢は今でもよく見る。懸命に逃げてはいるのだが、絶対逃げおおせるとわかっているのがわかる、というていのものである。



岩見沢の実家にいる。父か母が、同居人に電話が来た、と言う。旅行会社からで、何か飛行機のチケットのことを確認したいらしい。何でも、同居人の家に電話したら、お父さんが同居人には連絡はさせない、と怒っていたらしい。私は、携帯にかければいいのに、と思い、かけてみると、会社か何かの留守番電話のような、宣伝のようなものが流れてくる。電話番号が間違っていないので、びっくりする。同居人はいったいどこにいるのか。携帯電話はいったいどうしたのか。あせっている。


この、「連絡が取れない」系の夢も今でもよくある。ボタン押しても何度も間違う、とか、電話がつながらない、とか。
人間は、そうなったら困るな、と言う事を夢に見て備えにする、という話を聞いたことがある。これなどはそうだろう。

さて、そろそろ夢の時間である。どうも寝付けないのでPCに向かう事にした。(眠れない時にはかえってよくないらしいが
今日は楽しい夢になるか? 月曜は私の公休日だが、明日は締日で仕事。もう寝た方がよいだろう
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飼っていた犬の話。

2011-07-18 19:50:52 | 夢と現実
高校時代の友人がペットの猫について書いていたのでコメントをした。

暑くなって、猫が涼しいところをキャッチして寝ている、というオハナシ。

それで私も飼っていた犬が同じように、涼しいところを選んで寝ていた、というコメントをしたのだが、それに対しての友人のコメントが「たしか、ポメラニアンだったよね?」というもの、彼がうちの犬を見たのは30年くらい前の事ではないかと思う。なにせ22,3年位前に天国に行ってしまった犬なのだから。
それも数度しか見たことがないのではないかと思うので、どんな犬だったかまで覚えていてくれたのが物凄くうれしかった。

何故なら、その犬の話をできるのはもう、父しかいないからだ。あ、実家の近所の年配の方なら、ウチは店をやっていたので覚えているかも?それでもそういう方たちも櫛の歯が抜けるように亡くなっていくのだ。



小学校6年生の時に買ってもらい、もともと犬が欲しい、と言い続けていたので本当にうれしかったものだ。

おとなしい性質の犬で、亡くなった母に言わせると、最後まで手がかからなかった、と言う事だった。15歳まで生きたから老衰だろうが、だんだん元気がなくなってご飯を食べなくなって、静かに逝ってしまった、ということ、私はその頃札幌で一人暮らしをしていたので電話で聞いた。
ペット霊園はたまたま、札幌の、私の住んでいた地域にあったので、お骨を拝みに行ったのも20年以上前。

母は、私がオーストラリアに行っている間、犬の写真に水を上げて、「ポニー(犬の名前)、くみちゃんを守ってね」と言ってくれていたそうだ。

面白い事に、実際、オーストラリアに行っているあいだ、具合が悪くなると私の夢に、ポニーが出てきたのだ。

初めて風邪をひいて、ホストファミリーに迷惑かけないようひたすら部屋で寝ていて、起きて水でも飲みたいけどリビング行ったら家族もいるし向こうも気を使うだろうし、と遠慮し、喉痛くてしんどいなあ…と思って寝ていたら、ポニーが首を怪我している、と言う夢。
その後、オーストラリアに行く直前に足の爪をはがしていたのだが、それが伸びて、肉に食い込んで、痛くなったので手術する、と言うときは、ポニーが足を怪我している、と言う夢を見た。

私は霊感などはないが、時々夢で亡くなった人ととてもリアルな話をすることがある。この夢も、ポニーが心配して出てきたのかな、と思ったものだ。

被災地で、ペットと暮らしたいけれど、周りの方々に迷惑になるし、と困っている方の話は身につまされる気がした。
飼わない人にはわからなくても、ペットは家族だから…。

もう一つ、母と私、ポニーの写っている古い写真を見つけた。
家の庭の薔薇が最高の時。7月だろう。
薔薇と一緒に撮るのだから、と母と私はわざわざ服を着替えて、父が撮った。私の着ている服から見て、高1の時か、中3の時だ。私が最高にデブだったころだ。
白いスカートはやめとけばよかったなあ…。

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とても疲れる夢。

2011-03-30 01:15:40 | 夢と現実
時々、この日記がもともとはノートに書いていた「夢日記」から始めたことを忘れてしまう。もう4年も経ったのだからそんなものだろうが。

今朝はとても焦る夢を見た。起きてからぐったりと疲れていた。


昨日は京都へ、母の祥月命日のお参りに行ったが、(これはミクシィのほうに書いてしまったが)財布に300円しかなく、改札で精算できずに、出られず焦った、という事があったためだろう。



友人Aと話をしている。「嵐」のコンサートのチケットをくれるというのだ。

…生徒さんで好きな人多いし、私は嵐のメンバー、誰が誰だかよくわかってないので、コンサートに行って学んでみようか、と思い、もらう事にする。もう一人嵐好きの友人Bがいるので、その人にも声をかけるとのこと。いっしょならいいな、と安心する。

さて、チケットをもらって友人Bとお茶をする。しかし、「今回のコンサートは納得がいかないので行かない」と言う。私一人で行くのか?
しかたないな、と思いつつ、「ちょっとお手洗いに行ってくるね」と私は席を外すが、戻ってきたら友人Bの姿はなく、置いて行ったわたしのバッグもないではないか!
どうも盗まれてしまったようだ。

ひどい、見ていてくれればいいのに… 

しかしバッグがなければお金もない。私は今からどうすれば?

しかし携帯は持っているので、同居人の携帯にかける。この手の夢はよく見るが、大抵そういう時はボタンがおせなかったり、押し間違ったり、番号がどうしても思い出せなかったりするものだ。今回もそう。何度もかけるがうまくいかない。ピンチ!家に帰れない!

しかしついに連絡が取れる。どういうわけか、「災害連絡用の番号にかけるからな」と同居人が言う。
でも、いまつながってるのでは???

とりあえず同居人とコンタクトが取れて安心したあたりで目が覚めたようだ。

焦るのは昨日だけで十分だったのだけど…
なんだかふらふらしながら起き上ったが、夢だったというのがこんなにうれしいなんて!とほっとする限りの焦り具合だった。

夢は頭の中の情報を整理するものだったり、準備のためのものだったりするそうだが、やはり「ぼけっとしてるんじゃない!」という母の戒めだったのだろうか。

情報整理というのはよくわかる。

土曜日にカウンセリングをした生徒さんは嵐のコンサートによく行く。
オーストラリアにいたとき、カフェで足元に置いたバッグを盗まれたことがある。
災害連絡はこの間同居人が茨城に行ったときに「携帯がつながらなくなったらこれだな」と思っていた。
お金がなくて、というのは昨日起こったばかりのこと。

それにしてもいつも不思議なのが、夢で進行している時間、物凄く長いこともあるのに、実際眠っている時間はそれよりはるかに短かったりすることだ。
この、今朝の夢も、友人Bとお茶をしてから少なくとも5時間以上はかかったストーリーだった(時計を見てさらに焦った場面もあり)のに、実際は同居人が出勤していってからの事だから、2時間しか寝ていないのだ。よくこんな短い時間に収まったものだ。
夢の中は早送りしているのか?


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睡眠記録

2010-02-08 23:11:20 | 夢と現実
携帯のサイトに「ねむログ」というのがあり、4か月前から始めた。

基本、その日何時間、何時から何時まで寝て、目覚めた時の体調、気分、見た夢を記録するものだ。見た夢の夢占いのコーナーなどもあり、なかなか面白い。
大体、平日は7時間平均、土日はちょっと多め位になっているが、これは土日が休みの人向けの平均の出し方。
私は日月休みだから、おそらく平日はもう少し減り、日月は10時間位寝てそう。
「よくそんなに寝られるな」と同居人は言う。彼は4.5時間の睡眠が普通、6時間以上寝ると背中が痛いと言い出す
その代わりつついても絶対目を覚まさない位ぐっすり深い眠りで、うらやましい限りである



記録してどうする、というものでもないだろうが、睡眠パターンと体調の記録を見て、この曜日は疲れやすいから早く寝よう、位の事はできる。
なんとかいう方も、食べた物を記録することで大幅なダイエットに成功したそうだし。

私は寝つきが悪く、また眠りも浅い。よっぽど疲れているときでないと、30分以内で眠れることはなく、何かあるとすぐに目が覚めてしまう。眠りが浅いせいか夢をよく覚えている。

迷惑がられながら「こんな夢を見た」と同居人に話すと、「よくそんな細かいことまでおぼえてるなあ」と感心され(あきれられ)る
色も、色だけでなく質感、ビロードのような、とかそういう所まで覚えているからだ。

たとえば、先日白い亀が箱に入って送られてきた、という夢を見たが、亀の甲羅の模様、ちょっとざらついた感じの見た目まで覚えていた。
「白い亀」というと昔は「瑞兆」とされていたんだよ、と同僚に話した。
「だからここからはビジネス上向きだよ!」
「じゃ先生もっと縁起のいい夢見てください!」

それはちょっと…そんな期待されたらぐっすり寝られない

このブログ始めたそもそものきっかけは、大阪に越してきて間もなくノートやメモに書きだしたのが始まりで、その後パソコンに慣れるためにワードでつけていた夢日記。
ノートは絵を描いたりしていろいろ面白い物もあったので、無くしてしまったのが残念だ

10何年も前のものだが、いまだに記憶にある夢もある。

「ピエロが街を歩く日である」という書き出し、同居人が読んで「何を断定してるんだ、そんな日あるわけないじゃないか」と笑っていたのを覚えている。
たくさんのピエロが歩いているので、気に入ったピエロに遊んでもらうことができる日なのだ。


また、よく「冒険もの」もあった。
金のヤカンをタイに密輸入する、というものや、ヒグマがビルに乱入、というものも。
目覚めた時は心臓ばくばくである


現在は「ねむログ」に書いているが、読んでいると、なぜそういう夢を見たのかだいたいわかる。これは誰でもそうだろうけれど、現実で気になっていることが出てくる割合が多いが、さて亀は???凶暴そうな顔つきの亀だったけど…実際はおとなしく箱に入って寝てしまった

フリー記録欄というものもあり、寝る前後の様子などを書いている。
よく書かれているのが、当然と言えば当然だが、同居人が仕事で遅かったので寝にくかったとか目が覚めたとか、いびきがうるさかったとかもぞもぞしてたとか、である。

今日は泊りで帰ってこない、とわかっていれば寝つけるのだが、帰ってくるなら帰ってきた時にきっと目が覚めてしまう、というのが気になって寝付けないので、そういう日は結構寝不足になってしまう。
同居人もこういう時には早く寝ていた方が気が楽なのはわかるがこれは性格だからしょうがないかな

さて、今日も同居人は遅いという電話。
ご飯をすぐあっためられるように準備して寝ることにしよう。
今日は面白い夢を見られるか?
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たまにはあほな夢の話でも。

2009-08-31 23:29:00 | 夢と現実
このブログはちょっと重めの話が多くなってしまった。

たまには気楽に「夢日記」してみよう。


今日は本当は乳癌、子宮癌検診の予約を入れていた。しかし今この時期、新インフルエンザ菌が跳梁跋扈していそうな「病院」自体に行くことがためらわれ、電話でキャンセルを入れた。
ここでかかって〆日に仕事を休む、などという事になったら最悪だ

朝早くキャンセルの電話を入れ、さて、もう少し眠ろうか、とベッドに入ったら夢を見た

行くはずだった病院に電話をかけると、何故か向こうの人が英語で出るのである
テレビ電話じゃないのだから見えるはずないのだけれど、わたしには、それが黒人の男性、という事が見えている。

変だなあ、外国人向けに英語話すオペレーター入れたのかなぁでもそんな気の効いた病院とも思えないけど…

しかしながら夢の中ではそんな変な状況も素直に受け止め、私はまたキャンセルの話をしている。"Are there many people..."などと英語で、インフルのヒトがたくさん来ているかなどと聞いているのだ。

黒人の男性、というのはわかる。前日見ていたテレビ番組にボビー・オロゴンが出ていたからだろう。
しかし何故英語でキャンセルの電話を?そこは謎。
夢の中でまで英語は喋りたくないものだ


さて、このバスルームは、昨夜の夢に出てきたもの。
同居人と私は、何故か古びた家に引っ越したらしい。このパターンの夢はよくある。いつも少しくたびれた、古い家である。
2人でオーストラリアで家探しした時は、いつも古びた感じのフラットだったからだろうか。

このバスルームは不思議な形だった
馬蹄型にスペースがあり、そこにシャワー、トイレ、洗面所がならび、馬蹄型の内側が、バスタブの付いたバスルームになっているらしい。私はトイレに座り、同居人は洗面所で顔を洗っている。
床も壁も細かいタイルだ。
ちょっと寒々しい感じだが、昨夜はかなり気温が下がり、窓を開けていて寒かったのだろう。

その後で、やはり寒い時には良く見る、雪道の夢を見た
眠っていて寒いと、必ずと言っていいほど、雪道を歩く夢を見るのだ。特に足元が寒かったりすると…あるいはプールで泳いでいたり。
北海道風の「寒い」という状況になるのが不思議である。
雪道は勿論寒いけれど、確かに子供の頃、プールは寒いことがけっこうあったものだ。
水から上がったら唇が紫色になってたりして、母に無理やり連れて帰られたこともあった。

「大阪でもこんな風に、雪道になっちゃうこともあるんだなぁ」と考えながら歩いている。無論そんなことはありえないのだが

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目が覚めて。

2008-09-16 02:39:55 | 夢と現実
せっかく早めに床についたのに目が覚めてしまった


祭日なので少し早めに仕事から帰ってきた同居人が、ちょっと胃が痛い、と言う。

とは言え、ビールも飲んで茶豆も食べ、炊き込みご飯を3杯も食べたのだから、そうひどいことはないだろう

昨日の夕食は2人で、賀茂なすの揚げ物や田楽、レンコンの肉詰め、など珍しく油っこいものを作ったので、食べすぎか?とは思うが、働きすぎも間違いないので、早く寝かせることにする。
ついでに私も横になったらすぐに眠ってしまった
今日は昼近く、11時まで寝ていたというのに…

夢を見た。
2つの全然違う内容の夢。
さすがについさっき見たものだからよく覚えている。


子供の頃に、「ゴールデンハーフ」という、ハーフの女の子ばかりを集めたアイドルグループみたいなのがあったが、それがTVに出ているのである。
いや、夢の中では、私は「昔の番組がDVDになっているのを借りた」と言っていた。
「黄色いサクランボ」という歌を歌っているのである
別にファンだった訳でもないが、どんな歌だったかは覚えている。

サクランボを最近食べたかと言うと、そういうこともない。(お高いので)
ただ、6月の父の日に、ひと箱送ったのは間違いない。
しかしサクランボは黄色ではなくもちろん、サクランボ色のものである。
(そもそも「黄色いサクランボ」ってあるのだろうか?熟してないと言う意味か) 


もう1つの夢では、スキーに行った話を父にしているところだった。
故郷の町の近く、上志文のスキー場に行った、と言っているのだが、夢の中で思い出しているところは、もっと大きいスキー場のようである。
話をしている場面でも雪があったので、寝ている間寒かったのかもしれない。
窓を開けていたから。


「昔懐かしい」夢を見たのには2つの理由がありそうだ。

1つは、今日届いた「らでぃっしゅぼーや」の野菜の中にかぼちゃがあり、「北海道岩見沢市稔町」との表示があったこと。らでぃっしゅで岩見沢の野菜が来たのは初めてである。

嬉しい反面、正直、ちょっと損したような気も。
先日父が岩見沢産のおいしいメロンを送ってくれたので、「父に送ってもらえばタダ」なんていう関西人的連想が働いたのかもしれない。
 
送ってもらった→送った→サクランボ、という順で頭の引き出しから出てきたのか?

もう1つは昨日父と電話で話をしたこと
先日北海道で地震があり、直後に電話をしたが出ないので、何度かかけていたところだったのだが、別になんともなかったそうで安心した。

「地震で何か上から落ちてきて頭に当たっていてもうたのかと思った
と言うと「達観してるからそれでも別にいい」と笑っていた。

話し忘れた、と思ったことが後であったので、夢に父が出てきたのか、とも思う。
もちろんスキーの話ではないが


もう15年、スキーをしたことはない。
オーストラリアから一時帰国した際に行ったのが最後だろう。
写真はそれよりも2,3年前だろうか、親友と行った札幌国際スキー場である。物凄い雪の日で、這うように降りてきたのを覚えている。

吹雪の日でなくても下手なので大抵這うように降りるのだが

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夢の家

2008-03-11 01:36:26 | 夢と現実
のんびり家で過ごす日曜には、どういうわけか夕方5時頃に眠くなることがある。

この間の日曜もそうだった。
一人だったと言うこともあり、ぐっすりと2時間も眠ってしまった。

昼寝は深いものなので、あまり長く寝ないほうが良いと言うが、確かに、夜なら耳栓無しではなかなか寝られない私が、電車の音も、炊飯器のぐつぐついう音も気にならずに眠っていたのだ。

はっきりした夢を見た。

家に帰ると、父が少し前に戻っていて、犬がよろこんでまとわりついているところだった。

「あんた、ポニーがいたらいいなと思う?」と、亡くなった母が声だけで聞く。
「そりゃ、いたら嬉しいよ」と答えた。

ポニーとは父にまとわりついていた、昔飼っていた犬のことで、20年前に死んでしまったのだ。

犬がいたら気持ちが慰められるか、というようなことを聞かれた気がする。これは現実の私に聞いてきたことなのだろう。

出てきた家は、北海道の実家とも、今住んでいる家とも違う家だ。

夢で出てくる、「知らない」家にはある特徴がある。

どことなくがらんとして、ものもあまりなく、古い家だが、立派な日本家屋、というのではない。30~40年くらい前の「下宿屋」と言う雰囲気だ。
細部は違うこともあるが、感じは共通している。
部屋が広かったり、間数が多かったりするところからは、北海道の雰囲気があるように思う。

もしかしたら、前世で私が住んでいたところでは?などと考えることがある。
男性のような気がする...飾りっ気がない感じだから。
一体どういう仕事をしていたのだろう?
いつか夢の中でそれがわかることがあるだろうか?

私自身家の中にはものをあまりごちゃごちゃと置きたくない方だが、時々、花を飾りたくなることもある。

3月には、ぼってりした桃の花が初々しく、部屋を明るくしてくれる。
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謎の紫陽花寺

2007-06-21 23:07:40 | 夢と現実
久しぶりに奈良の「紫陽花寺」、矢田寺に行ってきた。

「10年ぶり位じゃないか」と同居人が言う。
確かに、大阪に来てまもなくの頃だったはず、それなら10年経っているだろう。

梅雨とはいえ、晴れ間も時折広がる、外出にはちょうどよい天気、雨もどうやら降りそうにない
さすがに紫陽花の季節、駐車場も大混雑である

矢田寺の境内までは石畳の坂や階段を登っていく。周りにはちょっとしたお土産の屋台、喫茶店などがちらほら。

こんなに歩いたっけ??

暑いので途中で飲み物を買い、さらに上へ。

さてやっと入り口までたどり着いた。

境内に入るとすぐ左に紫陽花の大群。人の群れ。


記憶では右だったような??


とりあえず庭園に入っていく。

…しかしこれは、庭園とは言えないのじゃないだろうか??
ほとんど山登りである


確かに、以前来たときも、坂を登るのが結構きつかったので、「花を見る余裕ない~」とは言ったが…。

足を滑らせそうな石段、それも狭い上にくねくねと曲がっている。
上るのはまっすぐだったように思うんだけど…

「紫陽花に手を触れないでください」って言ったって、通路にはみ出しているから手でよけて通らざるを得ない

こんなにすごい通路だったかな???

とにかく一番上まで行って見る。
相当下に人々が歩いている。はるか眼下には奈良の街並みが。


「こんなんだったっけ??」と汗だくの同居人。

彼もどうもふに落ちない、と言う顔。
私だけではないらしい。

「だよね、なんか10年前の記憶と全然違うような気するんだけど…」
「実は矢田寺に行ったんじゃなかったのかな?」


行ったのは確かに矢田寺のはずである。


「写真を撮ったはず」と思い家でアルバムを確認してみた。
確かに、紫陽花見本庭の写真がある。これは今回もあったので間違いないだろう。
日付は96年6月23日となっている。11年前だ。

この10年位の間に、さらに山を切り開いて紫陽花を植えたのであろうか


謎はともかく、見事な紫陽花だった。
ガクアジサイあり、小ぶりの、あまり紫陽花には見えない変わったものもある。白、紫、青…一つの木の花でもそれぞれ色が違ったりするのが紫陽花らしい面白いところだろう。

なにやら手のひらから出した物を葉っぱの上に置き、激写している人がいる。
そっと覗いてみたら、かたつむりだった。

「きっと、『紫陽花とかたつむり』っていう写真を撮りたくて、家で飼ってるかたつむりを持ってきたんだよ」
「うん、間違いないな」


帰りには屋台で紫陽花色の金平糖を買い、おみやげにした。
毎日少しずつ楽しんでいる。

全部なくなる頃には紫陽花の季節も終わるだろう。

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夜中に騒ぐ女

2007-06-14 02:17:25 | 夢と現実
夜中騒ぐ女。

それは私。


昔から、怖い夢を見てうなされる事がよくある。

怖い夢の種類は色々である。
ヒグマが襲ってきたとか(道産子らしい夢である)、
おそろしい顔のおばあさんが杖で殴りかかってきたとか、
ただひたすら体が動かなくて怖いとか、

たいていは、よく考えるとあほらしい夢が多い

一昨日の夜は、ちょうど読んでいた本が「絞殺魔」が主人公の小説だったので、それにカンタンに影響を受けたらしく、首を絞められる夢を見た。

いつものように同居人にぽんぽんと腕をたたかれて目が覚めた。
同居人はどんな大音響の中でも眠れ、寝付いたらまず絶対、朝まで目覚めないが、私が騒ぐとすぐ気づくようだ。
「ひぇぇ~~ひぇぇ~~って出ない声を出そうとしてるみたいな声で騒ぐ」らしい。

母も昔、同じように夜中うなされて騒ぐ、と言っていたのを覚えている。
「お父さんにね、横から突っつかれて、夢だったってわかるんだよね」

これはどうも遺伝らしい…



そういえばもうひとつ。

私はあごひげが生える。
あごの下、合計3箇所から黒く太い毛が生えてくる
伸び切ってから毛抜きで抜くのである。きれいに抜けるとすっきりしてうれしい。


さて、5年ほど前、母が入院していたときのこと。
ベッドに横になっている母を見ると、あごに2本ばかりヒゲが生えているではないか
私のとそっくりである。


「おかあさんもヒゲ生えてたんだね…
「そう、抜くのが楽しみでね」


・・・もう少しましなものが遺伝しなかったものか・・・










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ストーブ

2007-05-20 01:59:14 | 夢と現実
今朝方見た夢に、昔懐かしい石油ストーブが登場した

いまどきの、炎の見えないようなおしゃれなものではない。オレンジ色の火が後ろの金属部分に反射するタイプのものである。

大阪に来てからは石油ストーブを使ったことがない。
たまに実家に帰ったときしか使わないので、オレンジ色の光が懐かしく目に残った。
今朝はちょっと湿度が高く(午後には雨が降った)蒸し暑かったせいでストーブの夢など見たのであろう。
北海道の友人が「先日までストーブたいてた」と言っていたので、それが頭に残っていたのもあるかもしれない。

昔の写真の中に、ちょうど今頃の季節、5月の末に北海道の実家の前で撮った写真を見つけた。12年前のものである。95.5.21とある。
地面が濡れており、あまり明るくないので、どうやら雨が降ったあとでは?と思われる

さてこれが、何のために撮ったのか、さっぱり覚えていない。
花を撮ったにしては花の数が少ない。家を撮ったにしても、なぜ雨上がりの曇った日に?
なんだか良くわからない写真である。ガラス戸の向こうに外を見ている母が写っているが、あさっての方向を向いているし


実家は、園芸好きの父親が6月くらいになると庭を花だらけにする
この写真で見るとそこまで花は多くない。
でもこちら大阪ではもうつつじが終わり、薔薇が咲いているのだ。

こうしてみると、北海道と大阪はひと月くらい季節が違うんだな、とわかる。
北海道なら朝晩は特に気温が下がって寒いし、確かにこの頃はまだまだストーブが必要。
だが今朝私は暑がっていたくらいなのだ

また北海道の人間はちょっと寒いとすぐストーブをつけるものだ。
以前、お盆休みに帰省したときに、「今日は肌寒いね」と言うと父がすぐにストーブをつけたのでびっくりしたことがある。8月にストーブって…

「いや、ストーブたかなくても上に何か着れば…」
こう思った私は北海道人の感覚をすでになくしているのかもしれない

しかし、子供の頃から馴染んでいて当たり前になってしまって、不思議ともなんとも思わないこともある



一緒に帰省した同居人は本州出身である。
窓から外を見て、
「どの家の横にも大きなタンクがある。アレなんだ?サリンでも作ってるのか」


いやあれには灯油が入ってるんだけど…


リビングのストーブを見て、
「これって業務用じゃないのか?」

普通の家で使ってるものだけど…



「屋根に煙突があるぞっ


サンタさんが入ってくるしね…









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夢と言えば...

2007-04-05 23:26:38 | 夢と現実
久しぶりに宝塚観劇。去年の秋?頃に行って以来である。
花のみちの桜は綺麗だったが、なにしろここ2,3日異常に寒いしかも宝塚は山の中、大阪より絶対3度は低い

現実の寒~い桜はともあれ、楽しみにしていた安蘭けいさんの、大劇場で初トップお披露目の舞台「さくら」である
私はそれほどのヅカファンではないが、年季の入ったファンの方たちの、「今まで見守ってきたあの子がついに...」という興奮が少しわかった気がした。
今まで最後から3番目に降りてきた大階段を、最後に巨大羽つけて降りて来るのを見るのはなかなか嬉しかった
舞台自体も、日本ものは今まであまり興味がわかず観た事がなかったのだが、春らしく華やかでとても良かった。
やはり宝塚は夢の世界と言われるだけのことはある

私のとなりは中年の男性だった。奥様らしき女性と一緒だったので、無理やり連れてこられたのかと思ったが、オペラグラスで随分熱心にご観劇であった   ちょっと珍しい。

男性にはやはり宝塚は敷居が高いようだが、女性に敷居の高い「観...モノ」ってあまりないような...。タイガース観戦でもK-1観戦でも女性がいておかしくないような...何故?? 競馬場も今では親子連れ、カップルも多いし…。
女はやはり図々しいのか




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2007-02-26 01:00:26 | 夢と現実
今年は亥年。亥年生まれの同居人はあまり夢を見ない。熟睡型の人は夢を見ても忘れてしまうらしい。
そんな彼が以前、猪の夢を見た、と朝になって半分寝ぼけながら報告してきた。瓜坊を連れた夫婦者の猪にベッドを占領され、寝る場所がなくなって困った、と言う夢だったそうだ。「でも瓜坊は可愛いかったよ~」と言う感想で終った。

さて、年明けまもなくの事。仕事帰りに11時まで開いているスーパーで買い物を済ませ、10時過ぎに店を出た私は、向こうから犬を連れた男性が歩いてくるのに気づいた。暗いので遠目には良く見えないが、「随分背の高い足の細い犬だな、個性的なプードルカットでもしてるのだろうか」
さて、そばまで近づいてきた犬を見下ろすと…「えっっっ犬じゃない!!猪じゃないこれ
犬ならぬ猪は、瓜坊ではないが、私が「プードル?」と思ったくらいでそれ程大きくはない。まるっきり犬と同じように大人しくリードを付けられ、男性に従って、唖然として見送る私を尻目にスタスタと去っていった。
お散歩だったのか?
ちなみにそのスーパーは山奥にあるわけではない。駅から3分、周りは住宅が密集している地域である。

この話は誰に言っても信じてもらえない
「ミニブタだったんじゃないの」とか「またまたぁ…」と言う反応。
私自身わが目を疑ったがこれは事実。
どう見ても立派な鼻をした、グレーっぽい茶色の荒い毛の生えた猪だった。

その後2月半ばに同居人やその友人、奥様達と共に兵庫県の奥、丹波笹山にぼたん鍋を食べに行った。

山家風の萱葺き屋根の店、囲炉裏で鍋を食べさせるところでよい雰囲気である。出入り口や囲炉裏の横には猪の剥製。大きさ、色合い、やはりあの夜私の見たのは間違いなく猪である。

猪の剥製を見ながら猪肉を食べる、と言うのはあまり趣味が良くない気もするが、何しろ美味だったので誰もそんなことを気にせず、かっ食らっていた。もともと皆それほど繊細ではない。(私も)
そこでもお散歩猪の話をしたがやはり大嘘と思われた。

それにしてもあの男性は、何のために猪を飼っているのか?単なるペット??太らして食うため??
住宅街に住む猪は猪突猛進せず大人しくペット化しているのだろうか?
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