大阪駅も変わったものだ。
私が初めて来た頃から、ずいぶん最近まで、大阪駅はやたら天井の低くて込み入ったところ、と言うイメージだった。
今年の春に改装が完成しこの大屋根や、時空の広場なんかが出来、すっかり現代的に生まれ変わった大阪駅、どことなく京都駅に感じが似ている。京都駅も古都の駅とは思えぬ斬新な建物だが、この「上に伸びてってる」様子は大阪駅も京都駅も共通。それは横には広げようがないからかもしれないが。
さて、先月帰省した折、自室の押し入れに入りこんで私がせっせとしたことの中に、昔読んだ本を取り出してまた読みたいのを取りのける、という作業があった。
アマゾンなんかで手に入れる事ができるものもあるが、せっかくまだあるものなら大阪に送ろう、と決めていたのだ。
田辺聖子さんの、このあたりの本はそうとう昔のものなので手に入れづらいのだが、なぜかここの所、新しく版を重ねているものもある。なんでも最近になって女性に人気が出てきたとか…30年位昔のものが多いのだが、今読んでみてもあまり違和感がないのが不思議。だからころ新版が出てきているのだろうが。
ちゃんと段ボールに入って傷んでもいないので私は「旧版」を持って帰ることにする。
「言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら」この三部作はお気に入りだったので、こちら大阪で全部そろえた。
田辺さんの小説はみな、関西が舞台である。
北海道にいて読んでいた頃は、「関西ってこんなとこなんだ」という、どちらかといえば2次元的な感想を抱きながらの読み方であったが、関西に実際引っ越してきてからはそれが3次元的になり、「関西の雰囲気」が読んでいるあいだに実感として立ち上がってくる。
ちょっとしたことなのだが、たとえばヒロインが冬の寒い日、ミナミの戎橋で、彼氏と「あつっ」と言いながらたこ焼きを食べる場面。
関西に来るまでは、外がぱりっ、中はトロトロのアツアツのたこ焼きなど知らなかったから、「そんなにたこ焼き熱い???」と思って読んでいたものだ。北海道でも今は関西風のたこ焼きが食べられるそうだけれど、昔は外側も中身も同じような感触のたこ焼きしかなかったからだ。
関西に来て少したって、たこ焼き食べて舌をやけどしそうになって初めて、冬にたこ焼きで暖をとるカップル、が理解できたというわけだ。
(そのたこ焼きはほんとうに熱かった。口の中に全部入れちゃったから出すわけにもいかず目を白黒させてたものだ)
そのほかにも、彼氏との待ち合わせが、川の流れるまち、というキャッチフレーズの、阪急三番街の喫茶店だったり…このあたりは、大阪駅の近く、転勤になる前はよく通っていたところなので感じがよくわかる。
(正直、雰囲気はよろしいが、この川がなければもっとレストランひとつひとつが広く取れるのに、というとこである)
田辺さんは食べ物の話をよく書かれる方、美味しいおでんが有名な「たこ梅」、うどんすきが絶品の「美々卯」なんかも出てきて、読んでいるだけで行きたくなってしまう。実際行ったことがあるところなので、美味しさがわかっているから尚更である。
関西と言ってもどちらかと言えば、おしゃれな神戸なんかはまた違う雰囲気だけれど、大阪の庶民的で気取らない感覚は田辺さんの小説で楽しめる部分のひとつだ。
湿気の多い気候で紫陽花が美しい、とかなめくじがでる、とかも…実際梅雨時に家の玄関でなめくじを見た時はまじまじ観察してしまった。北海道では見たことがなかったからだ。ホントにかたつむりの中身、という外見だったがぶきみである。
ヒロインが信州へ行ったときに、関西の、どこかおどろおどろしい木々とは全然違う、淡い緑の木々や白樺に感心する場面があるのだが、確かに、先日帰省した時に同じような事を感じた。信州と北海道は結構似ているので。
しかしながら、恋愛模様(このあたりはみな恋愛ものなので)の、特に20代、30代独身のヒロインの心の動きとか、なんかについては…さすがにこのトシでは、もうすでにピンとこない。そういえば昔はこんな感じ方もしたよな、程度の懐かしさを覚えるくらいである。
田辺さん自身、「以前のような恋愛もの書いて下さい、と言われるけれど、もうこの年齢ではキツイ」と書いておられた。
読む年齢によって感じ方が違うのは当然だろう。経験値も違っているのだから…しかし、昔はすっかりヒロインに感情移入しきって読んでいたものが、今では「懐かしい気持ちの動き」位になってしまっているのはまた、ちょっとした寂しさがある。
今ではたこ焼きとかうどんすきのほうに感情移入しているのだ
私が初めて来た頃から、ずいぶん最近まで、大阪駅はやたら天井の低くて込み入ったところ、と言うイメージだった。
今年の春に改装が完成しこの大屋根や、時空の広場なんかが出来、すっかり現代的に生まれ変わった大阪駅、どことなく京都駅に感じが似ている。京都駅も古都の駅とは思えぬ斬新な建物だが、この「上に伸びてってる」様子は大阪駅も京都駅も共通。それは横には広げようがないからかもしれないが。
さて、先月帰省した折、自室の押し入れに入りこんで私がせっせとしたことの中に、昔読んだ本を取り出してまた読みたいのを取りのける、という作業があった。
アマゾンなんかで手に入れる事ができるものもあるが、せっかくまだあるものなら大阪に送ろう、と決めていたのだ。
田辺聖子さんの、このあたりの本はそうとう昔のものなので手に入れづらいのだが、なぜかここの所、新しく版を重ねているものもある。なんでも最近になって女性に人気が出てきたとか…30年位昔のものが多いのだが、今読んでみてもあまり違和感がないのが不思議。だからころ新版が出てきているのだろうが。
ちゃんと段ボールに入って傷んでもいないので私は「旧版」を持って帰ることにする。
「言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら」この三部作はお気に入りだったので、こちら大阪で全部そろえた。
田辺さんの小説はみな、関西が舞台である。
北海道にいて読んでいた頃は、「関西ってこんなとこなんだ」という、どちらかといえば2次元的な感想を抱きながらの読み方であったが、関西に実際引っ越してきてからはそれが3次元的になり、「関西の雰囲気」が読んでいるあいだに実感として立ち上がってくる。
ちょっとしたことなのだが、たとえばヒロインが冬の寒い日、ミナミの戎橋で、彼氏と「あつっ」と言いながらたこ焼きを食べる場面。
関西に来るまでは、外がぱりっ、中はトロトロのアツアツのたこ焼きなど知らなかったから、「そんなにたこ焼き熱い???」と思って読んでいたものだ。北海道でも今は関西風のたこ焼きが食べられるそうだけれど、昔は外側も中身も同じような感触のたこ焼きしかなかったからだ。
関西に来て少したって、たこ焼き食べて舌をやけどしそうになって初めて、冬にたこ焼きで暖をとるカップル、が理解できたというわけだ。
(そのたこ焼きはほんとうに熱かった。口の中に全部入れちゃったから出すわけにもいかず目を白黒させてたものだ)
そのほかにも、彼氏との待ち合わせが、川の流れるまち、というキャッチフレーズの、阪急三番街の喫茶店だったり…このあたりは、大阪駅の近く、転勤になる前はよく通っていたところなので感じがよくわかる。
(正直、雰囲気はよろしいが、この川がなければもっとレストランひとつひとつが広く取れるのに、というとこである)
田辺さんは食べ物の話をよく書かれる方、美味しいおでんが有名な「たこ梅」、うどんすきが絶品の「美々卯」なんかも出てきて、読んでいるだけで行きたくなってしまう。実際行ったことがあるところなので、美味しさがわかっているから尚更である。
関西と言ってもどちらかと言えば、おしゃれな神戸なんかはまた違う雰囲気だけれど、大阪の庶民的で気取らない感覚は田辺さんの小説で楽しめる部分のひとつだ。
湿気の多い気候で紫陽花が美しい、とかなめくじがでる、とかも…実際梅雨時に家の玄関でなめくじを見た時はまじまじ観察してしまった。北海道では見たことがなかったからだ。ホントにかたつむりの中身、という外見だったがぶきみである。
ヒロインが信州へ行ったときに、関西の、どこかおどろおどろしい木々とは全然違う、淡い緑の木々や白樺に感心する場面があるのだが、確かに、先日帰省した時に同じような事を感じた。信州と北海道は結構似ているので。
しかしながら、恋愛模様(このあたりはみな恋愛ものなので)の、特に20代、30代独身のヒロインの心の動きとか、なんかについては…さすがにこのトシでは、もうすでにピンとこない。そういえば昔はこんな感じ方もしたよな、程度の懐かしさを覚えるくらいである。
田辺さん自身、「以前のような恋愛もの書いて下さい、と言われるけれど、もうこの年齢ではキツイ」と書いておられた。
読む年齢によって感じ方が違うのは当然だろう。経験値も違っているのだから…しかし、昔はすっかりヒロインに感情移入しきって読んでいたものが、今では「懐かしい気持ちの動き」位になってしまっているのはまた、ちょっとした寂しさがある。
今ではたこ焼きとかうどんすきのほうに感情移入しているのだ