たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

目が覚めて。

2008-09-16 02:39:55 | 夢と現実
せっかく早めに床についたのに目が覚めてしまった


祭日なので少し早めに仕事から帰ってきた同居人が、ちょっと胃が痛い、と言う。

とは言え、ビールも飲んで茶豆も食べ、炊き込みご飯を3杯も食べたのだから、そうひどいことはないだろう

昨日の夕食は2人で、賀茂なすの揚げ物や田楽、レンコンの肉詰め、など珍しく油っこいものを作ったので、食べすぎか?とは思うが、働きすぎも間違いないので、早く寝かせることにする。
ついでに私も横になったらすぐに眠ってしまった
今日は昼近く、11時まで寝ていたというのに…

夢を見た。
2つの全然違う内容の夢。
さすがについさっき見たものだからよく覚えている。


子供の頃に、「ゴールデンハーフ」という、ハーフの女の子ばかりを集めたアイドルグループみたいなのがあったが、それがTVに出ているのである。
いや、夢の中では、私は「昔の番組がDVDになっているのを借りた」と言っていた。
「黄色いサクランボ」という歌を歌っているのである
別にファンだった訳でもないが、どんな歌だったかは覚えている。

サクランボを最近食べたかと言うと、そういうこともない。(お高いので)
ただ、6月の父の日に、ひと箱送ったのは間違いない。
しかしサクランボは黄色ではなくもちろん、サクランボ色のものである。
(そもそも「黄色いサクランボ」ってあるのだろうか?熟してないと言う意味か) 


もう1つの夢では、スキーに行った話を父にしているところだった。
故郷の町の近く、上志文のスキー場に行った、と言っているのだが、夢の中で思い出しているところは、もっと大きいスキー場のようである。
話をしている場面でも雪があったので、寝ている間寒かったのかもしれない。
窓を開けていたから。


「昔懐かしい」夢を見たのには2つの理由がありそうだ。

1つは、今日届いた「らでぃっしゅぼーや」の野菜の中にかぼちゃがあり、「北海道岩見沢市稔町」との表示があったこと。らでぃっしゅで岩見沢の野菜が来たのは初めてである。

嬉しい反面、正直、ちょっと損したような気も。
先日父が岩見沢産のおいしいメロンを送ってくれたので、「父に送ってもらえばタダ」なんていう関西人的連想が働いたのかもしれない。
 
送ってもらった→送った→サクランボ、という順で頭の引き出しから出てきたのか?

もう1つは昨日父と電話で話をしたこと
先日北海道で地震があり、直後に電話をしたが出ないので、何度かかけていたところだったのだが、別になんともなかったそうで安心した。

「地震で何か上から落ちてきて頭に当たっていてもうたのかと思った
と言うと「達観してるからそれでも別にいい」と笑っていた。

話し忘れた、と思ったことが後であったので、夢に父が出てきたのか、とも思う。
もちろんスキーの話ではないが


もう15年、スキーをしたことはない。
オーストラリアから一時帰国した際に行ったのが最後だろう。
写真はそれよりも2,3年前だろうか、親友と行った札幌国際スキー場である。物凄い雪の日で、這うように降りてきたのを覚えている。

吹雪の日でなくても下手なので大抵這うように降りるのだが

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アクセサリー

2008-09-08 23:26:48 | 母の記憶
ゲリラ豪雨に2度も見舞われたのは昨日のこと。

どちらも買い物を終え、さて外に出ようとした途端気づく、というものだった。

1度目は同居人とミドリ電化へ買い物に行った際。
車で行ったため、とりあえずさほど濡れずに済んだが、2度目は1人でスーパーに買い物に行き、その直後。傘を買って帰ったが、とりあえず頭は濡れなくてよかったね、位の豪雨だった。
いつ来るかわからない、と言う点で、「ゲリラ豪雨」という命名は言いえて妙である。


今日は打って変わってさわやかな一日。暑さも幾分おさまり、夕方頃の天気はすがすがしかった。
2週間連勤の後、昨日今日とのんびりするつもりだったが、昨日昼寝で爆睡した以外は、あまりのんびり過ごした気がしない。
あれこれと家事がたまっていたせいもあるが、本来貧乏性なのだろう、なにかしていないと落ち着かなく、やることを見つけてしまうようだ。

しかし今日は時間があったので、懸案事項であったものが随分片付いた。

そのうちの一つが、母から譲り受けたアクセサリーの整理である。

お盆の頃にコレクションボックスを買っておき、その中にディスプレイしようと思っていたのだが、なかなか時間がとれなかった。

ダイヤの指輪や、ガーネットのペンダントは以前、リフォームしてもらい、普段から使えるようにしたのだが、どうも作り直すのは難しそうなものや、古すぎて使えなかったり、壊れたりしているものもある。
しまいこんでおいても仕方がないし、いっそ飾ってしまおう、と決めたのがつい最近のこと。
大好きな「quatre saisons」の店で、コレクションボックスに古いアクセサリーを飾っているのを見て思いついたのだ。


家にあった飾り用の羽をいくつかあしらって、指輪やブローチをピンで止めるとそれらしくなった。


私が子供の頃からよく母がはめていたオパールの指輪。オパールをシドニーで売っていた私から見ても、なかなかのものだ。全体に光と色が入り、整っているきれいなホワイトオパールなのだが、ちょっと大きすぎて、リフォームするには悩んでしまい、結局そのままにしてある。


飴色になった琥珀のブローチも懐かしい。琥珀の色が年毎に変わっていく、というのは母に教えてもらった。買った頃にはもっと薄い、ベージュに近い色だったのを、私も覚えている。裏の留め金が壊れているので、母も使わずにとっておいたのだろう。
オーストラリアで、そっくりなデザイン(葉っぱの下に木の実がいくつか下がっている)の物を見つけて驚いたことがあった。


そのほかにはパールの指輪。これにはおかしな思い出がある。

子供の頃に家族で札幌のデパートへ買い物に行き、ペットショップをのぞいた時のこと。

可愛い小猿が檻にいたので、母と私は喜んでからかっていた。そのうちに、母がはめていたパールの指輪がめずらしかったらしく、小猿がパールをぺろぺろ舐めはじめたのだ。
その様子がまた可愛らしかったのだが、今考えてみれば、相当の黴菌を舐めさせてしまったはずである。あとで病気にならなかっただろうか、と今更ながら申し訳なく思うのだが、当時はペットショップものんびりしていたのだろう。

このパールの指輪を見るたび小猿のことを一緒に思い出したものだ。
あの小猿は誰かに買われていったのだろうか。

コレクションボックスは、リビングの飾り棚に、母の写真と一緒に置いてみた。

もう一つ、懸案事項だったものは、これも母から譲り受けたパールのネックレス、愛用していたのだが切れてしまい、自分で直したのだが再度切れてしまったので、専門家に直してもらおう、と近所のジュエリーの店に持っていった。
パールにはパール専門のワイヤーがあるのだそうで、私が付け直したような、ちゃちなものではよくないらしい。
結構なお値段だったが、形見であるからやはり長く使えるようにした方がよいだろう。

名前と住所を言うと、書いていた店員さんが「えっ!」とびっくりする。

「何!?」

別に珍しい住所ではないのだが。

「私もここに住んでます」と店員さん。

なんと階下に住む方だった。こちらもびっくりである。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする