去年は七月に祇園祭の宵山へ行くために、新しい浴衣を買った
今年はそういった予定もなく、浴衣はしまわれたまま。
ちょっと残念。
がしかし、その浴衣ではないが、予定外に浴衣姿で夏祭りに出かけることができた
今年のお盆休みに行った山中温泉は2回目。前回も川の傍の旅館だったが、今回も川べりに露天風呂を備えた部屋のある旅館に泊まった
山中温泉には長谷部神社というところがあり、丁度夏祭りをやっているので、旅館のバスで送迎してくれるという
食事が終わった後、旅館の浴衣のままで出かけることにした
最近は旅館でもおしゃれな浴衣を用意してくれている。
今回の旅館では、桜模様の、男性は緑がかったもの、女性はピンク色、というかわいらしい浴衣だった
祭り会場に行って見ると、温泉に泊まりに来た観光客がほとんどのようで、みな旅館の浴衣姿。
ひなびた感じの夏祭りで、長谷部神社までの細い坂道に夜店が3つ4つくらい並び、途中の広場には小さなやぐらが組まれ、その向こう側のステージでは太鼓の演奏の真っ最中。
このあたりの住人で来ている方は年配が多いようである。
盆踊りが始まったが、子供達が数人混じるだけで、着物姿のリードのお姉さん達もちょっと寂しそうに踊っている。
旅館で貰った富くじでは、私に塗り箸が当たったこの地方の名産である。
(無論高価なものではない)
バスの時間までは随分あるので、同居人とぶらぶらと温泉街を歩いてみる
考えてみると、今まで温泉に泊まっても、温泉街を散策、というようなところはなかった。
大阪にくらべると湿度が低いせいか、夏の夜風はさわやかだ
夏祭り期間なので、色々な店が遅くまで開いているようだ。
漆塗り製品の店、小さな屋台、こま回しの名人おじさん、そんな物を眺めながら歩く
同居人がちょっと酔っているので、閉められた店の前にあるベンチに腰掛けると、側に座ったおばあさんが話しかけてきた。
「昔はな、あそこまで店があったの。今では歩道作ったからここまでになったけど…私の家ね、幼稚園のとき大火事がここであって、みんな長谷部神社まで逃げたの、覚えてるわ」
「そうですか、怖かったでしょうね」
「私子供のときはな、あそこまで店があったの。でもな、大火事で焼けて、私幼稚園で…」
えんえんと同じ話が続く
ちょっとお付き合いをしてから、バスに再び乗り込み、旅館へ戻った。
ほんの一時間だったけれど、いかにもお祭りらしいお祭りの雰囲気と、温泉街ののんびりした、解放的な味わいも楽しむことが出来た
故郷のまちのお祭りは9月だったのに、考えてみれば浴衣で行っていたな、と思い出す。北海道とはいえ、9月半ばではまだ寒くもなかった。
もちろん神社のお祭りだったのだろうけれど、どちらかといえば、百はありそうな夜店が主だった
食べ物は皆美味しそうに見えたものだけれど、めったに食べることはなかった
それでも、口を真っ赤にして怒られたりんご飴、ふわふわの綿飴、さまざまな形のべっこう飴などはよく覚えている
大阪に来たのは夏だったので、ある時、同居人の職場から家まで歩いて戻る途中でお祭りに出くわしたことがある
職場からそう遠くないところ、10ばかり夜店が並んでいる。小さいお祭りのようだ。夜店を見ながら歩いていくと、行き止まりはなんと墓地だった
ただの墓地ではない。
墓地いちめん、ちょうちんがぶら下げられ、あかあかとライトもついている。
墓地は一段高くなっているのだが、なんとそこはステージにされ、カラオケセットがおかれ、いままさに一人のおっちゃんがお墓にお尻を向けて、テレビ画面を見ながら、カラオケを歌っているのだ!
ご先祖様がみんな起きてしまいそうである
「…お墓でカラオケしてたね」
「…にぎやかだったな」
後から同居人が会社の人たちにその話をしたらしい。
「あれって、新庄墓祭りだって」
「墓祭りだあ??」
随分不謹慎だと思ったものだが、お墓のお祭りだったとは。
道理でハデにお墓を飾っていたわけだ
北海道では、墓地はお寺の横、あるいは○○霊園、という風になっているが、ここ関西では、ちょっとしたところにぽこっと小さな墓地がある。住宅街の、家と家の間に、とか畑の中に、である
初めはそれが珍しかったものだ。
しかしこれだけ身近にあれば「墓祭り」も不思議ではないかもしれない。
今年はそういった予定もなく、浴衣はしまわれたまま。
ちょっと残念。
がしかし、その浴衣ではないが、予定外に浴衣姿で夏祭りに出かけることができた
今年のお盆休みに行った山中温泉は2回目。前回も川の傍の旅館だったが、今回も川べりに露天風呂を備えた部屋のある旅館に泊まった
山中温泉には長谷部神社というところがあり、丁度夏祭りをやっているので、旅館のバスで送迎してくれるという
食事が終わった後、旅館の浴衣のままで出かけることにした
最近は旅館でもおしゃれな浴衣を用意してくれている。
今回の旅館では、桜模様の、男性は緑がかったもの、女性はピンク色、というかわいらしい浴衣だった
祭り会場に行って見ると、温泉に泊まりに来た観光客がほとんどのようで、みな旅館の浴衣姿。
ひなびた感じの夏祭りで、長谷部神社までの細い坂道に夜店が3つ4つくらい並び、途中の広場には小さなやぐらが組まれ、その向こう側のステージでは太鼓の演奏の真っ最中。
このあたりの住人で来ている方は年配が多いようである。
盆踊りが始まったが、子供達が数人混じるだけで、着物姿のリードのお姉さん達もちょっと寂しそうに踊っている。
旅館で貰った富くじでは、私に塗り箸が当たったこの地方の名産である。
(無論高価なものではない)
バスの時間までは随分あるので、同居人とぶらぶらと温泉街を歩いてみる
考えてみると、今まで温泉に泊まっても、温泉街を散策、というようなところはなかった。
大阪にくらべると湿度が低いせいか、夏の夜風はさわやかだ
夏祭り期間なので、色々な店が遅くまで開いているようだ。
漆塗り製品の店、小さな屋台、こま回しの名人おじさん、そんな物を眺めながら歩く
同居人がちょっと酔っているので、閉められた店の前にあるベンチに腰掛けると、側に座ったおばあさんが話しかけてきた。
「昔はな、あそこまで店があったの。今では歩道作ったからここまでになったけど…私の家ね、幼稚園のとき大火事がここであって、みんな長谷部神社まで逃げたの、覚えてるわ」
「そうですか、怖かったでしょうね」
「私子供のときはな、あそこまで店があったの。でもな、大火事で焼けて、私幼稚園で…」
えんえんと同じ話が続く
ちょっとお付き合いをしてから、バスに再び乗り込み、旅館へ戻った。
ほんの一時間だったけれど、いかにもお祭りらしいお祭りの雰囲気と、温泉街ののんびりした、解放的な味わいも楽しむことが出来た
故郷のまちのお祭りは9月だったのに、考えてみれば浴衣で行っていたな、と思い出す。北海道とはいえ、9月半ばではまだ寒くもなかった。
もちろん神社のお祭りだったのだろうけれど、どちらかといえば、百はありそうな夜店が主だった
食べ物は皆美味しそうに見えたものだけれど、めったに食べることはなかった
それでも、口を真っ赤にして怒られたりんご飴、ふわふわの綿飴、さまざまな形のべっこう飴などはよく覚えている
大阪に来たのは夏だったので、ある時、同居人の職場から家まで歩いて戻る途中でお祭りに出くわしたことがある
職場からそう遠くないところ、10ばかり夜店が並んでいる。小さいお祭りのようだ。夜店を見ながら歩いていくと、行き止まりはなんと墓地だった
ただの墓地ではない。
墓地いちめん、ちょうちんがぶら下げられ、あかあかとライトもついている。
墓地は一段高くなっているのだが、なんとそこはステージにされ、カラオケセットがおかれ、いままさに一人のおっちゃんがお墓にお尻を向けて、テレビ画面を見ながら、カラオケを歌っているのだ!
ご先祖様がみんな起きてしまいそうである
「…お墓でカラオケしてたね」
「…にぎやかだったな」
後から同居人が会社の人たちにその話をしたらしい。
「あれって、新庄墓祭りだって」
「墓祭りだあ??」
随分不謹慎だと思ったものだが、お墓のお祭りだったとは。
道理でハデにお墓を飾っていたわけだ
北海道では、墓地はお寺の横、あるいは○○霊園、という風になっているが、ここ関西では、ちょっとしたところにぽこっと小さな墓地がある。住宅街の、家と家の間に、とか畑の中に、である
初めはそれが珍しかったものだ。
しかしこれだけ身近にあれば「墓祭り」も不思議ではないかもしれない。