たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

ワンピース

2008-07-30 01:32:21 | 現実


今朝早くに見た天気予報では、6時頃から天気が崩れる、とのことだった。
お昼頃に洗濯物を干し、2時頃に気づくと風が強くなってきていた

同居人からメールが来る

「至急」と言うタイトル

何ごと?

「すぐ洗濯物を取り込んで窓を閉めて」とのメッセージ。

なんで洗濯したことを知っているのやら、と思いながら、ベランダに出てみると、北から南へと、物凄い勢いで雲が飛び去っていく。
あっという間に付近は北側から雲に覆われ始めた
南側はくっきりと晴れているのに



それから豪雨と雷がやってきた

屋内で見る雷雨は爽快なものだ
ベランダから写真を撮っている私の足元もびしょ濡れになるくらいの勢いの雨、ここ数日の暑さを、埃と一緒に流し去ってくれたようだ。
暗くなってからちょっと外に買い物に出てみると、雨はおさまり、空気も澄んで涼しく、気持ちが良い。
雨が治まったのが昼間であれば、湿度が上がって蒸し暑くなっただろうが。

普段着のワンピースも夜風に吹かれ気持ちが良い




そこで思い出した。

私はこのワンピースを20年以上毎年着ているのである

21・2歳位の時に自分で縫ったものだ。「ノンノ」に作り方が載っていた、簡単な裏地なしの夏のワンピースである。
ノースリーブで、フリーサイズ、後ろにリボンをつけてそれで調整するようになっている。
縫いしろの処理が雑だ、と洋裁上手の母に笑われたが、結構気に入って、無論その頃は外出用に着ていたのだ。

外出用にはもう向かなくなってからは、家での普段着用にずっと着ていた。
一枚もので、涼しくて締め付けないデザインがちょうど良いのだ

ふと、私はこのワンピースを着て何人の人に会ったのだろう?などと考えてしまった。大学にも着て行ったし、デートにも着て行った。買い物にも着て行った


たしかオーストラリアにも持っていったのでは?
かなり前に同居人が、「いつものチェックのワンピースを着た私」がそこに立っていて…という夢をみたと言っていたのを覚えているが、オーストラリアでのことだったように思う。
「いつもの」と言うという事は、着た姿を何度も見て、印象に残っているからだろう。

何度も洗濯を繰り返して(ひと夏10回洗ったとして20年で200回である)、色も生地自体も薄くなってはいるが、さして傷んでいるとも見えない。かえって吸水性が増して、その上乾きやすく、アイロンもいらない、という便利な服である。
大学生が買ったのだから、高い生地ではなかったのは間違いない。よく保っているものだ、と今更ながらに感心する

ここ20年の私を良く知っていてくれる、と言う気がして、愛着のある服だ。いかに古びてもなかなか捨てられるものではない。



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14回目の夏・母と写真

2008-07-22 00:55:06 | 母の記憶
大阪に引っ越してきたのは1995年の8月4日、真夏も真夏、湿度も最高、という時期だった。
これで14回目の関西の夏だ。



引越し荷物を送り、95年の8月4日にとうとう大阪に発つことになった。
金曜日だったのを覚えている。

その日の岩見沢はからっとした、北海道らしい上天気の日、母が庭の花の写真を撮り始めた。

実家の庭は夏、花だらけである。
いったい何種類の植物があるだろう?
薔薇、クレマチス、ペチュニア…北海道では、紫陽花と薔薇とコスモス、春と夏と秋の花が一緒に咲いたりするので、夏は美しい。

母は花の中に私を立たせて写真を撮った。

庭の写真ついでかと思っていたのだが、後から考えると、その日家を去る私の写真を撮るつもりだったのかもしれない。
何度も家を出てはあちこちに行ってしまう娘だから、慣れてはいただろう、それほど感慨のある様子もなく見送ってくれたが、やはり記念に、と思ったのもあるのかもしれない。

こちらに来てから送った私の写真を、居間に飾っているのを帰省したとき見てびっくりしたこともある。私の背後の、奈良の長谷寺の牡丹を見せるつもりで送ったのだが。

入院中も、病室の壁に私の写真が貼ってあった。
学校で生徒さんと写したものだが、父の話ではとても気に入ったらしく、私の部分だけ切り抜いて、無造作にセロテープで貼ってあった。
大きく引き伸ばした写真だったので、目立っていて、よく看護師さんたちに「これ誰?」と聞かれていたそうだ。

母が亡くなって、その写真も片付けて持って帰ってきたはずだが、どこに行ってしまったのだろう?荷物の中にも見当たらなかったように思う。

もしかしたら亡くなったときに、母が一緒に持っていってしまったのだろうか?などと考えることもあるのである。



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シドニーの食べもの

2008-07-07 22:41:55 | オーストラリアの記憶
〆日前後の2週間、結構な忙しさの日が続いたこともあり、やっとお休み、となった土曜日はひさしぶりに近所の居酒屋へ晩御飯を食べに行くことにした

出来てまもない居酒屋だが、「かくれ家」とか言う名で、うっかりすると天井に頭をぶつけたり、段から足を踏み外しかねない造りだ
メニューを見ると、チェーン店で札幌にもあるようなので驚いた。
名前は聞いたこともなかったのだ。

席も「かくれた」風に作ってあり、私と同居人が案内された席も穴倉のようだったが、2人で来るのなら落ち着いていいかもしれない、と話し合った

何を食べている最中だったか、おそらくタイ風の味付けのしてある料理があったせいか、シドニーの食べ物の話になった

様々な人種の人々が暮らしているせいか、ありとあらゆる食べ物を食べた気がする
よく食べたのは、タイ料理、韓国料理。これはタイ人、韓国人の友人がいたせいである。
職場全体でよく行ったのは、オーナーが好きだったので中華。
また、職場の人たち、それに同居人も、あれこれ試すのが好きで、なにかしら新しい食べ物に挑戦しに行ったものだ


ざっと思い出しただけで、タイ、インドネシア、ベトナム、中国、韓国、ロシア、イタリア、スペイン、トルコ、メキシコ、フランス、ギリシャ...位は出てくる。
あそこはよかった、いまいちだった、と食べ物の事はよく覚えているものだ

私がお気に入りだったのは、ギリシャ風のレストランで、炭火で魚介類を焼いて食べさせる店だった
新鮮なスカンピ海老やイカ、バラマンディという魚、あれこれ注文しても一人二千円もかからずにおなか一杯食べられた。
日本人と見ると、何も言わなくても、あの昔ながらの流線形の「キッコーマン」醤油の瓶を持ってきてくれたりもした


オーストラリア料理、というのは…オージー自身が「ナイ」という位であるから、特別な食べ物は思い当たらない。
ミートパイ、フィッシュ&チップス、ラムチョップといったところだろうが、これはイギリスから来たものと考えてよいだろう。
所詮アングロサクソン系の人々は味音痴で、新しい食べ物を開拓するようにはできていないようだ

このなかでは、フィッシュ&チップスがよく食べたものにはいる。
紙袋にどさっと入った太い、油ぎとぎとのチップス、コロモの厚い白身魚、今食べたら、胃もたれか胸焼けでその後なにも食べられなくなるだろうが、当時はお手軽なランチだった。

ゲイの多い、つまり「おしゃれ」な郊外、パディントンに、フィッシュ&チップスが美味しいパブがある、というので食べに行ったことがあるが、やはり、皿にきれいに盛られているのより、紙袋に入っているほうが感じが出るものだ、と思った記憶がある

「俺、ブルーマウンテンに一人で行って、泊まって、晩御飯にフィッシュ&チップス食べたことある」と同居人が言う。

普通、ブルーマウンテンはシドニーからなら日帰りで景色を見にいくような場所である

「いや、一人でどこかのホテルに泊まった
どこも食べ物屋が空いてなくて、唯一あったのがフィッシュ&チップスだったんだ。持ってかえって部屋で食べた。
新聞紙に包んであったから、すごいと思ったの覚えてる」

「なんでまたブルーマウンテンで泊まったの?」

「覚えてない…シドニーに行ったばかりの頃だった。だとしたらブルーマウンテン2回行ってるんだなぁ…もしかしてブルーマウンテンじゃなかったのかなぁ…

確かに私はそういう話を聞いたことがなかったから、私がシドニーに行く前のことかもしれない。同居人は私より4ヶ月ほど前にはもうシドニーにいたのだ。

家に帰ってから、同居人のアルバムを見てみたが、ブルーマウンテンの写真は、妹やホームステイ先の子と写っているものだけである。
その時ではないのだそうで、それに一人で行ったなら写真は撮らないかもしれない

もう18年も前のことである。記憶が定かでなくても不思議はないだろう。

食べ物の記憶は意外に残る、というが…フィッシュ&チップスが記憶の一部を運んできたらしい


なんだか、油っこい、マックのと違う、柔らかく太目のチップスがなつかしく、また食べてみたくなった。


写真のレストランはタイ料理の店、たまたま横道に入って見つけたのが当たりで、同居人とよく食べに行ったところである。これは1993年のクリスマスイブの写真だ。

ここでの最高のメニューは"Jumping Prawn"という名の、海老のカルパッチョのようなものだった。確かに飛び上がるくらい辛いのだが、バジルなどのハーブが使われていて、タイ料理らしくさっぱりとして美味しいメニューだった。

あれほど辛いタイ料理はずっと食べていないから、今では辛さに負けてしまうかもしれない。
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