たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

インフルエンザ

2016-01-29 00:44:44 | 夢と現実



同居人がインフルエンザにかかり月曜からずっと家にいる。
人生初インフルエンザだそう。


私は18年位前かかったのが初。その頃はタミフルもなく、また感染についてもあまり知識が普及しておらず「インフルエンザは熱がすぐは下がらないから、2日休んでいいですよ」とマネージャーに言われて、3日目まだ微熱ある状態で仕事に行った。
ひどい風邪位の認識だった。隔世の感あり。
きっと生徒さんにうつしただろうなあ。

2回目は10年前。このブログ始めてすぐだ。「頭痛がずっと続いて」等と書いている。
ずっと体調が戻らず同居人の誕生日に満足のいく料理が出来なかったとも。
その時は職場で3人かかり大変だった。

このいずれの時も同居人にはうつしていない。
2回目の時は、4日は人にうつすから外にでるな、と言うルールが世の中に出来ていたので、うつさないよう家でも「隔離政策」、しかし1回目は何も。
同居人は丈夫なのである。

今回も、土曜日から熱があったようなのだが、普段熱など出さないので具合が悪いのが自分でわからなかったらしい。
日曜になって

「どうも調子悪い。風邪かも」

「ほんと?熱測ってみよう」

...38度5分。

「よくこれで、お風呂入ったりイカスミパスタ食べてたね...」

そう、割合元気にしてたのである。

私なら、そんなに熱あったら動けないんだけど...食欲もなくなるし。

病院でインフルエンザ確定、今度は同居人の会社で3人くらい出ているようだ。

よって「隔離政策」私は別室に布団敷いて寝ている。
暖房ないので毛布が着ぐるみになったようなのを寝袋風に。結構暖かい。

何時もと違う寝方のせいか、準備が整ってないのに漫才をする事になり舞台袖で緊張している夢を見た。

その上寝坊...


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写経

2016-01-25 21:53:55 | 現実
「筆と墨を買ってご朱印を書く」

と同居人が言う。

「…文字はともかく朱印はどうするの?」
「スタンプの赤いのを買ってきて…」
「消しゴム印?」

とあほな事を。

私がお寺でご朱印をもらっていると、書いている人をいつもじっくり眺め、「やっぱり有名なお寺の人はうまいよなあ」と感心していたのだが、それを見て格好いいなあ、と思い、筆文字を書いてみたくなったらしい。

ご朱印はともかくお習字はたまにいいだろう。

お正月休みにハンズに行く機会があったため、文房具の所を見てみる。

「あ、写経セットがあるよ」

トレースする般若心経を書いた紙、筆、小さな硯と墨、というセットだ。

「久しぶりに写経しようか」

もう一つ筆、下敷きも二つ買う。後で気づいて書道用の文鎮、それをまとめて入れる硯箱もアマゾンでゲット。

日曜日の午後に写経タイムとなった。





同居人はYouTubeで「般若心経10回 練習、瞑想などに」と言うのを見つけてきてかける。

声明風の大勢の声の般若心経の流れる中、筆を進める。

…字が読めない…崩しててわからない…のがある…

「草冠が変だ」

「これ、なんて字だ?」と同居人も呟く。

わかんなくてもいいのかな…とりあえずなぞれれば…それでも、写経のために座り、心落ち着けて筆を進めているのだし…
きっと、昔の人が写経して納経した時も、わからない言葉や字があった人もいたに違いない。

初めて写経したのは苔寺、西芳寺だった。調べてみると、1999年つまり17年も前の事だ。

苔寺は参拝にも予約が必要なのでずいぶん前から計画をしていったはず。その時も字がわからない!とか思った記憶はないのだがきっと同じだったろう。

物凄い大雨の日の翌日で、苔がみずみずしく、と言うより苔から水が噴き出している、と言う状態、お蔭で活き活きした苔が見られたのをよく覚えている。



先に書き終わった同居人は、別の紙に縦横にやたらと線を書いている。

「まっすぐな線が書けないんだ」

見ると、確かに横一直線、縦の線などがくねくねしているところがある。「不」の横棒とか。

そうか!

書き方が全然違うのだ。

私は子供の頃書道を数年やっていたので、とめ、はね、を自然にやってしまうが、同居人はペンと同じようにずっと同じ筆圧で書いている。
ならばまっすぐの線を書くのは難しい。
止めてから一気に引かないとふらふらしてしまう。

よく、一回泳げるようになったらしばらく泳いでなくても出来る、と言うけれど、書道もそうなんだなあ、と実感。書道教室に通っていたのは小学校中学年位までの数年のみ、つまり45年は経っている事になる。
それでも手は(脳は、だろうが)覚えているのだ。

さて、次回はどの位きれいに書けるかな。

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飛鳥寺・岡寺・うってかわってお初天神

2016-01-25 16:46:53 | 御朱印帳
一月、寒い時期だが年始、神社仏閣への参拝にはよい時期。

1月2日か3日には、どこかに初詣によく行くのだが、今年はどこに行こうかと同居人と相談、ドライブがてら奈良に向かう事に。

同居人は混雑が嫌い。それなら、京都のお寺は初詣の人々でいっぱいであろうから避け、奈良の田舎へ行く方がよいだろう。


確か友人のオーストラリア人の旦那様のご両親が奈良観光に来られ、一緒に付いて回った時に行ったかも・・・と記憶の定かでない(なにしろ20年前の話だ)飛鳥寺を目指す。

飛鳥大仏を見たかったのだ。

右から見る顔は厳しく、正面から見ると、真正面ではなく、聖徳太子ゆかりの橘寺の方角を見ていられるとか?そして左からのお顔はちょっと優しい、と説明を受ける。









写真OKなのか…

東大寺の盧舎那大仏も写真OKである。鎌倉の大仏様も撮っていいようだ。 大仏様はいいのか?

「昔の仏様の顔だな」

「法隆寺の観音様も細長いもんね」

思った通り参拝客は少ない。

お寺の傍の土産店で、葛粉と「蘇やねん橿原」というとんでもない名前のお菓子を買う。古代のチーズ「蘇」をちょと入れているようだが食べた感じはチーズケーキ。それにしてもこれ、橿原神宮御用達…でこの名前…

次は岡寺へ。

山の中へどんどん行っちゃうんじゃ?というような所を上がると駐車場が。

お寺はさらに上がるようだ。破魔矢もっておりてくる人がいる。




「結構、賑やかだね」
「意外だな」
「あ、西国七番なんだ」

山中に突然結構な伽藍が登場。「厄除け」の赤い幟がたくさん。私もご朱印と厄除け(寝室の頭の辺りの壁につけるように言われる)頂く。





さらに登ると、洞窟の観音様。




さらに登るとなかなかよい景色。奈良は高い建物がないから、広々見渡せる。あれは、甘樫の丘かな?見下ろすと本堂が。





さて、神社への初詣は少し遅れて先週。





梅田にいったついでに、お初天神(露天神社)に参拝。ここは何度も通っているし見に行ったこともあるが、「何度も通った」のはなぜかと言うと飲み屋さんが立ち並ぶアーケードの中にあるからだ。実は、1300年の歴史を持つ社なのである! しかしあまり「参拝」という神々しい雰囲気はないのだ。すぐ横にお初天神ビル、というのがあり居酒屋なんかが入ってるし。ビルの谷間にあるし。


ここはまた、近松門左衛門の「曽根崎心中」縁の地でもあるので、ちゃんとお初と徳兵衛の像がある。



ん?桜が?造花? 不断桜?

電飾、でした。

なんか、クリスマスツリーみたいだな…





















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真田丸跡

2016-01-12 23:27:09 | 現実
1年前から楽しみにしていた大河「真田丸」、1回目は面白かった。
待った甲斐があったと言うものだ。三谷幸喜は好きだけれど大河ではどうか、不安と期待の入り交じり。見てないけど「新撰組!」はちょっと「違った」と言うし、映画「清洲会議」はイマイチだったため。

大河の初めの方はあまり、面白くない事が多い。時代設定、状況設定で説明的になるし、主人公の親から始まってササッと進むので。

「真田丸」も無論、父の真田昌幸の活躍からだが1回目から幸村が子役ではないのが良かった。草刈正雄演じる真田昌幸 、曲者で面白い!


通っているネイルサロンのある京橋から真田山公園はそう遠くない。電車で7、8分と言う所、終わってから行ってみる。

ちょっと小高くなった真田山公園は、ビルに囲まれている。大阪城は見えない。
ここにある三光神社には幸村像、その足元に大阪城に続くと言う「真田の抜穴」がある。
後から作ったものだと言うので繋がってはいないんだろうけど、つい「プリンセス・トヨトミ」を思い出してしまった。










昨日放映されたばかりでもあり、訪れる人たちも少なくない。ご朱印も頂いて記念にお守りも、と思ったら六連銭模様入りお守り売り切れ。やっぱり大河の影響かな。

真田幸村のお墓があるお寺まで行ってみる。

公園内を歩いていくと、お墓がびっしり並んでいる。
みな戦没者のものだ。
街中なのに静かで、お墓が芝生にずっと並んでいるさまは、外国映画をふと思わせる情景。





心眼寺はごく普通のお寺、観光寺ではないので、幸村の墓を見られるのみ。










祭日でもあり、やはり、次々と家族連れ、カップルもやって来る。今年はこのあたり、人通りが増えるんだろうな。
次は以前にも行った、幸村終焉の地、安居神社かな。
猫が沢山いたけれど。
座った幸村像のお尻のとこに猫が寝ていたのが妙に印象に残ったものの、だれもいない静かな所だった。今年は大々的に六連銭の真っ赤な旗が翻っているかも。
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第二十八番壬生寺中院・第二十四番長圓寺

2016-01-10 17:14:19 | 洛陽三十三所観音巡礼
一年の仕事がとりあえず終わり、さ、お休みの間にどこにお詣りに?花は、何かいいのが撮れるかな…


この季節であれば、千両万両、南天、山茶花、等の写真が撮れるが…とお気に入りのサイト「sodakyoto」を覗いてみると、私の好きな法金剛院で千両、万両が盛りとある。

法金剛院は桜、蓮がきれいなお寺でその時期は人でいっぱいだが、冬ならそれはないだろう。ならば、その近くの洛陽三十三所、壬生寺、長圓寺はまだご朱印貰っていないから一緒に参拝しようか。







長圓寺は一条天皇の時代、と言うから紫式部や清少納言が活躍したころか、疱瘡が流行ったので観音像を宮中に備えて祈願法要を行った、その聖観音像が祀られているという事、厄除けの観音様だ。

建物自体は昭和のものが多いのできれい。もう蝋梅が咲いていた!早いなあ。



有名なお寺と言うのではないので、参拝は私だけ。しかも、観音堂の中にもだれ~もいない。ここから観音様抱えて逃げる人いないのか? 

社務所に行くと、「丁寧にお詣りして頂いてありがとうございます」と言われる。見てたの?  そうよね、監視カメラはあるに決まってる。

愛想良い対応で、あめちゃんまで下さった。ちょっと、珍しい。


ここから壬生寺へ。壬生狂言でよく知られているが行ったことはなかった。一度見てみたいとは思っているが…





パゴタを模したともいう仏塔には、千体の仏像が祀られているのだとか。

洛陽三十三所の十一面観音は中院にあるということ、中院といってもとても小さなお堂だ。




壬生寺はそこまで境内が広いという訳ではないが、盛りだくさん。

本尊は延命地蔵菩薩だけれど、その他に水掛地蔵、弁天様、歯薬師如来なども。 

一夜天神、には菅原道真が左遷され流される前に親戚の人に会った、という由来があり、「遠くにいる家族親戚の無事を祈る」ものなのだそうだ。

いやいや、色んな神様仏様がおられるものだ。いろいろな心配事がみな、あるのだという事だけれど。

お守りも売られている。入っている小さな紙に願い事を書いて持っているようにするのだそうで、私も父の事を書いてバッグに入れることにした。

ここにはまた、「壬生塚」という場所があり、新撰組ファンの聖地のひとつだろう。近藤勇の胸像の横には絵馬が飾ってあるのだが、どれもアニメ風の新撰組の人々が描かれてぶら下がっている。それもみな、結構上手な絵なのでびっくりする。




さて、法金剛院。

予想通り、だれ~もいない。そういう時に良くあるように、庭師の方々が入っている。お掃除の方も。

ここにある面白い物のひとつがこれ、「仏手柑」。柑橘なのだけれど、形が仏様の手のようだと言うのでこういう名前で呼ばれているらしい。

確かにそんな風だが、「ブッシュカン」と言うとなんだか音の響きは外国語風にクールである。




そして入り口近くにある「実葛」。水に浸して出てくるねろねろ~を整髪料にしたというもの。実だけ見るとなかなか美味しそうにも見える。







誰もいないお寺でゆっくり、のんびりと座って…と言うのもいいのだが、実は冬はそれがやりにくい。

とりあえず、寒いのだ!

暖冬とはいえ、お寺には通常、暖房はない。事務所あたりにたまにストーブ置いてある事があるが、火の気は基本、禁物だろう。

その上板の間。足からも寒気が上がってくる。 冬のお寺巡りの時には、外を長い事歩いたりするのでヒートテックのソックスを履いて行くが、これも靴があってのものなんで…

退散。





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