春もそろそろ大阪では終わりなので今日はこの本。
これまでに読んだ本の中には、「これを読んでいなかったら後悔しただろうな」と思ったものがいくつもある。
この「プラハの春」もそう。
いや、考えてみたら読まなかったら知らないんだから別に後悔はしないのか…。
なんでこれを本屋さん(いつも大混雑、阪急梅田駅下の紀伊国屋でだった)で選んだのか、全く覚えていない。裏の説明を見て面白そうだと思ったとか、そんなところだとは思うけれど。
これを読むとチェコに行ってみたくなるものだが、最近、入学された生徒さんで本当に、これを読んでプラハに行った人がいた。
主人公が歩き回るプラハの街並み、プラハ城、そしてレストランの食事、どれも魅力的に思えるのだ。
春江一也さん、ちょっとナルシーな書き方だけれど、一瞬の春と一瞬の恋、実にドラマチックでよかった。続編の「ベルリンの秋」もまあまあだけれどやはり、「春」がよい。
割と最近に「ウィーンの冬」というのも出たが、これは読まないほうがよかった、というか春江さん、書かないほうがよかったよ、と言いたい。
ウチの同居人も読書好き。しかし私と読むものの好みは違う。たま~に合う事もあるのだが、この「プラハの春」もその一つ。
(しかし彼が読むと、本がぼろぼろになるので困りもの。これも少々傷んでいるのが写真でもわかる)
同居人には小説の良しあしの判断基準があって、それは「食べ物がおいしそうに書かれていたら良い小説」なのだそうだ。料理好きでご馳走好きの彼が言いそうなことだが。
この本を読んだ後はしきりに「シュニッツェルを作ろう!」と言っていたものだ。
「プラハの春」は宝塚の舞台にもなった。
9年前のこと。母が亡くなるおよそ10か月前のことだが、北海道から大阪に遊びに来た際に二人で宝塚まで観に行った。
このブログの母の記憶にも書いたことがあるが、トップスターさん、香寿たつきさんが北海道出身、宝塚では珍しかった。母は初めての宝塚観劇だったのでその舞台を観られることをとても喜んでいたものだ。
小説の中でもスメタナの「モルダウ」を聴く場面が出てくるが、むろん舞台ではふんだんに使われていて、クラシック好きの母にはそれもよかったようだ。
これまでに読んだ本の中には、「これを読んでいなかったら後悔しただろうな」と思ったものがいくつもある。
この「プラハの春」もそう。
いや、考えてみたら読まなかったら知らないんだから別に後悔はしないのか…。
なんでこれを本屋さん(いつも大混雑、阪急梅田駅下の紀伊国屋でだった)で選んだのか、全く覚えていない。裏の説明を見て面白そうだと思ったとか、そんなところだとは思うけれど。
これを読むとチェコに行ってみたくなるものだが、最近、入学された生徒さんで本当に、これを読んでプラハに行った人がいた。
主人公が歩き回るプラハの街並み、プラハ城、そしてレストランの食事、どれも魅力的に思えるのだ。
春江一也さん、ちょっとナルシーな書き方だけれど、一瞬の春と一瞬の恋、実にドラマチックでよかった。続編の「ベルリンの秋」もまあまあだけれどやはり、「春」がよい。
割と最近に「ウィーンの冬」というのも出たが、これは読まないほうがよかった、というか春江さん、書かないほうがよかったよ、と言いたい。
ウチの同居人も読書好き。しかし私と読むものの好みは違う。たま~に合う事もあるのだが、この「プラハの春」もその一つ。
(しかし彼が読むと、本がぼろぼろになるので困りもの。これも少々傷んでいるのが写真でもわかる)
同居人には小説の良しあしの判断基準があって、それは「食べ物がおいしそうに書かれていたら良い小説」なのだそうだ。料理好きでご馳走好きの彼が言いそうなことだが。
この本を読んだ後はしきりに「シュニッツェルを作ろう!」と言っていたものだ。
「プラハの春」は宝塚の舞台にもなった。
9年前のこと。母が亡くなるおよそ10か月前のことだが、北海道から大阪に遊びに来た際に二人で宝塚まで観に行った。
このブログの母の記憶にも書いたことがあるが、トップスターさん、香寿たつきさんが北海道出身、宝塚では珍しかった。母は初めての宝塚観劇だったのでその舞台を観られることをとても喜んでいたものだ。
小説の中でもスメタナの「モルダウ」を聴く場面が出てくるが、むろん舞台ではふんだんに使われていて、クラシック好きの母にはそれもよかったようだ。