たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

満願の日 第二十三番・東寺

2016-03-28 18:58:53 | 洛陽三十三所観音巡礼
同居人に車を出してもらい、3月末と言うのに寒い中、東寺へ向かった。

同居人は昔、月一で京都での会議があり、会議のあるホテルが京都駅近くだったためしょっちゅう東寺の傍を車で通っていた。しかし、入ったことはなかったそう。

「五重塔を外から見るだけだったな」

東寺の五重塔はさすが日本最大だけあって、色々な所から見えるのだが。




講堂の立体曼荼羅は迫力だ。大日如来を囲む数々の菩薩、明王たち仏像。国宝ぞろいである。

「正面斜め上位から見れたらもっと面白いかもね」

後ろの仏像は見えにくいのだ。


さて、洛陽三十三所巡礼のトリは東寺となった。

トリ候補は三十三間堂、清水寺、また三十三番清和院、などがあったことはあったのだ。

実は4年前に東寺には一人で来ていたのだが、その日から3週間ばかり、気分の悪い日が3週間も続いて大変な思いをしたため、東寺→その後具合悪くなった、というイメージがついてしまっていた。

別に東寺には責任はないのだが。

それを払拭するため、ラストに持ってくることにしたというのも、実はあり。〆には同居人を連れて行きたかった、というのもあり。さらに言えば、新しいお寺用のご朱印帳、東寺のが良さそうだったから買おうと思っていたのもあり。





東寺の境内のはし、食堂に十一面観音様がおられる。カラフルな観音様だ。

隅の一角で写経している方たちもいる、さすが弘法大師さまのお寺、お遍路さんの巡礼用の笈摺、白衣も売っている。ご朱印所も長い列が。結構、賑やかである。

同居人と一緒にお詣りして、ラストのご朱印と、満願証を頂く。かっこいい!






始めたのは一番札所、六角堂、去年の4月だったから、ちょうど1年で満願。三十三回、同じお願い事をするというのもなかなかない事。

この巡礼がなければ一生訪ねなかっただろうお寺もあり、面白い経験でもあった。

観音様たち、ありがとうございました。

蓮をかたどった可愛らしいろうそくを水に浮かべて、食堂をあとにした。











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第三十番・椿寺地蔵院

2016-03-14 23:00:07 | 洛陽三十三所観音巡礼
さあ、咲き具合、散り具合はどうかな?

覗いてみると…





満開!

よし!


洛陽三十三所第三十番札所、椿寺地蔵院。 この季節を待っていた。 

巡礼を始めたのは去年4月初め、その頃行っても良かったはずだが、なんとなく、三十番を初めに持ってくるのも?と思い。


つい最近ここのお寺がFacebookのページ持っているのを知り、開花状況を見ることが出来るようになっていた。

「散り椿開花してしまいました。二月の開花は例がないそうです」というようなコメントを見てちょっと焦っていた。三月後半が満開なのだが今年はいったい満開はいつになるかわからない、という事も書いてあり。

ちょうど良い時期と休みの日が合えばいいが…まあ、桜ほど急に散らないだろうし。

良かった、ホントにちょうど良い咲き具合散り具合。













この椿は、太閤秀吉が「北野の大茶会」の時、この場所を使った事から献木したものだとか。北野天満宮はすぐ北側にあるのだ。

残念ながら私が見た木は秀吉の献木したものの二世だそう。それにしても見事な大木、これで樹齢120年だとか。一世は樹齢400年、昭和58年に枯れたという事、大学生の頃に来ていたら一世が見られたのか。








行基創建のこのお寺の十一面観音菩薩さまで、私の洛陽三十三所巡礼、32番目。 結局ラスト、33番目は東寺の観音さまに決定!










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第十番~十四番清水寺・第九番青龍寺

2016-02-15 20:58:31 | 洛陽三十三所観音巡礼
「なんか暑いような気がするんだけど」「暑いですよね?」と職場で不思議がった土曜日。

後で聞いたら5月位の気温だったとか。それで冬の服装なんだから暑いに決まっている。

天気予報では「来週は冬の寒さに戻りますので、体調管理に気をつけましょう」とのこと。


はい、確かに今日、月曜日は寒かった。けれど違うのは日差し。空気は冷たいけれど、日差しは確実に春を思わせる強さに変わっている。もう冬の寒さ、とは言い難い。


清水寺は、正直な所それ程、普通に行ってもあまり感動はしない。もう何度も行ったからだ。去年の夏の様に、内陣に入って千日詣りする、というのならちょっと違うけれど。

洛陽三十三所では、ここの5つのお堂を回る事になっており、行った人のブログを読んだところ、三十三所のご朱印は、本堂のご朱印所でいっぺんにもらうのだという事だった。

そもそも、5つのお堂って???そんなにあったの?「寺」ってなってるとこもあるけど…舞台の所が本堂だけれど、その他は今一つわからない。


清水寺には祇園四条駅から行くルートと五条駅から行くルートがある。どっちにせよ20分以上歩く。私は五条坂の混雑を避けて、南側の大谷廟の無数のお墓の横を通る道が好き。
まずここを通って清水寺に行く人はいないので、静かなのだ。
お山にびっしり、それこそ「生えている」ようなお墓群はまったく、怖い感じはしないし。

あれ?

「土砂崩れで通行止めになっています。ここから清水寺には行けません」

???土砂崩れするようなとこ、あった??左はお墓群、右は小さいお寺やなんかがあるだけだと思ったけど…

しかたない、茶碗坂を登る。




観光客がまず最初の記念写真をよく撮っている仁王門のすぐわきに、清水寺善光寺堂がある。いやいや、こんなに小さなお堂、今まで全然気づかなかったわ…みんな仁王門の方しか見てないもんね。

覗いてみると、明るくて如意輪観音様がよく見える。かわいらしい!!如意輪観音って、座っていてポーズがリラックスしていていい感じなのだけれど、この観音様は顔がカワイイ!

ちょっと、阿部サダヲさんに似ている。





次は朝倉堂だが、残念ながら工事中で参拝できない。名前の通り、越前の朝倉家が寄進したものだそう。


さて、本堂。入る手前に梅が。






左右の腕を頭上に高く挙げて化仏(けぶつ)を戴くお姿は清水寺独自のもので、 「清水型観音」と呼ばれています。

だが、秘仏なのでお厨子に入っていて、ちらと見えるのは「御前立仏像」なのだそうだ。33年に一回しか御開帳しないそう。

ろうそくをつけてお詣り。それほど沢山のろうそくは上がっていない。
みな、舞台の方に行ってしまうので案外、本堂に上がる人は少ないのだ。おかげで大混雑の清水寺とは思えぬほど落ち着いてお詣りさせてもらった。

奥の院も残念ながら工事中。運慶快慶作の千手観音像がご本尊だそう、工事が終わったらじっくり見に来よう。


西山の方は雪かな?





もう一か所、子安の塔の傍にある泰産寺に行く前に、ご朱印所がある。

先ほどのブログにも、「本来なら全部お詣りしてからご朱印所だろうけれど、場所的にちょっと非現実的」と書いてあったとおりで、泰産寺に行ったら出口の方が近くて、戻るのは結構大変。清水寺は広いのだ。

よってご朱印は頂いておく。

「参拝できない所があっても頂けるんですよね?」
「はい、参拝はできないんですが…いいですか?」と逆に言われる。

そりゃ、普通、参拝記念にもらうものだからなあ。
しかも三十三所「巡礼」なんだから巡礼しないでもらうのは本末転倒というものだろうが、工事中とあってはしかたない。傍まで来てるからいいだろう。気持ちは入っているのだ!

同居人がいつも言うとおり、これだけの有名なお寺、さすがの書体で書いて下さる。5か所分書いて頂くのでずいぶん時間がかかる。全部「大悲閣」なのが残念と言えば残念?ちょっと違うのあってもよさそうだけど。

並み居る中国人観光客の間をすり抜け子安の塔へ。




ああ~こんなところにお堂があったんだ。泰産寺…寺?寺なんてあったか?と思っていたのだが。やっぱり、子安の塔の方に気がいってしまうので全く気付かない小さなお堂。
塔の中には、小観音を胎内にやどす千手観音様が祀ってあるのだそう。もともとは聖武天皇と光明皇后が祈願され、安産されたので建てられたという縁起があるそう。
聖武天皇って…またずいぶんと古い歴史があるものだ。

ちょっと小腹がすいたので、大好きなぜんざいでも頂こうとお休み処へ。

入ったら「One?」とお店の女の子が人差し指出して聞いてくる。「一人ですか?」と言いたいのだろう。笑って「日本人ですよ」と言うと「すみませんお好きな席へどうぞ」

そうよね…今日は8割がた中国人観光客だもんね…春節恐るべし。


清水から坂を下って高台寺方面へ。

青龍寺は第九番札所。以前から何度か表を通っているが、清水寺と一緒に、と思って行っていなかった。また、門も閉まっている小さなお寺、ちょっと行ってみる、にはハードル高そうだったので…インターホンで開けて頂く形式だし。



実際普通のお家くらいの広さだが、可愛らしい梅の木が庭の真ん中に。

春告花だね。








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第二十九番福勝寺・第三十三番清和院

2016-02-01 19:52:50 | 洛陽三十三所観音巡礼
洛陽三十三所観音巡礼を始めたのは去年4月初め、桜の頃だった。

今日は第三十三番札所、清和院へ行ったのだが、満願では、まだない。

ところどころまとめて行ったりしているので、順不同。 あと、8か所である。

さて、トリは東寺か、清水寺か。清水寺には5か所、第十番から第十四番までの札所が固まっているのでいっぺんに同じところで書いて頂く事になるのだそうだ。それより一か所で「ラスト!」ってなる方がいいかなあ。


さて、今日の二つのお寺。住宅街の中にあるようで、あまりフォトジェニックではなさそうなので、この時期にした。庭や花、紅葉が有名な所ならなるべくその、一番良い時期に行く事に決めてまわっており、あまり植物系が期待できないところは真夏や冬、と考えていたのだ。

清和院はアクセスが難しかった。google map無かったら絶対迷っていた。バス停から言われたとおりの道をたどって…いるはずなのだが何しろ目印がない。家ばかりで、たまに仁丹印の住所板(↓↓たとえばこういうの…今日行った場所ではないが)で確認が出来る位。



しかしこの仁丹の住所板、京都ではあちこちにあるけど味があるよなあ…

くねくねと細い道をたどってやっとたどり着く。

清和院、というと…藤原高子が女御だったよね? と言う事は在原業平のライバルか。いや、「むかしおとこありけり」のひとはライバルなんかとは思ってなかったかもね。



小さなお堂のみ、参拝者は私だけ。

奥の事務所でご朱印をお願いする。小さい所によくある、インターホンで呼ぶ形式、かなり時間経って年配の男性が現れ、窓を開けてくれる。










随分と時間をかけ、丁寧に書いて下さる。横の張り紙もいい味の文字で書かれている。この方が書いているのか。



出来上がったご朱印にこれまた丁寧にドライヤーかけて乾かしてくださる。

うーん、素敵な文字。年配の男性というより、女性が書きそうな優雅なご朱印だ。今の所、洛陽三十三所の中で、私の好み、1,2を争うかも。

「聖観音菩薩」のはずだが…そう書いてあるのかな…




ここから歩いて10分位で福勝寺。

ここは「ひょうたん寺」と言う別名を持つ。如意宝珠を二つ重ね合わせるとひょうたんの形になるから、とか。明後日くればひょうたんのお守りが頂けたのだが。また、ひょうたんと言えば、豊臣秀吉。寺格をあらわすご朱印をもらっているのだそう。

観世音菩薩に勅願された天皇から、紫宸殿の「左近の桜」を分木されたという事で「桜寺」という別名もあるそうだ。

ここは1日と16日のみ、本堂に上がれるようになっている、と言う事だったので今日をねらったのだが、こちらには、いかにも「良く来ていそう」な参拝者の方々が。

脚の悪い年配女性が、杖を突いて本堂に上がり、熱心に何か祈念されている。









お寺の近くにはよく、法衣、仏具の専門店が軒を並べていたりするものだが、ここの近くには法衣専門のクリーニング店があった! 初めて。



確かに、位の高いお坊様の豪華な法衣ならば普通の着物より手間がかかりそうだ。袈裟なんかだと金糸銀糸入ってるし。 

観光寺じゃない所を巡るとこういう、まず訪れる事はないだろう通りを歩いて、面白いものを発見できる。
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第二十八番壬生寺中院・第二十四番長圓寺

2016-01-10 17:14:19 | 洛陽三十三所観音巡礼
一年の仕事がとりあえず終わり、さ、お休みの間にどこにお詣りに?花は、何かいいのが撮れるかな…


この季節であれば、千両万両、南天、山茶花、等の写真が撮れるが…とお気に入りのサイト「sodakyoto」を覗いてみると、私の好きな法金剛院で千両、万両が盛りとある。

法金剛院は桜、蓮がきれいなお寺でその時期は人でいっぱいだが、冬ならそれはないだろう。ならば、その近くの洛陽三十三所、壬生寺、長圓寺はまだご朱印貰っていないから一緒に参拝しようか。







長圓寺は一条天皇の時代、と言うから紫式部や清少納言が活躍したころか、疱瘡が流行ったので観音像を宮中に備えて祈願法要を行った、その聖観音像が祀られているという事、厄除けの観音様だ。

建物自体は昭和のものが多いのできれい。もう蝋梅が咲いていた!早いなあ。



有名なお寺と言うのではないので、参拝は私だけ。しかも、観音堂の中にもだれ~もいない。ここから観音様抱えて逃げる人いないのか? 

社務所に行くと、「丁寧にお詣りして頂いてありがとうございます」と言われる。見てたの?  そうよね、監視カメラはあるに決まってる。

愛想良い対応で、あめちゃんまで下さった。ちょっと、珍しい。


ここから壬生寺へ。壬生狂言でよく知られているが行ったことはなかった。一度見てみたいとは思っているが…





パゴタを模したともいう仏塔には、千体の仏像が祀られているのだとか。

洛陽三十三所の十一面観音は中院にあるということ、中院といってもとても小さなお堂だ。




壬生寺はそこまで境内が広いという訳ではないが、盛りだくさん。

本尊は延命地蔵菩薩だけれど、その他に水掛地蔵、弁天様、歯薬師如来なども。 

一夜天神、には菅原道真が左遷され流される前に親戚の人に会った、という由来があり、「遠くにいる家族親戚の無事を祈る」ものなのだそうだ。

いやいや、色んな神様仏様がおられるものだ。いろいろな心配事がみな、あるのだという事だけれど。

お守りも売られている。入っている小さな紙に願い事を書いて持っているようにするのだそうで、私も父の事を書いてバッグに入れることにした。

ここにはまた、「壬生塚」という場所があり、新撰組ファンの聖地のひとつだろう。近藤勇の胸像の横には絵馬が飾ってあるのだが、どれもアニメ風の新撰組の人々が描かれてぶら下がっている。それもみな、結構上手な絵なのでびっくりする。




さて、法金剛院。

予想通り、だれ~もいない。そういう時に良くあるように、庭師の方々が入っている。お掃除の方も。

ここにある面白い物のひとつがこれ、「仏手柑」。柑橘なのだけれど、形が仏様の手のようだと言うのでこういう名前で呼ばれているらしい。

確かにそんな風だが、「ブッシュカン」と言うとなんだか音の響きは外国語風にクールである。




そして入り口近くにある「実葛」。水に浸して出てくるねろねろ~を整髪料にしたというもの。実だけ見るとなかなか美味しそうにも見える。







誰もいないお寺でゆっくり、のんびりと座って…と言うのもいいのだが、実は冬はそれがやりにくい。

とりあえず、寒いのだ!

暖冬とはいえ、お寺には通常、暖房はない。事務所あたりにたまにストーブ置いてある事があるが、火の気は基本、禁物だろう。

その上板の間。足からも寒気が上がってくる。 冬のお寺巡りの時には、外を長い事歩いたりするのでヒートテックのソックスを履いて行くが、これも靴があってのものなんで…

退散。





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第七番長楽寺・第三十一番東向観音寺

2015-12-29 19:08:54 | 洛陽三十三所観音巡礼
長楽寺は東山、つまり京都中心部から言うとnorth upで右下。東向観音寺は左やや上。



共通点は「桓武天皇の勅願により開基」というのがあるけど平安京遷都した天皇だからほかにもいっぱいありそう。

なんで今回はこういうバラバラな位置の二つのお寺に巡礼となったか。それは着物dayと友人の突然の思いつきのため。

初めての、誰かと一緒の巡礼である。



H先生と私は毎年浴衣か着物で京都散策をし、写真を撮ってもらったりして楽しむ事にしている。お互い神社仏閣が好き、写真も好き、というので…。

おりしも紅葉が色づきかけ、秋の散策にぴったりな11月。 着付け後、茶箱弁当を風雅なお店で頂く。




今回はH先生「北野天満宮に行きたいんです」

有名な神社なのに行ったことがない、という。受験の時にも来る機会がなかったのか? 

学問の神様、官公のお社は、ウシだらけである。いっぱい石のウシが寝ている。以前にも来て、「なんでウシなんだろ?」と思ったのだが、たんに菅原道真が丑年生まれだという事らしい。




きものパスポート(着物を着て京都を歩くと、割引のあるお寺やサービス受けられる店がある)を見せると、素敵なしおりを頂けた。



「思ったよりいいものくれたね」と失敬な事をいう私達。

私はついでに洛陽三十三所の第三十一番、東向観音寺がちょうど北野天満宮の境内にあるので、寄っていくことにする。

小さなお寺だが、官公が幼い頃勉学に励んだ場所、本尊十一面観音は道真公自作とか。豊臣秀頼が再建したと言う。立派な由来である。

でも東側を向いてるから東向観音、って、それでいいのか?





こぢんまりとしたお寺、北野天満宮へはぞろぞろと人々が歩いていくが、こちらに足を向ける人はいない。参拝客は私とH先生だけ。社務所でH先生に待ってもらいご朱印を頂く。

去年の春から、この「洛陽三十三所観音巡礼」をしていて、かなりご朱印もたまったと見せると、H先生、突然「私も買っていいですか?」

「テーマがあるって、いいですね…」

見ると社務所に同じ、専用のご朱印帳がある。以前は大きいお寺しか置いてなかったようだが、最近はご朱印が流行りだからか、この小さな所にも。



「ん?二つ買うの?」

「ひとつは母の分です」

と言って二つご朱印をもらう彼女。  代理でもいいのかな~自分で参拝しなくてもいいのかな~~

「巡礼するのなら、さっき着付けしたところの近くにも、東山の紅葉の名所でひとつ、お寺あるよ。行ってみる?」

と言う訳で戻る。

第七番長楽寺は、建礼門院出家の寺、と言う事で有名。しかし紅葉には早すぎ、残念!




以前から、すごい階段、と思っていたが草履で上がるとさらにすごい。本堂まで上がると結構な高さである。滝まである! 敷地は広い、と言うほどでもないのだが、東山に沿って上に伸びている感じ。







この滝の回りの石組にはあちこちに仏様の姿がある。

滝自体は清水の滝と同じように、温泉の打たせ湯みたいなのだが、かなりの水勢で柄杓もころげそう。 

ここも参拝客は私達二人だけ。

ちょっと降りた東山、高台寺辺りなどは紅葉狩りの観光客でにぎわって歩きにくいことこの上ない位なのだが、ここでは落ち着いて庭を眺めることが出来た。人がいない秋の京都なんて、あり得ないのが普通だ。















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第十五番・第十七番・第三十二番札所・六波羅蜜寺・三十三間堂・廬山寺

2015-08-25 01:20:33 | 洛陽三十三所観音巡礼
今年は5,6,7月と暑かった割に、涼しくなるのは早かった。

今日は処暑。暑さがおさまる日。

20年前に北海道を出て大阪に来たのは8月4日、真夏も真夏、最高に暑い時にやってきた私が、あれ、ドアを開けたら涼しい!と同居人を見送った朝、それが処暑の日だった。

あまりの暑さにショック続きだったため感動も大きかった。


今年は、帰省から戻って翌日には割合、夜は過ごしやすくなっていた。14日だったから、非常に早いと言って間違いない。無論、昼間はまだまだ、日差しも強く暑いけれど、夜にエアコンがいらないのはありがたい。

そんな過ごしやすい夜が明け、5時半起きで京都へ。

お寺の中には夏場は8時に開門するところもある。六波羅蜜寺、三十三間堂、と割に近いこの2つがそうだったので、早めに出かけることにした。

まずは第十七番、三十三間堂。



以前に来たのは12月頃だったか、庭の紅葉がきれいだったが、それより風に吹かれる柳が良かった。この季節でもやはり柳が、長々と続く建物によい風情を与えている。

ここは、洛陽三十三所を定めたという後白河法皇の御座所、蓮華王院なのだから、最後に持ってきてトリにしようかな、とも考えていたのだが、このままいくと同じような季節に行くことになりそうなので夏のうちに…と言う事にした。

夏の朝のお寺はよい。人もそこまでいないし(ここまで有名なお寺だとそれでも、「混雑していない」程度なのだけれど)、冷房のないお寺の中も結構暑いものだから…
8時ならまだ、暑いとは言えない。

初めてここに来たのは、おそらく17,8年ほど前に父、母、叔母夫婦が京都旅行に来た時だ。私もバスに乗って一緒に回ったのだ。

しかしあまり印象には残っていない。その頃はそれ程京都に詳しくはなかったし…今ほど神社仏閣好きでもなかった。

これだけ千手観音が並んでいるのはさすがに壮観、縦に5体、並んでいるのだから、200列あるということか。いやいや、物凄い数に圧倒される。
後ろの方の観音様は顔が良く見えない。前の3列位が顔を確認できる距離。貸し出し中、で空いている所もあったりして。

よく、必ず自分に似た観音様がいる、とか、会いたい人に似た観音様がいる、と聞くが、確かに時代や作者によって結構、特徴があり、また剥落や汚れがついたりして表情が違って見えるため、さもあらんという気がする。
眼がはっきり開いているように見えたり、逆にウインクしているように見えるものも。

一緒に回った人たちのうち、残っているのは、父だけである。

母も、叔母も叔父も、この千体のうちのどの観音様かに、似ているのだろうか。



左右に500体ずつの千手観音を従えた中尊、国宝千手観音坐像の前でご朱印が頂ける。これだけの観音様のご朱印は効き目がありそうだ!







裏側は有名な「通し矢」の会場だ。いちど見てみたいものだ。







第十五番六波羅蜜寺は、平清盛ゆかりの寺なので、3年前、大河ドラマ「平清盛」を見ていた頃訪れた。 
宮尾登美子さんの「平家物語」でも「六波羅に戻り…」と言ったくだりがよくある。

この辺り一帯が平家の屋敷だったんだ…と思わせるような立派なお寺では、残念ながら、ないのだれど。敷地も狭いし、お寺自体も小さい。
始めて来た時は結構がっかりしたものだ。かなり整備されて現代風だし色鮮やかだし…いやどのお寺も昔出来立ての頃は色鮮やかだったに違いないが、今、色鮮やかだと有難味がない気がするのは勝手な感覚なんだろう。


しかし由緒あるお寺、ちゃんと西国十七番のお寺でもあるのだ。
9時近くでもうすでにかなりの人がやって来ている。

洛陽三十三所とかぶっているお寺はいくつもあるがここもそう。以前来た時は、有名な空也上人像や平清盛像も見学したが、今回はご朱印のみ。




京阪、清水五条の駅まで歩くと、盛りの百日紅の花が。去年、あちこち歩いて撮ったなあ。




今日は頑張って、すこし北側まで足を伸ばす。

第三十二番、廬山寺。京都御苑に隣接している。

もともと、紫式部の邸宅があったと言われており、それが解明したのは案外にも昭和40年だそう。
そう昔でもないのだ

この「源氏庭」もそれ以降のものだろう。







庭には降りられないが、ここはメジャー所ではないので、いつもゆっくりと盛りの桔梗を眺められる。私はこれで3回目だ。

庭の向こうがかなり大きな幹線道路のため、車の音が常に聞こえるのが残念だが。

杉本苑子さんの小説に「散華」というのがあり、これは紫式部を主人公に据えている。そこでは、「鴨川に降りていく」というくだりがあり、平安時代ならばこの幹線道路、その向こうの建物群もなく、鴨川の河原も近かったのだろうな、と、なんとなく想像がつく。
きっと杉本苑子さんもここを訪れたに違いない。

こちらの観音様は如意輪観音様だが、調べてみると如意輪観音は坐像または半跏像で、立っているものはまずないのだそうだ。

長谷寺の大きな観音様もそうだが、観音様と言うと立っているイメージがあった。 今までお詣りした観音様もみんな立っていたと思うが、三十三間堂の中尊の観音様も座像だったし、今日は座ってる観音様にご縁があったのか?

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第八番札所・大蓮寺 その後 平安神宮

2015-07-20 23:58:34 | 洛陽三十三所観音巡礼
暑いだろうな…。

6時半でこの明るさなら今日は1日晴れあがるだろう。

日傘、日焼け止め、薄手の長袖上着、でも下はワンピースで風通しよく。そうそう、虫除けスプレーとムヒは必須。目が疲れそうだから色が変わってサングラスになる方のメガネにしようか。

あっ、扇子も。汗ふきシートも。

夏の写真撮影はどうしても荷物が多くなる。

最近はご朱印帳3冊持っていることもあり、超望遠レンズを抱えていくこともあり、なかなかの重量のリュックをしょっていくのだ。

リュックは重量物運ぶのには良いが、財布やスマホをぱっと出せないのがネックで、小さいポシェットを持って行く事が多い。



最近京都のもと一澤帆布、お家騒動があってから信三郎帆布になった店で買ったこのポシェットが最近のお気に入りである。


今日のお目当ては蓮と睡蓮。第八番札所の大蓮寺は、蓮があるというので夏に行こうととっておいたお寺。京阪三条駅から歩いて10分ほどである。



行ってみると、このあたりはお寺だらけ。その中でも小さいが「安産祈願」ののぼりが立っていてわかりやすかった。









このお坊さんは、お寺を訪れるのが難しい妊婦さんの所に安産のお札を走りながら宅配(?)したという「走り坊さん」である。よって足腰健常のお守りも売っていた。






さて、ここから次のお目当て、平安神宮の神苑まで歩く。今度は睡蓮を撮りに行くのだ。

しかし暑い。まだ10時なのにこの暑さ!  持ってきたペットボトルのお茶はすでになく、水を買って水分補給、ちょっと日陰で休んでいく。

平安神宮傍のグラウンドでは野球をやってる高校生たちが。熱射病になりそう…


神苑は以前にも一度行ったが、残念ながら雨模様で写真もいまひとつだった。ちょうど今頃だったけれど睡蓮もそれ程。

今回はお天気も最高、花も沢山咲いている。







池を渡れる石橋は、豊臣秀吉が三条橋を作った時の遺構だとか。臥龍橋というが、このくねくねぶりがくせもの、結構危なっかしい。

しかも回りが美しい睡蓮に囲まれているので、当然のことながらみなさん写真を撮る。写真を撮っている人の横をすり抜ける強者もいるし、バランスを崩して落ちるのは簡単そうだ。

私が落ちるのはまだいいとして、カメラが落ちるのは困るのだ。慎重に渡ってお休み処へ。





暑いけれど、日陰は風が通って気持ち良い。睡蓮を眺めながら冷やしぜんざいを頂く。

京都でちょっと一休みの時にはよくぜんざいにするが、寒い時も暑い時も疲れた体に沁みる甘さだ。

そしてここにもやはり、外国人観光客が。びっくりするほど多い。

ひと昔前なら、ちょっと見ただけで中国や韓国の旅行者はすぐわかったけれど、最近はそうでもない気がする。ファッションがなんだか、日本人と似ている事も多いのだ。
違うのは髪だろうか。日本人の女性ほど髪に気合を入れている人々はないのでは、と思う。



ぐるりと神苑を回る。この橋は懐かしい。

昔両親と叔母夫婦がそろって京都観光に来た日、一日お付き合いをして回った時にこの回廊のような橋の上で写真を撮ったのだ。20年近く前になる。



外国人観光客(いかにもWesternな金髪の子供)を見て、

「あんた、ちょっと英語しゃべってみてごらん」

と母が言ったのを覚えている。

「お母さん、英語のわかる人とは限らないんだから」

「本当は喋れないんじゃないの!」

こんなやり取りも懐かしい。

桜の季節だった。



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第二十番札所・泉涌寺他

2015-06-29 10:39:56 | 洛陽三十三所観音巡礼
御寺(みてら)と呼ぶのだそうである。

おてら、ではない。

第二十番札所、泉涌寺は四条天皇以来たくさんの皇室の方々が葬儀をされた、と言う事で呼び方が違うのだとか、書いてあったのは瀬戸内寂聴さんの「京まんだら」という小説。

それを読んで一度、行ってみたことがある。
小説の中でも、参道に入る前の電車道はざわついて落ち着きがない、と書かれているが、確かにその通りで、この奥に本当にそんなスゴイお寺があるのか?という雰囲気だが、
あるのだ。参道に入ると急に静かになる。



参道途中にある第二十五番法音院、第十九番今熊野観音寺を先に。法音院はきれいに整った小さなおうちのようなお堂だが、投げ縄であらゆる人を救ってくれる!という不空羂索観音が本尊。そういう観音様がいるんだ…

写真を見ると観音様らしく色々飾りもついている。このスタイルで投げ縄ひゅっとしている所想像してみる。
なかなかクールだ。
そして七福神の「寿老人」も祀られている。小さいがなかなかご利益のあるお寺。






今熊野観音寺は思いがけなく敷地の広いお寺だった。前回泉涌寺に来た時は全く気付いていなかったが。
木々の向こうに道が続き涼しげな様子、橋がかかっている。



山の中腹に塔が見えるがこれにも前回は気づかず。



弘法大師開創のお寺。巡礼ガイドのこのお寺のページには、私は「頭痛」と書いたタグをつけてあった。ぼけ封じ、頭痛封じに霊験あらたかという事だったので…。
頭痛もちの私としてはそこがポイントであった。

あまりアクセスの良い場所ではないが、案外に沢山参詣者がいる。

そしてここにも京都弁男。良くしゃべる奴で、一緒に来ている彼女に(こちらはまじめそうな地味な女性だが)「…ちゃん、そこ立ってみ~写真撮ったる」
「あ、ええなあ~~ここ~~あ、そうや、ご朱印もらってくるわあ」
しまいには本堂でスマホで写真撮りまくる。

「観音様おるや~ん。あそこや~~」

おいおい仏様の写真撮るって…と思った瞬間、年配の参拝客の男性に注意される。

「え~だって写真ダメって書いてへんし~~」

いや、普通ダメじゃないか?

全く。かえって頭痛起きそうだわ。






さて、泉涌寺。字を見ても気づいていなかったのだが泉が涌き出てきた事からそういう名前になったそうだ。今でも水屋形が残っていて、水も沸いているそう。



このお寺は面白いロケーションにあり、山の中ではあるのだが、参道を上がって、上がりきったら下がるのだ。

「京まんだら」でも寂聴さんが書いている。

その底に広大な庭が開け、仏殿が真中に、その背後に他の殿堂が立ち並んでいる。門の下にそれらの建物の屋根が重々しく沈んでいるため、ふと、この世ならぬ海底の寺院を見るように思う。


初めて来たときに思ったのは「小説家って上手に書くなあ…想像力豊かだな」


この世ならぬ海底寺院…っていうほどの感動はないのだ。実は。皇室の方々が来られるお寺だから、物凄く整備されてきれいだが、境内は整い過ぎてそれほど面白味はない気がする。
前回は入らなかった御座所の見学に入ってみる。
こちらはずいぶん静か。
勅使の間や門跡の間、皇族の間が並ぶ前にこぎれいな庭。



それにしても昔の人ってやっぱり背が低かったんだな…

古いお寺に行くといつもそう思う。身長156センチの私でも、ちょっと頭心配になる位の鴨居もある。

天皇皇后両陛下、皇太子さま達がいらした時の写真があちこちに飾ってあるが、ご休憩になられた「皇族の間」も天井低い。秋篠宮様など頭をぶつけないだろうか?
御座所なのだから、豪華に作ってある訳で、それなら普通の家よりも天井高いのではないか、それでもこれだけ低いのなら、男性でも私より小さい人が多かっただろう。
19世紀、明治時代の建物だそうだが、200年経つと身長もずいぶん変わるんだろうな。

さて、ここの観音様は泉涌寺自体より知られているかも。私も前回はこの観音様に会うために行ったのだが。

楊貴妃観音殿は泉涌寺へ降りていく前、門のすぐ左手だ。




あれ?
こんな感じだったかな?
もっと古びた風だったような...

きちんと整備された敷地の奥にお堂。
前回は17、8年前なのだからその間に整備したのだろう。

前回撮ったお堂前の写真を見つけた。
こっちのほうが良かったのでは。




寂聴さんは、小説の登場人物にこう語らせている。

極彩色の美しい観音は、楊貴妃をモデルにした中国渡りのものというが、人間臭い美しさが目立ちすぎ、観音らしい尊さはあまり感じられない。百年に一度の開帳だったから、これだけの極彩色が損なわれず、この真新しさを保っているのだろう。

そう、確かに綺麗なお顔だが、「有難い」雰囲気は薄い気が。
小説では色が残っていることになっているが、書かれたころには残っていたのか?今はほとんど真っ黒だ。
側に写真があって、赤い色がはっきりわかるのだが、これは昔のか、それとも加工?と思ってしまう。

仏像もお国柄が出るが、この観音様は大まかな目鼻立ち、切れ長の大きな目がやはり中国美人風なのが面白い。


さて、第十八番善能寺。ここは小さい観音堂だけ。
山の中の静かな一角にぽつんと。





こう言う所が案外良い。

ここも弘法大師創建だそうだが、お堂自体は「ばんだい号」事故の慰霊の為寄進されたとか。私の9歳の時だから、しばらく振りに聞いた事故の名前、確かその頃はいくつか航空機事故が続いたと記憶している。



さあ、お昼でも?

次の法性寺へ行く途中で十割蕎麦とコーヒー(?)の店を見つける。

あ、「隣の人間国宝」のお札が貼ってある!

たまたま近くに座っていた男性がガイドブックの編集者らしく取材を頼んでいる。
聞き耳を立ててみると、「隣の...」を貰う店に限っては、先にちゃんと取材が入っており、「よーいドン」の円さんが突然入って決めるんではないそう。ま、そうだよね...

もり蕎麦もコーヒーも、間違いのない味だった。


法性寺は京阪電車の線路のすぐ側、あまり落ち着きのない車道に面しており、門には扉があり鍵もかかっている。
普通の家位の大きさ。しかし昔は藤原氏の氏寺として栄えたという。





脇の通用門に何故か2つ、インターホンが。
2つ目の方で返事が。

「どちらさん?」
「お詣りできます?」
「参拝はできませんけど朱印はしますよ」

腰が曲がって二つ折り、という風情の年配女性が玄関先でぽーんと座布団投げて寄越してくれる。なんとなく、笑えてくる。

「かけて待ってて下さい」

ご朱印も書くの大変そう。かなり時間かかっている。なんだか申し訳ない。

待っている間に後ろから私と同年輩の男性が。
やはり洛陽三十三所を回って、後は東寺に行って終わりだとか。
あまり話しかけられたくなさそうだったので、小さな家の庭先風な空間で黙って待つ。



ここの二十七面千手観音様は藤原氏が創建当時のもので国宝だとか。見られないのが残念である。

外に出ると自転車が停めてある。さっきの男性のものらしい。


さて、京都駅まで戻り、最後は第二十二番札所、城興寺。

以仁王の乱、の以仁王ゆかりのお寺、ここの知行権を以仁王から奪ったことも乱の原因になった、ということらしい。
鎮護国家の大きな道場だったというが今では小さな本堂と「薬院社」という社があるだけの小ぢんまりした敷地である。

最近では「小指みくじ」というのがあって、励ましの言葉が書いてあるようだ。

自転車でさっと門を出ていく人がいた。

あ、さっき法性寺で会った男性である。 東寺へ行くといっていたが、ここは東寺からすぐ近く。城興寺を打ってこれから東寺へ行くのだろう。
先ほどの泉涌寺付近から先回りしてきたらしい。私は電車で京都駅に戻り地下鉄でここまで来たが、自転車なら九条通りを直線で来られるはず、早いだろう。

チャリで観音霊場めぐりというのは新しい気がする。あの様子ではいっぺんに沢山廻っているのだろう。まじめそうな、サラリーマン風だったけれど、何を祈願しているのかな。





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第十六番・仲源寺

2015-06-09 00:16:16 | 洛陽三十三所観音巡礼
蕎麦が好きか、うどんが好きか、と言われるとちょっと迷う。

基本、蕎麦、だが、鍋焼きうどんと親子蕎麦なら絶対、鍋焼き。

もり蕎麦が一番好きだけれど、冷たい讃岐うどんのコシ、それに温玉も最高。悩むところである。

関西ではぜったい、うどんの方が美味しい、というか美味しい蕎麦屋がそもそも、少ない。
うどんの出汁では関西が一番だと私は思うが。





祇園の、しかも人通りが多くまっすぐ歩くのも大変、という四条通に、ぽつんとお寺がある。

ここ仲源寺は、「眼疾(めやみ)地蔵」さんをお祀りしている、とある時気づき、それ以来、祇園あたりを通るたび、お詣りするようにしていた。

母方の祖母が緑内障で目が見えない人だった。
緑内障は眼圧が高まって視野が狭くなる、という所から始まるそうだが、私も以前コンタクト屋さんの眼科で「眼圧が高い」と言われたことがあったのだ。

その後きちんとした大きな病院で調べてもらったところ、別に高くないという事で一安心したが(コンタクト屋さんの風を当てるタイプだとそうなる人もいるらしい)目は大事。

めやみ地蔵さんは私にとってお馴染みの場所だったのだが、洛陽三十三所の巡礼地にもなっていた。千手観音像があるのだ。白河法皇と祇園女御が喧嘩をした時にお詣りし、仲がもとに戻ったということで、男女の仲を取り持ってくれるらしい。いかにも祇園らしい観音さまではないか。

いつも通りにお詣りし、以前に頂いたのとは違う、洛陽三十三所用の御朱印を頂く。





そしていつものようにろうそくを供えて横を見ると、マッチが沢山。
「蕎麦 八雲」と書いてある。

お昼、お蕎麦にしようかな…

この「八雲」は、この仲源寺の隣にある小さな小さなお蕎麦屋さん、でも、私が「関西にも美味しいお蕎麦屋さん、あるんだ」と初めて思った店である。

そしてたまたま入って、「辛味大根そば」を見つけて感動した店でもある。

「美味しんぼ」で、京都鷹峯でしか作っていない辛味大根のおろしで食べる蕎麦の美味しさを読んで、興味津々ではあったが見かけたことがなかったものだ。最近では名前も知られてきて、他の店でもやっているところもあり、また辛味大根自体、スーパーで売っていたりするが、私が関西に来た20年前はそうではなかった。

それ以来結構入っているが、春たけた頃に辛味大根蕎麦を注文して、「もうやってないんですよ」と言われたことがあった。冬が旬だからだ。
蕎麦だって、冷たい蕎麦が美味しい夏は季節はずれ、なかなかうまく行かないものだ。

しかし、6月1日に入って、辛味大根蕎麦、やっていたのだ! 保存がうまく行くようになったのだろうか?

うん、辛い! わさび並みに鼻に来る辛さ!

しかしながら蕎麦がいまいちであった。後でネットで調べてみると、作ってる人が変わったらしい。なるほど…初めて来てから20年近く経つのだから…ちょっと残念でもある。
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第三番・四番札所 護浄院(清荒神)・革堂行願寺

2015-05-24 18:55:41 | 洛陽三十三所観音巡礼
我が家の近くにもあるけれど、香りの高い花の咲くこの木はなんだろう。



先週のレッスンは、「位置を伝える・道を教える」がテーマのものが多かった。

in/on/at等の前置詞の使い方、あるいはgo over the bridge and turn right、のようにどこかに行く道順の伝え方の練習だ。

面白いのは、道順を教える時に「この人は地図見るの苦手だな」というのがわかる事だ。右に曲がってから左に曲がったら右側にありますよ、などという説明に混乱しテキストをぐるぐる回す、という事態が発生する。よく、女性は地図を読めない、というけれど男性でも、結構いらっしゃる。

最近では、
「このレッスン、今ではだんだんいらなくなってるかも」と外人の先生たちが言う。
「そうだね、Just google itで済むよね」

私自身、以前は京都めぐりは歩く地図」を頼りに歩いたけれど、最近はスマホでgoogle map頼りである。
20年前「歩く地図」を買ったときはこういう時代が来るとは全く思っていなかったのだが。

しかしながら、google mapがあるからと言って、道に迷わないと言う事はないのである。

以前、元同僚の先生と神戸を歩いた時のこと。
素敵なカフェに連れて行ってくれる、というのだが…

彼女のiphoneが「Head east」とつぶやいてくれたにもかかわらず、「先生こちらです」と南に向かって歩いて行こうとする。

「ちょっと、そっちは南よ。いま、head EASTって言わなかった?」
「東はこっちですか!?」
「神戸は南に海があるんだから…」
「そう言われるとそうですね!」
「別にgoogle mapに頼らずとも神戸の場合北は山、南は海!」

こういう場合もあるのだ。

さて、私が地図を読めるかと言うと、はい、全然ダメである。

京都めぐりは20年やっているのに、いまだに三条、四条通が東西、河原町通りが南北、とにかく鴨川は南北!と自分に言い聞かせないとダメ
碁盤の目になった京都の街は、一本間違えるともう東西南北大混乱である。

大阪は、奈良との境の生駒山が見えるほうが東、と分かりやすいが、京都は南以外、全方向山に囲まれているし…。

しかも私は距離感がつかめない。

先日飛ばした洛陽三十三所、第三番、四番のお寺は全く初めての場所、工事に阻まれて行き過ぎるという失敗をしてしまった。




荒神橋から見る京を囲む山々はまさに、山紫水明、という言葉がぴったりだ。  



第三番護浄院は清荒神として知られ、ここの准胝観音(じゅんていかんのん)様は女性の守り神だそう。准胝=清浄、の意味もあるそうだ。しかしながら小振りの境内はちょっと散らかった感じあり 住宅街の中の小さなお寺。しかし訪ねやすく親しみやすい雰囲気。






撫子がかわいらしく境内に彩りを添えている。




以前に「あ、私が小説で読んだ歴史上のあの人のゆかりの場所だったか」という所が必ずある、そこが京都の凄い所、と言う事を書いたが、今回はお気に入りのマンガ、「陰陽師」で知っていた、声明が見事だったという美声の高僧、浄蔵の護摩壇があったという場所がここだった。平将門の調伏をしたとも言われている。


さて、ここから南に7,8分歩いて、途中下御霊神社に寄り、またすぐ南、が第四番の革堂行願寺のはず。



なのだが…歩く予定の通りがガス工事中。

じゃ、一本西の寺町通りを南下することに。

この通りはおしゃれな通りとして知られており、可愛いカフェや面白い小物の店などが、老舗の店と隣り合って並んでいる。目移りしながら歩くが、とにかく、5月としては結構暑い日。一休みしよう、と和菓子店のカフェに。葛きりはこんな容器で出てくる。鍵善のと似てる。



さて、ひと落ち着きしてgoogle mapを。

あれ?

このカフェ、2条に近い…行こうと思っていたお寺は、3条より北側に位置していたはず…よっく見ると、相当、南下してきている。

そうね、そうよね…改めて見ると最初のお寺から次の下御霊神社への距離より、下御霊神社から行願寺までの距離の方がずっと短いのに…店眺めながら結構歩いたもんな…




こちらの行願寺は革堂(こうどう)と呼ばれ、狩人出身の行円上人が開基。殺生の恐ろしさを悔いて…と言う事だそう。だから「革」が付くんだ…。名前の謂れは面白いものだ。
人けもなく、ろうそくは私がつけたものだけがぽつんと。

さて、出て周りを見回してみると…

せいぜい2,3分の位置にさっきの下御霊神社があるではないか!塀が見えるのだ。ああ… 

まあ、おしゃれな小さな店が沢山あるのを楽しめたからいいのかな。
道に迷うと面意外な白い事があったりするのだ。人生もそうよね、などと言い訳したり、するのである。

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第五番・六番札所 新長谷寺・金戒光明寺

2015-05-11 23:39:03 | 洛陽三十三所観音巡礼
O型はおおらか、あるいは大雑把と言われるけれど、どうしてどうして、細かいO型もいれば適当なA型もいる。

さて、O型の私は、洛陽三十三所の札所を、順番通り巡る事は全然考えておらず、季節と催し物などを考えて回る計画を立てていた。
一番の六角堂は、洛陽三十三所専用のご朱印帳が置いてあるという情報と、以前行きそびれて気になっていたという点で最初に行ったけれど。

最後は大物、三十三間堂か東寺?と考えていたが、ふと気づいた。

宮尾登美子作「蔵」と言う小説では、主人公の祖母が越後三十三所観音霊場巡りをするのだが、一番と二番を打って倒れてしまい、後を嫁、つまり主人公の母親が打つ、という話になっていた。

順番に歩いてたんだよね…

しかし、同僚のアメリカ人の先生、西国三十三所を巡っているが、滋賀や和歌山などの遠くの方がまだ行けていない、と言っていた。彼は順番通りには巡っていないのだ。


ま、いいよね…とりあえず全部回れば。

と言う事にしてしまい、GWラストの日に三番四番をとばして五番六番を打つことにした。黒谷のお寺を二つ。

六番の金戒光明寺の山門がGW時期の特別公開にあたっていたため。




猫がうさんくさげに迎えてくれる。




ここは丘の上に位置しているので、山門の上は見晴らしがよい。

以前「絶景かな絶景かな」の南禅寺の山門、巨大な知恩院の山門にも上がったことがあるが、それより高い所にあるのだ。なんと、京都の割と北側にあたるのに、大阪の、日本で一番高いビル、ハルカスが見えるのだ。(私の職場の隣)

残念ながらここからは No Photography. 景色いいのになぜ?


ここには面白い阿弥陀様がいらっしゃる。



「五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)」という立派な名前があるが、「アフロ地蔵」で知られている。説明の必要はないだろうこの螺髪。
阿弥陀仏が修行中に、「あらゆるものを救うにはどうすればいいか」と考えていたら、ここまで髪の毛が伸びたと言われているそうだ。

法然上人が始めたとされている由緒あるお寺の本堂に「アフロ地蔵金平糖」なんかが売っている(笑)

私が詣るのは、遣唐使吉備真備が中国から持ち帰った栴薩を刻んで作った、という吉備観音だが。





こちらは織田信長の姪で淀殿の妹、江の供養塔だそう。ちゃんと、2011年大河ドラマの主役、という看板も立っていた。歴史上の人物の中ではとても興味のある人。永井路子の小説のヒロインになってもいたが、それが面白かったのだ。
こんな所に供養塔が、それも説明書きを読むと、ライバルだった春日局が建てたと書いてあるのが驚きだった。京都って、ほんとに意外なところに面白いものがあるものだ。


アフロ地蔵様の傍をすぎ、三重塔まで上がると周りは全部お墓。

GWだというのに実に静か。メジャーどころではない場所はこういう時得をした気になる。

杜若が花盛り。






ここから5分ほど歩くと真如堂。この中に第五番札所、新長谷寺があるのだが…この真如堂は初めてではなく、2年ほど前に木槿の花を撮りに来たところ。ほかにお寺が入っていたとは知らず。







ここは秋の紅葉が有名。つまりは青紅葉も美しい。

本堂に上がって…観音霊場詣りをしているのだけど観音様、ないな…秘仏だったか?でもそれなら札所に入っていないのでは???

とりあえずご朱印所へ。

「新長谷寺、いかはった?」と書いてくれる年配の男性。

「ここ右に行ってね、屋根見えるやろ、あの駐車場の傍にお堂がありますわ。小さいお堂やけどね。行ってきて。その間に書いとくから」

あ、やっぱり本堂じゃなかったんだ…





私のお気に入り、奈良の長谷寺を信仰していた人が建てたので新長谷寺、と言うのはいいが本当に「お堂」だ。観音様は長谷寺の十一面観音を模して造られたものだそう。

とにかく、ちゃんとお詣り出来て良かった

この真如堂の方は皆、親切なのは前回きてわかっているのだが(お庭の説明を長々丁寧にしてくれた)、やはり今回も親切だった。おかげでお詣りせずにご朱印貰う、という本末転倒をせずにすんだ!

いくらO型と言っても、観音霊場詣りをして観音様に会わないというのはナシだろう。




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第一番・二番札所 六角堂・誓願寺 

2015-04-14 00:15:44 | 洛陽三十三所観音巡礼
おみくじがいっぱい結んであるあれは、もう葉桜になったしだれ桜?それとも柳?







境内に入って見てみると大きな柳だった。市民の誇りの木、と書いてあるが、縁結びの木らしい。









西国十八番の札所で、用明天皇二年(五八七)に聖徳太子により建立されたと伝えられている。
本堂北の本坊を池坊と呼び、室町時代以降多くのいけ花の名手を輩出した、華道発祥の地として有名 。現在も華道家元池坊の拠点となっている。



ちいさなお寺だけれど、とても由緒のあるお寺。洛陽だけでなくちゃんと西国三十三所の札所でもあるのだ。

このお寺は、私にとって「近くまで行ったのに入らなかった」事が2回もあり、なんとなく気になっていたお寺なのだ。

最初は14年ほど前、母や叔母、いとこたちと京都巡りをした際に、たまたま横を通りかかったのだった。近くの錦市場に行った帰りだったのだろうか。
もう夜だったのでどちらにせよ入る事はできなかったのだが、名前が印象に残っていた。

2度目は3年ほど前、同居人と近くのウエステインホテルに泊まったことがあって、寄ってみよう、と思ったのにどこかわからず訪れずに帰った。


ここは洛陽三十三所観音巡礼、第一番札所だ。

ここで巡礼用のご朱印帳を頂いて、巡礼を始めることにしたのが4月6日。








裏には立派な、池坊のビルがあり、その前には聖徳太子が沐浴した池があったと言われる場所があるのだが…






北海道の湖にいた白鳥も気が荒くて怖かった事を思い出した。


しかしなんでかみつく白鳥を飼うのか??? おっきな鯉がいるのだからそれでよかったのでは???



という疑問はわくが、こじんまりしてなかなか良いお寺(頂法寺がお寺の名前)である。六角の角を回ってみると見事なしだれ桜がまだ満開。 今年はお花見ができなかったと嘆いていたのだが、ここで何とか取り返せた。ここにもおみくじが結ばれている。可愛らしい鳩みくじも。








法隆寺の八角形の夢殿もそうだけれど、八角か六角か、上から見ないとあんまり実感できないものだ。ここのパンフレットには池坊の高いビルの上の方から撮った六角の屋根の写真が載っていた。

こう見ないとわかんないよね…
でも、昔の人たちは当然、上から見下ろすことはできなかったわけだし、それでいいのかな…



歩いて行ける距離だし、大好きな錦市場を通り抜けて、第2番札所、誓願寺まで行ってみることに。

しかし錦市場の混雑ときたら! 昔はそんなことなかったのに、外国人観光客でいっぱいなのだ。通過するのに一苦労しながら晩のおかずをゲットして、さらに東へ。



賑やかな新京極にある誓願寺は、建物がモルタル風で今一つ、由緒あるお寺の感じがしない。でも、小振りながら「総本山」と言われるお寺なのだ。


西暦六六七年、天智天皇によって奈良の地に三論宗として開創された。 以来、改宗と二度の移転を経て、現在は浄土宗西山深草派の総本山である。
当寺安置の十一面観音は、弘法大師の作と伝えられ、かつては長金寺(一言堂)の本尊であった。 古来、一言で願いを叶えてくれる「一言観音」として信仰を集めている。







入ってみると、ここは和泉式部にも縁のあるお寺、近くに和泉式部を初代住職とする誠心院がある。私は最近まで紫式部、清少納言を題材にしている小説を続けて読んでおり、当然のことながら和泉式部も登場するものだったので、急に近しい感じがしてくる。
私は和泉式部の歌が大好きなのだ。


これが京都や奈良のお寺や神社(寺社に限らないが)の面白いところで、歴史が好きなら、意外な所でお馴染みの人の名前が出てくるのだ。

この人が、こんなところに住んでいたんだ、ここを訪れたんだ、へえ、ここに祀られているとは…と数知れず。

巡礼をしようと思わなければこのお寺も、誠心院の場所も知らずに終わった事だろう。やはり、始めてよかった。

六角堂でガイドブックを手に入れたので、どう、いつ歩くか考えるため下調べをする。

行くのなら良い季節に行きたいし、花や紅葉の写真も撮りたい。

花の名を書き込んだり、よく知られている行事(壬生寺の壬生狂言など)も書き込んだタグをつける。まとめて行けそうなら、歩いて何分かかるかナビで調べて地図に書き込む。

うん、なかなか楽しい。









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