そろそろつつじも終わり。
毎日の出勤途中、駅までの道には、つつじの生垣が続くところがある。
そこを5月に通るたび、母が北海道から大阪の私の住む街まで訪ねてきた時の事を思う。
GWから一週間ほど経った頃、母が着いた日は結構な雨だった。
つつじも濡れてしぼんでしまい、あまりよい風情ではなかった。
幸い翌日、翌々日とよい天気になり、あまり無理をさせぬ程度に(この頃はすでに健康体とは言えなく、何度か入院していた)出かけることが出来た。
その中でも母が喜んだのが宝塚観劇だった。
北海道ではなかなか観る事ができないし、一度本場で、と思っていたそうだ。
5月のさわやかな、少し暑いくらいのよいお天気の日、宝塚まで電車で行き、二人で「花のみち」を大劇場まで歩いた。
「こんなところを歩いてるなんて、夢みたいだよ」
そう言った母の一言が今でも耳に残っている。
「こんなところ」といっても、ココは兵庫県宝塚市であって、別にアラスカの雪原とか、ゴビ砂漠とかを歩いているわけじゃないんだけど…。
とは思いながらも、「これ位のことでこんなに喜んでくれるんだなぁ…」とびっくりしたのは事実である。
商店をやっていて、やめるまで北海道から出ることもなかった母のことである。
遠く離れた宝塚で、娘と連れ立ってのんびり歩いているのは不思議で「夢みたい」な事だったのだろう。
その日の星組「プラハの春」では、トップスターさんが北海道出身、と言うことに喜び、春なので初舞台生のラインダンスもあり、「これがやっぱり見たいよね」とオペラグラスで熱心に観劇していたものだ。
写真は大劇場、2Fへ上がる正面階段の前で撮ったものである。
やはり顔色はあまり良くはないが、こうして観劇を楽しんでいた人が、それから1年もせずに亡くなってしまったのが不思議なような気がする。
華やかな背景のせいだろうか。
毎日の出勤途中、駅までの道には、つつじの生垣が続くところがある。
そこを5月に通るたび、母が北海道から大阪の私の住む街まで訪ねてきた時の事を思う。
GWから一週間ほど経った頃、母が着いた日は結構な雨だった。
つつじも濡れてしぼんでしまい、あまりよい風情ではなかった。
幸い翌日、翌々日とよい天気になり、あまり無理をさせぬ程度に(この頃はすでに健康体とは言えなく、何度か入院していた)出かけることが出来た。
その中でも母が喜んだのが宝塚観劇だった。
北海道ではなかなか観る事ができないし、一度本場で、と思っていたそうだ。
5月のさわやかな、少し暑いくらいのよいお天気の日、宝塚まで電車で行き、二人で「花のみち」を大劇場まで歩いた。
「こんなところを歩いてるなんて、夢みたいだよ」
そう言った母の一言が今でも耳に残っている。
「こんなところ」といっても、ココは兵庫県宝塚市であって、別にアラスカの雪原とか、ゴビ砂漠とかを歩いているわけじゃないんだけど…。
とは思いながらも、「これ位のことでこんなに喜んでくれるんだなぁ…」とびっくりしたのは事実である。
商店をやっていて、やめるまで北海道から出ることもなかった母のことである。
遠く離れた宝塚で、娘と連れ立ってのんびり歩いているのは不思議で「夢みたい」な事だったのだろう。
その日の星組「プラハの春」では、トップスターさんが北海道出身、と言うことに喜び、春なので初舞台生のラインダンスもあり、「これがやっぱり見たいよね」とオペラグラスで熱心に観劇していたものだ。
写真は大劇場、2Fへ上がる正面階段の前で撮ったものである。
やはり顔色はあまり良くはないが、こうして観劇を楽しんでいた人が、それから1年もせずに亡くなってしまったのが不思議なような気がする。
華やかな背景のせいだろうか。