たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

『般若寺から興福寺へ』

2015-02-23 23:46:39 | 現実
廃寺?

人、いるの?

コスモス寺として名も知られているはずなんだけど…?






ちょうど入口から見えるのがこの様子では廃寺と思っても不思議はないのでは?

「花の寺17番」という看板もあるけれど、それにしてもすごい荒れようだ。

しかし拝観料も取られたし、ちゃんとご朱印も書いてもらえた。が、他に拝観中の人は誰もいない。私ひとり。


ここ、奈良の般若寺はコスモスが有名だが、水仙や蝋梅も見事だと言うので先週行ってみた。東大寺の北側、そう離れてもおらずアクセスも悪くはない、住宅街の中の小さな御寺。

古びた門は国宝、鎌倉時代のものだそう。




蝋梅の香り、甘い香りが漂ってくる。蝋梅って本当に繊細でガラス細工のよう。梅よりも寒いうちに咲いて春の予感を感じさせてくれる可憐な花だ。


ちょうど境内の真ん中にある十三重の宝塔は日本一高いとか。確かに住宅街の中にそびえたっているという感じだった。





…しかしそれにしても、庭は荒れ放題、コスモスの花畑は養生しているのでそれを避けつつ歩き、水仙は雑草のごとく伸び放題、このお寺はあまり手をかけないようにしているのかもしれない。確かに、わさわさと生えている水仙の中に見え隠れする石仏がいい雰囲気を出しているのだ。









初秋、コスモスの華やかな彩りとこの古寺と荒れた庭、というのは風情があるかもしれないと思う。

御寺めぐりをしていると、どうも印象に残る寺とそうでない寺があるが、ここはかなり記憶に残る寺になるだろう。


帰り道、興福寺に寄ってみる。

超望遠レンズを買ったらやってみたかったことの一つ、塔の上の「水煙」の部分を撮る事。これは絶対そばには寄れないので…



なんか、コードついてる…避雷用か? ちょっと興ざめだなあ…


じゃ、のんびり歩いている鹿さんたちにお別れを。






デジブック 『般若寺から興福寺へ』
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冬枯れ、鳥たち。

2015-02-11 18:38:59 | 現実
欲しかった超望遠レンズを買った。

高価なので何年も買わずにいたが、最近、半額とまではいかないがずいぶん値が下がって、これなら、と思い切って購入することにした。
小振りなパナソニックGF1ちゃんに取り付けるとさすがにごっつくてバランスが変な感じ。






私の撮りたい写真ごときでは今までのズームレンズでも取り立てて問題はないのだけれど、近寄れないところにある花を撮りたい!となったことが何度もあり、あったらいいなあ、と考えていた。

買ったらすぐ、撮りたくなるのが人情。

休みの日の朝にレンズが到着したので、近くの「コスプレイヤーの聖地」鶴見緑地に行って鳥でも撮って練習することにする。

ここは昔「花博」があった広大な緑地、広場でピクニックをする人もあり、犬の散歩の人々がおり、バーベキューも出来る。しかし、パビリオンだった建物が古びて手入れもされぬまま残っている箇所もあり、そのあたりがなかなかの雰囲気で、コスプレイヤーさんたちが撮影に使いたくもなるような妖しげなセッティング。

突然こんなのが出てくる。これはトルコ館。





これは中国の。



日本庭園の奥に歩いていくと、何もない林の奥と思ってたとこに長い髪の和服の女性が見えてぎょっとする。

コスプレイヤーさんでした。きれいな女の子で。和服で白い耳が飛び出しているんですが…




いやいや、こんなのを撮りに来たのではない。鳥! 大池にいっぱいいるのだ。




しかし鳥ってたいていアグレッシブな顔してるなあ。




鴨は可愛いけど。




うんうん、撮りやすい。
今まで、ここまで近寄れなかったもんな。
細部まで良く見えるわ。

逆に近くのものは撮れないけど…

ここは虫眼鏡マクロで。



やっと、梅の花が少しずつ咲き始めた。

早く暖かくならないかな。



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みをつくし料理帖

2015-02-08 17:19:43 | 読んだ本について
自己啓発本は苦手だ。


大分前にもそう書いた事があるが、「こうするとこう良いよ」と言われても「ふ~ん」
何故か心に沁みることがない。

会議などでよく、この手の本を、「ためになる」推薦書のごとく紹介されるが、2冊くらい義理で読んだきり、それも中身はほとんど忘れている。
賛成してくれた同僚がいたが、彼女も同じ読書タイプの人。

読書は楽しみのもので、勉強のためには本は読まない。

というか勉強と思って本を読んでも全く「ためにならない」のだからしょうがない。

かと言って、決して「クソの役にも立たんわ」と思いながら読んだわけではなく、「なるほどなあ」と思いながら読むのだ。一応。しかし沁みとおっていないらしく、参考に何かを実行したりすることはないし、すぐ忘れる。


しかしながら、小説に書いてあり、物語の中で出てくるものについては、感情移入するので真似をしたくなるものだ。

この「みをつくし料理帖」は典型。

以前から書店で見かけて気になってはいたが、かなり長いつづきもの、つまらなかったらなんかもったいないし…と思いつつ、読み始めてみたら止まらなくなった。面白い。
ストーリーも面白いが、中で出てくる食べ物がよい。そのストーリーの中で「人を慰める」「励ます」「込み入ったものを解決する」「新たに挑戦する」等のために料理を作る設定、冷蔵庫も冷凍庫もビニールハウスもない時代の設定でもあり、新鮮な食材を旬の季節に食べる良さも感じられる。

系統としては「美味しんぼ」に通じるものがあるんだろうが、「社会批判」に当たるものは江戸時代なので「身分、立場批判」になるだろうか。


料理好きの同居人は、「食べ物の描写がうまい小説は良い小説だ」というポリシーを持っているので、試しに「面白いよ」と勧めてみたら私以上にはまった。7巻辺りを読んでいるうちに彼は5巻くらいまで追い上げて来たので焦った。

この本のいいところは作中の料理のレシピがついているところ。食べてみたいと思ったら作れる、というのが楽しい。これまでに「とろとろ茶碗蒸し」「里の白雪」などみな面白い名前がついているが、あれこれ試してみた。結構、どれもイケる。
江戸時代の庶民的な料理屋の設定なので、ややこしい食材でなく、普通に家で作れるものもある。



「みをつくし読んでから今まで食べてなかったもの好きになった」と同居人。

確かに以前なら、昆布の佃煮や、蕗の煮物など食べることはなかったが、最近は自分で作ってくれる。まあ、年齢も行ってきたこともあるんだろうけれど…。

今日は、この小説の中でかなり重要な位置を占めている「こぼれ梅」(みりんの搾りかす)をたまたま近くの高級めスーパーで見かけてつい買ってしまった。そうしょっちゅう使うものでもないんだけど…そう、困るのはコレ。
「出て来たよね、食べてみたいよね、一回は」と言って変わったものも買ってしまうのが…。




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