たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

おせち(母の入院日記10)

2012-12-31 15:48:50 | 母の記憶
今年もおせちが届いた。今日は12月31日。

去年、今年とらでぃっしゅぼーやでおせちを頼んでいるので、年末は料理に必死になる予定なし、近所に美味しい蕎麦屋さんがあるので、そこで年越し蕎麦にするつもり、気楽な年越しである。お雑煮用の手毬麩や、明日夜に食べるつもりのてっちり用フグを買ってきて終わり。

おせち料理は「めでたい」「保存がきく」がキーワードでそれほど「美味しい」ものではないだろう。また我が家の様に2人しかいなければちまちまとたくさんのものを作ることもできない。したがって一昨年までは、食べたいもののみを作ったり買ったりして、ちょっとお正月らしく整える、と言う事をしていた。
同居人の会社から、3重のおせちをプレゼントされたこともあったけれど、まあまあ…位のもの。しかも2人には量が多すぎた。

らでぃっしゅなら材料も吟味してあるだろうと、試しに、と去年小振りのを注文してみたら結構美味しかったので今年も。中身は去年と同じようなものだ。



これはちょうど10年前のお正月、母の入院記録。ひさびさの登場だ。

年末から札幌の厚生病院に母は入院しており、毎日のように書いていたメモ帳の記録。この前日は元日で、父、同居人、私の3人は、長沼に住む母方の叔母の家に行き、料亭に勤めるいとこが店から持ってきてくれたおせちを食べさせてもらったのだ。
何が入っていたかまでははっきり覚えていないが、さすがに美味しいお料理が入っていたという記憶がある。

日記にも「私も食べてみたい」と書いてあるから、母はこの時期はまだ食欲もあったようだ。病院の朝ご飯もお雑煮で美味しかった、と言っていたし。

もう一人、お料理を作ってくれた、とあるのは父方の叔母だ。その頃は私の実家近くに住んでいたので、うま煮など余分に作ってくれた。
頂いてお世話になってばかりのお正月だった。

あれから10年、その間に、母を始めとして、家に招いてくれた母方の叔母とその連れ合いの叔父も亡くなってしまった。
お正月におせち、というとこの時の、いとこの手の入ったおせちもよく思い出される。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都晩秋

2012-12-10 18:58:03 | 現実
体調も落ち着いた12月最初の日曜、もうここを外しては紅葉狩りには遅すぎ、とうんと暖かくして出かけることになった。

行先は京都左京区、隠れた紅葉の名所、鷺森神社。そこから左京区の名所を少し回る予定、だったのは2週間前。その1週間前から体調を崩してしまい出かけることが出来なくなってしまったからだ。

最初に具合が悪くなったのは休日に、これも京都の東寺の特別拝観に出かけた日。頭が痛いな、とは思っていたのだが珍しい事でもなし、鎮痛剤で抑えて家に帰った頃からなんだかおかしくなってきた。食事の支度をし始めたら気分が悪くなり、少し食べただけだったのだがその後は食中毒の時のようなひどい吐き気がしてきた。しかし食中毒なら吐いたり下痢したり、という事になるはずだがそれはなく、ただひたすら気分が悪いのが続くだけ。

前日のおでんの残りが悪かったのか、とも思ったのだが、翌日からもずっと同じ状態が続いたのでおそらく食べ物のせいではなかったのだろう。
食べ物の調理の匂いなどが気持ち悪くて仕方ないので、白粥、味のないパン位しか食べられず、それも量は食べられないので1週間であっという間に2キロも痩せてしまった。
食べないので貧血も起こすし、力も出ず仕事も大変だった。この状態が約2週間。このトシでこれはきつい。

11月末になってずいぶん快くなり、匂いも大丈夫、量はムリだけれど味の付いたものも食べられるようになり、段々と普通のごはんになってきた所だったので、12月最初の週末は出かけても大丈夫だろうと判断。その前の週末は2日間、動く気力もなくほとんど寝ていたのだ。

「ちょっとでも具合悪くなったら速攻で帰るからな!」

「うん」

「ちょっとでもやせ我慢しているみたいだったらすぐ帰るからな!」

と念を押されて同居人と出かける。


本当は着物でも着ていきたかったのだが、体力的にしんどいのでやめる。せっかく秋冬用に着物のショールや襟巻も買ったのに

しかし貧血で電車に酔う事もなく、無事京都到着。

叡山電鉄、修学院の駅から山側に歩いて鷺森神社を目指す。さすがに京都は寒い!

鷺森神社は5月に訪れた場所、その時は人っ子一人いなかった。その時書いたこのブログの「休日散歩・京都の東側です」のアルバムに、ここの写真も載せたが、小さな森のなかのこじんまりとしたいい雰囲気のお社。
さすがに、隠れた、とはいえ知っている人も多いのだろう、訪れて写真を撮っている人も結構いる。といっても10人程度だけれど。



もう紅葉は終わりかけ、落葉を楽しむ、と言う状態になっているが、ここは楓が多いので、赤が見事。

森を抜けて曼珠門院、詩仙堂方面へ向かう。
この道が良い。緑鮮やかな初夏も良かったし、紅葉に彩られた今も美しい。




どこに続く石段なのか。



このあたりは、駅からのんびり歩いてくるとわからないが結構高いのだ。家々の間を通り抜けていくと、右側に京都の街を見下ろす形になる。

ゆっくり歩いていくとちょっとした人混み。圓光寺だ。
こちらは徳川家ゆかりのお寺だからだろうか、結構良く整備されている。小さな寺だけれど地所は広く、庭もよく手入れされている。

入り口近くに水琴窟があり、左側の竹の筒から聞くことが出来るようになっている。意外に賑やかなキンコン澄んだ音が続く。
そばに寄っただけでも聞こえるし、その方が風情があるけれど、この人混みでは人の声に消されてしまう。静かな時に聴いてみたいものだ。



詩仙堂へ回ると、それを上回る人人人!と思ったらちょうどツアーが到着したのだ。
前に来た時は休日ではなく、人も少なく、素晴らしい庭を楽しむことが出来たが、紅葉の時期の日曜の京都では仕方がない。それでもここも紅葉の絨毯、もう木々の紅葉は終わりでも足元を見ると豪華である。

この後は哲学の道へと南へ降りて行ったのだが、あいにく雨が降り始めたのであきらめ、バスで河原町へ。

先斗町で昔よく入った料理屋へ。記念日という事もあり、京懐石でディナーと言う事に。和食なら刺身以外ならまあまあ、食べられるだろうとの思惑もあり。
具合が良くなったら美味しいものを食べたいとずっと思っていたのだ。

食べ始めて少しすると仲居さんがやってきて言う。

「今日、先斗町で舞の会をやっていて、舞妓さんが来て、ちょっとお話して舞を見せる、というのをしてるんですが如何ですか」

一人3000円との事、それくらいならぜひすぐそばで舞妓さん見てみたい!長時間呼ぶなら相当花代もいるのだろうし、そんな贅沢もできないし。

「舞妓さんて白塗りでちょと怖いよね…」とそれ程興味のない同居人。
「めったにないチャンスだからいいでしょ!」と押し切って頼むことにした。

そういえばついさっき、木屋町の細い通りを歩いている時、芸妓さんと舞妓さんが3人くらいで歩いているのを見たのだ。その舞の会であちこち廻っているのだろう。

料理が運ばれる合間に舞妓さんがやってきた。賑やかにおしゃべりし、さすがサービス業、である。出身は京都ではなく、長野県だそう。ちゃんと京ことばで、着物や帯、簪もじっくり見せて説明してくれる。さすが先斗町の舞妓さん、豪華な物を身に着けている。着物は総絞りである。華やかな衣装は楽しいが、もうちょっと可愛い子だったらなあ… 

別のお部屋で(CDの音楽だけど)舞を見せてくれる。さすがにきちんと習っているな、と言う様子、正直踊っている時の方がかわいらしく見える。
こういう事に詳しい瀬戸内寂聴さんの小説に、同じことが書いてあったのをふと思い出す。どんなに不器量な子でも踊っている時はきれいに見える、というのだ。
本当なんだなあ…やはり、緊張感とか、決められた動きが美しさを与えるのだろうと思う。

紅葉も楽しめ、とりあえず京懐石も食べられるものは食べられ具合も悪くならず、舞妓さんにも会えて、記念日、兼快気祝いという所だった。




デジブック 『京都晩秋』
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする