「すべての叡智はローマから始まった」(藤谷道夫著/さくら舎)を読みました
著者は 私が昔愛読していた「実用イタリア語検定4・5級突破」を書かれた イタリア学会会長の藤谷道夫氏とのこと
古代ローマ帝国を書いた本は多いですが それを今の日本と比較して 今の日本を鋭く批判し またローマ帝国について批判する向きにも反論されており それが著者がこの本を書く動機ともなったとのこと
読みながら今の日本の現状を思うと落ち込んでしまいました...
第1章 ローマは現代文明の原型
古代ローマの諺「過つは人の性なり」 ローマでは「人は必ず過ちを犯すもの なので対策を取っておく」と 入念なリスク管理がなされるのこと
また ローマ帝国のセミナーでも習ったことのある「アリメンタ(児童扶養制度)」についても再読し 貧困をなくし 飢えて死ぬ人の出ないローマの政策が 実に感動ものでした 支援を受けた子供の方が 受けなかった子供よりも健康で生産的な大人になったとあります 餓死の心配がないのです 今のベーシックインカムの先駆けとのこと
これは 地元の地主に低金利で融資し その金利で子供たちに経済援助を行ったそうで この低金利ローン自体も 開発のための投資を可能にしたそうです
他にも リスク管理について 被災者はイタリアではホテルに入る(日本は避難所) 体罰について等... 今の日本と比較しています
第2章 史上初の共和制 ー ローマ一二〇〇年史Ⅰ
法治主義を史上初めて体現したのもローマでした 人種という観念もなく 民族主義でもなく 彼らを束ねるものは「法」だけでした
共和制の時代では 当時の寿命はわずか40代という中で 「名誉の階梯(クルスス・ホノールム)」を経る必要があったのですね 兵役のあと 護民官 造営官 法務官 最後にようやく執政官になる資格を得るのですね いきなり大統領になったりできませんね
またこの護民官も 平民から選ばれ 権力から平民を守るために拒否権を駆使するという 国家の役職に組み込まれた権力で 平民でも元老院議員になれる道ができました
帝政時代になると 憲法がなかったため 皇帝は独裁者となってしまうと最後は暗殺しかなくなります ローマについて習っていた時 多くの皇帝が次々と暗殺されてゆくのを知り そうまでしてローマ皇帝になりたいのか...と思ったものです
過去を記録し 徹底的に敗因分析を行い 2度と同じ轍を踏まないよう 失敗から学び続けたのですね また貴族は最上位の特権階級でしたが 税金も重く戦争に行かなければならず 貧者や奴隷は兵役免除でした
護民官のグラックス兄弟 (母親はかのスキピオの娘)の作ろうとしたセンプロニウス農地法は 富める者の土地に上限を設け 土地を失った農民に分配するというものでしたが 元老院最終勧告によって 若くして暗殺されてしまうのですよね... これは悲しかった しかも農民は戦争で作付けもできず 土地を取り上げられ その土地を安値で買った地主がさらに富んでゆき 大土地所有貴族(ラティフォンディスタとなってゆく格差拡大は 目を覆うばかりでした
第3章 世界国家を目指したカエサル ー ローマ一二〇〇年史Ⅱ
情報公開制度を世界で初めて創ったカエサル 農地法で土地を再分配し 植民地を建設し ローマ市民権を付与し 不法搾取取締法(ユーリウス法)で公正な属州統治を目指しました
「賽は投げられた」という有名な言葉 ガリア・キサルピーナ(アルプス以南のガッリア)の属州民にローマ市民権を与えたことで 北イタリアが本国に吸収され ルビコン川は国境ではなくなりました 今の形のイタリアが作られたのですね
カエサルが目指していたのは 勝者も敗者もない世界で 同盟関係で成り立つ世界国家だったとのこと 血の粛清を心底きらう統治者で 蓄財に興味もなく豪華な宮殿も墓すらも作らず... 真の指導者だったのですね
第4章 カエサルに学ぶ
独裁者とは正反対のカエサルは 極貧層が住むスブーラという庶民地区の小さな家に長く住んでいたそうです 市民をひとりも殺さず 兵はカエサルに忠実でした
怒りによる報復ではなく 高潔さと理性と善で抗する宣言をしたのですね
その思想を受け継いだのが五賢帝のひとり マルクス・アウレリウスでした
紀元前44年に終身独裁官となったのは 任期の短い役職だと政策がすぐに覆されてしまい 元老院の上に立つ究極のひとつの権力で改革を後戻りさせることのないようにとのことでした そのヴィジョンと遺志を カエサルの死後にアウグストゥスが継いだのですね
カエサルを暗殺した集団は 暗殺後のビジョンを持たず保身に明け暮れ 改革から背を向けました 12年間も戦地を東西奔走し ローマのために身を粉にしていたカエサルは暗殺され ローマはふたたび粛清の嵐の内戦状態となりますが 市民の第一人者(プリンケプス)のオクタヴィアヌスが この内乱の一世紀を終わらせました
第5章 帝政ローマの繁栄と凋落 ー ローマ一二〇〇年史Ⅲ
アウグストゥスは後継者に恵まれず その後は 統治能力の欠けたアントニウスの血をひくカリグラ ネロ等の治世となりますが 若くして巨大な権力を手にして暴君へと変貌してゆき 最後は暗殺されます
ウェスパシアヌス帝はコロッセオを建造します ローマ人は戦果を市民に公共財という形で還すのですね (ちなみに著者によると イタリア人は陽気なのではなく 人を喜ばせるために陽気にふるまっているのだそうです)
五賢帝のひとり 初の属州生まれの皇帝である トラヤヌス帝のすごいところは 権力を握ってもまったく変わらなかったところでした 帝国の領土は最大となり 戦利品でもって オスティア港 ローマ港等を造り アリメンタ制度を始めました
スペイン系のハドリアヌス帝は パンテオンを造り 帝国中を視察して回りました イングランドの「ハドリアヌスの長城(リーメス)」も造りました 領土の拡大をやめて維持に努めました
それから時代は下って軍人皇帝時代は闘争と殺害が繰り返され 目も当てられない程でした...
帝国を東西に分割して 正帝と副帝を置いて四分割統治を始めたのが 解放奴隷の子ディオクレティアヌス帝でした 専制君主制(ドミナートス)へと変えたのです 彼は殺害されず天寿を全うした皇帝でした というのも キリスト教という一神教により 不可侵の地位を得たからなのですね
そして コンスタンティヌス大帝はキリスト教を認め 首都をコンスタンティノープル(現イスタンブール)に移します
テオドシウス帝がキリスト教を国教と定め その後 東ローマ帝国と西ローマ帝国へと別々の道を歩み 西ローマ帝国は 479年にオドアケルによって滅ぼされ 東ローマ帝国は1453年にオスマン帝国に滅ぼされるまで生き永らえます
第6章 ローマ帝国を支えた技術力
こちらは技術的な面からローマ帝国をとらえています
電信柱と踏切がないこと 景観法により美しい街並みが保たれていることなど ローマンコンクリートの優れた点(今のコンクリートとは全く違う)とパンテオンについて 「平和の祭壇(アラ・パーキス)」 すべてのスタジアムの原型となったコロッセオの技術のすごさ ポリュスパストンという 複滑車による究極のリフト機
水力の大理石カッター 傾斜だけで水を運んだローマ水道(サイフォン式が使われた)は 11本も造られていたこと カラカッラ浴場だけではないローマ公共浴場とその役割 アッピア街道等のローマ街道には4層構造の敷石舗装道路が作られていたことなど
アッピア街道 世界遺産候補です
カエサルが水上抗打機でもってガリアとの闘いでライン川に木造の橋(400m)を わずか10日間で作ったことなど... さらには ローマ軍が無敵と言われた様々な武器 バッリスタ(投射機) ポリュボロス(連弩砲)など... ダヴィンチが時を経て「再発名」したのですね 知らなかった... 蒸気機関の原型となる「アエオルスの球」もアレクサンドリアで紀元前1世紀発明されていたのですね
第7章 ローマが育てた民主主義の思想
ローマが育てた民主主義の在り方について 10の必須条件が述べられています
第8章 今も生きるローマ人の箴言
総まとめです 様々な後世の歴史家たちの言葉が連なって 含蓄深いです
実に読み応えがありました 注釈まで細かく読み込んでいくと さらに「目からウロコ」です📖
今の私たちの生きる時代と ローマ帝国の時代を比べてみることの大切さをしみじみと感じた次第です
「すべての叡智はローマから始まった」の本は こちら