日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

サルデーニャの街ボーザ(Bosa)の魅力をご紹介「イタリアで一番美しい町・村」コンテストで2位に!(Rai2014)

2016年03月25日 | サルデーニャ・シチリア

サルデーニャの街(borgo)ボーザ(Bosa)の魅力をご紹介「イタリアで一番美しい町・村」コンテストで2位に!(Rai2014)



ローマから サルデーニャのアルゲーロ(Alghero)空港に乗り継ぎ そこから美しい海沿いの道を走り ボーザ・マリーナ(Bosa Marina)からテモ(Temo)川沿いにのぼってゆくと 小さなボーザ(Bosa)の街(borgo)に着きます...
ここは2014年にRaiの番組”alle falde del Chilimangiallo(キリマンジャロのふもとで)”の「イタリアで一番美しい町・村」コンテストで 2位に選ばれた街なのです...

     *         *          *

ふとしたご縁で サルデーニャには一度も行ったこともない私が サルデーニャのBosaという小さな街に2014年にできた語学学校とかかわることになり サルデーニャの本を読んだりして少しずつ興味を持つようになりました

そこで今回このサルデーニャの小さな街(borgo) ボーザ(Bosa)について 少しですがご紹介させていただきますね:


Bosa(ボーサ) 標高2m,人口約8,000人
 (ちなみに州都であるカリアリ/Cagliariは22万人)

サルデーニャでもっとも特徴ある町のひとつで 船が流れる川に沿って作られた唯一の町
昔はスペインとの交易が盛んでしたが 今は観光が主な経済資源となっています
ワイン(Vino Malvasia) 網目形のレース(filet、メルレッティ) 黄金細工職人 錬鉄 男性コーラス等で有名 丘の上には サルデーニャの中世のもっとも良い例である Malaspina城が建っています  

Bosa の観光サイトは こちら

6月29日
S. Pietro祭では Temo川でボート競走が行われます
8月第1日曜日S.Maria祭でも同様のことが行われます
9月8日Regnos Altos祭りでは 町から城まで宗教的パレードが行われます

Bosaのカーニバルはとても有名で 1週間前の木曜には 仮面を付けた人々が歌いながら家々をまわり食べ物を集めます
カーニバルが終わると カーニバルの象徴であるGiolzi人形を集めて 中央広場で燃やすのです
夜には町の灯りはすべて消され 皆がろうそくをかざして巨大なかがり火を待ち カーニバルは終わりを告げるのです...


    出典: ガイドブック『魅了するサルデーニャ』(サルデーニャ文化会館発行)
 

ボーザの町の魅力は その人間の尺度に合った規模にある
道幅が狭いため 町中にはあまり車が入り込まず、住民を主役とするのどかな生活の場が見られる
路地に椅子を出し トランプをする子供たち 伝統的なレースを編む老婦など 地中海らしい戸外生活を楽しむ人たちが たくさんいる
       
出典: 『地中海の聖なる島 サルデーニャ』陣内秀信・柳瀬有志(山川出版社)より


       *       *      *

サルデーニャ語(lingua sarda/sardo)について

サルド語(sardo/sardu)は独自の文法を持つ言語で 島中で話されており方言ではない
サルデーニャには 北アフリカからやってきた人々が 旧石器時代から住み着いていたという
そしてスペインから他の人々(Balari)が またフェニキア人 のちにカルタゴ人がやってきた
フェニキア人以前 東洋からのヌラーゲ人の到来は サルデーニャに著しい特徴をもたらしたが 当時はまだ書き言葉をもたらさなかったようだ

紀元前4世紀頃 ローマ人はこの島を侵略し始めたが 238BCになって初めて 島をカルタゴ人から奪うのに成功した
カリアリとポルトトレス周辺では ラテン語が普及し始めた
9世紀になりサルデーニャは政治的に独立し始めた 
今でも唯一アルゲーロでは カタラン語が話されている

スペインの支配はサルド語にほんの少し影響を与えただけだったが サヴォイ(サヴォーヤ家)とともにイタリア語が正式に入ってきて サルド語は方言とみなされるようになる
しかし現実には サルド語は他のロマンス語とは違い 独立した言語である      
ガイドブック『魅了するサルデーニャ』(サルデーニャ文化会館発行)

(今でも島のお年寄りはサルド語を話し 若者は主にイタリア語を話すのだそうです)


また 少し離れたヌオロ(Nuoro)には 1926年ノーベル文学賞を受賞したグラツィア・デレッダ(Grazia Deredda)の生家(Museo Deleddiano) があります サルデーニャ鉄道が通じています


Bosaの歴史:

どこかスペインの雰囲気が漂うのも当然のことで、この町は13世紀末から18世紀に至るまでの長い間、スペインのアラゴン王国の支配下にあったのだ。

町の起源は、紀元前9~8世紀にフェニキア人のつくった集落にさかのぼるそうで、当時の碑文が残っているという。
以後は、ローマの支配やイスラムの侵入などを経て、アラゴン=カタルーニャ連合王国の植民地となった。

19世紀に入ると、イタリア統一を目指すサルデーニャ=ピエモンテ王国の支配下に組み込まれ、1807~21年にはボーザに県庁が置かれていたそうだ。
 ちなみに、つい最近までヌーオロ県に属していたはずだが、いつのまにかオリスターノ県に所属しているのも不思議である。

* Bosaの美しい町の風景と 伝統的な男性コーラスを紹介する映像は こちら

Bosaの魅力と祭り(festa)については こちら

(出典: Sardinia Summer School and ServicesのFacebookより/2015年3月)

* サルデーニャとボーザのお祭りカレンダーの記事は こちら


* Bosaの町が 2014年にRaiの番組”alle falde del Chilimangiallo(キリマンジャロのふもとで)”の「イタリアで一番美しい町・村」コンテストで 2位に選ばれた時のTV映像は こちら 
(ラストに Bosaの名産Malvasiaワイン filetの刺繍や なめし革 男性コーラス等の紹介もあります)

(出典: Sardinia Summer School and ServicesのFacebookより/2014年11月)



ちなみに このコンテストで見事1位に選ばれたのは...シチリアのGangi(ガンジ)という街(borgo)です(^_^)
Raiの2時間番組は こちら ←そのうち書きます♪


Bosa そして Bosa Marinaをヘリコプターで空撮したRaiの映像は こちら

Bosa そしてサルデーニャは 大都市にはない魅力がたくさんあります 
長寿(100才を越える)の村 大自然 治安のよさ 人々の優しさ イタリア本国とは違う独特の文化...

Sardegnaの観光サイト(イタリア語)は こちら
Bosaのページは こちら
イタリア政府観光局(ENIT)の サルデーニャのページは こちら

Sardinia Summer School and Services校の日本窓口ができました!! 詳しくは こちら

「サルデーニャ旅」は こちら

* 写真は Bosaに流れる Temo川と Malaspina城 (Sardignia Summer school のHPより)


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