
先日の新潟の旅で、2日目のバスツアーで行った 北方文化博物館
ここは私の備忘録でもありますので、今更ではありますが記事に上げておきます。

全国的にも有数の規模を誇った、越後千町歩地主 伊藤家 の、豪壮な館と美術品などが
当時の面影のままに保存展示されている、登録有形文化財です。
越後隋一の大地主伊藤家は、全盛期には1市4群64ヶ町村に1370余町歩の田畑を所有。
作徳米は3万俵余と言われていました。

広大な敷地の周りはお濠になっています。

門をくぐってからお屋敷までが、遠い遠い・・・・・


明治15年から8年がかりで立てられた、伊藤家の豪壮な本邸は
敷地8,800坪(29,100㎡)建坪1200坪(3,967㎡)部屋数65を数える、純日本式住居で
昭和21年遺構保存のため「財団法人北方文化博物館」が創設され、寄贈されました。



各地の名石を配し、鎌倉・室町の古式に寄って作られた回遊式庭園。
銀閣寺ゆかりの庭師、田中泰阿弥によって5年がかりで作られました。





美しい庭園に面した座敷は、柱、天井、式台、戸に至るまですべて欅造り。
特に式台と戸は一枚板を仕様、雨戸が26枚収まる戸袋や、座敷を囲む廊下には
柱が一本もない釣り欄間工法を用いるなど、贅を尽くした造りになっています。
床の間を挟んで7つの部屋があり、畳の数は全部で100枚にも及ぶという圧巻の座敷。



当時50人の従業員が働いており、毎朝1俵のお米を炊いたと言われるかまど


三楽亭 世にも稀なる正三角形の小亭で、建坪11坪余の書斎兼茶室
柱、畳、建具のほとんどが三角形や菱型の入念な細工が施された独創的な建物。


三楽亭 を模したのでしょうか?
敷地内の公衆電話ボックスは、かわいい三角形をしていました。

駐車場に通じる出入り口 西門

屋敷の外には、米どころ新潟の広大な田んぼの風景が広がっていました。
この風景も当時の面影を残しているのでしょうか?

飲み物を買うと新潟便が聞けるという、実に観光的な自販機。



北方文化博物館のことは、全くの無知での訪問でしたが
所有地のすごさは町内の域ではなく、市町村にまたぐ勢いだったということで
かつての豪農の勢力を目の当たりにして、唸る思いでした。
かつての面影のままに、立派に手入れをされた家屋敷を
こうやって文化財として後世に伝えることは、歴史的にも大切なことですね。
待遇的には、農家にも筆頭格の名主、庄屋という層には苗字、帯刀を認めていたという江戸時代の政策もありますが、この建物は明治時代ですから、もう少し建築技術が発達した時代ですね。
こういう文化財は、なんらかの形で残していかなければと思いますし、観光名所になることで新潟の文化を発信できればと思います。