「横浜瀬谷:八福神めぐり(前半)」から続く。
1月13日(土)は、「横浜瀬谷:八福神めぐり」の残り(徳善寺、善昌寺、妙光寺)を回ってみました。
<徳善寺(とくぜんじ)>
横浜市立大門小学校の後ろの裏側にある徳善寺は、前回の八福神めぐりから6年以上も経っていましたが、道に迷わないで着くことが出来ました。
取り敢えず、平成門の扁額が掛かっている山門を撮ってみました。
山門の両側に仁王さんが立っていたので撮ってみました。
山門をくぐると、正面に立派な本堂が見えたので撮ってみました。
尚、八福神毘沙門天は、山門の左手にあります。
山門の右手にあった鐘楼を撮って本堂に向かいました。
本堂で、八福神めぐりが完遂できますようにお参りをしました。
お参りしてから山号(瀬谷山)を撮ってみました。
本堂の右側で毘沙門天の御朱印を押して、八福神毘沙門天に行ってみました。
残念ながら扉が閉まっていたので、毘沙門天は撮れませんでした。
尚、毘沙門天は財富・福徳・消災にご利益があります。
八福神毘沙門天の後ろに、『おがむ』と彫られた石仏があったので撮ってみました。
近くに『信じる』と彫られた石仏もありました。
奥に行くと『生きる』と彫られたご覧のような石仏があったので撮ってみました。
又、『絆』と彫られたご覧のような可愛らしい石仏もありました。
墓地の手前に、ご覧のような『義民の碑』があったので撮ってみました。
尚、碑には、”川口”、”平本”の苗字(名字)も彫られていました。
ご覧のような六地蔵尊(七地蔵尊?)があったので撮って徳善寺を後にしました。
次の善昌寺へは、車の往来が多い瀬谷柏尾道路(県道401号線)を避けて鎌倉古道で行ってみることにしました。
<善昌寺に向かう>
瀬谷柏尾道路の近くに「あじさいの里(白鳳庵)」があったので中に行ってみました。
門の手前に「明治年代神奈川県庁の門」の碑が建っていました。
門の先に行くと、左手にご覧のような白壁の蔵が3棟建っていました。
正面にご覧のような母屋(?)があったので撮ってみました。
庭の奥の方に行ってみましたが、季節外れなので紫陽花の気配もありませんでした。
「あじさいの里」を後に、鎌倉古道に出る予定でしたが道み迷ってしまい海軍道路(環状4号線)に出てしまいました。
仕方がないので、中瀬谷消防出張所まで行って中屋敷から瀬谷柏尾道路を超えて鎌倉古道に出ました。
鎌倉古道に出て暫く歩くと、瀬谷銀行跡があったので撮ってみました。
<善昌寺(ぜんしょうじ)>
ご覧のような大きなタブノキのある善昌寺に着きましたが、道に迷ったら関係で徳善寺からは50分近くもかかってしまいました。
取り敢えず、善昌寺山門を撮ってみました。
本堂では、無事に善昌寺に着けたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから八福神恵比寿神に行ってみました。
家内安全、商売繁盛にご利益のある恵比寿神を撮ってみました。
折角なのでアップでも撮ってみました。
本堂の右側で恵比寿神の御朱印を押して、本堂を横から撮ってみました。
タブノキの近くに、ご覧のような六地蔵があったので撮ってみました。
横浜市の名木古木に指定されているタブノキを撮って善昌寺を後にしました。
善昌寺から瀬谷柏尾道路に出て、最後の妙光寺に向かいました。
瀬谷柏尾道路に出る箇所に、北向地蔵尊があったので撮ってみました。
<妙光寺(みょうこうじ)>
瀬谷柏尾道路に出て暫く歩くと、妙光寺山門がありました。
山門の左側に八福神大黒天がありましたが、取り敢えず、本堂に向かいました。
本堂で、どうにか八福神めぐりが完遂できたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから立派な扁額を撮ってみました。
本堂の左側に日蓮上人像があったので撮ってみました。
境内にあった鐘楼を撮って、隣りの八福神大黒天に行ってみました。
大黒天の扁額に掛けられている八福神大黒天を撮ってみました。
取り敢えず、富喜・長寿のご利益のある大黒天を撮ってみました。
折角なので、大黒天をアップで撮って、妙光寺を後にしました。
これで「横浜瀬谷:八福神めぐり」が済んだので、境川沿いを歩いて大和駅に向かいました。
「横浜瀬谷:八福神めぐり」が果たせたので、八福神の御朱印を押した御朱印帳を撮ってみました。
1月13日(土)は、「横浜瀬谷:八福神めぐり」の残り(徳善寺、善昌寺、妙光寺)を回ってみました。
<徳善寺(とくぜんじ)>
横浜市立大門小学校の後ろの裏側にある徳善寺は、前回の八福神めぐりから6年以上も経っていましたが、道に迷わないで着くことが出来ました。
取り敢えず、平成門の扁額が掛かっている山門を撮ってみました。
山門の両側に仁王さんが立っていたので撮ってみました。
山門をくぐると、正面に立派な本堂が見えたので撮ってみました。
尚、八福神毘沙門天は、山門の左手にあります。
山門の右手にあった鐘楼を撮って本堂に向かいました。
本堂で、八福神めぐりが完遂できますようにお参りをしました。
お参りしてから山号(瀬谷山)を撮ってみました。
本堂の右側で毘沙門天の御朱印を押して、八福神毘沙門天に行ってみました。
残念ながら扉が閉まっていたので、毘沙門天は撮れませんでした。
尚、毘沙門天は財富・福徳・消災にご利益があります。
八福神毘沙門天の後ろに、『おがむ』と彫られた石仏があったので撮ってみました。
近くに『信じる』と彫られた石仏もありました。
奥に行くと『生きる』と彫られたご覧のような石仏があったので撮ってみました。
又、『絆』と彫られたご覧のような可愛らしい石仏もありました。
墓地の手前に、ご覧のような『義民の碑』があったので撮ってみました。
尚、碑には、”川口”、”平本”の苗字(名字)も彫られていました。
ご覧のような六地蔵尊(七地蔵尊?)があったので撮って徳善寺を後にしました。
次の善昌寺へは、車の往来が多い瀬谷柏尾道路(県道401号線)を避けて鎌倉古道で行ってみることにしました。
<善昌寺に向かう>
瀬谷柏尾道路の近くに「あじさいの里(白鳳庵)」があったので中に行ってみました。
門の手前に「明治年代神奈川県庁の門」の碑が建っていました。
門の先に行くと、左手にご覧のような白壁の蔵が3棟建っていました。
正面にご覧のような母屋(?)があったので撮ってみました。
庭の奥の方に行ってみましたが、季節外れなので紫陽花の気配もありませんでした。
「あじさいの里」を後に、鎌倉古道に出る予定でしたが道み迷ってしまい海軍道路(環状4号線)に出てしまいました。
仕方がないので、中瀬谷消防出張所まで行って中屋敷から瀬谷柏尾道路を超えて鎌倉古道に出ました。
鎌倉古道に出て暫く歩くと、瀬谷銀行跡があったので撮ってみました。
<善昌寺(ぜんしょうじ)>
ご覧のような大きなタブノキのある善昌寺に着きましたが、道に迷ったら関係で徳善寺からは50分近くもかかってしまいました。
取り敢えず、善昌寺山門を撮ってみました。
本堂では、無事に善昌寺に着けたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから八福神恵比寿神に行ってみました。
家内安全、商売繁盛にご利益のある恵比寿神を撮ってみました。
折角なのでアップでも撮ってみました。
本堂の右側で恵比寿神の御朱印を押して、本堂を横から撮ってみました。
タブノキの近くに、ご覧のような六地蔵があったので撮ってみました。
横浜市の名木古木に指定されているタブノキを撮って善昌寺を後にしました。
善昌寺から瀬谷柏尾道路に出て、最後の妙光寺に向かいました。
瀬谷柏尾道路に出る箇所に、北向地蔵尊があったので撮ってみました。
<妙光寺(みょうこうじ)>
瀬谷柏尾道路に出て暫く歩くと、妙光寺山門がありました。
山門の左側に八福神大黒天がありましたが、取り敢えず、本堂に向かいました。
本堂で、どうにか八福神めぐりが完遂できたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから立派な扁額を撮ってみました。
本堂の左側に日蓮上人像があったので撮ってみました。
境内にあった鐘楼を撮って、隣りの八福神大黒天に行ってみました。
大黒天の扁額に掛けられている八福神大黒天を撮ってみました。
取り敢えず、富喜・長寿のご利益のある大黒天を撮ってみました。
折角なので、大黒天をアップで撮って、妙光寺を後にしました。
これで「横浜瀬谷:八福神めぐり」が済んだので、境川沿いを歩いて大和駅に向かいました。
「横浜瀬谷:八福神めぐり」が果たせたので、八福神の御朱印を押した御朱印帳を撮ってみました。