1月16日(土)は、「横須賀/ソレイユの丘」に行った帰りに、マグロが食べたくなったので「三崎港」に行ってみました。
「三崎港」へは京急バスのバス停「三崎口駅」から行きますが、「三浦半島1DAYきっぷ」があるのでタダです。
バス停「三崎港」に着いたのは15時前でしたが、夕飯には早かったので辺りを散策することにしました。
<観光地図>
三崎フィッシャリーナ・ウォーフ「うらり」は行ったことがあるので、三崎公園の「観光地図」に載っていた寺院(光念寺、本瑞寺、海南神社)にお参りしてから「三崎城址」に行って、「三崎港」に戻って来ることにしました。
取り敢えず、県道26号線から裏道に入って、マグロが食べれそうな食事処を探しながら西の方に行ってみました。
<曹洞宗 音岸寺(おんがんじ)>
裏道を5分程歩くと、右側にご覧のような石段があったので上ってみました。
石段を上り切ると、「宮城音岸寺 波切守護不動尊」の表札がある「音岸寺」がありました。
ご覧のような手水があって、蛇口柱の上にタワシが置いてありました。
みっともないので、片付けようと思ったら固定されていました(なんだかなぁ!)。
手水の奥には「三浦半島三十三観音札所 音岸寺」の立て札があって、『ご本尊は十一面観世音菩薩だが、聖観音、勢至観音、千手観音、准胝観音、馬頭観音、如意輪観音の七観音像に加えて、波切不動尊もある。俗に「城の観音」ともいわれ、文久二年(1862)に建立された。・・・』と書いてありました。
取り敢えず、本堂でお参りしてから扁額を撮ってみました。
人が住んでいないようなので、失礼して内部も撮らせていただきました。
お寺の外観を撮って「音岸寺」を後にしました。
「音岸寺」の前には小さな公園があって、公園に入る石段を上ると、昔は入り江だったような場所(現在は住宅などが建っています)を見渡せる道に出ました。
この道から、あちこちにお寺の屋根が見えたので回ってみることにしました。
<浄土真宗 最福寺(さいふくじ)>
「音岸寺」から5分程歩くと「最福寺」の山門に着きましたが、上に付いているのは電燈ですかね!?
左側に立派な鐘楼があったので撮ってみました。
ご覧のような手水舎がありましたが、水道柱がユニークですね!
取り敢えず、本堂を撮ってみました。
本堂にお参りしてから扁額を撮ってみましたが、「最福寺」で間違いありませんよね!?
<住吉神社>
「最福寺」に行く途中で、下の方に神社が見えたので戻って行ってみました。
一番下まで下りないで石段の途中から「住吉神社」に行けました。この神社は朱色が鮮やかですね!
あまり大きくない神社にしては、立派な本坪鈴だったのでアップで撮ってみました。
帰りがけに、下の方に見えた御神木(?)を撮って「住吉神社」を後にしました。
<浄土真宗 長善寺(ちょうぜんじ)>
「最福寺」の近くまで戻って、5分程歩くと「長善寺」の山門がありました。
取り敢えず、「長善寺」の本堂を撮ってみました。
お参りしてから本堂を斜めから撮ってみましたが、山号は「一向山」となっていました。
「長善寺」を後に、石段の坂道を下ると左側に「圓照寺」、右側には「大乗寺」がありました。
<真宗大谷派 圓照寺(えんしょうじ)>
山門の先に、細長い「圓照寺」がありました。
取り敢えず、本堂を撮ってみました。
お参りしてから扁額を撮ってみましたが、山号は「香水山」となっていました。
境内はあまり広くなく見る所もなかったので、次の「大乗寺」に行くことにしました。
<日蓮宗 大乗寺(だいじょうじ)>
「大乗寺」の石段の手前には、『九老僧日範上人開山霊場 妙法蓮華経本化道場圓海山』と書かれた柱が建っていました。
石段を上ると門扉は閉まっていましたが、脇から入ることが出来ました。
取り敢えず、遠くから本堂を撮ってみました。
境内の右側に、由緒ありそうな建物があったので近くに行ってみました。
「清正公堂」の額が掛けてありましたが、加藤清正と関係あるのですかね!?
本堂でお参りしてから扁額を撮ってみましたが、山号は先程の柱に書いてあった「圓海山」でした。
「大乗寺」は、かつて入り江に建てられたようで、墓地の上の方は道路になっていました。
墓地には、ご覧のようなお地蔵さんが祀られていました。
「大乗寺」からは、県道26号線を渡った先の屋根が見えたお寺に行ってみました。
<真宗大谷派 浄称寺(じょうしょうじ)>
「大乗寺」からは2~3分で「浄称寺」に着いてしまいました。
取り敢えず、立派な本堂を撮ってお参りをしました。
梵鐘がない鐘楼があったので撮ってみましたが、傍にある背の高い植物は棕櫚 (シュロ)ですかね!?
棕櫚と鐘楼そして本堂を一緒に撮って「浄称寺」を後にしました。
県道26号線に出たので、北上して三浦市役所の先にある「三崎城址」に行ってみることにしました。
三浦公園の「観光地図」には、「三崎城址」は三浦市役所の先にありました。
<三崎城址>
県道26号線を歩いると、ご覧のような城壁(?)がありました。
この城壁を見ると、かつてはお城があった雰囲気がしますね!
三浦市役所に着きましたが、「三崎城址」は直ぐに見つけられませんでした。
辺りをうろついていると道端に「三崎城跡」の案内板がありましたが、もっと立派な大きい物を期待していました。
「三崎城址」を後に、「三崎港」に戻ることにしましたが、県道26号線ではなく別の道から帰ることにしました。
途中、「本瑞寺」の駐車場案内が出ていたので行ってみました。
坂道を上ると入口が2ヶ所ありました。
どっちにしようかと表札を見に行くと、手前が「本瑞寺裏門」、奥が「光念寺」でした。
⇒ お寺がお隣さん同士とは思いませんでした。しかも、「観光地図」に載っていたお寺でした。
<曹洞宗 本瑞寺(ほんずいじ)>
取り敢えず「本瑞寺裏門」を撮って、中に行ってみることにしました。
しめ縄が飾ってある立派な鐘楼があったので撮ってみました。
本堂でお参りしてから境内を散策することにしました。
「桜の御所跡」があったので撮ってみました。
説明板には、『建久の昔(1190年代)時の将軍源頼朝は風光のすぐれた三浦市に三っの御所を設けました。桜、桃、椿の御所がそれで、ここ本瑞寺は「桜の御所」のあったところです。・・・』と書いてありました。
傍にロウバイが咲いていて甘い芳香を漂わせていました。
反対側にご覧のような梅が咲いていたのでアップで撮ってみました。
大きなヤシ(?)の木と一緒に本堂を撮って、隣の「光念寺」に行ってみました。
<浄土宗 光念寺(こうねんじ)>
「本瑞寺裏門」の隣りにあった「光念寺」の門を撮ってみましたが、こちらも裏門ですかね!?
「光念寺」にも立派な鐘楼がありました。
取り敢えず、本堂を撮ってみましたが、右にあるのは「お化け灯篭」ですね!
ついでに、「お化け灯篭」越しに本堂を撮ってみました。
本堂でお参りをしましたが、山号は「見龍山」となっていました。
「筌龍弁財天」が祀られている由緒ありそうな弁天堂がありました。
失礼して内部を撮らせていただきましたが、上手く撮れていませんでした。
「光念寺」はご覧のような門から出ましたが、本堂が眼の前にあるのでこちらが正門でしたね!?
正門を出ると、眼の前に素晴らしい景色が飛び込んできました。奥に見える橋は城ヶ島大橋ですね!
坂道を下ると、右側にご覧のようなお地蔵さんが祀ってあったので撮ってみました。
又、お地蔵の前に「子育て稲荷神社」があったのでお参りしました。
坂道を更に下ると、右側に古い建物があったので行ってみました。
張り紙があって、『永く親しまれた入船のお不動さんは本瑞寺に移転されました。・・・』と書いてありました。
塀際に小さな祠があってキツネ二匹話し込んでいました。
ひそひそ話をしているようなのでアップで撮ってみました。
元の坂道に戻って暫く歩き石段を下ると「海南神社」の鳥居が見えました。
<海南神社>
取り敢えず、「海南神社」の鳥居を撮ってみました。
ご覧のような手水舎で身を清めて境内に入ります。
手水舎の後ろに大きな銀杏があったので撮ってみました。
手前に御神木の説明板があって、源頼朝の手植えの雌雄銀杏だったので撮り直しました。
取り敢えず、拝殿にお参りしてから境内を散策することにしました。
正面から拝殿を撮ってみましたが、本坪鈴がたくさん付いていますが、奉納されたものですね!?
本坪鈴をアップで撮ってみました。
お参りしてから扁額をアップで撮ってみました。
拝殿の左手に、相州海南高家神社の社殿があったのでに行ってみました。
相州海南高家神社の左に、祭神磐鹿六雁命の大絵馬があったので撮ってみましたが、上手く撮れていませんでした。
神楽殿の欄間にも日本神話の額が掲げられていました。
金毘羅宮の鳥居の右に、ご覧のような御馬社がありました。
中を覗いてみると木造の白馬が祀られていました。
一応、境内を散策したので「海南神社」を後にして、当たりを付けていた「三崎マグロと地魚」の食事処に行ってみることにしました。
いろんな寺院を回った割には食事処に着いたのは17時前でした。
マグロが食べたくて「三崎港」に行ったのですが、マグロだけでは厭きてしまいました。又、マグロのお刺身は大丈夫なのですが、一品料理はあまり好みでないことが分かりました。
只、日本酒も飲んだのですが、山口の”獺祭”より飲みやすい秋田の”やまとしずく”に出会たのは収穫でした。
今回は、下調べしないで「三崎港」に行ったのですが、短時間でお寺巡りができる寺町だったとは知りませんでした。
「三崎港」へは京急バスのバス停「三崎口駅」から行きますが、「三浦半島1DAYきっぷ」があるのでタダです。
バス停「三崎港」に着いたのは15時前でしたが、夕飯には早かったので辺りを散策することにしました。
<観光地図>
三崎フィッシャリーナ・ウォーフ「うらり」は行ったことがあるので、三崎公園の「観光地図」に載っていた寺院(光念寺、本瑞寺、海南神社)にお参りしてから「三崎城址」に行って、「三崎港」に戻って来ることにしました。
取り敢えず、県道26号線から裏道に入って、マグロが食べれそうな食事処を探しながら西の方に行ってみました。
<曹洞宗 音岸寺(おんがんじ)>
裏道を5分程歩くと、右側にご覧のような石段があったので上ってみました。
石段を上り切ると、「宮城音岸寺 波切守護不動尊」の表札がある「音岸寺」がありました。
ご覧のような手水があって、蛇口柱の上にタワシが置いてありました。
みっともないので、片付けようと思ったら固定されていました(なんだかなぁ!)。
手水の奥には「三浦半島三十三観音札所 音岸寺」の立て札があって、『ご本尊は十一面観世音菩薩だが、聖観音、勢至観音、千手観音、准胝観音、馬頭観音、如意輪観音の七観音像に加えて、波切不動尊もある。俗に「城の観音」ともいわれ、文久二年(1862)に建立された。・・・』と書いてありました。
取り敢えず、本堂でお参りしてから扁額を撮ってみました。
人が住んでいないようなので、失礼して内部も撮らせていただきました。
お寺の外観を撮って「音岸寺」を後にしました。
「音岸寺」の前には小さな公園があって、公園に入る石段を上ると、昔は入り江だったような場所(現在は住宅などが建っています)を見渡せる道に出ました。
この道から、あちこちにお寺の屋根が見えたので回ってみることにしました。
<浄土真宗 最福寺(さいふくじ)>
「音岸寺」から5分程歩くと「最福寺」の山門に着きましたが、上に付いているのは電燈ですかね!?
左側に立派な鐘楼があったので撮ってみました。
ご覧のような手水舎がありましたが、水道柱がユニークですね!
取り敢えず、本堂を撮ってみました。
本堂にお参りしてから扁額を撮ってみましたが、「最福寺」で間違いありませんよね!?
<住吉神社>
「最福寺」に行く途中で、下の方に神社が見えたので戻って行ってみました。
一番下まで下りないで石段の途中から「住吉神社」に行けました。この神社は朱色が鮮やかですね!
あまり大きくない神社にしては、立派な本坪鈴だったのでアップで撮ってみました。
帰りがけに、下の方に見えた御神木(?)を撮って「住吉神社」を後にしました。
<浄土真宗 長善寺(ちょうぜんじ)>
「最福寺」の近くまで戻って、5分程歩くと「長善寺」の山門がありました。
取り敢えず、「長善寺」の本堂を撮ってみました。
お参りしてから本堂を斜めから撮ってみましたが、山号は「一向山」となっていました。
「長善寺」を後に、石段の坂道を下ると左側に「圓照寺」、右側には「大乗寺」がありました。
<真宗大谷派 圓照寺(えんしょうじ)>
山門の先に、細長い「圓照寺」がありました。
取り敢えず、本堂を撮ってみました。
お参りしてから扁額を撮ってみましたが、山号は「香水山」となっていました。
境内はあまり広くなく見る所もなかったので、次の「大乗寺」に行くことにしました。
<日蓮宗 大乗寺(だいじょうじ)>
「大乗寺」の石段の手前には、『九老僧日範上人開山霊場 妙法蓮華経本化道場圓海山』と書かれた柱が建っていました。
石段を上ると門扉は閉まっていましたが、脇から入ることが出来ました。
取り敢えず、遠くから本堂を撮ってみました。
境内の右側に、由緒ありそうな建物があったので近くに行ってみました。
「清正公堂」の額が掛けてありましたが、加藤清正と関係あるのですかね!?
本堂でお参りしてから扁額を撮ってみましたが、山号は先程の柱に書いてあった「圓海山」でした。
「大乗寺」は、かつて入り江に建てられたようで、墓地の上の方は道路になっていました。
墓地には、ご覧のようなお地蔵さんが祀られていました。
「大乗寺」からは、県道26号線を渡った先の屋根が見えたお寺に行ってみました。
<真宗大谷派 浄称寺(じょうしょうじ)>
「大乗寺」からは2~3分で「浄称寺」に着いてしまいました。
取り敢えず、立派な本堂を撮ってお参りをしました。
梵鐘がない鐘楼があったので撮ってみましたが、傍にある背の高い植物は棕櫚 (シュロ)ですかね!?
棕櫚と鐘楼そして本堂を一緒に撮って「浄称寺」を後にしました。
県道26号線に出たので、北上して三浦市役所の先にある「三崎城址」に行ってみることにしました。
三浦公園の「観光地図」には、「三崎城址」は三浦市役所の先にありました。
<三崎城址>
県道26号線を歩いると、ご覧のような城壁(?)がありました。
この城壁を見ると、かつてはお城があった雰囲気がしますね!
三浦市役所に着きましたが、「三崎城址」は直ぐに見つけられませんでした。
辺りをうろついていると道端に「三崎城跡」の案内板がありましたが、もっと立派な大きい物を期待していました。
「三崎城址」を後に、「三崎港」に戻ることにしましたが、県道26号線ではなく別の道から帰ることにしました。
途中、「本瑞寺」の駐車場案内が出ていたので行ってみました。
坂道を上ると入口が2ヶ所ありました。
どっちにしようかと表札を見に行くと、手前が「本瑞寺裏門」、奥が「光念寺」でした。
⇒ お寺がお隣さん同士とは思いませんでした。しかも、「観光地図」に載っていたお寺でした。
<曹洞宗 本瑞寺(ほんずいじ)>
取り敢えず「本瑞寺裏門」を撮って、中に行ってみることにしました。
しめ縄が飾ってある立派な鐘楼があったので撮ってみました。
本堂でお参りしてから境内を散策することにしました。
「桜の御所跡」があったので撮ってみました。
説明板には、『建久の昔(1190年代)時の将軍源頼朝は風光のすぐれた三浦市に三っの御所を設けました。桜、桃、椿の御所がそれで、ここ本瑞寺は「桜の御所」のあったところです。・・・』と書いてありました。
傍にロウバイが咲いていて甘い芳香を漂わせていました。
反対側にご覧のような梅が咲いていたのでアップで撮ってみました。
大きなヤシ(?)の木と一緒に本堂を撮って、隣の「光念寺」に行ってみました。
<浄土宗 光念寺(こうねんじ)>
「本瑞寺裏門」の隣りにあった「光念寺」の門を撮ってみましたが、こちらも裏門ですかね!?
「光念寺」にも立派な鐘楼がありました。
取り敢えず、本堂を撮ってみましたが、右にあるのは「お化け灯篭」ですね!
ついでに、「お化け灯篭」越しに本堂を撮ってみました。
本堂でお参りをしましたが、山号は「見龍山」となっていました。
「筌龍弁財天」が祀られている由緒ありそうな弁天堂がありました。
失礼して内部を撮らせていただきましたが、上手く撮れていませんでした。
「光念寺」はご覧のような門から出ましたが、本堂が眼の前にあるのでこちらが正門でしたね!?
正門を出ると、眼の前に素晴らしい景色が飛び込んできました。奥に見える橋は城ヶ島大橋ですね!
坂道を下ると、右側にご覧のようなお地蔵さんが祀ってあったので撮ってみました。
又、お地蔵の前に「子育て稲荷神社」があったのでお参りしました。
坂道を更に下ると、右側に古い建物があったので行ってみました。
張り紙があって、『永く親しまれた入船のお不動さんは本瑞寺に移転されました。・・・』と書いてありました。
塀際に小さな祠があってキツネ二匹話し込んでいました。
ひそひそ話をしているようなのでアップで撮ってみました。
元の坂道に戻って暫く歩き石段を下ると「海南神社」の鳥居が見えました。
<海南神社>
取り敢えず、「海南神社」の鳥居を撮ってみました。
ご覧のような手水舎で身を清めて境内に入ります。
手水舎の後ろに大きな銀杏があったので撮ってみました。
手前に御神木の説明板があって、源頼朝の手植えの雌雄銀杏だったので撮り直しました。
取り敢えず、拝殿にお参りしてから境内を散策することにしました。
正面から拝殿を撮ってみましたが、本坪鈴がたくさん付いていますが、奉納されたものですね!?
本坪鈴をアップで撮ってみました。
お参りしてから扁額をアップで撮ってみました。
拝殿の左手に、相州海南高家神社の社殿があったのでに行ってみました。
相州海南高家神社の左に、祭神磐鹿六雁命の大絵馬があったので撮ってみましたが、上手く撮れていませんでした。
神楽殿の欄間にも日本神話の額が掲げられていました。
金毘羅宮の鳥居の右に、ご覧のような御馬社がありました。
中を覗いてみると木造の白馬が祀られていました。
一応、境内を散策したので「海南神社」を後にして、当たりを付けていた「三崎マグロと地魚」の食事処に行ってみることにしました。
いろんな寺院を回った割には食事処に着いたのは17時前でした。
マグロが食べたくて「三崎港」に行ったのですが、マグロだけでは厭きてしまいました。又、マグロのお刺身は大丈夫なのですが、一品料理はあまり好みでないことが分かりました。
只、日本酒も飲んだのですが、山口の”獺祭”より飲みやすい秋田の”やまとしずく”に出会たのは収穫でした。
今回は、下調べしないで「三崎港」に行ったのですが、短時間でお寺巡りができる寺町だったとは知りませんでした。
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