「谷中をぶらり(根津神社編)」から続く。
<よみせ通り>
蕎麦店「大島屋」の近くにあった地図で、現在地を確認すると谷中銀座は130m先にありました。
時刻が12時を回っていたので、食事処を探しながら「よみせ通り」を歩いてみました。
取り敢えず、入口の看板を撮ってみましたが、中央に描かれているのは延命地蔵ですかね!?
「よみせ通り」を歩き出すと、高橋屋米店の店前に、カラフルなお米のビニール袋が置いてあったので撮ってみました。
結局、「よみせ通り」にあった食事処は、何処も満席で入れませんでした。
<谷中銀座>
谷中銀座に着いたのですが、谷中銀座は「よみせ通り」より人が多くごった返していました。
天ぷら・惣菜「初音屋」の屋根に猫がいたので撮ってみました。
谷中銀座は、ご覧のように人出が多いので昼食の時間はずらすしかありません。
越後屋本店の屋根にも猫がいたので撮ってみました。
道端には、ご覧のような大きな猫もいました。
近くに生レモンサワーを出すお店があって、混んでいなかったので入ってみました。
生レモンサワーは、レモンを擦って入れる飲み物で、珍しかったのでツマミを頼んで何杯か代わりしてしまいました(昼食の代わりにはなりました)。
お店を出て歩いていると、ご覧のような猫がいる「招き屋」があったので撮ってみました。
「招き屋」では、歩きながら食べれる「福にゃん焼き」を売っていました。
今度は、ご覧のような行列が出来ている惣菜屋「すずき」がありました。
どうやら歩きながら食べられるコロッケやメンチカツなどを売っているみたいでした。
左側にあった「らんぷ屋」が気になったので撮ってみました。
「ZAKUROらんぷ家」は、日本で唯一のトルコ・モザイクランプ専門店で以前はザクロカフェだったみたいです。
向かい側の惣菜屋「いちふじ」にも人が大勢いました。
更に進むと、「ちょんまげ いも たまる」の看板が出ているお店がありましたが、甘味処のようでした。
隣りには、屋根干しに「落語と和小物」が出ている、おしゃれ小物を販売している多満留がありました。
谷中は落語の町で、「昭和の落語名人」と言われる古今亭志ん生親子が住んだ町で、このお店は、志ん生親子の想い出を残すために開店したようです。
又、邪悪なハンコ屋「しにものぐるい」があったので撮ってみました。
自分の名前にオリジナルのユルいイラストの入った認印を2,600円(税込)で作って貰えますが、使い道がないので買うのは止めました。
<夕やけだんだん>
谷中銀座の外れに遣って来ると、「夕やけだんだん」が見えたので撮ってみました。
「夕やけだんだん」の下に着いたので、36段ある階段を撮ってみました。
尚、階段の傾斜は15度と緩やかで、高低差は4mあります。
ここにも、ご覧のようなザクロレストランがあったので撮ってみました。
取り敢えず、「夕やけだんだん」を登ってみました。
「夕やけだんだん」の上に着いたので、谷中銀座を撮ってみました。
尚、「夕やけだんだん」は、夕焼けの絶景スポットにもなっていますが、夕方になるまで待てません。
<延命院(えんめいいん)>
「夕やけだんだん」から少し先に行くと、ご覧のような延命院があったので入ってみました。
延命院は、日蓮宗の寺院で延命院事件(延命院の住職であった日道が江戸城大奥や大名家の女中らと姦淫に耽った罪で死刑なった事件)で有名です。
東京都天然記念物に指定されている樹齢600年以上の椎(シイ)の木があったので撮ってみました。
奥に行くと、ご覧のような芝生庭園があって、その後ろにお堂が並んでいました。
取り敢えず、本堂に行ってお参りをしました。
お参りしてから本堂の入口を撮ってみました。
又、本堂の右側に、立派な動物廟があったので撮ってみました。
本堂の左側の建物は庫裡のようですが、取り敢えず、撮ってみました。
左端にあったお堂を撮ってみました。
入口に七面堂の扁額が立て掛けてあったので七面堂のようです。
尚、恋人に逢いたい一心で放火して火刑に処せられた「八百屋お七」は、母親が七面堂にお願いして生まれた娘なので七面大明神にちなんで「お七」と名付けたという説があります。
又、境内にご覧のような仏像もあったので撮ってみました。
芝生庭園を別角度から撮って、延命院を後にしました。
<経王寺(きょうおうじ)>
延命院を出て、諏訪台通りを越えると左側に経王寺があったので入ってみました。
経王寺は、大黒天が祀られている旧谷中七福神の1つみたいです。
手前の石柱「開運大黒天安置」と一緒に山門を撮ってみました。
由緒ありそうな扁額「経王寺」が掛かっている山門をアップで撮ってみました。
参道の奥に本堂が見えたので撮ってみました。
”南無妙法蓮華経”、”南無日蓮大菩薩”と刻まれている石碑があったので撮ってみました。
突き当りの右側に、ご覧のような大黒天堂があったので撮ってみました。
左側に、可愛らしい手水舎があったので撮って本堂に行ってみました。
取り敢えず、本堂を撮ってお参りをしました。
お参りしてから本堂の寺紋のある入口を撮ってみました。
参道を戻っていると、ご覧のような萩が咲いていたので撮ってみました。
山門を後ろから撮って、経王寺を後にしました。
経王寺を出て道路を渡ると、経王寺の山門近くに佃煮舗「中野屋」があったので撮ってみました。
珍しかったので店前に行ってみました。
大正12年創業の佃煮専門店ですが、ここで佃煮を買っても仕方がないので止めました。
この道路は見覚えがあると思ったら、先週「谷中をぶらり(谷中霊園・天王寺編)」で歩いた御殿坂でした。
ここまで来たので、観音寺の南側にあった築地塀の内側が気になっていたので行ってみました。
<観音寺(かんのんじ)>
「初音の道」を南に10分程歩くと、ご覧のような山門のある観音寺に着きました。
山門の手前に、観音寺が「赤穂浪士ゆかりの寺」であることの説明案内板がありました。
説明案内板には、『四十七士に名を連ねる近松勘六行重と奥田貞右衛門行高は、当寺で修業していた文良の兄と弟で、文良は後に当寺第六世となった朝山大和尚のことである。』と書いてありました。
取り敢えず、山門を撮って境内に入りました。
ご覧のよう立派な本堂があったので撮ってみました。
取り敢えず、ここまで来れたお礼を兼ねて本堂でお参りをしました。
お参りしてから本堂の向拝を撮ってみました。
境内に、ご覧のような大師堂があったので撮ってみました。
大師堂の前に、赤穂浪士供養塔があったので撮ってみました。
供養塔の横に何か書いてあったので撮ってみましたが、意味が分かりません。
赤穂浪士供養塔の右側に、ご覧のような水子地蔵菩薩があったので撮ってみました。
隣に、ご覧のような御霊塔もあったので撮ってみました。
向かい側に、水藤家のお墓があって横に、「水藤枝水ここに眠る」の碑があったので撮ってみました。
水藤枝水は、琵琶楽器「錦琵琶」を創案し斬界発展のために尽力した人みたいです。
隣りに、南無観世音菩薩が祀られていたので撮ってみました。
気になっていた築地塀の内側を見に、本堂後の墓地に行ってみました。
本堂の横に、壊れた手水舎(?)や六地蔵尊があったので撮ってみました。
墓地の端に着いたのですが、ご覧のようなブロック塀があって先には行けません(築地塀は更に奥の方?)。
仕方がないので、本堂の後を撮って本堂の正面に戻りました。
今度は、本堂の横にあった庫裡(?)の方に行って築地塀を探すことにしました。
辛うじて、建物と建物の間から築地塀の上部が見えたのですが、写真を撮る程ではありませんでした。
観音寺で築地塀を探すのは諦めて、本堂の前にあった保存樹林のクスノキと灯篭を撮ってみました。
又、お寺には珍しい立派な御神輿庫があったので撮ってみました。
折角、観音寺まで遣って来たので、築地塀を撮りに行ってみました。
<香隣舎(こうりんしゃ)>
築地塀を撮って来た道を戻り、観音寺の前に遣って来ると、ご覧のような趣ある建物があったので撮ってみました。
台東区の「まちかど賞」にも指定されている建物でしたが、入口は閉まっていました。
⇒ 気になったので後で調べると、明治時代の商家(酒屋)の建物(個人所有)で、現在は、展示会などのイベントがある時のみ貸し出しているみたいでした。
香隣舎を別角度から撮って、「初音の道」を戻りました。
<諏訪台通り>
御殿坂まで戻って来たので、今度は諏訪台通りを歩いて諏方神社に行ってみることにしました。
<啓運寺(けいうんじ)>
諏訪台通りを5分程歩くと、右側に啓運寺があったので入ってみました。
山門を通ると左側に、ご覧のような毘沙門堂があったので撮ってみました。
尚、堂内の厨子には、木造毘沙門天像(荒川区登録有形文化財)が安置されているようです。
毘沙門堂の隣りには、庫裡があったので撮ってみました。
右側に、ご覧のような石碑が並んでいたので撮ってみました。
墓地の手前に、ご覧のような立派な本堂がありました。
本堂の扁額を撮ってみましたが、山号の法要山ですかね!?
又、扁額に始皇帝末葉と書いてあったので、秦の始皇帝の子孫が奉納したのかも知れませんね!?
お参りしてから、本堂の内部を撮らせて頂きました。
<養福寺(ようふくじ)>
啓運寺を後に、諏訪台通り暫く進むと、右側に養福寺があったので入ってみました。
養福寺は、元和6年(1620)法印乗蓮が創建、湯島円満寺の木食義高(享保3年没)によって中興されたと伝えられています。
山門の先には、ご覧のような立派な仁王門がありました。
取り敢えず、左右の金剛力士像をアップで撮ってみました。
ご覧のような鐘楼があったので撮ってみました。
境内の奥に、ご覧のような本堂があったので行ってみました。
本堂でお参りしてから正面の出入口を撮ってみました。
右側には、御本尊「如意輪観世音菩薩」の御真言(おん はんどめい しんだまに じんばら うん)が出ていました。
境内に、ご覧のような庭園があったので撮ってみました。
又、ご覧のような六地蔵尊があったので撮って山門に向かいました。
山門を出ると、ご覧のような石柱が立ったので撮ってみました。
『西国二十七番 播磨国書写寺写』と書いてあるようですが、意味が分かりません。
<浄光寺(じょうこうじ)>
養福寺を後に、諏訪台通りを暫く進むと、諏方神社の鳥居がありました。
鳥居手前の右側に、浄光寺の山門があって「江戸六地蔵と雪見寺(浄光寺)」の説明案内板がありました。
説明案内板には、江戸六地蔵と雪見寺の説明以外に、八代将軍吉宗の「将軍腰掛けの石」があると載っていたので入ってみました。
境内に入ると右側に、江戸六地蔵や仏像(?)が祀ってあったので撮ってみました。
左端に、ご覧のような絵が彫ってある石があったのでアップで撮ってみました。
又、左側には、いろんな庚申塔(?)があったので撮ってみました。
石碑の横に、荒川区指定有形文化財の銅像地蔵菩薩の座像と立像があったので撮ってみました。
折角なのでアップでも撮ってみました。
境内に、ご覧のようなお堂(?)があったので撮ってみました。
お堂の前に、ご覧のような石があったので撮ってみましたが「将軍腰掛けの石」ですかね!?
未だお参りしてなかったので本堂に行ってお参りをしました。
本堂でお参りをしてから扁額を撮ってみました。
浄光寺は眺望のよい諏訪台にあって、特に、雪景色が素晴らしいので、江戸時代は雪見寺と呼ばれていました。
現在はご覧のような状態ですが、遠くに東京スカイツリーが見えたので撮ってみました。
<諏方神社(すわじんじゃ)>
諏方神社の鳥居を撮って境内に入りました。
境内に入ると、ご覧のような狛犬がいる神輿庫があったので撮ってみました。
神輿庫の横はご覧のようになっていて、奥にも小さな神輿庫が並んでいました。
参道に戻ると、ご覧のような鳥居があって左側に御神木、右側に手水舎がありました。
取り敢えず、ご覧のような御神木を撮ってみました。
手水舎に行ってみると、石柱が田戸同族と彫ってありましたが何でしょうね!?
参道の先に行くと、ご覧のような神楽殿があったので撮ってみました。
神楽殿の横を通って拝殿に行ってみました。
拝殿の前に、身体を左右に傾けているブロンズ製(?)の狛犬がいたのでアップで撮ってみました。
拝殿で、無事にここまれ来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから拝殿の内部を撮らせて頂きましたが、奥で灯っているいるのは本物の蝋燭ですかね!?
拝殿の右側に鳥居があって、左側の三宝荒神社の横に三峰神社の案内が出ていたので行ってみました。
矢印に従って進むと、ご覧のような岩の塊があったので撮ってみました。
又、拝殿の左側にも鳥居があって、御岳山の案内が出ていました。
拝殿と授与所(?)の渡り廊下の下をくぐると、ご覧のような岩の塊があったので撮ってみました。
岩には、三笠山大神・御岳山大神・八海山大神と彫られていました。
⇒ 申し訳ありませんが、三峰神社・御岳山と言い見世物小屋の駄洒落のようで笑えますね!
扁額「総鎮守」が掛かっている鳥居を通って境内に戻りました。
階段の脇に、ご覧のような社務所があったので撮ってみました。
取り敢えず、境内を一回りしたので、眺望が良さそうな諏訪台に行ってみました。
下の方に京浜東北線と山手線の線路があって、上りの京浜東北線が遣って来たので撮ってみました。
諏訪台からは、ご覧のような地蔵坂を下って西日暮里駅に向かいました。
地蔵坂を下っていると、JR西日暮里駅が見えたので撮ってみました。
JR線の下を通るご覧のようなトンネルがあったので、反対側には問題なく行けました。
西日暮里駅の近くの居酒屋に入って一杯遣って帰りました。
今回の「谷中をぶらり(根津神社・谷中銀座・諏方神社編)」は、事前に「散策マップ・谷中」などで下調べをして行ったので、道にも迷わないでいろんな所が回れて良かったです。
尚、万歩計は13,000歩を超えていました。
<よみせ通り>
蕎麦店「大島屋」の近くにあった地図で、現在地を確認すると谷中銀座は130m先にありました。
時刻が12時を回っていたので、食事処を探しながら「よみせ通り」を歩いてみました。
取り敢えず、入口の看板を撮ってみましたが、中央に描かれているのは延命地蔵ですかね!?
「よみせ通り」を歩き出すと、高橋屋米店の店前に、カラフルなお米のビニール袋が置いてあったので撮ってみました。
結局、「よみせ通り」にあった食事処は、何処も満席で入れませんでした。
<谷中銀座>
谷中銀座に着いたのですが、谷中銀座は「よみせ通り」より人が多くごった返していました。
天ぷら・惣菜「初音屋」の屋根に猫がいたので撮ってみました。
谷中銀座は、ご覧のように人出が多いので昼食の時間はずらすしかありません。
越後屋本店の屋根にも猫がいたので撮ってみました。
道端には、ご覧のような大きな猫もいました。
近くに生レモンサワーを出すお店があって、混んでいなかったので入ってみました。
生レモンサワーは、レモンを擦って入れる飲み物で、珍しかったのでツマミを頼んで何杯か代わりしてしまいました(昼食の代わりにはなりました)。
お店を出て歩いていると、ご覧のような猫がいる「招き屋」があったので撮ってみました。
「招き屋」では、歩きながら食べれる「福にゃん焼き」を売っていました。
今度は、ご覧のような行列が出来ている惣菜屋「すずき」がありました。
どうやら歩きながら食べられるコロッケやメンチカツなどを売っているみたいでした。
左側にあった「らんぷ屋」が気になったので撮ってみました。
「ZAKUROらんぷ家」は、日本で唯一のトルコ・モザイクランプ専門店で以前はザクロカフェだったみたいです。
向かい側の惣菜屋「いちふじ」にも人が大勢いました。
更に進むと、「ちょんまげ いも たまる」の看板が出ているお店がありましたが、甘味処のようでした。
隣りには、屋根干しに「落語と和小物」が出ている、おしゃれ小物を販売している多満留がありました。
谷中は落語の町で、「昭和の落語名人」と言われる古今亭志ん生親子が住んだ町で、このお店は、志ん生親子の想い出を残すために開店したようです。
又、邪悪なハンコ屋「しにものぐるい」があったので撮ってみました。
自分の名前にオリジナルのユルいイラストの入った認印を2,600円(税込)で作って貰えますが、使い道がないので買うのは止めました。
<夕やけだんだん>
谷中銀座の外れに遣って来ると、「夕やけだんだん」が見えたので撮ってみました。
「夕やけだんだん」の下に着いたので、36段ある階段を撮ってみました。
尚、階段の傾斜は15度と緩やかで、高低差は4mあります。
ここにも、ご覧のようなザクロレストランがあったので撮ってみました。
取り敢えず、「夕やけだんだん」を登ってみました。
「夕やけだんだん」の上に着いたので、谷中銀座を撮ってみました。
尚、「夕やけだんだん」は、夕焼けの絶景スポットにもなっていますが、夕方になるまで待てません。
<延命院(えんめいいん)>
「夕やけだんだん」から少し先に行くと、ご覧のような延命院があったので入ってみました。
延命院は、日蓮宗の寺院で延命院事件(延命院の住職であった日道が江戸城大奥や大名家の女中らと姦淫に耽った罪で死刑なった事件)で有名です。
東京都天然記念物に指定されている樹齢600年以上の椎(シイ)の木があったので撮ってみました。
奥に行くと、ご覧のような芝生庭園があって、その後ろにお堂が並んでいました。
取り敢えず、本堂に行ってお参りをしました。
お参りしてから本堂の入口を撮ってみました。
又、本堂の右側に、立派な動物廟があったので撮ってみました。
本堂の左側の建物は庫裡のようですが、取り敢えず、撮ってみました。
左端にあったお堂を撮ってみました。
入口に七面堂の扁額が立て掛けてあったので七面堂のようです。
尚、恋人に逢いたい一心で放火して火刑に処せられた「八百屋お七」は、母親が七面堂にお願いして生まれた娘なので七面大明神にちなんで「お七」と名付けたという説があります。
又、境内にご覧のような仏像もあったので撮ってみました。
芝生庭園を別角度から撮って、延命院を後にしました。
<経王寺(きょうおうじ)>
延命院を出て、諏訪台通りを越えると左側に経王寺があったので入ってみました。
経王寺は、大黒天が祀られている旧谷中七福神の1つみたいです。
手前の石柱「開運大黒天安置」と一緒に山門を撮ってみました。
由緒ありそうな扁額「経王寺」が掛かっている山門をアップで撮ってみました。
参道の奥に本堂が見えたので撮ってみました。
”南無妙法蓮華経”、”南無日蓮大菩薩”と刻まれている石碑があったので撮ってみました。
突き当りの右側に、ご覧のような大黒天堂があったので撮ってみました。
左側に、可愛らしい手水舎があったので撮って本堂に行ってみました。
取り敢えず、本堂を撮ってお参りをしました。
お参りしてから本堂の寺紋のある入口を撮ってみました。
参道を戻っていると、ご覧のような萩が咲いていたので撮ってみました。
山門を後ろから撮って、経王寺を後にしました。
経王寺を出て道路を渡ると、経王寺の山門近くに佃煮舗「中野屋」があったので撮ってみました。
珍しかったので店前に行ってみました。
大正12年創業の佃煮専門店ですが、ここで佃煮を買っても仕方がないので止めました。
この道路は見覚えがあると思ったら、先週「谷中をぶらり(谷中霊園・天王寺編)」で歩いた御殿坂でした。
ここまで来たので、観音寺の南側にあった築地塀の内側が気になっていたので行ってみました。
<観音寺(かんのんじ)>
「初音の道」を南に10分程歩くと、ご覧のような山門のある観音寺に着きました。
山門の手前に、観音寺が「赤穂浪士ゆかりの寺」であることの説明案内板がありました。
説明案内板には、『四十七士に名を連ねる近松勘六行重と奥田貞右衛門行高は、当寺で修業していた文良の兄と弟で、文良は後に当寺第六世となった朝山大和尚のことである。』と書いてありました。
取り敢えず、山門を撮って境内に入りました。
ご覧のよう立派な本堂があったので撮ってみました。
取り敢えず、ここまで来れたお礼を兼ねて本堂でお参りをしました。
お参りしてから本堂の向拝を撮ってみました。
境内に、ご覧のような大師堂があったので撮ってみました。
大師堂の前に、赤穂浪士供養塔があったので撮ってみました。
供養塔の横に何か書いてあったので撮ってみましたが、意味が分かりません。
赤穂浪士供養塔の右側に、ご覧のような水子地蔵菩薩があったので撮ってみました。
隣に、ご覧のような御霊塔もあったので撮ってみました。
向かい側に、水藤家のお墓があって横に、「水藤枝水ここに眠る」の碑があったので撮ってみました。
水藤枝水は、琵琶楽器「錦琵琶」を創案し斬界発展のために尽力した人みたいです。
隣りに、南無観世音菩薩が祀られていたので撮ってみました。
気になっていた築地塀の内側を見に、本堂後の墓地に行ってみました。
本堂の横に、壊れた手水舎(?)や六地蔵尊があったので撮ってみました。
墓地の端に着いたのですが、ご覧のようなブロック塀があって先には行けません(築地塀は更に奥の方?)。
仕方がないので、本堂の後を撮って本堂の正面に戻りました。
今度は、本堂の横にあった庫裡(?)の方に行って築地塀を探すことにしました。
辛うじて、建物と建物の間から築地塀の上部が見えたのですが、写真を撮る程ではありませんでした。
観音寺で築地塀を探すのは諦めて、本堂の前にあった保存樹林のクスノキと灯篭を撮ってみました。
又、お寺には珍しい立派な御神輿庫があったので撮ってみました。
折角、観音寺まで遣って来たので、築地塀を撮りに行ってみました。
<香隣舎(こうりんしゃ)>
築地塀を撮って来た道を戻り、観音寺の前に遣って来ると、ご覧のような趣ある建物があったので撮ってみました。
台東区の「まちかど賞」にも指定されている建物でしたが、入口は閉まっていました。
⇒ 気になったので後で調べると、明治時代の商家(酒屋)の建物(個人所有)で、現在は、展示会などのイベントがある時のみ貸し出しているみたいでした。
香隣舎を別角度から撮って、「初音の道」を戻りました。
<諏訪台通り>
御殿坂まで戻って来たので、今度は諏訪台通りを歩いて諏方神社に行ってみることにしました。
<啓運寺(けいうんじ)>
諏訪台通りを5分程歩くと、右側に啓運寺があったので入ってみました。
山門を通ると左側に、ご覧のような毘沙門堂があったので撮ってみました。
尚、堂内の厨子には、木造毘沙門天像(荒川区登録有形文化財)が安置されているようです。
毘沙門堂の隣りには、庫裡があったので撮ってみました。
右側に、ご覧のような石碑が並んでいたので撮ってみました。
墓地の手前に、ご覧のような立派な本堂がありました。
本堂の扁額を撮ってみましたが、山号の法要山ですかね!?
又、扁額に始皇帝末葉と書いてあったので、秦の始皇帝の子孫が奉納したのかも知れませんね!?
お参りしてから、本堂の内部を撮らせて頂きました。
<養福寺(ようふくじ)>
啓運寺を後に、諏訪台通り暫く進むと、右側に養福寺があったので入ってみました。
養福寺は、元和6年(1620)法印乗蓮が創建、湯島円満寺の木食義高(享保3年没)によって中興されたと伝えられています。
山門の先には、ご覧のような立派な仁王門がありました。
取り敢えず、左右の金剛力士像をアップで撮ってみました。
ご覧のような鐘楼があったので撮ってみました。
境内の奥に、ご覧のような本堂があったので行ってみました。
本堂でお参りしてから正面の出入口を撮ってみました。
右側には、御本尊「如意輪観世音菩薩」の御真言(おん はんどめい しんだまに じんばら うん)が出ていました。
境内に、ご覧のような庭園があったので撮ってみました。
又、ご覧のような六地蔵尊があったので撮って山門に向かいました。
山門を出ると、ご覧のような石柱が立ったので撮ってみました。
『西国二十七番 播磨国書写寺写』と書いてあるようですが、意味が分かりません。
<浄光寺(じょうこうじ)>
養福寺を後に、諏訪台通りを暫く進むと、諏方神社の鳥居がありました。
鳥居手前の右側に、浄光寺の山門があって「江戸六地蔵と雪見寺(浄光寺)」の説明案内板がありました。
説明案内板には、江戸六地蔵と雪見寺の説明以外に、八代将軍吉宗の「将軍腰掛けの石」があると載っていたので入ってみました。
境内に入ると右側に、江戸六地蔵や仏像(?)が祀ってあったので撮ってみました。
左端に、ご覧のような絵が彫ってある石があったのでアップで撮ってみました。
又、左側には、いろんな庚申塔(?)があったので撮ってみました。
石碑の横に、荒川区指定有形文化財の銅像地蔵菩薩の座像と立像があったので撮ってみました。
折角なのでアップでも撮ってみました。
境内に、ご覧のようなお堂(?)があったので撮ってみました。
お堂の前に、ご覧のような石があったので撮ってみましたが「将軍腰掛けの石」ですかね!?
未だお参りしてなかったので本堂に行ってお参りをしました。
本堂でお参りをしてから扁額を撮ってみました。
浄光寺は眺望のよい諏訪台にあって、特に、雪景色が素晴らしいので、江戸時代は雪見寺と呼ばれていました。
現在はご覧のような状態ですが、遠くに東京スカイツリーが見えたので撮ってみました。
<諏方神社(すわじんじゃ)>
諏方神社の鳥居を撮って境内に入りました。
境内に入ると、ご覧のような狛犬がいる神輿庫があったので撮ってみました。
神輿庫の横はご覧のようになっていて、奥にも小さな神輿庫が並んでいました。
参道に戻ると、ご覧のような鳥居があって左側に御神木、右側に手水舎がありました。
取り敢えず、ご覧のような御神木を撮ってみました。
手水舎に行ってみると、石柱が田戸同族と彫ってありましたが何でしょうね!?
参道の先に行くと、ご覧のような神楽殿があったので撮ってみました。
神楽殿の横を通って拝殿に行ってみました。
拝殿の前に、身体を左右に傾けているブロンズ製(?)の狛犬がいたのでアップで撮ってみました。
拝殿で、無事にここまれ来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから拝殿の内部を撮らせて頂きましたが、奥で灯っているいるのは本物の蝋燭ですかね!?
拝殿の右側に鳥居があって、左側の三宝荒神社の横に三峰神社の案内が出ていたので行ってみました。
矢印に従って進むと、ご覧のような岩の塊があったので撮ってみました。
又、拝殿の左側にも鳥居があって、御岳山の案内が出ていました。
拝殿と授与所(?)の渡り廊下の下をくぐると、ご覧のような岩の塊があったので撮ってみました。
岩には、三笠山大神・御岳山大神・八海山大神と彫られていました。
⇒ 申し訳ありませんが、三峰神社・御岳山と言い見世物小屋の駄洒落のようで笑えますね!
扁額「総鎮守」が掛かっている鳥居を通って境内に戻りました。
階段の脇に、ご覧のような社務所があったので撮ってみました。
取り敢えず、境内を一回りしたので、眺望が良さそうな諏訪台に行ってみました。
下の方に京浜東北線と山手線の線路があって、上りの京浜東北線が遣って来たので撮ってみました。
諏訪台からは、ご覧のような地蔵坂を下って西日暮里駅に向かいました。
地蔵坂を下っていると、JR西日暮里駅が見えたので撮ってみました。
JR線の下を通るご覧のようなトンネルがあったので、反対側には問題なく行けました。
西日暮里駅の近くの居酒屋に入って一杯遣って帰りました。
今回の「谷中をぶらり(根津神社・谷中銀座・諏方神社編)」は、事前に「散策マップ・谷中」などで下調べをして行ったので、道にも迷わないでいろんな所が回れて良かったです。
尚、万歩計は13,000歩を超えていました。
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