なんとも恐ろしい、諺です。
全く違う意味ですが、、[首縊りを救おうとて足を引く]
そこまで行かなくっても、助けるつもりが、返って、、って事あります。
せめて、可愛いお花を、
≪母子草≫ 春の七草のゴギョウです。
姑(ハハ) には、こちらからトイレやオムツ替えの声賭けをするのですが、、
自分のタイミングでしか、動いてくれません。
でも、、、それだと、、、、私としては心配なわけです。
「お布団汚したら、困るでしょ」って、困るのは、私です。
「大丈夫、汚したこと無い。」と突っぱねますが、その自信は、どこから???
下着や便座カバー、ズボンまでは日替わりです。たしかに、お布団まで汚してはいません。
無理強いされた記憶が残っても、、、何より、
(無理強いすることに)私が疲れました。
夜、様子を見に行って、スムーズに着替えてくれれば、そうじゃなければ、、、
そのまま帰ることにしました。
着の身着のまま、、、パジャマに着替えることも無く、
初めは驚きましたが、、、
汚したら、汚したとき、、、
姑(ハハ) は、
家の事・自分の事、全て自分で取り仕切っている。
私のことは大丈夫、自分たちの事をしなさい。
「わざわざ、来てくれたんかい。もうええよ、寝る前にちゃーんとして寝るさかい。」
と、仰います。
もう、貴方は何も一人では出来ないのよ。
片付けられた家で、テーブルの上に並べられたものを食べ、
さらには、貴方の汚した下着や服、トイレの始末もしてもらっているのよ。
なんて言った事はありません。
そう言うことに、気付かないのが幸せなのかと思います。
けど、自分に置き換えたとき、、、、
そんな自分を知ることの悲しさ、辛さと、
何も解からないのと、
どちらが、、、、いいのだろうか?