畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

金沢城訪問記

2015-09-01 04:44:00 | 旅行・観光
2015年3月14日。北陸新幹線開業が長野新幹線を延伸として開業。長野-金沢間が開通し、今まで鉄道で東京-金沢間が3時間50分かかったものが、2時間半で結ばれることになった。そこで、開業した1週間後、仕事の仲間と北陸方面に旅行をしてきました。今回はその時に行った金沢城訪問記をレポートします。



今回乗ったE7系の「はくたか」は北陸新幹線の各駅停車。最速の新幹線は「かがやき」で大宮の次は長野、富山、金沢と主要駅のみ。また、長野新幹線の時からあった東京-長野間を結ぶ「あさま」や、金沢-富山間を結ぶ「つるぎ」があるそうだ。ちなみに今まで「長野新幹線」と呼ばれていたが金沢まで延伸したことで「北陸新幹線」と呼称が変わったのだが、長野県民から「長野新幹線の呼称が消えるのはさみしいので残してほしい」という要望もあったようだ。結局東京駅の案内表示は「北陸新幹線(長野経由)」となった。



 こちらの駅は今回新しく開業した上越妙高駅。新幹線が停車してどやどやとたくさん人が入ってきて、「ここはターミナル駅?」と思ったが、どうやら企業を集めた北陸新幹線の体験乗車だったよう。なるほど、今後の乗客を見込んでのことらしい。

妙高高原の美しい景色が続きます。富山-新高岡間で、なぜか新幹線が停車緊急停車するアクシデントがありましたが(翌日新聞にも載っていました)、無事金沢駅到着。



 金沢駅は新幹線開業に合わせて大幅リニューアル。大型のアーチがかかっており、雨でも雪でも濡れない構造に。大がかりで一同ビックリ。



 お昼もだいぶ過ぎてから東京駅を出たので、金沢駅に着くころはもう夕方。とっても冬なので結構空は暗い。夕食は有名な近江町市場の市場寿司さん。

お任せにぎり(椀付)を頼んでたのですが、みなさん「のどぐろ食べた~い」と追加注文。しちゃいました。


 翌日は和倉温泉の加賀屋に宿泊するため、この日は安く上げようと金沢城近くのビジネスホテルに宿泊。ホテルの二次会のための買い出しにコンビニに行くと…

北陸新幹線開業を当て込んだ商品がたくさん。私も記念クオカードを買っちゃいました。


で、翌日。職場の皆さんは歴史・城にそれほど興味がないので朝5時に起きて一人で金沢城訪問(ここからやっと訪問記になります)。



私が金沢城を訪れたのは、1998年と2002年。実に13年ぶりの3度目。その間ずいぶん変化がありました。まず金沢城の周辺がお城の雰囲気に合わせて整備されました。歩道もきれいになったし、街灯が和風の雰囲気です。



では金沢城公園の大手門口から入ります。ここは大手門とも「尾坂門」とも呼ばれます。巨大な割石が使われ、ここが大手門だったと考えられています。

金沢城公園の全体マップです。隣に和式庭園で有名な「兼六園」があります。金沢城の歴史は、1546(天文15)年に本願寺が金沢御堂を建設したことに始まります。その後、前田利家が入城し、本格的な城に整備し、加賀100万石の本拠地となりました。明治維新後は陸軍の拠点として使用されましたが、明治の大火で石川門と一部の施設を残して江戸時代の建物は焼失してしまいます。戦後は金沢大学のキャンパスとなっており、ほとんど城らしい建物は消えてしまいました。ところが、金沢城が1995(平成7)年に移転したことにより、金沢城跡を「金沢城公園」として史跡整備する方針となり、2001(平成13)年に一般開放されました。現在でも史跡整備が続けられ、様々な施設が復元されていますが、それは後で写真付きで説明します。



 大手門の枡形を通ると大きな広場に出ます。ここは「新丸広場」と呼ばれています。早朝だったので、ジョギングをしている人が何名かいたくらいでした。


 新丸広場を南東に進んだ先にあるのが、河北門と石川門。ここでは先に石川門を見ていきます。

 現在の石川門は1788(天明8)年に造られたもので、「三十間長屋」と共に江戸時代のからの数少ない現存する史跡で、国指定史跡となっています。石川門は「三の丸」の東端に造られたもので、現在は「兼六園石川門口」に接している、金沢城公園と兼六園を結ぶ場所となっています。



では、石川門から西にある2010(平成22)年に再建された三の丸の正門である河北門に行きましょう。江戸時代には「石川門」「橋爪門」と共に「三御門」と呼ばれていました。この門の右側にある柵のような建物が「ニラミ櫓」と呼ばれ、監視に使われていたようです。

ニラミ櫓の横には二の丸の「五十間長屋」から続く2001(平成13)年に再建された「菱櫓」があります。

しっかりとした枡形構造になっており、守りを固めています。



 河北門を抜けると「三の丸」です。写真は三の丸から西側に見ています。目の前に見えるのは「二の丸」とを区切る「五十間長屋」です。写真では見えませんが、その前に内堀があります。



 三の丸の南東側には「鶴の丸」があります。それを隔てる内堀と塀があります。奥に見えるのは、橋爪門と橋爪門続櫓です。近づいてみましょう。

 この「橋爪門」と「橋爪門続櫓」は、「五十間長屋」「菱櫓」と合わせて2001(平成13)年に復元されました。その復元を契機にされまで「金沢城址公園」だったのが、「金沢城公園」に名前が改称されたそうです。

 「三御門」の中でも城内最大規模を誇る枡形です。その理由は、「二の丸御殿」に至る最後の守りだからだそうで、江戸時代は最大の警備体制だったようです。

「菱櫓」「五十間長屋」「橋爪続櫓」「橋爪門」は有料で入ることができます。私が行った時は早朝のためまだやっていませんでした。午前7時から入れるのですが、朝食もあってその後の予定もあるので、断念。団体行動の辛いところです。



 橋爪門から北に進むと「極楽橋」があります。この橋は「二の丸」と本丸へと続く曲輪の間の空堀に架けられています。名前の由来は「金沢御堂」時代から伝わったとする伝承があるそうですが、裏付けはないそうです。

かなりの深さで本丸側はしっかりとした石垣が組まれています。

 極楽橋を渡った「本丸付段」にあるのが「三十間長屋」です。この建物は江戸時代中期に焼失したものを1858(安政5)年に再建したものだそうで、国指定史跡となっています。



ここから先の本丸部分は史跡整備されておらず、「本丸園地」と呼ばれています。

本丸の面影はありません。金沢大学のキャンパスの時には庭園のような場所だったのでしょうか?大学側もさすがに「本丸」をキャンパスにするわけにはいかずに自然が残ったのかな?と私は推察しました。



 本丸北西にあるため「戌亥櫓」と呼ばれ、二重の櫓だったと思われますが、江戸中期の大火で焼失した後、再建されなかったそうです。この櫓から二の丸を見回すと…

 橋爪門が見えます。よく見ると手前の門が新しいことがわかります。三の丸川の橋爪門は2001(平成13)年に再建されましたが、二の丸に続く枡形を擁した橋爪二の門は私が訪れた2015(平成27)年と最近完成したことがわかりました。この橋爪二の門の完成により、金沢城の三御門の全体整備が完了したそうです。



 本丸の北側に鶴丸倉庫という江戸時代から現存する倉庫があります。その北側に「鶴の丸休憩所」があります。そこには金沢城に関する展示物があります。その一つが上の写真。石垣の積み方の展示です。本丸など重要な石垣では丁寧に石を加工したものを使った「切石積み」、二の丸石垣などにみられる石をある程度形や大きさを整えて使った「荒加工石積み」、東の丸などにみられる、自然石を割って使っただけの「自然石積み」などの構造展示物が置いてあります。

この展示物は鶴の丸の復元土塀を構造的に示した展示物です。


 金沢城がわずか15年で見どころいっぱいの城に復元されていました。北陸新幹線の開通もあり、今後も魅力的になっていくものと思われます。七尾城もなんとかして復元してくれませんかね?そんな期待を込めて金沢城を後にしました。


早朝1時間かけて復元施設を中心に回ってホテルに戻りました。戻る時にこんなものを発見。

信号ですが、関東のようなLEDではない。これは雪で信号が見えなくなってしまう対策として凹凸のない信号を作ったのではないかと思います。


金沢のみどころとして、もう一つ。

 歴史ではないのですが、「金沢21世紀美術館」です。私は美術的なものを相性があまり良くないようで、歴史が関わる美術(戦国時代の絵画など)の他はほとんど興味がありません。しかし、同僚が「ここが面白いらしいよ。」というところがこの美術館でした。

 美術館というと、あまり人がいないところでたくさん絵画が並んでいるところ…と思うのですが、さすが「21世紀美術館」。そんな感じではありませんでした。館内写真撮影不可なのでお見せできないのが申し訳ありませんが、震災の時の避難所の工夫や、近未来の家のデザイン模型やなかなか面白いものがたくさん。

そして写真撮影もできて面白かったのがこちら。

 おい!プールの中に人影が!助けなきゃ!ってこれ「入れるプール」なんです。上からさも泳いでいるように撮影するとかなりの力作がとれます。また「プールの中」の中でも面白いポーズで撮影できます。この博物館は複数人の時に行くととても面白いです。


 さて、次は能登・七尾市の和倉温泉に泊まった様子をレポートします。

八王子城in2013 其の3

2013-08-04 17:49:00 | 旅行・観光
八王子城in2013 其の3

では、前回の続き。八王子城へ行ってきました。
前回はガイドさんと御主殿跡に向かい、嫡男をよそにガイドさんと発掘調査中の史跡にワクワクしていました。



さて、ガイドさんのお勧めで帰りは大手道(古道)ではなく、御主殿の裏門である通称「台所門」から出て「あしだ曲輪」を経由して帰ることに。



 御主殿跡にはこんな古い石碑がありました。「史跡八王子城千畳敷」。ここら辺は史跡整備される前はただっ広い空き地だったようで、子どもたちの遊び場だったようです。全国の史跡の「千畳敷」には発掘調査をしたらかなり色々なものがでてくるかもしれませんね。



 御主殿の裏から出ると小高い土塁のようになっており、いきなり空堀があります。写真の中央には石垣が見えます。これは当時のものだそうですが、急な斜面のためどんどん崩落しているそうです。写真では見えませんが、奥に石垣がしっかり積まれている場所がありました。それは崩落の危険性から石垣を積みなおしたそうです。



ガイド「ほら!このへんは結構広い曲輪でしょ?古地図にはこの辺は『あしだ曲輪』とありますが、実際には曲輪が3段くらいの段々になっているんです。」

義綱「ガイドさん。これはもしかして枡形ですか?」
ガイドさん「これは違うんですよ。この辺りに昔観光旅館を作ろうって話があったみたいで、土地の所有者がいきなりダンプカーを入れていて、八王子城を守るために周辺住民が反対運動をして、なんとか旅館建設は撤回されたようです。きっとこの辺にも遺構がたくさんあったろうに…」



 この「あしだ曲輪」はかなり広い曲輪です。御主殿の近くの曲輪なので、家臣の屋敷跡や馬場などがあったのでしょうね。この曲輪には第二次世界大戦後に福善寺という寺が建てられたようで、108体の仏像を曲輪に安置したようです。現在では20体弱くらいしか残っていないようです。写真に見える円形のけもの道のようなものは、ガイドさんによるとイノシシが土を掘り返してミミズ食い荒らしている様子だそうです。イノシシのせいで仏の石像も倒れているものが数体ありました。




 ここ「あしだ曲輪」は昭和20年代には福善寺の境内だったということらしいです。だからこそ、こういう階段などが整備されているようです。八王子城公園の管理棟がある近くにある空橋に架けられたコンクリート製の橋も福善寺が当時につくったもののようです。



その福善寺はずいぶん前に廃寺になったようで、現在は誰も居住していない寺になっているそうです。福善寺は他の寺に吸収合併されているそうですが、その寺が遠くにあるためかほとんど管理はされていないようです。



 今まで御主殿跡しか行ってないかったので、ガイドさんのご協力がなければ「あしだ曲輪」の存在も、空堀に残っている石垣も発見できませんでした。ガイドさんありがとうございました。
 ゆっくり説明してもらったこともあり、9時30に八王子城を案内してもらって、終わって八王子城跡ガイダンス施設まで戻ってくる頃には11時30分。本丸まで登ると大人の足でも40分。夏なので嫡男を連れて登るには熱中症も心配。そういえばこの2時間何も飲み物を飲んでない…。ガイダンス施設の近くの自販機で飲み物を購入し嫡男に飲ませて、今回の八王子城訪問は終了。結局今回も御主殿地域中心で、要害地区(本丸を含んだ地区)には行けませんでした。また来年のお楽しみに取っておきます。

八王子城in2013 其の2

2013-08-02 21:44:00 | 旅行・観光
嫡男といった八王子城訪問 in 2013の続きです。


(写真は2012年のものです)
いよいよ御主殿へ。今回のメインディッシュ!平面展示が見たい!で、ここでまたガイドさんがスーパーな情報を!
ガイド「今ちょうど発掘調査を行っているので、本物の遺構が見れますよ。」すっすばらしい!ではbefore→afterを見ていただきましょう。

タララララララ~(某番組の音楽のつもり)

(写真は2008年のもの)
「何もなくただの平原だった御主殿跡が…」

    ↓
    ↓
    ↓
タンタンタントゥルる~(某番組の音楽のつもり)

「なんということでしょ~。礎石や側溝がレプリカで復元され、会所跡が平面展示されました…」

って写真じゃあまり目立ちませんから、もっと各所の拡大を見てもらいましょう。

御主殿跡の全体図はこんな感じです。

 1992(平成4)年、1993(平成5)年の発掘調査で見つかった客を招いて宴会を行った「会所」と政治的な儀式などを行った「主殿」とみられる建物の礎石や道路状遺構や庭園状遺構。2012(平成24)年度からの整備で道路状遺構や庭園状遺構の遺構が復元され、「会所」「主殿」推定地は平面展示がされました。この図をみると御主殿跡の南東部がまったく遺構が見つかっておらず、発掘調査をしていないと私は落胆していたのですが、これもガイドの一言によって見事解決。「御主殿跡の南東部は遺構がでないのです。おそらく雨などで土砂崩れなどによってどんどん崩落していったと思われます。」なるほど、だから何も復元されないのか…納得。



 これは御主殿東北部の排水溝跡です。なかに黒い砂状のものが引いてあるのは、本物の排水溝はもっと深いらしく公園整備のためには危険と判断して深く見えるような工夫で再現してあるとか。なるほど。排水溝の奥の部分に暗渠になっている部分があります。石の橋があるところです。御主殿の東北部には台所門という門があったと伝承ではあります。この排水溝からも台所だったかもしれませんね。御主殿に会所や主殿があれば当然料理は必要なわけでこの曲輪のどこかに台所があったのは必須です。



 ここは先ほどの遺構から西隣りの遺構です。礎石に続いて小さな石が縦に並んでいます。建物を区切った塀の跡かもしれません。



 この写真の中央にある大きな礎石があるのが「主殿」と思われる建物の跡です。かなり大きい建物です。その奥に板基盤のようなものがあるのが「会所」跡です。右のオレンジの網のようなものが現在発掘されているところです。2013年現在発掘調査が行われているところは、御主殿の地図を見るとよくわかるのですが、「主殿」を分断していた未発掘調査のところです。ここは大きな杉の木が生えていて1992(平成4)年と1993(平成5)年には発掘調査ができなかった地ですが、ガイドさんによると「急遽文化庁のOKが出た」とのことで、急遽発掘調査を行ったということらしいです。



 主殿の北部には、左右を石列で囲まれた土の道路があったようです。幅は4.2mとなかなか大きな道路で、道の中央が高くなることで、左右に排水していたようで考えられた道路のようです。主殿から続く道路ですから「常の御所」(主人が普段生活する場)に繋がっていたのかもしれません。道路の長さがわずか7mほどしかないのですが、現在この北部は土砂がかぶっており、発掘調査できない状況だそうです。



ここが発掘調査が行われているところです。左奥が大きな杉の木があったところです。奥の右側にある茶色いところは掘立柱建物跡です。主殿の近くにあるものだから倉庫かなにかでしょうね。

おお!これが本当の遺構!こんな深いところにあるんですね。60cmくらいかさ上げされていますね。確かに上に再現されている石は似たような石を持ってきていますね。再現度高い!


 でここでまたゴッドのガイドさんの特別な一言。
ガイド「それだけ歴史に興味があれば、本来は難しいのですが、発掘調査のところを少し間近で見てもらいましょうか!」
義綱「ほっほんとですか?」


 庭園状遺構を間近で見せてもらいました!すっすごい。この庭園にある川のようなものの中にある小石。これ本当に発掘調査でも小石が見つかっていたんですね。発掘調査している地点から、復元地区に繋がっている!ステキ!

そして、庭園状遺構にあるこの巨石!見覚えがある!これは…

(写真は2008年のもの)
2008年時にみつけて、「これだけ大きな石となると発掘調査後にわざわざ持ってきたとは考えられません。ということは発掘調査の時もあった大石ということになります。そして地表にでるくらいのこんな大きな石。形状からいっても建物などの礎石とは到底考えられません。となると、私の最近大好きな武家庭園?」と推察したものです。これが発掘調査によってちゃんと庭園に戻るんですね…ちょっと考え深いな…。

これが発掘調査時の庭園状遺構の様子。これが…

このように復元されました。芝生が生えているのがちょっと景観を損ねますが…新しく発掘調査した地点と合わせてより庭園らしくしてほしいな…なんて思います。



これが「会所」の平面展示です。平面展示には「主室」などと居室も表示されています。

これもガイドさんが平面展示の図のファイルを見せてくれました。八王子城は落城する際に豊臣方に放火されたため、発掘された礎石から柱になった木の焦げ跡が残っているそうで、その焦げ跡の大きさから柱の大きさを推定でき、おおよその間取りがわかるのだと教えてくれた。おそるべき考古学!


八王子城ガイダンス施設ではCGで会所と主殿を復元した画像が見れます。

ぜひぜひ立体復元してほしかったな~。



会所の南には石敷きの道路があります。これも発掘調査で出土したものだそうです。

会所の南西にはまた土の道路があります。

これで現在はまだ発掘されていない西側に通じていたものだと思われます。


しかし気になるのは会所の南側。

 会所の南側の石敷き道路のさらに南側。土塁との間には排水溝となぜか礎石が2列ならんでいる。東側には塀の跡があり、会所の南側が囲まれていることになる。ガイドさんはここでなにか能だとか猿楽とかの見学をしたのではないか?と言っていた。



 そしてここが土砂崩れで遺構がでてこないところ。何があったのかな?それとも雨のために流されるので、御主殿の中でも建物が立てにくく馬屋などの簡易的な建物しかなかったのかもしれない。



 主殿の南になにやら枯山水の池のようなものが。ここはハレの空間(人をもてなすための空間。対義語はケの空間で普段の生活の場)なので、細やかな演出がなされていたのでしょう。



 御主殿の最後。ここは御主殿の南側土塁。この下が…

曳き橋から虎口のゾーンです。で、ガイドさんはこの土塁の幅が狭すぎて「武者走り」の場所がないと疑問を呈していました。つまりここ御主殿は守りの要なわけで武士が登って弓や鉄砲などの武器で攻撃側を撃退するわけなのに、もし板塀があれば武士が入る隙間がない。そこで、3段の石垣を築いて斜面がもっと直角な角度だったと推察されたという。なるほど…理にかなっている。むうさすが八王子城好きで調べている人だ!知識の深さに脱帽。


 で、最初の八王子城公園管理棟(入口)まで戻るのですが、ガイドさんが「せっかくだから御主殿から台所門を通って違うルートで帰りましょう。そこにも曲輪がありますよ」というのでワクワク。この時点ですでに我が嫡男は歴史を調べるというより公園に来てただはしゃいで遊んでいるだけ。私の方が熱心に質問タイム(笑)


 八王子城訪問記其の3に続く。(明日アップできるかどうか不明です。仕事がちょっと多くて…すみません)

八王子城in2013 其の1

2013-08-01 14:56:00 | 旅行・観光
 昨年(2012年)の11月に、2013(平成25)年2月に、八王子城の御主殿跡の平面展示が完成する予定という看板を見つけてはしゃいでいた私。そして、2013(平成25)年8月に、今回は我が嫡男と八王子城を訪れました。そろそろ我が嫡男も城攻めデビューです(笑)今日は御主殿だけではなく、本丸まで登るぞ~!

 2008(平成20)年にできた駐車場に愛車を止めて、まずは2012(平成24)年10月にできた「八王子城ガイダンス施設」に行きます。



ここで息子は八王子城のゲームに夢中になっておりました。



ゲームばかりやっていても困るので、「ほーら嫡男こっち~!立体パズルだよ~」なんて誘導して出土品の組み立てをやらせてみる!するとすぐ終わってしまったらしく「パパもうできたよ~!」う~ん将来は考古学者か…なんて親バカなことを考えてみる(笑)


立体模型で八王子城を確認。施設の人が親切にも電気を落としてくれました。朝一番できたのでまだお客がいなかったので、貸切状態!

 昨年撮った写真と比べてもよく見えることがわかります。暗くしてくれた職員に感謝。こう見ると、やはり山城は高低差がありますね。で、この立体模型はCGなので、現代の風景にもなります。それがこちら。

 おお!一面の緑。自然が回復しているのが見えますね。逆に言うと、戦国時代はかなり森林が伐採されていた。それは木々に紛れて侵入者を防ぐような目的があった。私たちが訪れる山城の風景はほとんど往年と違うことがわかります。



 せっかくガイダンス施設もできたことだし、今回はボランティアガイドさんに同行してもらうことにしました。八王子城訪問5回目にして初!嫡男に外の模型で八王子城の歴史を簡単に説明してくれますが、嫡男はちんぷんかんぷんのよう。時折「織田信長?豊臣秀吉?」などの知っている人物を聞いて反応する感じ。こんなんで後継者として大丈夫かな?(笑)



 ガイドさんによるとよく見るといろんな見どころがあるらしく、大手門にわたる手前の私有地に入っていきました。「ここは昔お寺があったのですが、廃寺になりまして、一応私有地なんですが誰も今は住んでいません。遠くにあるお寺が管理者になっていますが、ほとんど来ることはないですね。ここは曲輪がかなり残っているので行ってみましょう!」という感じで入った場所がここ。写真左奥が元寺の入口。石柱が立っていますがこれは昭和の初めに寺があったころに建てられたものだそうです。石柱の横にあるのは八王子城の往年からあると思われる土塁。すごいなあ…。



 さて、大手門跡に来ました。「なんでここから大手道を整備しないんですかね?」と聞いたところ、ガイドさんは「私も旧大手道を調べたことがあるのですが、ここから先は獣道程度で、さらに奥に行くと藪がすごくていけませんね。しかも私有地のために発掘調査は元より観光客を通すこともできない状態です…」とのこと。やはり私有地…文化財の敵だな…。



(写真は2008年のものです)
 さて、私が2008年から疑惑を持っている曳き橋です。


(写真は2008年のものです)
 2008(平成20)年の訪問記を見てみると「曳き橋の真ん中から石垣をとっている写真をもう一度見てください。石垣が途中で途切れていて木柵があります。これは一体なんのため?本来はここに木橋をかけていた?説明板にどのように復元したか書いていたので詳細は知ることができないのが残念です。」と書いていました。



(写真は2013年のものです)
 上(御主殿跡)からみるとこんな感じです。明らかに曳き橋は右端の石垣で行き止まりになったところに架けられていたのでは?とガイドさんに聞いてみたところ…
ガイド「そうなんです!現在の曳き橋が架けられているところまで発掘調査が終わったら急遽文化庁から復元曳き橋の予算が認められて作ってしまったんです。で、その後右側の発掘調査をしたら石垣の終点が見つかった。専門家も曳き橋を架けた場所は誤りであると認められているそうです。曳き橋の寿命は20年程度。次に架け替える時には元の位置に戻せるかどうか…。」なるほど…そんな葛藤があったんですね。確かにそう聞くと復元するのもなかなか問題が多いのだなっと思ったりもします。



 さて、曳き橋の後ろは御主殿跡。相当の高低差があります。虎口と櫓門を通って行きますが、ここもガイドさんのスーパーバイザーが炸裂!
ガイド「ここの石垣なんですが、この石垣じゃ低すぎて乗り越えられちゃうと思いません?さらに土塁のままだとこの傾斜では土砂崩れも起きてしまいます。専門家は発掘調査がないと何も言えませんが、私たちは在野で好き勝手に考えられるので、そうすると、ここには1段目の石垣からセットバックして3段くらいの石垣があったと思うんです。」
 なるほどね~そうやって崩壊を防いでいたのか~。う~ん。3段の石垣…どっかで見たような気がする…。あ~~~~~~~~~~~~!

 写真は七尾城の調度丸付近です。このような光景が八王子城でもあったのかと。そういえば八王子城の石垣も野面積み。共通点も多いなあ。全国の山城をみると共通点も多く見えるね~。だんだん各地の城を見るのが楽しくなってきます。



書くのが着かれたので、今日はここまで…最近体力が持たん…


東京スカイツリーへ~其の2~

2012-09-11 04:44:00 | 旅行・観光
 スカイツリー旅行記の続きです。展望台から降りてきて5階のお土産ショップに行きます。



まだまだ開業して半年もたたないスカイツリー。どこに行くにも混んでいます。お土産ショップも混んでいます。私タワーマニアなので、スカイツリーの置物を買って帰りたい(笑)



東京スカイツリーロングロール。まあ買っちゃうよね~。こういう長いもの。スカイツリーだもん(笑)



「ソラカラちゃん」のキャラグッズもいっぱいあります。



 これ模型だと思ったらペンだって。でも置物にいいかも。1500円。展望台をはずすとペンになるんだって(笑)私はタワーの置物大好きだからね。東京タワーはもちろん、神戸ポートタワー、京都タワー、大阪通天閣なども持っています。



 東京スカイツリー限定、模型カプセルは420円。東京都庁、東京タワー、東京スカイツリー、浅草雷門、国会議事堂の5種類が入っている。息子娘は私のDNAを受け継いでいるのか「東京タワーがいい!」と言っていたのですが、結果は東京都庁でした。「これなあに?」って言ってました。そういえば東京都庁…子ども達連れて行ってないな…。



 このバウムクーヘンもうまそう…結局お金使い過ぎていたので、あきらめました…。で、そのうらのスカイツリーペットボトルの水を購入。単なる水で450円…高い。そういえば、これ東京タワーにもあったね。2つのタワーで売り物の発想が似ているものが結構あります。それを比較するのも面白いかも。



 展望台の棟の4階から外へでると、もう10時。で展望台入場券のためにもうこんなに並んでいる…。私は受付カウンターが見えている状態で15分程度だったので、ここからならば1時間以上はかかるかも…。1時間以上ならぶときは整理券が配られるらしいけど、9月上旬時点で、まだまだスカイツリーの混雑はまだまだ解消されていません。並ぶなら断然朝の7時半!



 で、ソラマチ商店街に行こうと思うんだけど、次はいつスカイツリーに来るかわからないので(笑)とりあえずまた全貌をパシャり。



 この日の東京は最高気温33°。真夏日です。スカイツリー周辺の屋外ではこの写真のように随所に霧が吹いていました。熱中症対策ですね。人がたくさんだし、これくらいやらないと…という配慮を感じます。



ではソラマチ商店街へ入りましょう。

スカイツリーは多くの外国人観光客を取り込むために、日本の伝統の技術を売りにするお店が並んでいます。

キティーちゃんも和服姿でした。



 日本の食文化と言ったらまずは箸。伝統工芸の箸が売っています。スカイツリー箸も売っていますが、それで食べたくないなあ(笑)



「元祖食品サンプル屋」。日本の伝統工芸のひとつ合羽橋の食品サンプル。私も大好き!たとえばコレ。

もう本物のピザの勢い。もう食べたい~!

甘いものも食べたいね~。おや!桜餅に苺大福~!なにぃ~これも食品サンプル?

すきやきも今にも匂いがしてきそ~

こんな三角定規あったら、数学の授業腹減るね~(笑)

餃子の切り口がリアルぅ~。こんなキーホルダー…使って汚れるのがもったいない~!

バウムクーヘン!すぐ食べたい!これは絶対高級品!

なんだ~もうレンゲまで用意してあるじゃん!チャーハンいただきます!

ゴラぁ~なめとんかわれぇ~!昭和の給食とか決めつけるんかい?平成に入ったってソフト麺でたわ~。ソフト麺の量に対して、ミートソースの量が少ないんじゃい!


 たくさんのサンプルの中からやっぱり私はホットケーキをチョイス。大好きなんだもん。中は小物入れになっています。2100円也。



 戦国武将グッズ屋もあったけど、まあ当然かもしれないんだけど、畠山義綱のグッズはなくガックリ。足利の家紋のものもないんだよなあ…。歴女効果もあってかこの手の店増えたね~。



 最近はやりのナノブロック。東京タワーとかスカイツリーとか姫路城とかあるんだよね。そこそこ雰囲気が出てるんだ。



団地のナノブロックが…建物の横に書いてある数字が昭和を感じさせる…あまりナノブロックで作りたくないものだけど、見ている分には楽しいかも。



戦艦とかピサの斜塔までナノブロックにあるんですね。カッコいい。



「魅力ある日本のお土産コンテスト2011」のグランプリ受賞作品。「街並みハガキ」です。これ50円で実際にポストに投函できるみたい。で、もらったら凹凸を作って街並みにする。スゴイな。



 あっ!おれが本当に欲しいスカイツリーの置物土産がここにあった。スカイツリーの塔だけでなくソラマチもある模型。塔だけじゃ、本丸だけの城みたいではずかしいじゃん。だからこそソラマチも入れてのスカイツリーだと思うんです。2480円だったかな。ほしいけどすでにスカイツリーのペン1500円を買っていたのであきらめる…。



 おお!トースト時計だって!もう食品サンプル屋を後にしたのに、まだ食品サンプルに目がない…でも置き場所がないので断念…無念。。。



小腹がすいたので、ソフトクリームを食べます。


では…スカイツリーを後にしますか…

 ソラマチからの駐車場への帰り道。メッチャ人がいます。そういえば来たのはソラマチがあく前の7時半だから人がいるのは当たり前か…


 駐車場前の噴水広場ではこんな光景が。まだ暑いですからね。娘が「やりたい~」と叫びますが、愛車能登号が濡れるのが嫌なので「だめぇ~」と突き放しました…。


帰ってきたら駐車場は車だらけ。昨日の日記の朝7時半の光景と比べてみてください。まあとにかく帰りましょう。


 うぉ~!これはスカイツリーの駐車場入り口の渋滞。満車なので車が出るまで入れない…こんなに混雑しているとは…。やっぱり朝に来てよかった。スカイツリーは朝7時半までに着くのが大正解です!


では今回のスカイツリーレポート終了!!