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畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

信州日帰り旅行~その弐~

2009-05-18 19:23:00 | 旅行・観光
 信州日帰り旅行、荒砥城の後の話です。


 荒砥城のそばまできたなら、お勧めスポット。荒砥城入口からほど近い場所にある「にしざわ貯金箱かん」です。(午前9時~午後5時半。年末年始・月曜休み。入館料600円)

 
 オープンしたのが2008年4月1日とあってかなり建物も新しい。貯金箱ってみるもんなの?と最初は半信半疑だった私だが、妻の「行こうよぉ~」の声に押されて入館。入るや結構おもしろい。タレント貯金箱や明治時代や戦中の貯金箱など色々な貯金箱があって意外とおもしろかった。子どもも結構楽しめる。さらに館長の古銭の趣味で、日本や世界のお金がいろいろあってこれもおもしろかった。


 信州と言えば清流があり水がうまい。だから「元祖豊年屋」という店に「おしぼりそば」を食べに行く。「おしぼり」とは地元産の「ねずみ大根」のおろしのことで、辛味大根だけにぴりカラで超うまい。つゆに味噌の付け合せもあり、味噌の甘さで好みの味に変えられるのもグー。

 お腹がいっぱいになったところで、鉄道好きとしてはやはり気になる「しなの鉄道」へ。しなの鉄道は長野新幹線ができたことで、JRにとってお荷物となった在来線の信州本線を第3セクター化したものです。1997年に誕生したからもう12年も前のことになります。荒砥城がある上山田温泉から一番近いのが「戸倉駅」。駅の周辺は一般的な地方の温泉街という感じ。


 しかし驚くべきことは構内の大きさ。さすが元JRだけあって、構内には列車の接近を警告する電光掲示板や首都圏と同じ発車メロディーがあった。ホームもすこぶる長かった。しなの鉄道の車両は通勤系車両の115系と郊外系車両の169系がある赤と銀の車体がなかなかセンスいい。
 その走る姿を見たくてわざわざ発車時間に合わせて駅にいったのだが、残念ながら来た列車は乗り入れしているJR塗装色(水色+白)でした。残念。


 駅のベンチにはすべてゴザがひいてありました。寒い国で第3セクターならではのならでのちょっと心配りに、感動!





 さて、坂城町方面に戻ると「村上義清」の看板が!これは行かなきゃと思い。車を止めて看板をチェック。何々…。村上義清の居館跡?「現在は満泉寺かぁ。居館跡の石碑でもあるかも…行ってみるか!」

「…。寺が工事中…。石碑も何もない…。帰るか…。う~ん納得がいかない!何か村上関係のものをみなきゃ気がすまない!ネットで検索!ん?村上義清公墓所?行ってみるか。」


 墓所は小規模な公園として整備されており、駐車場も整備されていた。しかも村上の家紋が!こんなこだわりが結構嬉しい。墓所ののぼり旗には「信州希代の名称 村上義清 生誕の地」があった。こんなところもこだわりがみれて嬉しいですね。
 後世に建てた供養塔でしたか、訪れる価値があります。坂城町の町おこしとして村上義清をクローズアップしているんですね。あと村上系の博物館とかあればよかったのですが。


 墓所を訪れた後、同じ坂城町にある「びんぐし湯さん館」で温泉に浸る。ここのお土産物スペースで売ってました「村上義清ののぼり旗」。予算の都合で買いませんでしたが…。

 関越道の帰り、埼玉県の高坂SAのレストランで「洋食プレート」を食べて帰りました。スパゲティー・エビフライとサラダ・カレーと3つ入っていて950円はオススメ。


 すっかり楽しめた日帰り旅行でした。高速1000円を利用して家族とプチ歴史旅行。なかなかいいもんです。今度は夏休み家族で、春日山城を含む新潟一泊旅行か、月山富田城を含む山陰一泊旅行か画策中。
 ETC休日1000円割引はお得ぅ~!


信州日帰り旅行~その壱~

2009-05-17 05:51:00 | 旅行・観光
 4月の仕事の忙しさと、DSの「A列車で行こう」にハマったことですっかり更新をサボっていました(汗)。今回は先日、長野県千曲市の荒砥城に日帰り旅行をしたのでその訪問記を記したいと思います。


 パンフレットと同じ位置で写真をとってみました。荒砥城は長野県千曲市にあります。千曲市は2003年に更埴市と上山田町と戸倉町が合併してできた町です。荒砥城は旧・上山田町にあったので、千曲市の中では中心地からややははずれたところに位置します。せっかく政府が「高速道路ETC休日どこまでも1000割引」を始めたので日帰りで行きました。上信越道の坂城ICから車で15分ほど。(年末年始以外無休。午前9時~午後5時まで、入園料金300円)


 荒砥城の入口。城山案内図というものものしい看板に、善光寺の別院とか日本歴史館とかあるが、それらは今回の目的ではないのでスルー。


 荒砥城は「千曲市城山史跡公園」となっており、有料である。


 有料のいいところはしっかりと整備が行き届いている点にある。写真の入口近くまで車でいけるので家族連れにも便利(途中道が少し急勾配だけど、普通車でも十分にいける道です)。城内は公園整備されているので歩きやすく。我が嫡男や姫でも歩きやすいように作られています。史跡整備されたスペースは小さい。やはり金銭面でかなりの予算が必要だからであろう。だからこそじっくり周れるし、歴史にそれほど興味ない家族を旅行でつれていっても嫌がられることはありません(笑)


 料金を払う案内所から三の郭に行く途中の目立たないところに、こんな石垣がありました。この石垣は二の郭や本郭の石垣とは形態が違うので、写真を撮りました。遺構とは違うと思いますが、どうして復原するときに違う形にしたのか不思議に思いました。


 三の郭の全体です。遊歩道になっていて史跡整備されていませんが、柵は雰囲気あるものになっています。郭はそんなに広くありません。


 ずいぶん立派な門ですね。入口の写真にも冠木門がありますが、これに防御用の施設を載せるとずいぶん堅固な印象があります。室町時代の荒砥城の図など残されているとは思えないので、発掘調査から得られた礎石から想像で門の上に復原したのでしょう。


 ちなみに、二の郭の門に使われいてる石垣の石。特徴的ですよね。平べったい石が重ねてあります。確かに平べったい石なら構造上安定し地震対策になります。しかし、室町時代でこれほど石を削る技術があったでしょうか。もしくは自然石でこんなに平べったい石が都合よくあるでしょうか?荒砥城の城主は村上氏の一族である山田氏です。それほど強大な武士ではないので、これは復原で作られたものでしょうか。説明文がないので、なんともいえません。


 二の郭から門を入るとこのような構造になっています。すごく堅固な構造ですね。このような石垣があったかどうか疑問ですが、すくなくともこのような土塁はあったのかな。


 二の郭には櫓がありました。前回訪問した逆井城に比べると高さはありませんが、敵を見渡すには十分なものです。例えばこの櫓に乗ると三の郭はこう見えます。

郭がよく見渡せます。

櫓から上山田の町をみた景色です。これも敵の姿が一望できますね。


 二の郭には櫓の他にけっこう大きな兵舎が復原されています。この兵舎は展示室に使われています。


 展示室内には荒砥城の絵がありました。荒砥城は郭が何個も連なる連郭式山城です。五の郭まであったんですね。おそらく駐車場の位置でしょうか。竪堀もあったのならそういうのも見たかったな…。


 大河ドラマ「風林火山」のドラマ撮影で荒砥城が使われたので、このような写真も展示してあります。


 城内から出土したかわらけ。城腰部から出土したらしいですが、詳しい説明がないのでよくわかりません。もっとマニア向けに詳しい荒砥城の解説書や、発掘調査報告書などがほしいものです。あと展示室内に荒砥城の紹介ビデオ(8分)と千曲市の観光紹介(20分)があったのですが、他のお客さんが千曲市の観光紹介を押していて、途中できることができず20分待ち。他の施設をみて最後にみようとおもったけど、また途中で来たお客さんが観光紹介を押してしまい、結局みるチャンスがありませんでした。無念。ビデオを途中ストップできる仕様にしてほしいです…。


 二の郭の兵舎の周りには側溝がありました。砂利がつめてありますが、これは中世にもあったものなのか、公園としての安全性(幼児がつまづくから)のためなのでしょうか。


 兵舎には屋根石があります。屋根石とは屋根が吹き飛ばされないようにするためにある置石です。これも洛中洛外図屏風の絵から想像して作られたものでしょう。


 本郭の城門も二の郭と同じような虎口の形をしています。郭の外側の柵と内側の柵のとんがりが違うのがこだわりを感じます。防御性を高めるためでしょう。


 主郭である本郭には館(写真左側の建物)と兵舎(写真右側の建物)があります。

 館はそれほど大きくありません。本郭の大きさもそれなりなので、山田氏の力もそこそこということでしょうか。

 今回荒砥城を訪問して思ったことは、やはり中世城郭を復原するということは、歴史を体感できてとても意義のあることだと言う事です。実際に登城して、防御性や城のつくりを体感するには復原はとても有意義です。しかし一方で、その復原の在り方に疑問があります。安全性と復元性というなかなか一致し得ない課題があるなかで、その解決の一端となろうことは、「詳しい解説を行う」ということが必要だと思います。安全性の確保というのは特に公共の場である公園では現代社会では絶対必要です。ですので、安全性のためには、史跡の復原が制限されてしまうのは仕方ないことだとも思います。であるならば、本当の往時の姿を知るために詳しく説明するべきだと思います。その姿勢が残念ながら荒砥城には少し欠けていた気がします。今後はぜひ資料館を建設して、発掘調査報告書や、展示の充実を手がけて欲しいものです。

信州への旅、第2段へ続きます。