迷走する「新国立競技場」問題。当初1300億円だったものがいつのまにか2500億円となり、多くの国民の反発によって、政府は「白紙撤回」に追い込まれた。この政策的失敗を経済学の「時間非整合」に求めてみたい。
「時間非整合」性の問題とは,初期時点では最適であると定められた将来の政策が,一定時間が経過した後では,もはや最適ではなくなってしまうことを意味している。具体例として,年金制度が挙げられる。これは,初期時点では賦課方式による運営が決定されたにもかかわらず,少子・高齢化が進んだ現在では若年世代の負担が深刻な水準になり,年金制度が維持できるどうかが不確実なものになってしまった。(「経済政策における時間非整合性:展望」木内祐輔)
ここから考えると、「新国立競技場」問題も見えてくる。デザインコンペが行われた2012年にはまだまだ東京にオリンピックが来るというのは半信半疑な状態でもあった。しかし2013年のIOCの会議で実際に2020年のオリンピックが開かれることが決まった。ここで、「現実的にそして本当に新国立競技場を建設する」必要性が生じた。
デザインコンペで示されたザハ案はデザインの斬新さもあり、費用は高額になることがあとでわかった。政府はその段階で「デザインコンペ合意された案」をそのまま費用が高額でも推し進めるか、「デザインコンペ案を撤回し最初からやり直す」かを決めなければいけなかった。
オリンピックが決まる前には「国民もオリンピックが本当に来ると思わないので、非現実的で斬新なザハ案を見ても何も文句を言わなかった。」ある意味国民も将来を見据えたコミットメント(合意)ができていない点である。
しかし、現実問題として建設する必要性ができ、2500億円という高額の費用を前にすると、「デザインコンペ」のコミットメントを否定し、「建設を撤回せよ」となる。まさに経済学の時間非整合の問題である。
ここで政府の行動としては、「デザインコンペ」という以前の合意を重視するのか、現在の「高額費用に対する撤回要求」を重視するのかという問題が起こった。
なんでも国民の要求する問題に政府が簡単に答えればよいわけではないことは、多額の負債を抱えたギリシャ破綻問題を見るとよくわかる。「緊縮財政に反対の国民」と「緊縮財政を要求する支援国」。簡単に国民の要求にこたえると、支援国の信頼を失って国家破綻を招く。国の政情不安は、過激派武装組織を利する結果となることも多い。ただ、国民の合意形成を無視しては、結果的に政情不安を招くこともまた然り。
すなわち、「国立競技場建設問題」は「ギリシャ破綻問題」に通じるものがあり、国民に対する政府の合意形成が必要なことは言うまでもない。いかに政府が「国民に丁寧に説明するか」「説明に納得しない場合は、決定を遅らせたり、撤回させるか」が必要だと思う。
そう思うと、民主党政権の失敗と自民党政権の成功が見えてくる。
「ガソリン税暫定税率」「高速道路無料化」「普天間基地県外移設」「子ども手当実施」など、その政策自体の評価はさておき目玉政策をことごとく国民の合意形成なく変えた民主党政権。
「消費増税延期」「財政改革延期で景気回復」「新国立競技場計画白紙撤回」など一見国民に受けがいい政策を国民の支持を基に転換した自民党政権。それに対し、安保法案では、国民の支持に反して押し切ろうとしたことで支持率の下落をみたのではないだろうか。
安保法案の国民の反対への広がりも、それこそ現実的に法案が成立しそうだから「時間非整合」問題で国民の反発が広がっているとも見える。
とすると、日本国民の「将来性の見えなさ」が問題なのではないだろうかと思ってしまう。政治的無関心が多い、投票の棄権率が多いなどもそこにつながるのではないだろうか。
「時間非整合」性の問題とは,初期時点では最適であると定められた将来の政策が,一定時間が経過した後では,もはや最適ではなくなってしまうことを意味している。具体例として,年金制度が挙げられる。これは,初期時点では賦課方式による運営が決定されたにもかかわらず,少子・高齢化が進んだ現在では若年世代の負担が深刻な水準になり,年金制度が維持できるどうかが不確実なものになってしまった。(「経済政策における時間非整合性:展望」木内祐輔)
ここから考えると、「新国立競技場」問題も見えてくる。デザインコンペが行われた2012年にはまだまだ東京にオリンピックが来るというのは半信半疑な状態でもあった。しかし2013年のIOCの会議で実際に2020年のオリンピックが開かれることが決まった。ここで、「現実的にそして本当に新国立競技場を建設する」必要性が生じた。
デザインコンペで示されたザハ案はデザインの斬新さもあり、費用は高額になることがあとでわかった。政府はその段階で「デザインコンペ合意された案」をそのまま費用が高額でも推し進めるか、「デザインコンペ案を撤回し最初からやり直す」かを決めなければいけなかった。
オリンピックが決まる前には「国民もオリンピックが本当に来ると思わないので、非現実的で斬新なザハ案を見ても何も文句を言わなかった。」ある意味国民も将来を見据えたコミットメント(合意)ができていない点である。
しかし、現実問題として建設する必要性ができ、2500億円という高額の費用を前にすると、「デザインコンペ」のコミットメントを否定し、「建設を撤回せよ」となる。まさに経済学の時間非整合の問題である。
ここで政府の行動としては、「デザインコンペ」という以前の合意を重視するのか、現在の「高額費用に対する撤回要求」を重視するのかという問題が起こった。
なんでも国民の要求する問題に政府が簡単に答えればよいわけではないことは、多額の負債を抱えたギリシャ破綻問題を見るとよくわかる。「緊縮財政に反対の国民」と「緊縮財政を要求する支援国」。簡単に国民の要求にこたえると、支援国の信頼を失って国家破綻を招く。国の政情不安は、過激派武装組織を利する結果となることも多い。ただ、国民の合意形成を無視しては、結果的に政情不安を招くこともまた然り。
すなわち、「国立競技場建設問題」は「ギリシャ破綻問題」に通じるものがあり、国民に対する政府の合意形成が必要なことは言うまでもない。いかに政府が「国民に丁寧に説明するか」「説明に納得しない場合は、決定を遅らせたり、撤回させるか」が必要だと思う。
そう思うと、民主党政権の失敗と自民党政権の成功が見えてくる。
「ガソリン税暫定税率」「高速道路無料化」「普天間基地県外移設」「子ども手当実施」など、その政策自体の評価はさておき目玉政策をことごとく国民の合意形成なく変えた民主党政権。
「消費増税延期」「財政改革延期で景気回復」「新国立競技場計画白紙撤回」など一見国民に受けがいい政策を国民の支持を基に転換した自民党政権。それに対し、安保法案では、国民の支持に反して押し切ろうとしたことで支持率の下落をみたのではないだろうか。
安保法案の国民の反対への広がりも、それこそ現実的に法案が成立しそうだから「時間非整合」問題で国民の反発が広がっているとも見える。
とすると、日本国民の「将来性の見えなさ」が問題なのではないだろうかと思ってしまう。政治的無関心が多い、投票の棄権率が多いなどもそこにつながるのではないだろうか。