日帰り八王子市城郭巡りの第2回目です。八王子城訪問です。八王子城はでるって噂です。えっ!?何がって?霊ですよ~。霊園が近くにたんまりありますからね。でも私霊感ないんで関係ありません。純粋に歴史スポットとして楽しみます。
八王子城には都道61号線の「八王子城跡入口」の交差点を、高尾街道方面(城山大橋方面)からくると左折して、あとはひたすらまっすぐ進みます。すると駐車場が見えてきます。もちろん無料です。数年前に来たときには駐車場がありませんでした。最近できたものみたいですね。これは八王子城が日本の名城100選に選ばれたためでしょう。訪れる人も多いのに路駐ではねぇ。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~nihonjokaku/100meijo.html
↑日本100名城の公式サイト
駐車場で車を降りるとすぐに八王子城の管理棟に着きます。写真右奥の建物です。おトイレ休憩と、パンフレットゲット、日本名城100のスタンプゲットもここです。復元史跡のある御主殿跡に行くにはこの管理棟を左手に歩いて10分程度。八王子城の本丸跡に行くにはこの管理棟を右手に進み歩いて40分ほどです。
管理棟から城山川(この部分は水無川になっていますが)を渡って古道へ出る。古道=昔の道ということは管理棟から古道に至る今私が通っている道は昔にはなかった道ということになります。どこまでが復元で、どこからが公園としての整備なのかわかりずらい。
城山川の対岸にわたってもしばらく低地が続きます。この広い通路も公園としての整備のようです。写真奥に見える橋のところが古道になります。
ここが大手門跡です。1988(昭和63)年の発掘調査で石の道と門跡があったと思われる礎石が見つかっています。下の発掘された大手門跡の写真をみると、やはりこの城山川を渡る道ではなくて、大手門から奥に進む道(上の写真では柵でいけない奥の方向)が古道の続きだったんですね。
八王子城はこんな感じになっています。
大手門跡があるくらいだから、当然昔は道があったわけですが、明確な遺構がでてきているわけではないらしいです。
この曳き橋があった場所は実際に引き橋があったであろう橋桁の石垣遺構が発掘された場所である。そこに木造の橋が作られた。橋自体は現代工法で作られているので復元曳き橋とは言えないないですね。まあ雰囲気はでているのでいいですが、実際にこんな大きくて頑丈な橋は戦乱の多い中世では作りませんよね。
この写真で画面真ん中の柵の上くらいにみえる影になっている石垣。
現状ではこんな感じになっていますが、
発掘調査時はこんな感じで検出されました。だから現状の石垣でも半分以上は検出されたままの状態と言えます。これは貴重です。石垣は大きな石の間を埋める様に小さな石を詰める方法で、室町時代晩年や安土桃山時代にみられる積み方です。
ここでひとつ疑問が、曳き橋の真ん中から石垣をとっている写真をもう一度見てください。石垣が途中で途切れていて木柵があります。これは一体なんのため?本来はここに木橋をかけていた?説明板にどのように復元したか書いていたので詳細は知ることができないのが残念です。
曳き橋を渡って虎口(城郭における出入り口。「小口」とも。狭い道・狭い口という意味)があり御主殿跡に登る階段がある。この虎口の階段も発掘調査がされている。
この写真をみると、階段もほとんど検出されたのを生かしながら復元しているのがよくわかる。これも貴重だ。
この復元階段の踊り場には櫓跡の大きな礎石がある。説明板にあった礎石が下の写真。わかりますか?階段の四隅にあるということは結構大きな櫓門があったのかな、と思います。
さていよいよ階段を上がって御主殿跡です。階段上には冠木門と木壁があります。八王子城跡の写真で一番使われる絵面です。階段の踊り場にあんな大きな櫓門があるのに、ここにこんな冠木があったんでしょうかね…?
八王子城の古図でもこの郭が「北条陸奥守殿御主殿」と記されているし、この郭で行われた1992年、1993年の発掘調査でも大きな建物跡や天目茶碗や香炉などの高度な文化の証しや生活の跡が多数発掘され、間違いなく城主・北条氏照の居館跡であろうと言われている。
周りは土塁で囲まれるなど、強護な造りになっている。
御主殿跡の北側は崖になっているが、そこで興味深いものを見つけました。まずはコレ。
これだけ大きな石となると発掘調査後にわざわざ持ってきたとは考えられません。ということは発掘調査の時もあった大石ということになります。そして地表にでるくらいのこんな大きな石。形状からいっても建物などの礎石とは到底考えられません。となると、私の最近大好きな武家庭園?
御主殿跡の北側の崖にあった石組み。石垣にしては低いし、側溝にしてはつくりが雑。もしや…発掘調査の時にでた石の残骸を捨てたあと?
こういうちょっとした発見をみると楽しいですね
ここは今回私が初めて訪れる場所です。八王子市郷土資料館です。入館料無料。こういった無料の郷土資料館というと、豊富にある江戸時代の民俗系の農具や、第二次世界大戦の戦争民俗資料系のものが中心で特に中世史的には見るべきもののないところが多い。しかし、ここに行く気になったのは、私がよく訪れるブログで資料の紹介があったからである。
http://www.free-style.biz/book/
↑「知識の泉」
このサイトは、すごく豊富に、しかもマイナー資料まで紹介する私が密かに大注目しているブログサイトです。(結構頻繁な更新が続いていたのに、8月に一度も更新がないのが心配。)このブログの2008年7月27日の項で八王子市郷土資料館刊行の「八王子城跡御主殿」という本を探しに来たのだ。
資料館では八王子城の模型がありました。中でも注目したいのはこの模型の「御主殿跡」部分。
これをみると、御主殿跡の西・北・北東の部分が発掘調査されているのがわかる。整然とならなんだ礎石から大きな建物が2つ。小さな建物が3つあるのがわかる。そして中央より北西側の崖の部分。なにやら石がツブツブとある。もしや…と思ったらやはりビンゴでした。あの御主殿跡で発見した大きな石のあった辺り。「庭園状遺構」と言われているそうだ(発掘調査報告書より)。庭園と確定されていないのは、池跡が確認されていないことである。枯山水庭園かもしれないが、まだ未発掘の部分から池跡が発掘される可能性も残っている。永禄年間に入城した北条氏邦が改修した鉢形城には池跡があったが(本ブログ2008年8月2日の項参照)、天正年間に北条氏照が作った八王子城が枯山水庭園なのはどうしてだろうか…。まあ、完全なる御主殿跡の発掘調査を待つしかない。御主殿跡の説明板には、「今後も継続的に調査を実施し、その成果をもとに史跡整備を進める計画です。」と言っているくらいですから、一応期待をしておきましょう。
八王子市郷土資料館では、八王子城の御主殿跡で出土した遺品を展示している。式三献など儀式に使われる「かわらわけ」を始め、天目茶碗や花入れ、茶壷や香炉などの文化的道具のほか、陶磁器などの様々な皿の他、鍋・釜・包丁・銭など生活用品。さらには、刀や鉄砲の弾丸など武器関連の出土もある。遺品の出土状況からほぼ間違いなく御主殿跡が八王子城の権力者の中心地(居館)だったことがわかる。また、戦国期には珍しいベネチア製レースガラス器なども出土している。どうやって、ここまで来たのだろう。考えると楽しい。
これで2回に渡った日帰り八王子市城郭めぐりも終わりです。滝山城は遺構も良く残っているし、国指定史跡なのにほとんど発掘調査がさらていないのがもったいない。八王子城跡は滝山城跡に比べれば発掘調査及び復元が進んでいる方ではあるが、まだ八王子城の全貌を明らかにするには発掘調査の範囲が足りない。また、八王子城の復元のあり方に少々疑問を覚える。中世城郭を知るうえでは復元されたほうが立体的・視覚的に捉えられ雰囲気を知ることができるが、いかんせんなぜこのように復元したのかという説明がない。また、日本の名城100選に選ばれるまで城跡の駐車場がなかったというのもお粗末な話だ。さらなる史跡研究・整備を期待したいものである。