北海道の函館に友人たちと旅行に行ってきました。
なので、個人で旅行するより城郭めぐりはできませんでしたが、
有名な五稜郭に隣接するタワーには行ってきましたので、写真を紹介します。
写真は「五稜郭タワー」にある当時の函館奉行所の模型です。五稜郭誕生のきっかけは、1853(嘉永6)年の幕末のペリー来航。翌年幕府は「日米和親条約」を結び、箱館(幕末までは「箱館」。明治以降は「函館」)と下田を開港します。そこでペリーたちの圧倒的な武力を目の当たりにした幕府は、箱館に奉行所を設置し、開拓、管理、防衛強化を図ろうと計画。蘭学者の武田斐三郎に「函館奉行所」の新しい要塞設計を命じます。ヨーロッパの要塞を検討した結果、1857(安政4)年に建設工事が始まり7年という歳月をかけて1864(元治元)年に五稜郭は完成。蝦夷地の政治、外交の中心となります。
こちらは五稜郭タワーの展示物にあったオランダにある五稜郭の写真です。そっくりですね。
日本でも他にも五稜郭の建物があるようです。ここにはどんな歴史があるのでしょうね?
五稜郭は星形の五角形をしているので、それを感じてもらう為には上から見なければなりません。観光のために、隣接するところに「五稜郭タワー」があり、上から星形を眺めることができます。「初代タワー」は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に高さ60mで開業。写真にあるのは「2代目五稜郭タワー」で、2006(平成18)年に高さ107mのタワーが完成しました。入場料は大人900円(2018年3月現在)。
「2代目タワー」から見える五稜郭の景色がこちらです。雪の五稜郭がまたすばらしい。実際の中にも入りたかったのですが、友人との団体旅行だったので、断念しました。中に入るには大人(一般)で500円かかります(2018年3月現在)。
五稜郭で有名なでぎごとと言えば、戊辰戦争の最後の「箱館五稜郭戦」。榎本武揚が投票で蝦夷共和国の総裁になったこと。元新撰組の副局長の土方歳三が旧幕府軍としてここで戦死したことですね。五稜郭タワーにも土方歳三の銅像がありました。
タワー一階には幕府軍の「海軍伝習士官隊」や新政府軍の大砲のレプリカがあります。戊辰戦争をあまり知らない人がイメージすると、旧装備の旧幕府軍隊、新装備の新政府軍で旧幕府軍が負けるのは自明の理だと思ってしまうかもしれません。
しかし、箱館に逃げた旧幕府軍は、当初五稜郭に居た新政府軍を破って入場した歴史がタワーでわかります。さらに旧幕府軍には、外国から輸入した幕府軍艦で圧倒的な武力を誇る旗艦「開陽」が存在し、新政府軍も手を焼いていたそうです。しかし、この開陽が江差港で座礁してしまうと、旧幕府軍は圧倒的に不利となったと展示内容で知りました。
「蝦夷共和国」は決して無謀な計画だったのではなく、一歩歴史が変わっていれば日本の分裂すらあり得たという歴史を物語る気もします。
函館五稜郭のその後は、あまり知られていません。資料によると1914(大正3)年には公園に、1952(昭和27)年には特別史跡に指定されたとありました。五稜郭が戦乱に巻き込まれることは結果的になく、平穏な時代をすごしたと言えるかもしれません。
函館は夜景が最高でした。ロープウェイから山に登りました。
道の駅しかべ間歇泉公園では間歇泉を見ました。
多くの美味なる海鮮を堪能して満足に関東に戻りました。