本日の更新で「畠山義慶特集」と「畠山義隆特集」のかなりの部分を更新しました。
2018年に刊行された『加能史料戦国16』で畠山義慶の没年が1576年と明らかになりました。従って1574年での畠山義隆の家督相続は誤りであり、畠山義隆の実在性がかなりゆらぐことになりました。
2年前にその事実に気づいていたのですが本業が忙しく更新をサボっておりましたが、今回ちょっと時間があったので大幅に整理をし直してみました。まだそれに関連する特集で変更できていない所がありますが、徐々に更新していく予定です。
他にも近年でサイトの内容が大きく変化している所があります。
名称変更
「義綱の能登奪回計画」→「能登御入国の乱」(1568年)
内容変更
「能登天文の内乱」→「七頭の乱」(1550年)
と少しずつではありますが、内容が最近の研究に合わせてきました。
また、西谷内畠山氏の内容も近年の研究を踏まえて更新せねばと思っているところがあります(私の勘違いで、幕府近習の畠山の人物を西谷内畠山氏に比定してしまっていたので)。また、徐々にサイトを更新していきますので、以前ご覧になった閲覧者様も再度見てくださると嬉しいです。
2018年に刊行された『加能史料戦国16』で畠山義慶の没年が1576年と明らかになりました。従って1574年での畠山義隆の家督相続は誤りであり、畠山義隆の実在性がかなりゆらぐことになりました。
2年前にその事実に気づいていたのですが本業が忙しく更新をサボっておりましたが、今回ちょっと時間があったので大幅に整理をし直してみました。まだそれに関連する特集で変更できていない所がありますが、徐々に更新していく予定です。
他にも近年でサイトの内容が大きく変化している所があります。
名称変更
「義綱の能登奪回計画」→「能登御入国の乱」(1568年)
内容変更
「能登天文の内乱」→「七頭の乱」(1550年)
と少しずつではありますが、内容が最近の研究に合わせてきました。
また、西谷内畠山氏の内容も近年の研究を踏まえて更新せねばと思っているところがあります(私の勘違いで、幕府近習の畠山の人物を西谷内畠山氏に比定してしまっていたので)。また、徐々にサイトを更新していきますので、以前ご覧になった閲覧者様も再度見てくださると嬉しいです。
2015年に発行された川名俊氏の論文では畠山義慶の子が春王丸となっていましたね。
川口成人氏によって畠山家の系図がより詳しく明らかになりそうです。