畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

スイーツ食べ放題!

2012-07-31 04:44:00 | 日記
 妻がどうしても「スイーツパラダイス」の食べ放題に行きたいというので、連れて行きました。大人が1480円(中学生以上)で、子どもが840円(4歳以上)で結構安いです。



 スイーツパラダイスって言っても、ちゃんとご飯もあります。パスタが5種類、カレーが2種類。サラダも食べ放題。パンもありました。ドリンクも飲み放題(アルコールは除く)。パスタ結構おいしかったし、カレーのタマネギスープカレーがおいしい!うちの子どももおかわりしたほど。野菜は大好きなので、サラダもサウザンドレッシングで1回目、胡麻ドレッシングで2回目と食べました。


う…ヤヴァイ…主食でお腹いっぱいにしてはイケナイ。ここはスイーツがおいしい店だ!

 うん!たくさんおいしそうなスイーツが並んでいます。スイーツの周りがちょっと空いた隙に撮影していますが、結構混んでいました(汗)


 一人一個限定でもらえるピッツァも食べ、スイーツも頬張る。ミルフィーユのサクサク感がたまらない!!苺のモンブランも上品な甘さ!プリンロールのカラメルが焦げたところも苦ウマい!スイーツもおかわり!スポンジ系のケーキはお腹が膨れるので、それ以外のものをたんまり3回もおかわり。やっぱり甘いものは別腹!…といいつつまたお腹が空いた…カレーおかわり!!


 制限時間70分の中、50分でお腹いっぱい。娘はチョコレートケーキをなんと5回もおかわり…それしか食べなかった…。息子は「クレヨンしんちゃん撮ってないの?早く帰りたい~」とゴネてます(笑)スイーツパラダイス(略してスイパラ)の楽しいひと時でした。

三県制覇!其の3~新・続群馬県~

2012-07-30 04:44:00 | 旅行・観光
 三県制覇も第3弾目。それでもまだまだ金山城レポートです。今回は実城復元の要、大手口にいよいよ入っていきます。



 なんなんでしょう…この神秘的な風景は…。写真で見たのと全然違う感動を覚えます。思えばこの写真は城訪問サイトなどで金山城を取り上げるときに必ずと言っていいほど掲載される写真です。金山城の復元の一番のポイントであり、金山城の一番荘厳な場所です。
 でも…現地を訪れるまでは、「関東の中世史跡にこんな荘厳な石垣の城が??」と思ったが故、金山城に行きたいと思う気持ちが起きなかったわけです。しかし、これも全部詳しい発掘調査に基づいての復元だとわかると…もう、ものすごいテンションの上がりようです。訪れた時は朝の8時ほどでしたが、もう気分が高揚しっぱなし。

 私の興奮はさておき、さっそくこの金山城の仕組みにお気づきですか?大手虎口の通路が右曲りになっていますね。何のため?それはもちろん、通路のすべてを見せない防御を考えての仕組みです。こんなところにも工夫があります。さすが。


 さらに、城内にはこのように城の全体図や発掘調査の写真などもたくさん説明する掲示物があり、もう至れり尽くせり状態です。
 さて、さすがに本丸に近い大手虎口ゆえ、両側にしかも何重にも曲輪があるので、防御性に優れていますね。


この城の先進性を示すものは、巨大な石垣だけではありません。

 これは石組み排水路です。金山城は排水にとても悩まされたようで、度々石垣が改修されました。それはこれだけ石垣を作ると、アスファルトと同じ原理で雨の時の排水の行き場がなく水が溢れて石垣が崩壊する…ということがあったようです。そのため、多重の曲輪から効率よく排水するための排水路が組まれていたようです。



 大手虎口門の礎石です。なんかちょっと違和感がありませんか?左に寄っている気がする。どんな門があったのかなぁ。



 これは大手虎口南上段曲輪(復元建物があるところ)と、下段曲輪(何もないところ)です。上段曲輪では石敷き礎石建物と、カマド跡、石組み井戸が発掘されました。大手虎口の中でも生活感が感じられる場所です。



 さらにこの曲輪には、このように金山城の石碑や、休憩所、トイレ、金山城の地形模型などがあります。休憩所には自動販売機もあり、ゆっくり見れば最低でも一時間はかかる訪城の休憩のための拠点となります。



 こちらは、大手虎口北上段曲輪の方の階段状石垣です。でも石垣の一部がくりぬかれているよ…と思ったらこんな理由があった。

 この石垣は少なくとも5回改修されており、その変遷をわざと見せるためにくりぬいて遺構そのまま展示しているとのことでした。色々復元にあたって考えていますね。



 金山城には月ノ池の他にもう一つ池があります。それがこの「日ノ池」です。直径およそ15m強。月ノ池の直径が7m強だったことを考えると、山城の山頂としては大きな池です。

 月ノ池より実城の本丸に近く、ただ単に生活用水の場ではなく、雨乞いや戦勝祈願など儀式を行った場所であろうとされています。その証拠に、水の信仰と関わる平安時代の遺物も発掘調査で見つかり、金山城築城以前にもここに池があったことから神聖な場所とされていたと思われています。


 石敷きの池ですが、一部床にこんなところが…

 なんでわざわざここだけこんな風になっているの?と思ったのを見事説明板が解説。これは発掘当時のままのものを展示してあるんだそうです。にくい演出です(笑)


 さていよいよ実城の本丸域に入ります。

 う~ん…なんだろう…このいつもの何もない山城を登っている感は…。金山城の実城本丸域(天主曲輪)は発掘調査はされていないみたいです。

 本丸には新田神社がありました。これは、金山城の廃城後、新田義貞の出身地であったことから山頂には「新田祠」という石宮があったそうで、そこから新田神社が誕生しました。この神社のせいで発掘調査ができないおかげで金山城が守られたのですね(笑)まあ、大手虎口ですっごくいいものを見せてもらったので、3つある社にそれぞれ50円ずつお賽銭を入れてきました(笑)


 ここまで見学して時間はもうすでに8:50。もうあと10分で「史跡金山城ガイダンス施設」が開館する時間まであと少し。この後もまだ見て回りたいところがあるので、そろそろガイダンス施設の方へ向かおう…っと、天主曲輪の下に見える石碑みたいのはなんだ?

「武者走阯」と書いてあります。本丸の下をくるっと回っている曲輪だけに武者走と伝わっていたんですね。こういうのを見逃すともったいない気がします。けれど時間もないので、そちらへは降りないで下山します。


 ということで、其の4では、「太田市立史跡金山城ガイダンス施設」の様子をお伝えします。お楽しみに!

何だったんだろう…

2012-07-29 04:44:00 | 日記

 このホテルを覚えているだろうか?2008年まで品川駅すぐ近くにあった「京品ホテル」である。「京品」とは「東京」と「品川」から取った文字である。


 2008年に親会社の経営が芳しくなく、京品ホテルが外資に売却された。すると、その売却先はホテルをつぶして土地を転売する方針とした。その外資の会社は、企業の売買を繰り返したり、株の転売だけで本業で儲けていないファンド系の会社であった。


 京品ホテル自体は黒字営業であり、ホテルで働く従業員たちは外資への売却に反対し、オーナーの方針に反して自主営業を始めた。しかし、裁判で差し押さえが認められあえなく従業員は徹底させられた。


 そして、2012年7月。品川に出張があり、京品ホテルがあった場所へ行ってみた。そしたら跡地はこうなっていた。

 パチンコ店が建っている。品川駅前という優れた立地を生かして高層ビルを建てるわけでもなく、ショッピングセンターで多くの来客を取り込み地元の方々にも利益をもたらすものでなく…パチンコ店…。


 いったい京品ホテルの廃業はなんだったのか…。パチンコ店を始めるためにホテルの従業員は全員解雇されたのか…。マスコミが取り上げないニュースにこんな顛末がまっているとは…マスコミはのど元過ぎれば熱さ忘れる…これではいかんと思うんです。それを思い知らされたできごとでした。

義綱のたまに行くならこんな店~品川編~

2012-07-28 04:44:00 | 日記
 畠山義綱の、たまに行くならこんな店~品川編~


 7月26日、品川に出張があって昼食を食べるところを探していました。ところが当日はすごく蒸し暑い日で、外に出るのが億劫。そこで品川駅内にあるエキュートで食べることに。

日本そばとか、エクセルシオールカフェなどどこにでもあるところはちょっとなあ…。


ん?「野菜を食べるカレー」?おいしそうだな…。

とりあえず並んでみるか…メニューを見ると…「たまねぎとじゃがいものチーズカレー」なるものを発見!これは食べるっきゃない。時刻は11:40。待っているのは1人。よしもう並んでおこう…すると、自分が店に入るまでの5分の間にもう後ろに4人ほどならんでた。



 はいこれが…「たまねぎとじゃがいものチーズカレー」。器がフライパンで出てきます。注文してから3・4分と結構速かった。店内は満員なのに早いな。さっそく食べよう…うぉっ!熱い!確か「鉄板が熱いのでお気を付け下さい」っていってたなあ。


 味は想像以上にうまい。たぶんじゃがいもとたまねぎは別で炒めており、味付け濃厚なのにカレーに完全に交わっていない…野菜そのものの旨みがでている。そしてチーズがカレーをより濃厚なものにしている。隣の客が「野菜を食べるカレー」を注文していたが、カレーの色が違う。種類によってカレーも使い分けているのか…。



 ふぅ完食。おっとスプーンを写真に収め忘れた。スコップのような形がキュートです。店内はほとんど一人席のような作りで、すべて椅子が高い。カレーも熱いのでファミリー向けではないです。値段も私が食べたカレーで890円とちょっとお高めで大人向け。ボリュームも結構あるので、男性にもおすすめ!



 私が食べ終えた12:00ぐらいにはもうたくさんの待ち客が…。早く食べてよかったなぁ。


 品川駅構内エキュート。キャンプエクスプレス品川店。

三県制覇!其の2~続・群馬県~

2012-07-27 04:44:00 | 旅行・観光
 前回からの続きで、群馬県太田市にある金山城跡のレポートです。


 西矢倉台通路を進んでいくと、とうとう実城域が見えてきました。…とここで早くも大興奮!

 なんだこりゃ!かなりの石垣に圧倒される。まるで近世城郭のような光景。しかし、ここは金山城という山城。戦国~安土桃山時代の典型に位置する。だからここは戦国時代と江戸時代をつなぐ融合された城郭とも言えるかも。
 当然ここは実城の虎口となり、正面をみせないように石垣を築いたのでしょう。そして石垣が両側にあるということは、門が構えられていたと考えられます。


 西城の西矢倉台と実城の物見台にはこのような堀切があります。しかし、この堀。石でゴツゴツしており、土塁ではなく、岩を削ったのでしょうかね?そうだとしたらかなりの技術で作られていますね。


 ではさっそく実城域に入っていきます。

 石垣虎口門から入ったところは「馬場下通路」と呼ばれ、石敷き通路でした。おや?通路を守る右側の石垣…崩壊してます…。せっかくここまで作ったのに…と思ったらこれにも意図があったみたいです。

 金山城が破却された時にあわせ、わざと中央部分を崩れた状態で復元したらしい。復元に関して色々考えていますね。この馬場下通路は真ん中に竪堀があり、西部分と東部分に分かれます。写真や図でわかるとおり、左奥の木橋を渡れば東側へ。馬場下通路が2つに分けられているのは、通路を狭めることで敵の侵入を防ぐ目的とか。スゴイしかけばかりです。


 右奥の階段を通れば(現在は柵で通れませんが…柵を越えていくことはできます。竪堀を落下覚悟で行けば…)

 竪堀の様子です。ここも岩でゴツゴツしており、転倒したら大けが必須…(泣)そして、馬場下通路東側の見事な石垣。竪堀に合わせて段々になっています。本当にすごい技術!もうテンションあがりまくりです。



 木橋を渡っても通路は狭いです。しかも柵列に挟まれているし、崖の上の物見台からも攻撃可能。本当に防御に適している城です。



 さてこの木橋渡ってすぐ左側(山側)に、礎石建物址がありました。スペースはそんなに広くありません。しかし礎石建物であることを考えると、門を見張る兵士の詰所的なばしょだったのかもしれませんね。復元している建物はすべて最終時期のものであると説明板にもあり親切!


 礎石建物の奥には物見台に上がる石段が見えます。

 その奥は当時は行き止まりになっていたようで(現代では坂もゆるやかで通れちゃいますが)、そのスペースに掘立柱建物址がありました。礎石がない簡易な建物であり、奥まった行き止まりという地勢を考えると、倉庫だったのかもしれませんね。


 では石段を上がって物見台へ。

ん?何か石列のようなものがある。

今までの例からこれも発掘調査に基づいたものに違いない!って思っていたらビンゴ!北側に石塁があり、さらに土塁、築地塀があったとみられるそうです。

さらに、大きな礎石を発見!

 ここにはどんな建物がたっていたんでしょうかね?物見台があった曲輪だけに、番をする兵士がいた詰所(番小屋)のようなものでしょうか。


さていよいよ物見台。

 この物見台にも石垣が組まれていたようです。発掘調査の写真をみると石段まで組まれていたことがわかり、ちょっとしたものにも石垣技術を使うこの完成度の高さにまたビックリ!

 この物見台は復元ではありませんが、物見台からの景色はかなりの絶景です。一体が見渡せる絶好な立地です。


さて物見台を引き返しもどると、次は馬場曲輪です。

 木柵と復元建物がありました。復元されているものは1棟ですが平面展示されているものが2棟。

 馬場という名前から、馬の手入れや武具の手入れをするところだったのでしょう。そのために建物も結構あったと思われます。

 おお!これは石組排水溝。一乗谷史跡の町や、高梨氏館にもありましたが、金山城のもかなり本格的です。一部暗渠になっているところもあり、技術的にもさすがです。


 さて階段を降りて次に進みますか。

ここまで来ると大手虎口が見え始めさらに興奮状態に…(笑)

 大手から南城へ続く通路の西はかなりの崖です。

 なぜかブルーシートがかけられています。後で知ったことですが、ここは大田口と呼ばれる地域で平成20年度から発掘調査が行われているところでした。ここが当時の大手道になっているようで、現在でも発掘調査が続いています(平成24年現在)。結構急な斜面でも曲輪が3つもみつかるなど、金山城のその規模にもビックリです。


 今度はその反対側。馬場と大手の間にはまたしても大きな堀切があります。

 ここの大手口の尾根を形成する岩盤を削り堀にしているようです。本当にすっごい記述が何個も何個も使われているなあと感動していると…堀の下にありました、

 月ノ池です。金山城は山城なので水資源確保が課題ですが、堀切の下で水が集まるところに池を配置し貯水タンクとしたのでしょう。月ノ池は2段の石垣で囲まれた石敷きの池だそうです。池の下の土は粘土層の土でもともと水がたまるような地形になっていたようです。そのため、当初一段の石垣で組んでいた池が大雨などで溢れることがあったため、改修によって2段の深い池になったようです。

 発掘調査時の月ノ池の状況です。これほどすごい遺構がでてくるとビックリしますね。なんか儀式的な場所のような雰囲気です。確か奈良の方の飛鳥池遺跡の南隣、伝飛鳥板蓋宮跡の東方の丘陵を酒船石遺跡のような神秘性があります!


 さて、まだまだ金山城続きますが、ページが長くなっていますので、金山城大手口以降は其の3に続きます。