壬生寺の次は京都御所に向かう。全然事前にどのくらいプライベートな時間があるのか予想もできなかったので、行き当たりばったりの旅になってしまった。それゆえ、御所も4日前に予約すれば中に入れたのだが…。
だがそんな気持ちも御所の中に入ると忘れてしまった。
御所は天皇の住まいのある場所。だから当然広い。天皇のある御所には予約なしでは入れないが、御所の周りは公園として整備されてとても落ち着いた雰囲気だった。昔は公家の屋敷があったらしいが、東京遷都とともに荒廃していったらしい。東京遷都から数年して一度京都に戻った天皇は御所の周りの整備を命じたと言う。そこで京都御所の周りは公園として整備されたと言うわけ。犬の散歩やスポーツする人、ボーっとする人など都会の喧騒を離れ、静かにできる空間。御所の中の方に入れば車の音すらしない。平日の昼間だったので人影もまばらでゆっくりするのにちょうど適している(江戸城、というか皇居の周りは平日でもけっこう人がいる)。
やはりのんびりするだけじゃ物足りない。歴史的な価値も御所はもちろんあります。それも事前予約が必要な御所の中に入らなくても。その場所はもちろん「蛤御門」です。当初は「禁門」(禁裏の御門を略した呼び方だそうな)と呼ばれていましたが、江戸時代の大火でそれまであけられなかったこの門が開けられたことから、焼くと口をあけるハマグリ(蛤)からその名前が呼ばれたと言う。この蛤御門と言えばなんといっても「蛤御門の変」(「禁門の変」とも言う)でしょう。幕末、佐幕派と尊攘派の最大の駆け引きである名場面。1863(文久3)年、会津藩と薩摩藩で協力して長州藩を朝廷から追放した、八月十八日の政変。長州藩は勢力挽回のため、天皇を長州に連れ去る計画を実行に移し1864(元治元)7月に挙兵し、蛤御門に向かった。迎え撃つ会津・桑名・薩摩の佐幕派諸藩に長州藩は壊滅状態となった。佐幕派がまだ優位に立っていた時代のことである。蛤御門には今でもその変で銃弾の跡が梁に残っている。
だがそんな気持ちも御所の中に入ると忘れてしまった。
御所は天皇の住まいのある場所。だから当然広い。天皇のある御所には予約なしでは入れないが、御所の周りは公園として整備されてとても落ち着いた雰囲気だった。昔は公家の屋敷があったらしいが、東京遷都とともに荒廃していったらしい。東京遷都から数年して一度京都に戻った天皇は御所の周りの整備を命じたと言う。そこで京都御所の周りは公園として整備されたと言うわけ。犬の散歩やスポーツする人、ボーっとする人など都会の喧騒を離れ、静かにできる空間。御所の中の方に入れば車の音すらしない。平日の昼間だったので人影もまばらでゆっくりするのにちょうど適している(江戸城、というか皇居の周りは平日でもけっこう人がいる)。
やはりのんびりするだけじゃ物足りない。歴史的な価値も御所はもちろんあります。それも事前予約が必要な御所の中に入らなくても。その場所はもちろん「蛤御門」です。当初は「禁門」(禁裏の御門を略した呼び方だそうな)と呼ばれていましたが、江戸時代の大火でそれまであけられなかったこの門が開けられたことから、焼くと口をあけるハマグリ(蛤)からその名前が呼ばれたと言う。この蛤御門と言えばなんといっても「蛤御門の変」(「禁門の変」とも言う)でしょう。幕末、佐幕派と尊攘派の最大の駆け引きである名場面。1863(文久3)年、会津藩と薩摩藩で協力して長州藩を朝廷から追放した、八月十八日の政変。長州藩は勢力挽回のため、天皇を長州に連れ去る計画を実行に移し1864(元治元)7月に挙兵し、蛤御門に向かった。迎え撃つ会津・桑名・薩摩の佐幕派諸藩に長州藩は壊滅状態となった。佐幕派がまだ優位に立っていた時代のことである。蛤御門には今でもその変で銃弾の跡が梁に残っている。