畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

京都・奈良紀行~その3~

2008-05-31 21:21:08 | 歴史
 壬生寺の次は京都御所に向かう。全然事前にどのくらいプライベートな時間があるのか予想もできなかったので、行き当たりばったりの旅になってしまった。それゆえ、御所も4日前に予約すれば中に入れたのだが…。

 だがそんな気持ちも御所の中に入ると忘れてしまった。

御所は天皇の住まいのある場所。だから当然広い。天皇のある御所には予約なしでは入れないが、御所の周りは公園として整備されてとても落ち着いた雰囲気だった。昔は公家の屋敷があったらしいが、東京遷都とともに荒廃していったらしい。東京遷都から数年して一度京都に戻った天皇は御所の周りの整備を命じたと言う。そこで京都御所の周りは公園として整備されたと言うわけ。犬の散歩やスポーツする人、ボーっとする人など都会の喧騒を離れ、静かにできる空間。御所の中の方に入れば車の音すらしない。平日の昼間だったので人影もまばらでゆっくりするのにちょうど適している(江戸城、というか皇居の周りは平日でもけっこう人がいる)。


 やはりのんびりするだけじゃ物足りない。歴史的な価値も御所はもちろんあります。それも事前予約が必要な御所の中に入らなくても。その場所はもちろん「蛤御門」です。当初は「禁門」(禁裏の御門を略した呼び方だそうな)と呼ばれていましたが、江戸時代の大火でそれまであけられなかったこの門が開けられたことから、焼くと口をあけるハマグリ(蛤)からその名前が呼ばれたと言う。この蛤御門と言えばなんといっても「蛤御門の変」(「禁門の変」とも言う)でしょう。幕末、佐幕派と尊攘派の最大の駆け引きである名場面。1863(文久3)年、会津藩と薩摩藩で協力して長州藩を朝廷から追放した、八月十八日の政変。長州藩は勢力挽回のため、天皇を長州に連れ去る計画を実行に移し1864(元治元)7月に挙兵し、蛤御門に向かった。迎え撃つ会津・桑名・薩摩の佐幕派諸藩に長州藩は壊滅状態となった。佐幕派がまだ優位に立っていた時代のことである。蛤御門には今でもその変で銃弾の跡が梁に残っている。

京都・奈良紀行~その2~

2008-05-29 10:00:22 | 歴史

(↑壬生寺表門)

 次の日に向かったのは、壬生寺。女性人気の高い新撰組の屯所があった場所である。アクセスは阪急大宮駅から徒歩12分ほどというところ。
 壬生寺は隣接するところにマンションがあったりと事前のイメージとはちょっと違った。また、大々的に「新撰組」の資料館として取り上げられているわけではなくあくまで寺なので、観光スポットとしてはマイナーかもしれない。もっともこの壬生寺の方が新選組より先にあったし、新撰組は兵法調練場として結構手荒く使っていたらしい(境内で大砲の練習をしたり馬の訓練をしたり)。

(↑壬生寺本殿)

 壬生寺境内には壬生塚と呼ばる新選組隊士の墓がある(入場するのに100円必要)。また、壬生寺歴史資料室に若干ではあるが、新撰組関係の資料もおいてある。やはり明治期に逆賊とされた新撰組に関する資料は廃棄されたようで、残っている資料も少ない。しかし、このところの新撰組ブームにより観光客も多くにぎわってきたようだ。同寺でも新撰組グッズを売っており(寺の周りのお土産ショップでも売っていた)、ブームにあやかろうする姿勢も見える。やはり、逆賊とされた新撰組の名誉回復がなり、このように観光地化されるのはなかなか嬉しいものでもある。この寺の横には新撰組発祥の地と言われる八木邸が残っている。私も入ろうと思ったが、和菓子の老舗とくっついており、拝観料1000円。お土産ものをたくさん買ってしまったので今回はあきらめた。残念。


(↑壬生寺歴史資料室)

京都・奈良紀行~その1~

2008-05-28 21:57:16 | 歴史

 ある用事で奈良と京都に行きました。あまり(というかほとんど)プライベートの時間はなかったのですが、なんとか時間を捻出して行けた歴史スポットを紹介したいと思います。
 まずは私がどうしても行きたかった歴史スポット「平城宮跡」。誰もが学校で習う「710年平城京」。奈良時代にはこの奈良の平城京が日本の中心だったのです。しかしながら、その現状といえばただ広い平野が広がるだけの「なにもないところ」として観光地としては不向きな「マイナー歴史スポット」となっていた。「マイナー」+「歴史」が重なればこの義綱が自ら体験しなければ気がすまない。そこで京都・奈良紀行~その1~では平城宮跡をリポートします。
 710年~784年に長岡京に遷都されるまでほぼ一時期を除き日本の首都であった平城京。その貴重な歴史遺産の調査とその跡地利用は驚くほど遅れていた。発掘調査は1955年に開始、1960年代には近鉄の車庫建設と国道バイパス計画という遺跡破壊の危機に見舞われた。およそ日本の中心の史跡とは思えない扱いである。そのような危機も住民らの手によってなんとか逃れたのである。発掘調査では内裏の発掘だけでなく、外京の発見、奈良時代の庭園である東院庭園の発掘など目覚しい成果をあげた。しかしながら、近年まで平城京跡は柱跡や大極殿の基盤展示なども歴史好きには良いのだが、一般の人には「たんなる広い平原」としか写らならず、いまいち壮大な歴史のイメージするにはほど足りなかった。
 しかし、「平城宮跡」は奈良市の東大寺・興福寺・春日奥山・正倉院などとともに1998年に世界遺産の埋蔵文化財に指定された。埋蔵文化財というのは、現在の貴重な歴史遺産ではなく、地中に眠っている貴重な史跡というものである。そこで、1998年に平城京の表玄関である朱雀門ができ、1967年に発掘された庭園も1998年に東院庭園として復元展示公開された。そして平城京遷都1300周年記念にあたる2010年にあわせて第一次大極殿の復元工事が行われている。「平城京跡」は一般の方にも「見える」「見せる」歴史スポットとして生まれ変わろうとしている。平城宮跡資料館(展示内容は少ないが、研究本などはそこそこ充実しているのでぜひ購入を!)や朱雀門、東院庭園の見学は無料。まだ完成途中の都は今後どんな変化を見せてくれるのだろうか。平城京跡の最大の障害は史跡のど真ん中を近鉄・奈良線が横切って走ることである。朱雀門と大極殿が寸断される状態では歴史スポットとしてはいささかなさけない。さらに世界遺産「平城宮跡」からわずか40mしか離れていないところに京奈和高速自動車道路の建設案が提案されており、史跡保存と景観保全の観点から疑問点があがっていた。最終案では、遺跡から約1km程離れた地にトンネル方式で建設する迂回ルートで決着したらしい。「迂回しても、地下水の流れが変わり地中に眠る木簡に影響がある」という歴史家もいる。完全な解決にはなっていないが、当初案よりは多少の前進とは言える(七尾城跡の能越自動車道の高架方式よりはマシ)。
 「日本の貴重な歴史遺跡」「玄人受けするが素人受けしない」「高速道路の建設問題」など平城宮跡の今後は七尾城跡にもつながる問題であるだけにとても関心が持てた。今まで奈良・平安時代など貴族の時代はあまり興味がもてないでいたが、すごく関心が出てきた。今度はプライベートでゆっくり訪れたいものである。仕事で行ったので朱雀門はバスから見ただけ、資料館は15分程度、東院庭園も10分程の見学しかできなかった。次に訪れるのはいつになるか…大極殿ができたらぜひ行ってみたい。2010年かな?(写真もほとんど取れなくてアップできなくてすみません。)

自分病

2008-05-20 20:45:33 | 日記
私は子どもっぽいと人からよく言われる。家庭もあり、年齢も30になろうとしてるにも関わらず、「家庭を持っているオーラがない。」ともいわれる。私は「子どもっぽいことは純粋なんだから、別にいいじゃん」と思っていたがそうじゃなかった。私は全体的に考えが幼いのである。「自分病」って知っていますか?子どもが自分のことだけ考えているように、常に自分が中心じゃないと気がすまない状態のこと。広い意味で言えば、いつまでも他人から言われた注意をクヨクヨ悩む、あるいはイライラしてしまう。周りと比較して自分が優れば喜び、劣ればひどく落ち込む。誉められることが大好きで、少しでも叱られることは大嫌い。→こんな自分は、自分のことばかり考えている証拠。仕事だって家庭だってなかなかうまくいかないだろう、と思う。こんな私が少しでも自分を見直すことができるようになったのは、人生の大きな挫折があったから。その挫折の時私を支えてくれたのは妻だった。素の自分を受け入れてくれる妻。妻の存在がなければ、また挫折から立ち直ることもできなかったかもしれない。そして大きな挫折がら職場に復帰した時、周りは優しかった。ただ、「優しいのは挫折したから?」と辛い気持ちになることもあった。一番胸に響いたのは、挫折から一年ほどたってある職場の先輩の一言だった。「仕事がだいぶできるようになっても、(また挫折しないかと)周りに心配をかけているうちはまだ一人前じゃない!」きつい一言だったが、復帰して安心しきっている私に警告をしてくれたのが嬉しかった。さらに続けて先輩は言った、「神はその人が越えられる試練を与える。挫折を乗り越えたのは、きっと君が乗り越えられると神が思ったんだよ。来年はまた勝負の年だね。」普段神様なんて信じてないような先輩の一言。私に警告し、だけど私をフォローし、私を勇気づける言葉かけ。嬉しくて涙がでそうになった。私もできるだけ「自分病」から卒業できるようにがんばります。そのために今やっていること、「でも~」で始まる文章で話すのは止める。「でも」とは相手の言葉を否定して自己主張する言葉。きっとこれを多用されれば気分を害するかな?っておもったり。なに自分で書いてるかわからなくなっちゃったから、おわり。