畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

金沢城 in 2022~鼠多門復元完成の巻~

2022-07-25 17:09:12 | 旅行・観光

 金沢城の鼠多門・鼠多門橋の復元が2020(令和2)年7月に完成したので、2022(令和4)年3月に行ってきました。金沢城も4度目の訪問です。金沢大学が移転した後の2001(平成13)年に金沢城公園が開園して以降、どんどん復元が行われて立派な史跡公園になりつつあります。

 玉泉院丸庭園の階段を降りていくと、今回のお目当ての「鼠多門」が見えてくるのが一番上の写真です。入りたい所ですが、一度城側から門をを通って外に行きます。

 金沢城の中での鼠多門の位置関係はこんな感じです。一番有名な県名にもなっている「石川門」の反対側です。

 門を越えると鼠多門橋があります。橋の下は幹線道路でした。金沢城の堀は幹線道路になっていました。橋は「木造の立派な橋だな。でも道路の上にあるのに耐震性などは大丈夫だろうか?」と思いましたが、現代の安全基準を満たすために「鋼構造」で城郭景観との一体化のために、木材で覆う仕上げになっているようです。なるほど。

 これだけ大きな幹線道路。もし木材が腐食したり、地震で折れたりしたら大変でしょうから、鋼構造なのも納得です。さらに実際の橋よりも車高を確保するために、鼠多門の反対側を2m高くしているそう。色々設計で考えられています。

 

  では鼠多門に入っていきましょう。無料です。

 こういうスタンプ押したくなる!パンフレットの開いてるところに押して記念にします。

 鼠多門は2階建てです。1階部分には降りられませんでした。

 壁板と床板に能登産のヒバを使っているって!能登贔屓な私としては嬉しい!

 この写真は明治初期の頃の鼠多門だそうです。城郭建築では全国唯一という黒い漆喰によるなまこ壁など史実に沿った国産木材を利用した「本物志向」で復元しつつ、現在の安全基準や耐震性、バリアフリー化に配慮した。

 スタッフの方に聞いたところ、復元にかかった総事業費は約20億円。寄付で1400万円ほど集まったと言うが、熊本城の復元も1つの櫓などで90億かかっているものもあるので、かなりの精度で復元しているようだ(ぜひその位の予算を七尾城にも欲しいです)。

 発掘調査も丁寧にやっています。

熊本城並に金沢城も復元されそうだな・・・。そうなるとやはり肝心な本丸地域の復元が見たいけど・・・

https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kouen/siro/01seibikeikaku/ninomarugoten/ninomarugoten.html

上記URLを見ると、金沢城二ノ丸御殿を2021(令和3)年から復元に向けて着手する予定らしい。


武蔵国府跡

2022-07-24 16:11:04 | 旅行・観光

 武蔵国衙から徒歩10分。JR武蔵野線の府中本町駅から徒歩1分にある「武蔵国府」に2019(令和元)年に行ってきましたので、レポートします。国府とは、1300年前に国郡里の地方制度が出来た時にできた国の行政中心地。武蔵野国府はしっかりと発掘調査もされていて、国司館が発見された「国指定史跡」です。国府が置かれていた当時の大きさは、東西2.2km南北1.8kmにも広がる広大な土地だったようです。つまり先日レポートした「武蔵国衙」とは一体的な運用がされていました。

 こちらの国府は国司館が置かれ、現代で言う住居兼執務室である知事公館のような役割でした。発掘調査の結果、7世紀後半~8世紀前半に造営されていたようです。国司館の模型が置かれて、イメージが想像できます。

 さらに当時の建物の「模型表示」が行われ、屋敷の形がコンクリートで固められた範囲で、柱穴跡が模型で表されています。これで柱の本数や大きさを体感できるので、その大きさを感じることができます。なかなか見応えがあります。

 

 これが「武蔵国府跡」の全体図です。すぐ横には、駅、大きな商業施設、マンションが建っているので、国司館跡が奇跡的に残っていることが感じられます。都市開発するときの発掘調査で発見されたのでしょうか。芝生広場ではサッカーをしている家族連れもいたので、近隣住民が憩いの場としても使っているようです。この看板には載っていませんが、資料館もあります。

 模型の後ろにあるプレハブです。公園の看板に書かれていないところを見ると、恒久の施設では無いようです。四方を道路や駅、大規模商業施設、マンションに囲まれており、遺跡公園を拡大させることは不可能に思えるのですが、どうして恒久施設ではなく、プレハブなのでしょうか?ひょっとするとボランティア団体による運営の資料館なのでしょうか?

 中には史跡の変遷を見られる資料があります。図録などは売っていませんが、復元CGを見られるVRゴーグルが無料で借りられました。内容はさほど多くないですが、往事を感じさせる工夫が随所にあるのが嬉しいです。

 

 発掘調査の中から17世紀前半の遺構が見つかり、徳川の家紋である三葉葵紋鬼瓦が発掘されたことにより、徳川家康の府中御殿も置かれていたと推定されました。ただし、掘立柱建物であり鷹狩りなどで使用する休憩室のような位置づけだったのかとも思われます。