畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

ヤクルト開幕2連勝

2012-03-31 22:19:00 | ヤクルト


小川ヤクルト開幕2連勝!


開幕戦は石川投手が8回までノーヒットノーラン。
9回はバーネットが抑えて零封で完封勝利!
宮本が3安打猛打賞。2000本安打まで順調に残りを減らす。
青木の代わりに期待される若手の上田が初打点。


2回戦は、先発村中。3点先制されるも逆転勝ち。
昨年不振の飯原が代打で勝ち越し打。
オープン戦でHRがでなかった畠山が第1号。
田中も第1号。打順1番結構ハマり?


巨人は昨オフにFAで杉内(ソフトバンク)、村田(横浜)を補強。
<巨人スタメン>
坂本、ボウカー、長野、阿部、村田、高橋、小笠原、寺内、澤村

FA移籍組に逆指名ドラフト、ドラフトなのに単独指名の選手がいたりとスゴイメンバー。さらに谷が控えっていうんだから…野球の評論家が順位予想でほとんど巨人を優勝に挙げたけどこれで勝てないのも巨人。

ヤクルトのスタメンは
田中、上田、ミレッジ、畠山、川端、宮本、バレンティン、相川、村中

ドラフト1位以外の選手がコツコツと出てくる。派手さはないけど、この2連戦すごい安定感!!これが東京ヤクルトスワローズ。さらに名将小川淳司監督が率いているんだから、選手もいかんなく実力を発揮できるんだね。実力があってもそれを10%も発揮できない巨人。実力は低くても100%に近い実力を発揮できるヤクルト。だから野球って面白い!

相棒10最終回

2012-03-25 21:14:00 | 日記
水谷豊主演の刑事ドラマ「相棒10」の最終回。


水谷演じる杉下右京の相棒・神戸尊(及川光博)が別の部署に行く。


クローン人間に関わる殺人事件。


クローン人間誕生を黙殺するように神戸が杉下に迫る。


神戸は杉下がそういう犯罪を匿うようなことをしない主義なのは重々承知の上で、単独行動をとった。


それが結果的に杉下を黙らせることに…


そして、神戸は自責の念から特命係からの異動を希望する。


杉下はそれを知って「私は君を追い出そうとは思わないですよ。」と優しい言葉をかける。


しかし、無情にも警察庁の幹部より人事異動発令。神戸は別部署へ。


それに対する杉下の心情はあまりえがかれていない…。


これが神戸尊に対する終わり方なのかな…


亀山君(寺脇)と比べるとあまりにも非情な終わり方…


やはり水谷と及川の不仲説は本当なのかな…

大阪・京都オフ~其の3~

2012-03-22 21:25:00 | 歴史
 さて結婚式の飲みとその後の飲みで寝るのが午前2時となり、起きたのが7時過ぎ。急いで朝食を食べに行き、荷物の整理。やっとホテルを出たのが8時過ぎ。長続連様との約束で9時京都駅だったのに、約束の時間に遅れそう…。


 さて、大阪・京都オフ2日目です。ホテルがある「大阪城公園駅」から大阪環状線に乗って大阪駅へ。

 大阪環状線でこの日103系に乗って萌え~っとしたのは前回のブログ通り(笑)

 大阪駅では「大阪ステーションシティー謎解き総選挙」なるイベントをやっていました。“巨大都市大阪駅”全体を使った壮大な宝探しゲームです。広告に「この”まち”をおもろくするんはオレや!」ってコメントがあって、こういうところも大阪っぽくていいな。さて、大阪駅から東海道線の新快速に乗って京都へ。新快速に乗ると、大阪→新大阪→高槻→京都とわずか4駅目で京都駅。時間にして35分ほど。早いなあ~。それでも京都についたのは9:14。遅れてごめんなさい。


 京都駅にてどこを回ろうかという話になったとき、3人様は私の体調を考えてくれて「山城めぐりは無理ですね…」ということになった。本当にありがたいことです。そこで、相国寺の特別公開で「開山堂」の鳴き龍が見れるということで訪問。

特別公開ということもあり、拝観客が多かった。私たちが見終わったころにちょうど団体客がきて、こんなに人が来たら景色も台無し…なんておもってみたり…。


 開山塔の「龍渕水の庭」です。白砂の庭がまるで銀閣のようできれいです。



 相国寺のお墓には「足利義政」の墓がありました。隣にある墓が「藤原定家」?なんでそんなジャンルが違う人と一緒?


 次は石碑めぐりです。京都は、江戸時代以降の寺社仏閣などはたくさんあるのですが、室町時代以前になると極端に史跡が少なくなります。その理由はまずこちらです。

 「応仁の乱勃発の地」の看板です。同地に石碑もあります。1467年に始まり10数年にも及ぶ戦乱で京都の街はかなりが焼け野原になりました。このせいで中世以前の建物が残っていないという面はたぶんにあると思います。この看板は、上京区にある御霊神社の鳥居近くにあります。残念ながらこの神社に応仁の乱などの資料館などはありません。私たちが訪問したときには、バザーみたいなものをやっていました。

 ここで、長続連様は神戸に用事があるというので、お別れです。今度はぜひ夜までご一緒でして歴史談義にでも花を咲かせたいものです。


 もうひとつ、史跡が残っていない理由がこちらです。

 「従是東北足利室町第址」とあります。京都に置かれた室町幕府。その本拠地でありながら、室町幕府の専門の資料館などもありません。室町御所の復元展示などもありません。発掘調査すら積極的に行われているわけではありません。これは、京都の宅地開発が進んでいるということもあります。
 しかし、足利義輝様と道中にこんな話をしました。「戦前に南北朝における南朝の正当性が論じられて、室町幕府は逆賊扱いされた」ことが、戦前までにおける室町幕府研究を阻み、積極的な史跡保護も行われなかったのではないでしょうか。戦前では室町幕府の再評価などを行うと逆賊扱いされていたようです。室町幕府研究は実質的に戦後から始まりました。だから室町幕府の将軍なども現在においても正当な評価がされていないのではと思うのです。それに加えて、関東出身の足利氏を京都の方々は外来者とみなしているから積極的な史跡保護がないのかもしれないと思ってもみたり…。


 さて、次は足利関連の京都唯一ともいえる史跡。「等持院」に行きます。京都市営バスで「等持院道」下車。かなり歩きます…。そこで武藤舜秀様が「この近くに堀川天皇火葬塚がありますよ!」というと、俄然足利義輝様が興奮気味に!!「ぜひ行きましょう。」

 住宅地のど真ん中にある「堀川天皇火葬塚」こんなところも宮内庁所管なんですね。京都にはこういう場所が結構あって、やはり1100年ちかく都が置かれたところなんだなあ…と思いました。



 バス停から降りて15分ほどたってようやく「等持院」の門に。といっても門の中にも普通に住宅があります。こういう例は結構ほかの寺院などにもみられます。明治期の廃仏毀釈の流れで金銭的に困った寺院が土地を切り売りした。そこに元の門があったところに石碑が残っていたり、門だけ残っている…そういう例なのかもしれません。



 等持院は元々仁和寺の一院だったそうですが、1341年に足利尊氏が夢想国師を開山として中興し、足利氏の菩提寺となった等持寺の別院となり臨済宗天龍寺派となった。ただたびたび火災の被害にあったようで、現在の建物は江戸後期のものであるといいます。
 等持院の見どころは、何と言っても歴代足利将軍の木像です。最近伝足利尊氏像が高師直と言われているので、足利尊氏の木像の貴重な資料です。15代将軍の中で等持院にある木像は13体。無いのは5代義量と14代義栄。昨年に等持院に行ったときには通説の足利将軍の代数と違っていた。14代を足利義輝とするなど、再任された足利義稙を12代とカウントしていた。しかし、今回訪れた時には通説通りの代数でカウントしていた。私は何か信念があって通説と違う代数を展示していた(たとえば、14代義栄を将軍として認めていない)のかと思っていたけど、どうやらそうではないのだろうか…。(展示換えが面倒くさかった?)将軍木像は撮影禁止なので写真はありません。




 趣ある建物です。さらに白砂の庭と苔の庭が合わさりすごく落ち着いた雰囲気。あと、観光客がそれほど多くないというのも利点です。これが竜安寺だと庭もスゴイ趣があるのですが、観光客も多すぎるのでゆっくりできません。それがここ等持院ではこんなもことが楽しめます。

 足利の家紋である「二引両」の茶碗でお抹茶を飲む。お菓子は「芙蓉の月」という等持院オリジナルブランド!!皮に弾力があり、餡にはハチミツが入っている上品な甘さ。お土産にもいいなって思うけど、ちょっと高いかな?確か8個1200円。このお庭を見ながらゆっくりお茶をすする・・・それがどんなに上品で落ち着いた光景だろう。さていつもは早食いと言われる私だけどゆっくりいただきましょう…と思ったら、武藤様も足利様も飲むのが早かった(笑)


 さて、次の場所はかなり歩いて疲れているし、足利史跡もあまりないので、京都府立図書館で地元資料を探すことに。調べてみたら平安神宮の近く。足利様の交通案内(すごく京都にお詳しい)で、バスを乗り継ぎ図書館へ。平安神宮の近くにとてもおいしくて安くてボリュームのある洋食屋さんがあります「グリル小宝」っていうんですけど、みなさんで今度行きませんか?その時には公方様のお目当ての焼酎を河原町で買いにまいりましょう!


 さて平安神宮前の来ました。

 めっちゃ大きい鳥居が道路に立っています。鳥居を車でくぐるってのがなんか罰当たりな感じもしますが…今回は図書館がメインなので、平安神宮には行きませんでした。残念。鳥居の奥に見えたので写真を一枚。

 では図書館へ。

 建物は古い洋館のようですが、中はリニューアルされているようで、ピカピカでした。高い建物にできないためか、地下にも図書館が広がっていました。そこで何冊か本をコピーできました。花の御所が大学校舎の建設に伴い何ヶ所か発掘調査がされているようで、その関係の本をコピッてきました。


 今日中に東京へ戻らなければいけないので、図書館を出たら今回の京都オフはいよいよ終了。京都駅に向かいます。…着きました…ってブログでは簡単に書けるけど、バスに乗ったはいいけどメッチャ道路が混んでいて京都駅までかなり時間がかかりました。1時間くらいかかった?足利様は「途中で降りて地下鉄に乗りますか?」とおっしゃったのですが、バスの座席に座っていたのでそのまま乗り続けてしまう選択をした私の判断ミス…。さすが公方様は京都に詳しい。

 さてお土産タイムです。「京都の恋人」なんて売ってます。「白い恋人」怒らないかな?そういえば、吉本が販売している「面白い恋人」って訴えられていますよね。「○○の恋人」ってやっぱパクリだよねえ。そして、それぞれお土産を買って帰宅路へ。


 私は京都駅から新幹線で東京まで。

時刻表をみて違和感…超特急の「のぞみ」(京都から上りだと基本、名古屋・新横浜・品川・東京しかと回らに)ばっかり。特急の「ひかり」(基本、名古屋・浜松・静岡・新横浜・品川・東京)は多くなく、各駅停車の「こだま」は本当に少ない。「こだま」しか止まらない駅を誘致した自治体はしっかりと収益が上がっているのだろうか疑問。



 そんなことを考えつつも、新幹線に乗車。疲れていることもあり、すぐ睡眠。面白いことに、上りも下りも元住んでいた「浜松」付近で一旦起きる。やっぱり浜松は見ておきたいんだろうなぁ。行き(下り)は元住んでいた自分が見える方に座っていた。帰り(上り)は高層ビルがあるアクトタワーを見て満足。天竜川が見えることには再び睡眠。夢の中で、「そういえば、浜松城も掛川城もレポートしてないから、夏にでも行くか…」なんて思ってました。


これにて大阪・京都オフ終了~!

大阪・京都オフ~其の2~

2012-03-21 04:44:00 | 歴史
 大阪・京都オフ会其の2。前回は大阪城へ行きました。さて、大阪城天守閣から徒歩15分くらいのところにある「大阪歴史博物館」へ行きます。


 大阪歴史博物館の前であとからオフ会に参加の足利義輝様と合流。公方様はこの博物館には結構訪れているとのこと。古代の歴史にもかなりお詳しいようでした。


 この手前の近代的な建物が「大阪歴史博物館」です。一昔前までは大阪城内にあった洋館でした。

 こちらの方が趣があってよかったかも…。



 大阪歴史博物館の隣の建物(といってもつながっているけど)がNHKで、館内では朝ドラ「カーネーション」のPRのため、セットの実物大模型が展示されていました。



 この「大阪歴史博物館」の敷地は難波宮のあった場所だったところでもあり、難波宮に関する展示が数多くあります。

 「大阪歴史博物館」が高層化したことにより、すぐ近くにある「難波宮公園」の全体がよく見えます。これは10階からの眺めです。この回の展示はほとんど難波宮に関するものでした。

 しかも、展示の一部で実物大大極殿を復元してあり壮大なスケール。そういえばこの大極殿どこかで見たような気がする…そうだ平城宮の大極殿。これとほぼ一緒です。というのも、この時代の建物は発掘調査から得られる情報しかなく、だいたい復元するとしたら同じような形になってしまうようです。

 難波宮の出土物が展示されています。かなり出土物があるようで、さすが天皇関係の史跡という感じです。

 難波宮公園の発掘調査がよくわかる資料もあり、かなり展示が充実しています。

 難波宮全体模型です。これも平城宮に近いものですが、八角堂など平城宮に見られないものもあります。


 さて、次のフロアに移ります。「大阪歴史博物館」からは大阪城も見えます。

 建物が高いので大阪城全体が見渡せるいい景色です。ガラスごしなので写真映りがイマイチなのがたまにきず…。次のフロアは「大坂本願寺時代」と「天下の台所の時代」というテーマです。

 これは中世堺の復元模型。これは発掘調査で得られた情報を元に再現しているので、限りなく本物に近い。これだけ発掘調査しているんなら実物大復元してほしいな。


 これは大阪城内にある、石山本願寺の堂の模型。かなり巨大。資金力があったんだろうな…さて次の展示物は…と思ったらもうすぐ近世に…。


 では、大阪歴史博物館からほど近い「難波宮公園」に行きましょう。

 平城宮と同じように、柱跡の場所がわかるように平面展示されています。でもこれ、歴史好きじゃない人にとっては単なるオブジェにしか思われないだろうな…。

 八角堂もこのようにオブジェで表されていますが…あまりにも雰囲気が違い過ぎて、たんなる公園の施設にしか思えない…。

 八角堂の先に大極殿の基壇が復元されています。これも平城宮でみたものと同じようなものですね。な・なんと、大極殿の基壇の上でサッカーをする少年が…天皇の儀式する施設の上でサッカーとはなんと失礼な…武藤様がすかさず「あれは蹴鞠の練習ですよ」とフォロー(笑)


 大極殿の礎石は、八角堂近くの回廊と比べると直径がかなり大きい。やはりそれだけの建物の規模があったということがわかる。



 大極殿を後ろからみたものです。大極殿が後ろに後殿とつながっているのがわかります。

さらにこの後ろに内裏があったようですが、現在は大きな道路になっており見る影もありません。

 難波宮は平城宮に次いで発掘調査や展示などが盛んな場所でした。平安京は開発されていてほとんど展示されていませんし、藤原京は最近でこそ発掘調査がされてきましたが、まだまだ展示が充実しているとは言えません。今後の一層の整備が望まれます。


 さて、大阪オフ番外編。私の個人的に萌え萌えスポットです。「大阪歴史博物館」近くの「谷町4丁目」から地下鉄で一駅、森ノ宮駅に到着。そこで大阪環状線に乗り換えです。そこで出会った車両が、な・なんと…

 私の思い出車両の201系です!1981年(昭和56年)から量産が開始されたが、製造コストの高さがあだとなり、一部の路線でしか導入されなかった。それでも201系は国鉄・JRの主力である首都圏の中央線(快速)に投入され、長い間路線の人々に親しまれてきた。しかし、その201系も時代の波に押されて2011年6月にJR東日本からは完全引退となり、E233系に置き換えられてしまった。その懐かしの車両がJR西日本ではまだつかわれている。内装こそ変わっていたが、懐かしの音。響き・・・うっとりとしてしまう。大阪城レポートよりも何か気合が入っている(笑)

 側面も懐かしのおもかげだけど、窓は最新式のものにリニューアルされていた。製作された当時のものでは窓ガラスがガタガタと揺れるのでそれがネックとなっていたのでJR西日本は改装したのだろう。窓もガタガタ言うことなくしっかりとしていた。

 ちなみに、翌日も京都に行くために電車に乗っていくのだが、やはり201系に会いたくてわざわざ近い地下鉄「大阪ビジネスパーク」を避けてやはり大阪環状線へ。快速大和路だと201系ではないので、一本乗り過ごそうかと思っていたのだが、来た車両はな・なんと…

 103系高運転台車両!201系の前時代の車両。まさかここで乗れるとは!103系は1963年に製造開始された101系の後継車両で、中央線や山手線など数多くの路線に投入された。私が乗ったのは、中央線からのおさがりとして来た青梅線転用で乗ったことがある。

 この車両は1984年に製造を中止しているが、やはりJR西日本は窓や内装をリニューアルしていた。103系は最新のJR東日本中央線に投入されたE233系に比べると使用電力が3倍であり、JR西日本がいかに車両を大切に使うかわかる。貴重な体験で、このオフ会で一人で盛り上がってしまった(笑)それにしても長続連様が201系の車両を知っていたので、隠れ電車好きなのか発覚したのが嬉しかった(笑)


 この日は友達の結婚式のお祝いに大阪まで来たので、武藤様、足利様、長様と別れて私はいったんホテルへ。友達と合流してパーティーの会場へ。場所は京橋にあるオシャレなカフェレストラン。私は幹事さんと準備をするのでちょっと早めに会場へ。

 参加者は多くなくアットホームでイベントなどもたくさんやって楽しんだ。お料理も押ししかったなあ。

 パーティーが終わると、新郎新婦と一緒のホテルに宿泊する私は「このあとちょっと一緒に飲もう!」と誘われお部屋で晩酌することに。コンビニで酒と肴を購入。こんな珍しいものが。

「淡路島コーヒー」。こちらでは当たり前のようだが、関東では見かけないのですぐ購入(笑)それとこんなものも…

「ハイシライス」こりゃうまそうだなって思ったら、大阪の友達曰く「ハヤシライス」はこっちでこういうんやでってこと。パーティー会場でたくさん食べすぎたので購入は断念。



 宿泊するホテルニューオータニはかなり大きなホテル。ロビーも大きいし、従業員さんのサービスもいい。

 ホテルの部屋から窓の外を眺めるとライトアップされた大阪城、かなりキレイだなあ。

ライトアップされた部屋で1時間ほど談笑。お酒も肴もたっぷり食べて、午前1時ごろ自分の部屋に戻る。

 部屋に入って風呂に入ってらもう午前2時ごろ・・・もう部屋の中がぐちゃぐちゃ…(笑)部屋を整理する時間もない(苦笑)ちょっとこらえきれずに本を読むがすぐ眠たさに負けてちゃう…。

大坂・京都オフ~其の3~へ続く。

大阪・京都オフ~其の1~

2012-03-20 15:30:00 | 歴史
 3月17日(土)・18日(日)に私の友達が大阪で結婚式をするので、大阪に向かうことに。それをきっかけに歴史大好きな足利義輝様、長続連様、武藤舜秀様と私の4人でオフ会を関西方面でオフ会をすることになりました。今回はそのオフ会のレポートです。



 やってきました大阪。私は以前車で来たことはありましたが、電車で来るのは初めて。今回は新幹線で2時間半。この前日、会社の顧客との飲み会があり、1次会で帰るつもりがうっかり捕まってしまい自宅帰りは午前様。そして翌日朝早かったこともあり、睡眠時間は3時間、二日酔いで最悪のコンディション…(泣)



 新大阪駅でまず習慣が違うと思ったのはエスカレータ。関東では左が「歩かない人用」、右が「歩いて登る人用(追い越し車線)」。これが大阪では逆。ちなみに京都駅では関東と同様右側が「追い越し車線」だったので、関西共通ってことではなさそう。


 待ち合わせ場所が「大阪駅前ヨドバシカメラ」だったので、大阪環状線に乗り換えて移動。その時にもビックリ。

 関東では電車のドアの上に電光掲示板の画面がある。これだと座っている人や座席中央付近に立っている人はとても見にくい。ところが大阪の電車は上記写真のように座っている人からでも見やすい方になっていた。これはすごくいいな!って思った。


 さらに大阪駅に到着してびっくり。駅の中がとても明るい。

大阪駅は昨年完成した大きな屋根ができてとても開放的になった。

 さらに大阪駅周辺も再開発が進んでおり、まだまだ開発が続いていることがわかる。東京駅よりも開放的で綺麗だなって思うし、さすが西の都だって思う。


 改札から徒歩2分でヨドバシカメラで武藤舜秀様と、長続連様と合流。そしてまずは本屋へ。

 「この丸善&ジュンク堂は日本一の品数」と武藤様談。確かにすごい品数。吉川弘文館の本もかなりおいてあります。そこで買った本がこちら。

 鎌倉武士や戦国大名が作った都市の道路に関する法を見ながら、武士の都市政策を探ろうとするものです。聞くと難しい内容に思えますが、意外にすごくわかりやすい言葉で書いてあって一気に帰りの新幹線で読んでしまいました(笑)これお勧めです。


 さて、時間は12時。お昼は大阪ですから串揚げでも!ってことになり、長続連様が知っているお店にGOです。

 食べ放題で1500円(ソフトドリンク付きは200円追加)です。

 いろんな素材があります。定番のお肉から、エビなどの魚・野菜。面白いものだと、ミニたい焼き、たこ焼き、ハッシュドポテトなどなど。

 串揚げのほかに、ごはん、カレー、お茶漬け、サラダ、デザートまで食べ放題!スゴイ。

うまい!…だからまた食べ過ぎて体調不良悪化…(泣)


 荷物を持ったまま観光は大変なので、一度荷物を置くことに。そこでタクシーで私が宿泊するホテルニューオータニに移動。結構高そうなホテル。そこを出て次は大阪城に行くことに。ホテル近くの大阪城ホールを通っていきます。

 大阪城ホールには石垣みたいなものがあるけど、これは大阪城と景観を合わせるために近年に作られたものみたい。



 大阪城ホールを超えると、お堀が見えてきます。その堀の石垣は明らかにくすんでおり、これは本物の石垣なんだとわかります。いよいよ大阪城です。

 大阪城の全体図はこんな感じです。



 こちらは青屋門。かなり大きな石垣が積まれています。立派な枡形です。



 大阪城本丸へ渡る橋は「極楽橋」といいます。この橋は本願寺があったことからかその名称が受け継がれたのはないかと言われています。その極楽橋からみた大阪城がこちらです。

 この天守閣を見ると、大阪城=太閤はん=豊臣秀吉を思います。しかしこれら現存する石垣や曲輪は徳川時代のものだと言われており、本丸近くの井戸にも徳川の家紋がありました。豊臣時代の大阪城の模型などがあればいいのにっと思いますね。



 極楽橋を渡ると山里丸を通ります。そこは大阪夏の陣で豊臣秀頼と淀殿が自刃した地の石碑があります。



 山里丸にはこんなスロープが設けられています。バリアフリー?史跡保護?たぶん観光客の利便性のためでしょうか?史跡破壊のような気もしますが…そういえば天守閣付近にもエレベーターが設置されていました…。



 いよいよ天守閣です。残念ながらコンクート天守です…が、よくよく説明看板をみると、大規模復興天守閣の第一号でその創建は大阪市民の寄付により1931年らしいです。「大阪夏の陣屏風」に描かれた豊臣時代の天守を参考に再建され、第二次世界大戦の空襲も免れているとのこと。徳川時代の遺構に、豊臣時代の復興天守閣というなんとも奇妙なものではありますが、復興天守閣第一号に戦災を免れたということが大阪市民の誇りでもあるかかなと思います。だから大阪城は太閤はんのものでOKっていうことで。


 復興天守閣の中に入城します。復興天守閣と、大阪歴史博物館込みのチケットで900円です。

 中では大阪夏の陣などの展示があります。あまり興味がなかったのでスルー・・・。

 また戦国武将に関するグッズが多数。大阪城に関する書籍もちょっとはあったけど、メインはお土産でしたね。

 徳川時代の天守閣の模型がありました。結構質素ですね。

 太閤の兜の実物模型があり、一回300円でかぶれます。

 豊臣時代の石垣が発見された写真がありました。現在の石垣のわずか1.8m下にあるそうです。現在の遺構は徳川時代のものですが、やはり豊臣時代もかなり大規模なものだったんですね。残念ながら豊臣時代の石垣は埋め戻されてしまっているそうです。


 天守閣からの眺めです。大きい城だけに眺めもいいですね。復興天守は55mほどの高さがあるそうです。豊臣時代の天守は40mほどだったらしいですが…。天守の瓦は緑になっています。これは銅の瓦がさびたもので、新しく吹き返している瓦は真っ黒でした。



 先ほどの極楽橋が見えます。その周囲に石垣がはりだしており、戦になったらここで防衛するんだなあとわかる配置地形です。


 さて、天守閣を降りて次の場所へ。

 この小さな隅櫓は「六番櫓」です。徳川時代に建てられたもので、東西に一番櫓から七番櫓までたてられていたようです。この付近に小さな石碑があります。

 「石山本願寺推定地」の石碑です。こういうちょっとした歴史的なものを逃すとものすごく損した気分になります。教えてくれた続連殿に感謝。



 写真は大手門に立つ櫓です。大阪城は石垣のみのところが多いですが、この大手門は塀も多門櫓も現存しています。それをみるとまるで鶴ヶ城(会津若松)のようです。石垣は江戸城のごとく巨大な石が使われています。大阪城の遺構が徳川時代のものであることを考えると、鶴ヶ城や江戸城と雰囲気や配置が似ているのは当たり前のことなのかもしれません。


次は、大阪城歴史博物館に行きます。