畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

あと少し

2012-02-27 19:42:00 | 日記
 あと9日で辛いセクションの仕事に区切りが着く。190日ほどの長い戦いだった。途中は7年前と同じようなヤバさを感じた。キツかった。まあ7年前のような大失敗をしなかったのは少し成長したためだと思えるけど。

 今年のセクションは、出だしから辛かったし、終始思い通りにいくことがなかった。まだまだ自分の実力不足なんだって思う。だからこそ今のセクションの顧客には申し訳なく思う。割りきって考えて、気楽にやって来たし、1月からは毎日6時前に帰ったくらい。

 きっとこんなんじゃいけないんだろうな…。もっと仕事に真剣に打ち込まなきゃいけないだろうけど、今回はそういうパワーが局地的には出ても全体には出なかった。仕事ってやっぱり難しい。

 仕事はプロ意識を持つことが重要だって言われるね。だからせめて、敗戦処理を任されたとしてもそれなりに抑えられるピッチャーでありたい。不調な時は不調なりにある程度抑えられるようなピッチングを仕事で見せるよう努力しなきゃなあ。


 来年度私は先発を任されるようなピッチングができるだろうか。チームを移籍して、従来のピッチングができないかもしれない。チーム内の支援も期待できないかも。チームに馴染めるかも心配。

 唯一の救いは自分のバックグラウンド。自分の調子を自分以上に理解してくれるコンディショニングコーチがいる。=妻。不安だらけの未来になんとか立ち向かう勇気を持てる。来期の先発を勝ち取るためにがんばらなくちゃね…。


 自分の愚痴や不安だらけでおもしろくない内容に加え、私の仕事を知らない人にはなんのこっちゃって文章ですね(・_・;)

中央集権と地方分権の歴史的経緯

2012-02-18 21:12:00 | 歴史
 室町時代。戦国大名がたくさんいた時代。幕府も遠国には放任政策を、関東公方という幕府の機関ですら将軍の思うようにならなかった。室町幕府の将軍の中で一番有名な足利義満も有力守護大名を挿げ替えるのではなく、策略をもって討伐する状態。6代将軍足利義教は頻繁に守護を換えていたようなイメージがあるが、これも守護として地元から支持される人物を選んだ結果。そういう意味では完全な地方分権の時代。


 江戸時代も大名がそれぞれ統治している時代で、これもある意味地方分権といえる。ただし、室町幕府と違い江戸幕府は大名の転封を命じることができた。だからやや中央集権的な地方分権ともいえる。現在のアメリカ合衆国に近いのかも。それでも、江戸幕府の後半は転封させることがめっきり減った。政策的に減らした(浪人を減らすため)のもあるが、天保の改革で上知令が実施されずに撤回されたのを考えると、幕府の権力が後半は衰えていると思える。


 明治時代は完全な中央集権。県令や府知事は政府による任命制。内閣総理大臣も天皇による任命制。1890年代以降帝国議会ができて地方代表が国政に関われるようになったけど、超然内閣が叫ばれたり、首相の辞任が「天皇の信任を失った」(田中義一首相)であったりとやはり中央集権であった。


 現代はどうだろう?中央集権であって地方分権を目指すと言われる。県の土木工事を霞が関が握っていたり、河川行政も国土交通省の言いなり。そういう意味では中央集権と言えるかもしれない。でも、見方を換えれば非常に地方分権的な性格を秘めている。それは国会議員の選出の仕方。

 内閣支持率が低減し1年で首相が交代するという事態が、安倍・福田・麻生・鳩山・菅ともう5年も続けている。どの内閣も最後は低支持率で内閣総辞職を余儀なくされた(麻生は解散に打って出たのであるが…似たようなケースと分類できる)。国民に信頼されなくなった首相だから当然次の選挙では落選すべき人物であると思えるが、不思議と安倍も福田も麻生も当選した(鳩山・菅は次の選挙でどうなるかわからないが…落選しない可能性も大いにありうる)。どうして、国民に人気にない者が国会議員になれるのか。

 それは選挙システムにある。現在の衆議院選挙なら小選挙区単位で人気があれば普通に当選できる。小選挙区の半分の有権者しか投票しない。しかもその投票する人の過半数の得票を得られれば当選できる。つまり小選挙区の有権者の1/4の票でOKと言える。無名な候補を破るのは簡単に利権を誘導すればできるだろう。

 逆に言えば、どんなに国のためになることでも、消費増税や高齢者医療のカット、地元の公共事業削減など不評な政策を実施すれば落選する危険性がある。だからこそ、国家の財政再建問題は棚上げし、どんどん歳出を拡大する政策を打ち出してしまう。だからこそ、国政(あるいは首相として)どんなに失敗しても地元の利益誘導さえできればその国会議員が職を失うことはない。小さい器の国会議員が増える下地ともいえるかも。


 一方北朝鮮はどうだろうか。国政レベルで失敗すると、将軍様から粛清される。ある意味国家に対して責任があり緊張感を持って政治を行っているのかもしれない。


 ひょっとしたら、日本も天皇に権力を集中すべきなのかもしれない。古代ギリシアで、民主主義は「衆愚政治」であるいう学者がいた。高校生の時の私は「多数決で決める政治が一番いい」と信じ切っていた。それは違う。本当の理想政治は「超人による独裁政治」(超人:私見を超えた理想的人物)という。確かに超人による独裁政治なんてありえないけど、それが一番庶民にとって理想の政治なのかもしれない。それがもし実現したとしても、超人に甘えて庶民がまったく政治に無関心になり、その隙を奸臣がついて悪い政治を始めるのかもしれない。そう、第二次世界大戦を始める前の日本のように…

アンテナショップめぐり

2012-02-13 04:44:00 | 日記
 東京タワーに行ったついでに行きたい場所!有楽町にある石川県のアンテナショップ「加賀・能登・金沢 江戸本店」。

なんか名前がすごくいい加減な感じがする。加賀・能登と金沢がな選ぶのは違和感があるなあ…。まあでも金沢の知名度は高いからそれがあった方がPRになるみたい…。で江戸も入って、地名が4つも並ぶともうわけわからない(苦笑)まあそれはおいといて入りましょう。

 いきなり目に入ったのがコレ!

 富樫最中で冨樫の家紋が入っている!これはもう買いだね。ってか小豆がなぜか北海道産?地産地消してほしいな。


 おお!コレコレ!珠洲市飯田商店街にある「メルヘン日進堂」のバウムクーヘン。珠洲焼の花瓶の形したアップルバウムは絶品なんです!なのでこのバウムチップは購入決定!


 珠洲の塩田の塩。これも能登の特産品!卓上塩を購入。


 そうそう、塩田と同じ地域で「海洋深層水」をくみ上げた水が能登特産品の1つ。海のミネラルが豊富に含まれてるって話。当然購入。


 中島菜入り刺身こんにゃく!ええわかりますとも。中島菜ってことは七尾(旧中島町で現七尾市)ですもんね。もう買い決定。


 「畑のチーズ」?これは初耳。くんせいとうふだって?面白そう。能登町で作っているみたい。能登ワインが最近ブランドになってきているので、それを買って合わせて食べてみよっか。いしりもほしかったけど、あまり使う機会がないんで今回は見送り。しめて4220円のお買いもの。


 で、もう1つ行きたいアンテナショップがあるんだけど、東京駅八重洲口近くなんで、なんとか歩いて行けそう!ってことで出発

 途中、有楽町のガードがこんな古いレンガ造りのもので、思わず写真を撮った。カッコいいなぁ。萌ぇ~(笑)


 交通会館マルシエ。ここにもアンテナショップがいっぱいあるんです。北海道・大阪などなどたくさんある。でもここが目的じゃない。さてさらに歩く。途中高知・沖縄のアンテナショップを過ぎて…石川県のアンテナショップから歩いて20分ほどかかって到着!

 はい。福島県のアンテナショップ。「ほっとするふくしま」到着。



 中は石川県のアンテナショップもそうだったけど、あまり広くはありません。予算の都合みたいですね。


 おお!イチゴ!これはおいしそう!娘のおねだりもあってすぐにゲット。


 青磁の釉薬がうつくしい相馬焼の焼き物。ほしいけど値段も張る…さっき石川県のアンテナショップで珠洲焼を予算オーバーであきらめていた私は、相馬焼も無念ながらあきらめてカット…(泣)


 くるみゆべし?会津産だと思ったけど、郡山だって!妻が食べたいっていうので、購入。家に帰ってさっそく食べたら、やはりクルミの歯ごたえがなんとも言えないうまさを引き出してサイコーだね。


 たくさん歩いたので、帰りが大変。ここで水分補給。私は桃のジュースを。娘は飲むヨーグルト。息子は牛乳。妻は子どもが余ったのを飲むって…女性って経済感覚がすごいね…。


 石川県も福島県もアンテナショップは観光パンフレットの宝庫!大量にゲットしてきました(笑)


 ああ…有楽町の駐車場に能登号を置いてきたから、歩いて帰るのが大変…。車で来ても回り結構駐車場あります。ねえねえ帰りはあれで帰ろうよ…

妻「歩くから水分買ったんでしょ?ガマンガマン・・・」
義綱「むむぅ・・・女は強し・・・」


で家に帰って石川県に囲まれて一杯。

 能登ワインはすっきり辛口で美味。くんせいとうふは本当にチーズみたい!福島産のイチゴは、練乳が切れていて明日食べることに…今日食べたかったのに無念(笑)

東京タワーへ!

2012-02-12 04:44:00 | 日記
 今年、東京スカイツリーがオープンするけど、やっぱり東京の象徴は東京タワーだと思う。江戸城も捨てがたいけど、本丸ないし…。

 ってことで、家族で東京タワーに行ってきました。

この赤白のコントラストがホントにステキ。塗り分けられたのは、飛行機がぶつからないように目立つ色にしたことが理由だけど、赤と白と言えばもう東京タワーしか思い浮かばない。東京スカイツリーの地味な色よりいいと思う。…高さでは勝てないけど。



 東京タワーは1958(昭和33)年に開業。その頃の芝公園の周りはこんなに田舎だった。今では考えられないような光景です。


 東京タワーの公式サイトによると、高さが333mになったのは昭和33年開業に合わせてではなく、関東一円にテレビ電波を飛ばすのに必要な技術的な数値で、昭和33年開業は偶然の一致という。当時はエッフェル塔が320mが世界一なので、かなりの技術を要したことでしょう。敗戦後13年経ったとはいえ、すごい技術を為し得たもんだ。



 妻が土日祝日は歩いて東京タワーの大展望台(150m)まで階段で登れるから歩いて行こうなどと、まったくすごい考えを言う。なぜ休みの日にわざわざ疲れに行くのか…なんて思ったけど、まあ仕方ない…子どももノリノリだから行ってみるか…っておい。これちょっとすごいんですけど…。

 こんな果てしない高さを登るのかぁ…。階段にして600段…気が遠くなる…。


 このような東京タワーの真っ赤な部分を延々と登っていくのか…。

 最初の頃の景色はこんなもの。まだまだ周りの建物の方が高いですね。

 まだ地上40mだと?ノッポン兄に言われなくても登り切ってやるわい!なんて、階段の途中途中でこのようなノッポンの小ネタが聞けます(笑)



 結構高く登ってきました。地上90mくらい。最初の頃に見えた東京タワースタジオがかなり下の方に…。東京タワーの骨組みが間近に見えるのもなんか不思議。



 かなり高くなってきた。ノッポンによるとお台場の観覧車と同じ高さだそうだ。不思議とそんなに疲れていない気がする。景色が見れると結構違うなあ。



 おっ!早くも500段達成!もうあと100段!

 600段達成!「のぼり階段認定証」をゲットできました!



 150mはやっぱり高いね。六本木ヒルズが同じ高さに。今日は特別展望台(250m)が改装中のためお休み。無念。

 東京タワーのシルエット…こんな遠くまで届くのね。

 真下を見るとこんな感じ。愛車能登号があんなに小っちゃく見える。コンパクトカーだからもともと小さいのですが…。



 東京タワーから見える東京都心の景色ってなかなか。大きな道路を車が行きかう様子。これが夜だと、さらにきれいに見える。

 プリンスホテル。増上寺のすぐとなり。

 お台場へ続くレインボーブリッジ。

 所狭しと建物が密集する大都会東京。東京も大きなビルばかりでなく、こういう小さなビルもいっぱい。場所によっては住宅地もまだまだ残っている。東京の街がいかに多くの人の暮らしを支えているかがよくわかる。


さて、お腹が空いたからどっかでなんか食べよう…と思ったら、東京タワーのフードコートがなかなかおいしそうだったのでそこで食べることに。まず目に入ったのがコレ。

 パンケーキおいしそう…ただガッツリ食べたいからなあ。

 ピザ!おいしそう!えっ?ワンピースしかないの?普段Lピザを最低3枚は食べるのに、1枚じゃ全然足りないよ…。

 洋食デミランチ?これおいしそう!バターライスにデミグラスソース?さらに野菜ゴロゴロランチとはこりゃたまらない!注文決定!

 真っ先に注文したのに…なかなか呼ばれない…。子どものご飯が来る。おいしそうにピザを食べる息子。東京タワーなのにマクドナルドをせがむ娘がハッピーセットを食べる。一番最後に注文した妻のラーメンができそうなのに、まだまだ呼ばれない…。

 やっと呼ばれた…

 う~ん…少なくない?目玉焼き焦げてる…。野菜ゴロゴロっていうより少々って感じ…。デミグラスソースがおいしいからまあ仕方ないか。これで980円…。めっちゃ待ったのに…。



 ついでに行ってきましたよ。増上寺。江戸を作った将軍家の墓所があるからね。お参りしなきゃって思ったら、本尊がある大殿のドアは最初開いていたのに一般客が見れないように坊さんがドアをパシャってしめちゃった。近くにいた人は「あれが坊さんなんて信じられない。お賽銭なんて入れてやらないんだから!」と怒り気味。最近の仏教ってどうもサービス精神がないよね。だから日本人は宗教を信じなくなるんだなあ。



 徳川の墓所も非公開…。葵の御紋だけでも拝んどくか…。


 さて、都心へ来たついでにアンテナショップへ行きました。どこの県のアンテナショップかって?そりゃもう私がいくアンテナショップはあの県しかないでしょ(笑)ではアンテナショップめぐりは次回のブログで。