畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

和倉温泉訪問記

2015-09-02 04:44:00 | 旅行・観光
 2015年3月、職場の同僚たちと北陸新幹線に乗って北陸に行きました。2日目の金沢城訪問記については前回のブログをご参照ください。今日は、2日目の午後に行った能登・七尾市の和倉温泉加賀屋についてレポートします。



昨日は空が暗い中で金沢駅に到着しましたが、明るい時にみてもこの大型アーチは迫力があります。さて、金沢駅から七尾行の七尾線に乗って和倉温泉まで行きます。

 金沢駅の在来線になぜか3種類の路線が?北陸線と七尾線しかないはずなのに!と思ったら、例の新幹線ができると在来線はJRではなく第三セクターに移管されるものでした。金沢以東の旧北陸線がIRいしかわ鉄道。金沢以西はまだ新幹線が開通していないのでJR西日本北陸線。そして今回の目的地に向かう七尾線です。JR七尾線は七尾駅から津幡駅を結ぶ路線です。しかし、ほとんどが七尾-金沢間で運転されるので、途中金沢-津幡間はIRいしかわ鉄道の路線を通ります。



 金沢駅の売店を見ると、パティシエ辻口さんのお土産がありました。辻口さんは七尾出身なので、ぜひお土産も買っていきたいところです。


 この日は金沢発の特急に乗って和倉温泉駅まで行ったのですが、ホームには七尾線の在来線の姿もありました。このキャラクターは「わくたま君」と言って、和倉温泉のイメージゆるキャラだということです。カワイイ!


七尾線に乗るだけでもう気分は高揚。さらに免田駅以北は能登地方になるのでもう気分は大興奮。そして…

七尾駅に着くころにはもう気分は最高潮でした。今日はスルーしてしまい(泣)和倉温泉駅まで行きます。七尾-和倉温泉間はのと鉄道の路線なので、JRの在来線はないのですが、特急列車は七尾駅停車後、和倉温泉まで直通で行きます。

そして和倉温泉駅到着。もう駅標がものすごいリッチ感満載です。

和倉温泉駅を出るとたくさんの温泉宿のバスが出迎えていました。駅から海岸のホテルまで歩くと距離があるので、無料の送迎バスがひっきりなしに出ています。では送迎バスに乗って加賀屋へ。



 加賀屋は「プロが選ぶ温泉宿ランキング」や「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」などでいつも1位を獲得する高級旅館。値段も高いが、そのおもてなしの高さもすごいと評判。今回は昨日節約した分もあり、「雪月花」という宿に泊まった。



 ロビーでチェックインを代表者がしているうちに待っているとこがこれまたスゴイ。豪華でフカフカなカーペットのそばにそよそよと水が流れ、さらに琴の演奏。

しかもロビーはシーサイドビュー。景色絶景!

お茶の無料サービスがあるが、そのそばになぜか金粉。コーヒーやお茶にいれるために置いてあるみたい。チェックインも終わりすばらく談笑してゆっくりしてみんながお茶を飲み終わったタイミングで、ひょいと仲居さんが現れて「お部屋へご案内します」と。こちらのタイミングをうかがっていて部屋へ案内しているらしい。すごいおもてなし心。



 部屋に案内されるまでに売店や様々な施設の前を通るが、まるで1つの街がここにあるかのようだった。

 贅沢な旅館だな…とつくづく思う。たしかに「加賀屋に来れば、他のところに行かなくても済んでしまう」というのがうなづけるような施設の充実ぶり。


 部屋の写真を撮るのを忘れてしまったがのが残念だが、かなり広い部屋で余裕があった。メインの部屋の他に窓際の小部屋に、脱衣所も結構広い。そして窓はオーシャンビュー。



 夕食まで温泉に入る。浴室の写真はさすがに取れないが、男性用浴室にはエレベーターで階層が分かれるほど広かった。そしてお土産物色。広すぎる売店という名の商店街へ。

 「等伯」という日本酒。いいなあ。長谷川等伯は七尾出身の安土桃山時代の画家で、主な作品に「松林図屏風」をパッケージにした粋なお酒。


七尾の有名な和ろうそく。


「能登ミルク」は地元の乳のみを利用した牛乳。アジア最大の食のイベント「フーデックスジャパン」で金賞受賞。


中島菜(七尾市中島町)を使ったうどんなど地元ならではのお土産も多数ありました。

たくさんお土産を買って、段ボールに詰めて職場と自宅に分けて郵送しちゃいました。ついでに2泊分の荷物も送って翌日の荷物がすっかり楽になりました。


では、夕食へ。

 高級な旅館だとお部屋で食べれるのだが、ここでは別室へ。ひょっとしたら8人居たので全員で食べれるように配慮してくれたのかな?

前菜にまさかクチコが出るとは…クチコとは「ナマコの卵巣」で能登の高級珍味としら知られ、マンガ「美味しんぼ」にも登場した。

食事はお腹いっぱいになるほど出てきました。お酒もたっぷり。

そして、夜の街(といっても加賀屋の中)に繰り出して、職場のみんなでまずラーメン。
さらに徘徊すると

こんな宝塚のような舞台や、

やってはいませんでしたが、能の舞台のようなものもありました。

たっぷり楽しんで、もう一度風呂に入って就寝します。
で、翌日また早朝散歩。私の好きな能登に来ていて、ゆっくり眠ってられない!

加賀屋雪月花の建物です。

表玄関はとても立派で旅籠みたいな和テイストもあります。


私が和倉温泉に泊まった1998(平成10)年に比べて、街全体がきれいになっていました。歩道もきれいになっていて、前は単なる住宅街のようなものでしたが、今では温泉街の雰囲気が出てきました。その最たる雰囲気の変化がこちらです。


和倉温泉の立ち寄り湯「総湯」です。

1998(平成10)年当時の姿がこちらです。この外観では普通の銭湯と変わらないようなものでした。それが、2015(平成27)年に行くと全く変わっていました。

これが温泉のたたずまいですよね。1998年には安いホテルに泊まったため総湯に立ち寄りお湯につかりましたが、今回は加賀屋なのでこちらにお世話になりませんでした。ちょっと入ってみたかったなあ。

 総湯の前にはでました「わくたま君」!和倉温泉は元は「湧く浦」と書いたようで、海の中に温泉がわき出していました。そのため、温泉は塩辛いですが飲める温泉としても有名です。この「わくたま君」の前で飲めます。また近くに足湯もあるので、ぜひ立ち寄ってほしいなと思います。


 さて、加賀屋に戻って朝食を済ませると、金沢に戻って観光だったのですが、私はどうしても七尾に来て七尾城を通り過ぎるのが勿体なかったと思ったので、単独行動を取ることに。
時間は現在午前8時。そして七尾駅を出発し金沢駅で合流するためには13時発の電車に乗らねば間に合わない。タイムリミットは少ない。すぐに出発だ!


朝食後すぐチェックアウトし和倉温泉駅に単独で向かう。

もちろん駅までは加賀屋の無料送迎バスにお世話になりました。

和倉温泉駅のお土産で私の大好きな「竹内のみそまんじゅう」が売っていました。能登の方には「♪田鶴浜のみそまんじゅう♪」のCMでおなじみです。懐かしい味で、七尾から金沢に戻る電車の間で食べようとさっそく購入しました。



和倉温泉駅に到着したのはのと鉄道200系2両編成です。

2015(平成27)年のNHK小説「まれ」は能登半島の輪島が舞台。その宣伝がのと鉄道でもされていました。

ゆったり揺られて再び七尾駅へ。

ここで行きたいところがたくさんあるので、レンタカーを借りた。

 まずは何はともあれ七尾城へ。七尾城史資料館で郷土資料を購入。1万円分も買っちゃった。そして七尾城へ(写真や登城記は今までの分がサイトにあるので割愛)。

次は能登国分寺。

1992(平成4)年に能登国分寺公園整備され、当時の南門が復元されています。さらにこの辺りには2018(平成30)年に七尾市博物館(仮称)ができるそうです。

1970(昭和45)年から始まった発掘調査の前にはこのようにただ広い平原が広がっている土地だったようです(能登国分寺資料館より)。

そして七尾でどうしても食べたいのが

1998(平成10)年に旅行に行った時に食べた和菓子屋「花月」の七尾焼き。

1998(平成10)年に能登物産コンクール金賞とあり、当時売り出していたが、もう17年も経ったかと。贅沢な白あんがとても美味しいので、ぜひご賞味ください。



 次に「石川県立七尾美術館」へ。長谷川等伯関連の新しい資料などでてないかなと思ったのですが、やはり美術館なので歴史的なものは限られていました。展示は見ずに「松林図屏風」の色紙を買って次へ。



 能登の食がたんまり詰まっている「能登食祭市場」へ。ここでお昼を調達してレンタカーを返して七尾駅へ戻る計画。

 能登の食と言えば全国規模の水産加工メーカーのスギヨ。その売店がここにもあり「蛸飯」や「じゃが蛸」などのファストフードも売っている。それを買って外の席で海を見ながらのんびり昼食。

食祭市場の中には、七尾で5月に開催される「青柏祭(せいはくさい)」で使われる山車(デカ山)が市中を引き回されるが、その飾りに能登畠山氏が使われることもある。この時の食祭市場には能登畠山の創始者・畠山満慶が飾られていました。青柏祭は能登畠山氏が始めたとも言われ、深いつながりが現代にもあると思うと嬉しくなります。



 お腹もいっぱいになったところで、レンタカーを返却へ。たまたま駅前のニッポンレンタカーがお休みで駅から歩いて15分のトヨタレンタカーで借りました。帰りは電車のギリギリだったのですが、社員の方が駅まで送迎してくれて本当に助かりました。


七尾駅に到着。

こちらも北陸新幹線にあやかっていました。

当然売店で様々なグッズがありました。もちろん買いました。
また七尾駅の駅標が売っていたので、今スマホのストラップとして活躍中。

七尾駅に「とうはく君」というイメージキャラクターがありましたが、できれば能登畠山氏も一緒に作ってほしいなと思ってしまいます。


七尾線はだいたい413系の3両編成です。2010年頃から順次地味なエンジの1色カラー(輪島塗を意識したらしいですが、地味です)になってしまいましたが、以前はこんな派手なカラーでした。

先頭後方車両が水色で真ん中白ライン、中間車両はピンクで真ん中白ラインという結構目立つものだった。塗装の変更は一色の方が塗装しやすいという理由もあるそうです。残念。


そして、七尾線に乗って金沢駅へ。上島コーヒやビールを飲みながらのんびりと能登を後にしました。

金沢城訪問記

2015-09-01 04:44:00 | 旅行・観光
2015年3月14日。北陸新幹線開業が長野新幹線を延伸として開業。長野-金沢間が開通し、今まで鉄道で東京-金沢間が3時間50分かかったものが、2時間半で結ばれることになった。そこで、開業した1週間後、仕事の仲間と北陸方面に旅行をしてきました。今回はその時に行った金沢城訪問記をレポートします。



今回乗ったE7系の「はくたか」は北陸新幹線の各駅停車。最速の新幹線は「かがやき」で大宮の次は長野、富山、金沢と主要駅のみ。また、長野新幹線の時からあった東京-長野間を結ぶ「あさま」や、金沢-富山間を結ぶ「つるぎ」があるそうだ。ちなみに今まで「長野新幹線」と呼ばれていたが金沢まで延伸したことで「北陸新幹線」と呼称が変わったのだが、長野県民から「長野新幹線の呼称が消えるのはさみしいので残してほしい」という要望もあったようだ。結局東京駅の案内表示は「北陸新幹線(長野経由)」となった。



 こちらの駅は今回新しく開業した上越妙高駅。新幹線が停車してどやどやとたくさん人が入ってきて、「ここはターミナル駅?」と思ったが、どうやら企業を集めた北陸新幹線の体験乗車だったよう。なるほど、今後の乗客を見込んでのことらしい。

妙高高原の美しい景色が続きます。富山-新高岡間で、なぜか新幹線が停車緊急停車するアクシデントがありましたが(翌日新聞にも載っていました)、無事金沢駅到着。



 金沢駅は新幹線開業に合わせて大幅リニューアル。大型のアーチがかかっており、雨でも雪でも濡れない構造に。大がかりで一同ビックリ。



 お昼もだいぶ過ぎてから東京駅を出たので、金沢駅に着くころはもう夕方。とっても冬なので結構空は暗い。夕食は有名な近江町市場の市場寿司さん。

お任せにぎり(椀付)を頼んでたのですが、みなさん「のどぐろ食べた~い」と追加注文。しちゃいました。


 翌日は和倉温泉の加賀屋に宿泊するため、この日は安く上げようと金沢城近くのビジネスホテルに宿泊。ホテルの二次会のための買い出しにコンビニに行くと…

北陸新幹線開業を当て込んだ商品がたくさん。私も記念クオカードを買っちゃいました。


で、翌日。職場の皆さんは歴史・城にそれほど興味がないので朝5時に起きて一人で金沢城訪問(ここからやっと訪問記になります)。



私が金沢城を訪れたのは、1998年と2002年。実に13年ぶりの3度目。その間ずいぶん変化がありました。まず金沢城の周辺がお城の雰囲気に合わせて整備されました。歩道もきれいになったし、街灯が和風の雰囲気です。



では金沢城公園の大手門口から入ります。ここは大手門とも「尾坂門」とも呼ばれます。巨大な割石が使われ、ここが大手門だったと考えられています。

金沢城公園の全体マップです。隣に和式庭園で有名な「兼六園」があります。金沢城の歴史は、1546(天文15)年に本願寺が金沢御堂を建設したことに始まります。その後、前田利家が入城し、本格的な城に整備し、加賀100万石の本拠地となりました。明治維新後は陸軍の拠点として使用されましたが、明治の大火で石川門と一部の施設を残して江戸時代の建物は焼失してしまいます。戦後は金沢大学のキャンパスとなっており、ほとんど城らしい建物は消えてしまいました。ところが、金沢城が1995(平成7)年に移転したことにより、金沢城跡を「金沢城公園」として史跡整備する方針となり、2001(平成13)年に一般開放されました。現在でも史跡整備が続けられ、様々な施設が復元されていますが、それは後で写真付きで説明します。



 大手門の枡形を通ると大きな広場に出ます。ここは「新丸広場」と呼ばれています。早朝だったので、ジョギングをしている人が何名かいたくらいでした。


 新丸広場を南東に進んだ先にあるのが、河北門と石川門。ここでは先に石川門を見ていきます。

 現在の石川門は1788(天明8)年に造られたもので、「三十間長屋」と共に江戸時代のからの数少ない現存する史跡で、国指定史跡となっています。石川門は「三の丸」の東端に造られたもので、現在は「兼六園石川門口」に接している、金沢城公園と兼六園を結ぶ場所となっています。



では、石川門から西にある2010(平成22)年に再建された三の丸の正門である河北門に行きましょう。江戸時代には「石川門」「橋爪門」と共に「三御門」と呼ばれていました。この門の右側にある柵のような建物が「ニラミ櫓」と呼ばれ、監視に使われていたようです。

ニラミ櫓の横には二の丸の「五十間長屋」から続く2001(平成13)年に再建された「菱櫓」があります。

しっかりとした枡形構造になっており、守りを固めています。



 河北門を抜けると「三の丸」です。写真は三の丸から西側に見ています。目の前に見えるのは「二の丸」とを区切る「五十間長屋」です。写真では見えませんが、その前に内堀があります。



 三の丸の南東側には「鶴の丸」があります。それを隔てる内堀と塀があります。奥に見えるのは、橋爪門と橋爪門続櫓です。近づいてみましょう。

 この「橋爪門」と「橋爪門続櫓」は、「五十間長屋」「菱櫓」と合わせて2001(平成13)年に復元されました。その復元を契機にされまで「金沢城址公園」だったのが、「金沢城公園」に名前が改称されたそうです。

 「三御門」の中でも城内最大規模を誇る枡形です。その理由は、「二の丸御殿」に至る最後の守りだからだそうで、江戸時代は最大の警備体制だったようです。

「菱櫓」「五十間長屋」「橋爪続櫓」「橋爪門」は有料で入ることができます。私が行った時は早朝のためまだやっていませんでした。午前7時から入れるのですが、朝食もあってその後の予定もあるので、断念。団体行動の辛いところです。



 橋爪門から北に進むと「極楽橋」があります。この橋は「二の丸」と本丸へと続く曲輪の間の空堀に架けられています。名前の由来は「金沢御堂」時代から伝わったとする伝承があるそうですが、裏付けはないそうです。

かなりの深さで本丸側はしっかりとした石垣が組まれています。

 極楽橋を渡った「本丸付段」にあるのが「三十間長屋」です。この建物は江戸時代中期に焼失したものを1858(安政5)年に再建したものだそうで、国指定史跡となっています。



ここから先の本丸部分は史跡整備されておらず、「本丸園地」と呼ばれています。

本丸の面影はありません。金沢大学のキャンパスの時には庭園のような場所だったのでしょうか?大学側もさすがに「本丸」をキャンパスにするわけにはいかずに自然が残ったのかな?と私は推察しました。



 本丸北西にあるため「戌亥櫓」と呼ばれ、二重の櫓だったと思われますが、江戸中期の大火で焼失した後、再建されなかったそうです。この櫓から二の丸を見回すと…

 橋爪門が見えます。よく見ると手前の門が新しいことがわかります。三の丸川の橋爪門は2001(平成13)年に再建されましたが、二の丸に続く枡形を擁した橋爪二の門は私が訪れた2015(平成27)年と最近完成したことがわかりました。この橋爪二の門の完成により、金沢城の三御門の全体整備が完了したそうです。



 本丸の北側に鶴丸倉庫という江戸時代から現存する倉庫があります。その北側に「鶴の丸休憩所」があります。そこには金沢城に関する展示物があります。その一つが上の写真。石垣の積み方の展示です。本丸など重要な石垣では丁寧に石を加工したものを使った「切石積み」、二の丸石垣などにみられる石をある程度形や大きさを整えて使った「荒加工石積み」、東の丸などにみられる、自然石を割って使っただけの「自然石積み」などの構造展示物が置いてあります。

この展示物は鶴の丸の復元土塀を構造的に示した展示物です。


 金沢城がわずか15年で見どころいっぱいの城に復元されていました。北陸新幹線の開通もあり、今後も魅力的になっていくものと思われます。七尾城もなんとかして復元してくれませんかね?そんな期待を込めて金沢城を後にしました。


早朝1時間かけて復元施設を中心に回ってホテルに戻りました。戻る時にこんなものを発見。

信号ですが、関東のようなLEDではない。これは雪で信号が見えなくなってしまう対策として凹凸のない信号を作ったのではないかと思います。


金沢のみどころとして、もう一つ。

 歴史ではないのですが、「金沢21世紀美術館」です。私は美術的なものを相性があまり良くないようで、歴史が関わる美術(戦国時代の絵画など)の他はほとんど興味がありません。しかし、同僚が「ここが面白いらしいよ。」というところがこの美術館でした。

 美術館というと、あまり人がいないところでたくさん絵画が並んでいるところ…と思うのですが、さすが「21世紀美術館」。そんな感じではありませんでした。館内写真撮影不可なのでお見せできないのが申し訳ありませんが、震災の時の避難所の工夫や、近未来の家のデザイン模型やなかなか面白いものがたくさん。

そして写真撮影もできて面白かったのがこちら。

 おい!プールの中に人影が!助けなきゃ!ってこれ「入れるプール」なんです。上からさも泳いでいるように撮影するとかなりの力作がとれます。また「プールの中」の中でも面白いポーズで撮影できます。この博物館は複数人の時に行くととても面白いです。


 さて、次は能登・七尾市の和倉温泉に泊まった様子をレポートします。