畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

書評『戦国大名の日常生活』

2011-01-31 20:09:00 | 歴史


笹本正治『戦国大名の日常生活』講談社選書メチエ、2000年、定価1700円


なかなか面白い本。表紙にこんなことが書いてある。


勝つことを宿命づけられた存在。それが戦国大名だった。
利益次第ですぐ離反する家臣。地域エゴむき出しの領民…。
国を治め天下を望む以前に、
彼らの欲望をみたすのが先決の、薄氷を踏むような日々。
合戦からは見えない赤裸々な姿を、
甲斐武田家三代を通して活写です。


 これをブックオフで700円で購入した。武田氏の生活なんて興味がないけど、どっかに畠山のことが載ってないかな?と思ったから買った。結果、ほとんど能登畠山家のことは載っていない。戦国政治史の論文しかみたことない私はあまり本の内容が理解できなかった。


 しかし、全国の史跡や全国の大名を調べて能登や畠山氏と比べることに興味を持った現在。この本はとても面白くみることができる。長篠の戦いで負けた後の武田勝頼の領国経営をつぶさに研究し、新府城築城や軍役再編などをしっかり再評価した上で、武田勝頼の評価を「戦国大名として優れていたとはいっても、織田信長ほどの革新性はなかった。彼は優秀ではあったが、信長ほどではなかったのだろう。」としている。


 2011年1月。足利義昭のことでチャット討論をした時、改めて信長のすごさを感じた。
http://www15.ocn.ne.jp/~nanao/kyu-hrn/logu16.htm
 「信長なんて、たいした人物ではない。たまたま天下取り易い地域に生まれただけのこと。」だなんて思っていたけど、歴史的事象をつぶさにみると、信長の「常識に捉われない」「革新性」がわかる。やはり、どれだけ畠山義綱や武田勝頼が再評価されとも信長の評価が下がることはないんだろう。


 この本の著者が最後にこんなことを書いている。


 現在、立場上もっとも戦国大名に似ているのは総理大臣や県知事であろう。戦国大名の場合には軍事判断などに失敗すれば命をも失う厳しい状況に置かれ、国民を引きつける能力がなければ追放され、あるいは戦争で敗北することになる。そのポストを去るのは命を失うか、ほとんど実権を失う時である。ところが今の政治家は一時的にそのポストに座るだけであって、たとえ政治的判断ミスをしても死を持ってつぐなわされることはないし、ポストを去ってからも政界に影響力を持ち続ける。また彼らは国民や県民の信頼度が低くともそれほど気にしない。公共性という面一つ見ても、私には戦国大名の方が今の政治家より気を遣っていたと思える。
 戦国大名があれだけ神経を使って領国統治を行い、戦争を行ってきて、最終的にどれだけの利益が得られたのか、心の平安はどうだったのかを考えると、私は職業として戦国大名を選びたいとは決して思わない。読者の皆さんはいかがであろうか、本書を読んでもやはり戦国大名にあこがれるだろうか。


 この著者が書いた戦国大名の実像は、決してワンマンな領国経営ができるわけではない現実を伝える。ただ、それは現代の職業もある意味同じである。

例え、企業の社長だったとしても、社員や株主の意見にはなかなか反することができない。
例え、教師だったとしても、生徒や他の先生の意見には反することができない。
例え、首相だったとしても、支持率や与党の意見を無視して政策を推し進めることはできない。

 だからこそ、独断でできる職業なんて存在しない。ある面でリーダー性を発揮す職業は、リーダーシップを発揮することが難しいのである。

『武将FILE革新』今川氏真の記述

2011-01-31 20:02:00 | 歴史
『信長の野望 革新 武将FILE』からの転載です。

1558年に義元から家督を相続した。隠居した義元が桶狭間の戦いで討ち死にした後、三河の徳川家康が独立、遠江でも国人衆が独立するなどの逆境の中、内政面では信長に先んじて駿河で楽市楽座を実施、五か条の定書を発行し、治水や検地などでも実績を残した。武田家の同盟破棄に対しては塩止めという形で経済制裁を実施した。

 と政治面で評価されています。革新では政治値が「70」とかなり使える武将。再評価の動きが見て取れます。

浅井久政の評価

2011-01-29 18:18:00 | 歴史
 久しぶりに『信長の野望革新 武将FILE』を読んでみた。


 浅井久政の項。
「久政は、長政を信長から離反させた人物としてきびしい評価を受けている。しかし、浅井家の地盤は、亮政の代からすでに安定してなかった。父が朝倉家の援助で独立したのを知っている久政が選ぶのは、やはり朝倉家しかなかった。久政は六角家に臣従しながらま、最後まで臣下にはならず、決して政治手腕が低い人物ではなかった。それゆえ隠居後も、家中での発言力があったのだ」と書いてある。


 昔は『武将FILE』といえば信長などの有名武将ひいきで、マイナーな武将には厳しい評価ばかりだった。だが、今川氏真にしろこの浅井久政にしろ再評価をしっかりした書き方がされていて嬉しい。ならばもう少し畠山義綱の書き方を再評価してくれないかな?

この方に出会えたから

2011-01-28 21:38:00 | 日記
 私の人生を変えてくれた人がいる。


 わがままな自分を温かく見守っている。

 仕事が辛いとき、いつも支えてくれた。

 仕事を辞めたとき、自分の夢の分野への就職を応援してくれた。

 自分のなりたい仕事になれた時、いちばんそばでよろこんでくれた。

 なりたい職業について、仕事に悩み休んだ時、陰で表で支えてくれた。

 仕事が忙しくて何にも家の用事をしなくても、黙って私を応援してくれた。

 私の挫折と成功の10数年。いつも一番そばにいてくれた。

 その相手は、私が一番大事な身内。妻。

 いまは少し距離がある。いまは子どもが一番。でも子どもはいつか親から旅たつ。

 私の人生の最後まで共に歩んでくれる人。だから、子どもが巣だった時に見捨てられないように、ちゃんと大切にしたい。

 はずかしがらずに、ちゃんと「ありがとう」っていつも伝えたい。

 それが私にできる恩返し。仕事が忙しかったり、悩んだりで、もっと行動で感謝を伝えられなくてゴメンね。

 言葉にすると恥ずかしいから、うまく伝えられないかもだから、ブログで自分の考えをまとめてみた。

サルマネ事件続き

2011-01-28 07:17:00 | 政治・経済
 日韓戦の試合でサルマネをして日本を侮辱した韓国代表の奇。


 韓国メディアでは結構非難されているよう。本人も「日本を侮辱する意図はないが、誤解を与えて申し訳ない」と談。日本もあまりマスコミに大きくとりあげてなく、問題を大きくしないような配慮が見える。


 しかし、だからと言って日本サッカー協会の会長が「私もよく見てなかったし、大した問題ではない。」という発言はどうかと思う。


 当初奇は自身のブログで日本の侮辱を意図したと書いてあったのだから、本人談は言い訳にすぎない。それにたいして「大した問題ではない。」でいいのかなあ。


 「日本を侮辱したとするなら遺憾に思う。少なくても誤解を与える行動は、スポーツマンとして慎むべきだったと思う。」というような事を言ったほうがよかったのでは?


 会長は、日本流の「不問にする」という立場を言葉で表したのだろうが、言葉や文化の違う異国は、発言がすべて。会長のコメントは韓国に誤ったメッセージになっていないか不安がある。


 相手のことを考えた外交が日本人は下手だ。それは日本人の国際理解がたりないからだと思う。だからこそ、中学校高校で社会の勉強を増やした方がいいと思うんだけどなあ。国語数学理科英語ばかりが注目されるんだよなあ。