笹本正治『戦国大名の日常生活』講談社選書メチエ、2000年、定価1700円
なかなか面白い本。表紙にこんなことが書いてある。
勝つことを宿命づけられた存在。それが戦国大名だった。
利益次第ですぐ離反する家臣。地域エゴむき出しの領民…。
国を治め天下を望む以前に、
彼らの欲望をみたすのが先決の、薄氷を踏むような日々。
合戦からは見えない赤裸々な姿を、
甲斐武田家三代を通して活写です。
これをブックオフで700円で購入した。武田氏の生活なんて興味がないけど、どっかに畠山のことが載ってないかな?と思ったから買った。結果、ほとんど能登畠山家のことは載っていない。戦国政治史の論文しかみたことない私はあまり本の内容が理解できなかった。
しかし、全国の史跡や全国の大名を調べて能登や畠山氏と比べることに興味を持った現在。この本はとても面白くみることができる。長篠の戦いで負けた後の武田勝頼の領国経営をつぶさに研究し、新府城築城や軍役再編などをしっかり再評価した上で、武田勝頼の評価を「戦国大名として優れていたとはいっても、織田信長ほどの革新性はなかった。彼は優秀ではあったが、信長ほどではなかったのだろう。」としている。
2011年1月。足利義昭のことでチャット討論をした時、改めて信長のすごさを感じた。
http://www15.ocn.ne.jp/~nanao/kyu-hrn/logu16.htm
「信長なんて、たいした人物ではない。たまたま天下取り易い地域に生まれただけのこと。」だなんて思っていたけど、歴史的事象をつぶさにみると、信長の「常識に捉われない」「革新性」がわかる。やはり、どれだけ畠山義綱や武田勝頼が再評価されとも信長の評価が下がることはないんだろう。
この本の著者が最後にこんなことを書いている。
現在、立場上もっとも戦国大名に似ているのは総理大臣や県知事であろう。戦国大名の場合には軍事判断などに失敗すれば命をも失う厳しい状況に置かれ、国民を引きつける能力がなければ追放され、あるいは戦争で敗北することになる。そのポストを去るのは命を失うか、ほとんど実権を失う時である。ところが今の政治家は一時的にそのポストに座るだけであって、たとえ政治的判断ミスをしても死を持ってつぐなわされることはないし、ポストを去ってからも政界に影響力を持ち続ける。また彼らは国民や県民の信頼度が低くともそれほど気にしない。公共性という面一つ見ても、私には戦国大名の方が今の政治家より気を遣っていたと思える。
戦国大名があれだけ神経を使って領国統治を行い、戦争を行ってきて、最終的にどれだけの利益が得られたのか、心の平安はどうだったのかを考えると、私は職業として戦国大名を選びたいとは決して思わない。読者の皆さんはいかがであろうか、本書を読んでもやはり戦国大名にあこがれるだろうか。
この著者が書いた戦国大名の実像は、決してワンマンな領国経営ができるわけではない現実を伝える。ただ、それは現代の職業もある意味同じである。
例え、企業の社長だったとしても、社員や株主の意見にはなかなか反することができない。
例え、教師だったとしても、生徒や他の先生の意見には反することができない。
例え、首相だったとしても、支持率や与党の意見を無視して政策を推し進めることはできない。
だからこそ、独断でできる職業なんて存在しない。ある面でリーダー性を発揮す職業は、リーダーシップを発揮することが難しいのである。