ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

【報告】狩野川薪能(その5)

2006-07-15 21:19:13 | 能楽
さて話は少し遡って「狩野川薪能」前日の7月7日の七夕の日。

ぬえは子どもたちの稽古の最後の仕上げのために伊豆の国市へ参りました。例年ならばこの時にワキ方や囃子方も一堂に会して<子ども創作能>の稽古を(申合を兼ねて)行い、その夜は出演する能楽師一同で翌日の舞台のために団結する意味で。。と理由をつけて飲んで騒ぐのですが、今年は能楽師のスケジュールがなかなか揃わずに、ついに ぬえ一人で現地入りする事になりました。

最後の稽古は夕方から始まり、仕舞を披露する子どもたちの衣裳合わせなども含めて終了したのは夜の8時。子どもたちのお母さんに教えて頂いた「ご近所のおいしいお店」で夕食を取ってから、一人でホテルにいても仕方がないので、今朝から舞台の仕込みをして下さっている茨城県・筑西市の「明野薪能実行委員会」のお宿にご挨拶にお邪魔しました。

聞けば筑西市のみなさんはこの日朝6時から会場で舞台の設営を始めたのだとか(!)。さらにこの前日、筑西市の倉庫から舞台の床材や柱などを運び出してトラックに積み込み、いったん解散してから夜中の2時に再集合、一路 伊豆の国市へ向かったそうで、毎年そんな苦労があったのか。。これはボランティア精神がなければとても毎年勤まることではありません。 ぬえがご挨拶におじゃますると、みなさん気さくにお話して下さって、筑西市の「明野薪能」でも子どもたちが狂言小舞に挑戦している事とか、伊豆の国市の子どもたちの事などを話し合いました。。が。みなさんお疲れがピークに達して、ああ、ここで一人睡魔に襲われてあえなく撃沈。。そこでまた一人 気絶するように意識を失い。。(^◇^;) 明けて薪能の当日となり、筑西市のみなさんは朝からさらに舞台の床高の調整など設営の作業が続いていたそうです。

これを聞いちゃあ。

ぬえは昼頃に楽屋入りをして子ども能や仕舞、そして玄人能の『船弁慶』の装束の仕掛けなどを進めましたが、午後3時、子どもたちが集まると、設営された本番の舞台の上で最後の稽古をする事になっていました。そこで、稽古を始める前に、集まった子どもたちを一度舞台の上に登場させ、筑西市の「明野薪能実行委員会」のみなさん、そしてもちろん「狩野川薪能」の実行委員会、7年前に薪能を始められた大倉正之助氏に向かってみんなで「どうもありがとうございました。(本日は)よろしくお願いします」と声を揃えて挨拶してもらいました。ぬえも「狩野川薪能」では7年間も指導に携わっているのに、こんな当たり前の事を指導していなかった。。客席にいた各実行委員会のみなさんからも「がんばってね」と声が掛かり、舞台に登場する子どもたちと、それを支える大人たちとが初めて繋がったような気がしました。7年間も、何やってたんだ? ぬえ。

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【今日のお題】

えーと、これは。。「下絵」なんですね。じつは現在、ぬえの新兵器が着々と開発されようとしていまして。。配備はいつになるか、まだ分からないんですが。。